偽物は学べない故に轍を踏む
「ようやく付いたなザックス。お前が、リベンジを果たす場所によぉ」
モルガンが頭から血を垂らしながら私を呼んだ。私たち一行は、北の山の中腹に辿り着いた。
本物のザックスはこの山の中腹にて、馬の首を騎士に挿げ替えた、人と馬を組み合わせたような魔物に殺されている。魔物の見た目を表すなら、甲冑を身にまとったケンタウロス、と言ったところが妥当だろうか。
私は十日前、空の上から一部始終を見ていたのだが、少し目を放した隙にザックスはやられていた。人の身にしてコウモリを屠ることができ、人間なら最強と言っていいであろう勇者ザックスが、だ。いくらこの体が彼を基にしているとは言え、ザックスがいとも容易く倒された化物に、私なんかが勝てるだろうか。
いいや、ここは勝たなきゃならないのだ。滅ぶばかりの人間を助けるために。それに、何だかんだ言って、モルガンやダイナ達にも愛着が少しだけ湧いてきた。だから私が頬をペチペチと叩き、気合いを入れなおす。
日が傾き、西の方角から橙色の光がもれる樹々を見上げたモルガンが、
「見ろよザックス。気味わりぃのが見渡す限りにぶら下がっているだろ?」
樹々から垂れ下がる、袋に似た気味の悪い物体を、目で示しながら私に訊いた。
「あれがクドラクの胎だ。あれを全部なくしちまえば、クドラクはいなくなるんだ」
青い血管を張り巡らせる、生物の羊膜のような薄い袋が、高い所のあちこちにぶら下がっていた。
袋の中にコウモリの子供がいる。コウモリはお腹の中で受精卵を育てる、いわゆる哺乳類に位置付けられる胎生の生物だが、人々がクドラクと呼ぶコウモリに限っては僅かに差異があり、あの羊膜に似た袋の中で子育てを行っていた。
今、私たちが立つここはコウモリの巣。モルガンの言う胎が、数え切れないほど垂れ下がっている。
袋がドクドクと脈を打っている。中で子供がうごめいているのが確認でき、内臓を彷彿させる赤白い袋と、痣のような青の血管によるコントラストが、私に生物の生を惹起させ、唾をごくりと呑まさせる。
「ハァ、ハァ、……クッ」
「おいモルガン、しっかりしろ。ここからが本番だぞ」
「わ、分かってるって」
モルガンが頭を押さえてふらつき、これにダイナが肩を貸した。
巣に到るまでだが、獣道をひたすら北に突き進んだ過程で、更に約半数が脱落した。現在残っている男たちは私を含めても六人しかおらず、しかも私以外で血を流していない者はいない。
モルガンはコウモリに不意を突かれたことにより、頭に大きな怪我を負った。本来ならもう休ませるべきだが、休める場所などどこにもない。北の山へ向かった時点で強行するしか、彼には選択肢がないのである。
「ザックス、早く、火を点けちまおうぜ……」
モルガンが失いそうな気をこらえて私に言った。
立っているのも辛そうだ。だから、うなずく私。
もうモルガンはダメだろう。でも、一度も弱音を吐かず私に付いて来た。もしも私が彼の立場だったら、この巣までくじけずに辿り着けただろうか。
死を賭してでもコウモリを滅ぼさんとする意志。その村を想う強さに私は驚嘆していた。腰巾着とか言って悪かった、せめてその体は村に持ち帰り、丁重に葬ってあげよう。モルガンとダイナを罵った婦人も、今ならきっと許してくれるはず。
「おいみんな来てくれ!」
巣から離れた、空と南の集落を一望できる開けた場所にて、魔物に備えて見張りをしている男が大声で私たちを呼んだ。
私を含めた皆が呼んだ男の元へ走る。そして、
「あれを見ろ!」
男が指す橙色の空を望むと、
「クドラクが、あんなに」
「……クソッ」
ダイナが茫然と言い、モルガンが忌々しく吐いた。七匹、いや、八匹か。コウモリの群れがこちらに向かって飛来していた。
もう一度述べるが、私以外は消耗が激しい。そもそも私以外でコウモリと互角以上に戦える者はいない。みなコウモリ一匹を、二人ないし三人がかりで相手にしており、それで怪我や犠牲を払いながらも倒していた。
私たちは六人。あの数に襲われたらまず無事では済まないだろう。私とて、いくらザックスを基とした特別な体でも、あの数を一遍に相手にするのは辛い。
「これで終わりか……」
「俺もいよいよ餌にされるのか」
「クソッ、ザックスが生き返ったってのに……」
皆が悲嘆に暮れる。ところが、
「おい、なんだありゃ」
「翼を生やした、……子供、だとぉ?」
人間からして見れば、その有り得ぬ光景にモルガンとダイナが目を剥いた。
他の男たちも訝しんでいる。空では背に翼を生やした子供、言うなれば天使が、コウモリの群れに向かって真っすぐ飛翔している。
そして天使が、手にする弓矢でコウモリを撃ち落とす。私は驚いていた。まさか彼が、地上の魔物と戦ってくれるなんて。
(神様、クドラクは僕が引き受けます)
(ありがとう!)
そう言えば、陰ながらサポートするって言ってたな。想定外の加勢に私は喜び、コウモリは少年に任せることにした。
私がモルガンとダイナを呼び、袋が垂れ下がるコウモリの巣に戻る。それから私とダイナが、急いで落ち葉や枯れ木を集め始めた。
ともかく燃えそうな物を掻き集める私。袋は手の届かぬ高い位置にいくつもぶら下がっており、これを弓矢や銃で一つ一つ撃ち抜くなんてあまりにも面倒である。したがって私たちは、初めから巣を燃やすつもりでこの北の山に向かっていた。
だからモルガンが「火を点けちまおう」と言ったのだ。山火事になるけど、人々を助けるためだもの、しょうがないよね、なんて私は折り合いをつけている。この未来は死ぬ前とは違う。
そして、私とダイナが集めた落ち葉と枯れ木に、持参した灯油をモルガンが撒き、火を点けようとしたときだった。
「ザ、ザックス!」
ダイナが焦った声で呼び、私は振り向いた。
いよいよ現れた。本物のザックスを殺した魔物、馬の体を持つ騎士が樹々の間から姿を現した。
脚で草を掻き分け、ゆっくりと近付く魔物。早いところ勝負を決めるべきだろう。モルガンは出血が激しいし、少年とてコウモリを全て倒せるかは分からない。
コウモリに邪魔をされる前に決着をつけるべきだ。そして、こいつを倒して私は人間の神様になるんだ、と意気込んだのも束の間、
「ザックス!」
私は目を剥いた。まだ距離はある、と気を抜いていた私の元へ、魔物があっという間に近付いた。
魔物が大きな槍で、私を貫かんとする。
「ザァックスゥ!」
モルガンの切実な叫びが、私の耳に響いた。
かわし切れずに喰らい、吹っ飛ばされた私。でも、勝負はこれから。私は手を突いて立ち上がろうとするが、どうしてか手を地面に突けなかった。
すかさず左腕を見て、手を突けなかった訳に気付く。私の左腕、――無くなっている。間もなくして千切れた左腕の断面から、血が止めどなく噴出し、この取り返しのつかない事実が私を青ざめさせた。
私は、コウモリを倒し続けて慢心していた。魔物という存在をなめていた。それを今更ながらに気付き、
「ザックス!」
「ザックスゥ!」
激痛と動転のあまり転げ回っていた。
痛い。痛い。痛い。痛い。しかし魔物は、そんな泣き叫ぶ私を無慈悲に排除する。
大きな槍が、私の体を貫いた。そうして私は本物のザックスと同じように、あっけなく死んでしまった。