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北の山へ向かい始め、既に五時間が経っただろうか。
「ザックス! クドラクだ!」
モルガンに呼ばれるまでもない。樹の陰から現れた大きなコウモリを、私は握る剣で切り裂いた。
コウモリが体を裂かれ、翼をバタつかせながら地に落ちる。このコウモリも生きるために襲い掛かったのだろう。でも、やらなきゃこっちがやられる。今は魔物の気持ちを推し量る余裕などないのである。
魔物を斬る事にためらっていたら、私に付いて来た男たちがやられてしまう。私はザックスである以上、付いて来た男たちを守らねばならない。
「さすがザックスだ、クドラクなんかワケねえな! お前がいれば俺たちゃ百人力だぜ!」
ダイナがコウモリを倒した私を褒めちぎった。
どうってことはない、なんて顔をして、私がザックスらしく振る舞うが、さすがは勇者と呼ばれたザックスの肉体、全てにおいて人間の範疇を通り越していた。
力は言うまでもない。どんなに大きな岩が行く手を塞いでいたとしても、この体なら押しのけそうである。また、この身体、いくらでも走れる。まさに疲れ知らず、フルマラソンも完走できるだろう。
そして、何より特筆すべきが、野生とも言うべき勘の鋭さだ。草が不自然に擦れた音を聞きもらさず、獣独特のかすかな臭いも嗅ぎ取れる。魔物の気配をいち早く察知でき、これにより初めて剣を持った私がどうにか慌てずに戦えているのも、この勘によるところがとても大きかった。
ザックスの体は素晴らしいの一言に尽きた。股に付いたものが余計だけど。
(神様。ここまでは順調なようですね)
(ミカエル君。この体とってもすごいの。戦った事ない私が、こうも戦えてるなんて)
(そうですね、その体は人間どもの願いを基に起こした物ですから。モンスターを滅ぼせる肉体を、多数の人間が一斉に願ったからこそ、その驚異的な身体が生まれたのです)
(うん? どういうこと?)
(つまりですね、その肉体はザックスそのものをコピーした訳ではないのですよ。人間どもがザックスの復活を願っていたために姿形こそザックスですが、それに併せて人間どもは、自分たちを喰らう憎きモンスターを駆逐できる強さを求めており、神様はその二つを合わせた奇跡を起こしたのです。本物のザックスとてそこまで強くはなかったでしょう)
この体はザックスという訳ではなく、人々が真に欲している願いを叶えた特別な肉体のようである。
本物のザックスは北の山にて命を落としている。だからこそ村の男たちは、如何なる魔物にも屈しない男の体を求めたのだろうか。
聞いてしまったら負けるわけにはいかない。約二年間見続けた村の男たちの願い、是が非でも叶えなくちゃ、なんて似合わぬ事を考えてしまう。
(人間が神様を信仰していれば、更に強い肉体を具現化できたのですが)
(私を信仰することが、強さにつながるの?)
(はい。願う人間が神様を信仰していれば、より高度な奇跡を起こせます。いずれにしろ注意してください、北の山に棲み処を構える半人半馬の騎士“セントール”は、いま倒したコウモリとは次元が違いますから)
やる気に満ちあふれていた私は、少年の忠告もそこそこに北へと振り向いた。
あと一時間ほど走れば山に入るだろうか。しかし、私は良くても、他の男たちが付いて来れなかった。
私一人だけが突出した強さなのだ。二十人はいた村の若者たちの、約半数が既に脱落している。私に頑張って付いて来ていたものの、コウモリ等の魔物に襲われ、あえなく命を落としていた。
残る半数もかなり消耗している。モルガンとダイナも疲労激しく、全身に付いた切り傷と擦り傷がとても痛々しい。だけど、今さら戻る訳にはいかない。もう少しで山に入るのだから。それにあと少しで日が傾いてしまう。昼間人々を襲った件のコウモリだが、元々コウモリは夜行性だ。日が沈んだらたちまち全滅だろう。
私が犠牲に胸を痛めながらも、想いを貫徹すべく北へと駆け始める。しかし、後ろでモルガンが、
「おいダイナ! 後ろを見ろ、“バーゲスト”だ!」
同じ腰巾着に異変を喚起し、
「なんだってっ!? ……うわっ!」
これに振り向いたダイナが、突如として深い草むらの中から現れた黒い犬に飛びつかれた。
「ダイナ!」
「うわ、うわわっ!」
押し倒されたダイナ。角を生やした黒い犬が、狼狽するダイナの首に、鋭く尖った牙を剥く。
これはまずい。好きな男じゃないが助けなければ。私が剣を握り締めながらダイナの元へ駆け寄るが、
「くそっ!」
いち早く駆け付けたモルガンが、黒い犬の背を、握るトゲ付き棍棒で横から殴り付けた。
吹き飛んだ黒い犬。すかさず立ち上がってモルガンを、その赤い眼球で睨みつける。
「このクソイヌがぁっ! 死にやがれ!」
襲い掛かる黒い犬に、モルガンが棍棒を斜めに叩き付けるが、この打撃を黒い犬は身を屈めてかわした。
そして、黒い犬が反撃に移る。棍棒を空振ったモルガンの右脚に、鋭い牙を突き立てる。
「あがっ! ぐっ、このイヌ! 放せ!」
「モルガン!」
慌てふためくモルガンが、噛み付いた黒い犬の首に棍棒をぶつけるが、腕だけで振った半端な打撃では犬をひるませるに至らなかった。
黒い犬が首をしきりに振り、モルガンの足の肉を引き千切らんとする。この窮地にダイナが、
「このっ!」
甲高い炸裂音が反響した。手にする猟銃で、犬の胴体を至近距離から撃ち抜いた。
犬がモルガンを放す。間もなくしてごろりと臥せ、血まみれの腹をさらす。息を荒げてこの犬を仕留めた、己の油断を己でぬぐったダイナが、
「モルガン、大丈夫か?」
モルガンを気遣い、
「ぐ、……すまねえ」
これにモルガンが右脚を押さえながら謝る。
私はびっくりした。なんだこいつら、助け合うことできるじゃん。
少し見直した。この腰巾着二人はちょっと前まで、今のように不覚をとれば、「ダセエ」だの何だのと言って嘲笑う事しかできないヤツだった。弱い人の気持ちが分からない最低な腰巾着野郎。それが私の印象だった。
でも今、信じられないことにお互いを気遣った。二人に一体なにが訪れたのだろう。今まではザックスが守ってくれたから粋がっていられたが、そのザックスを失い、助け合わねば生きられないことを本能で悟ったのだろうか。
いずれにせよ、この程度でほだされないけど、今は褒めてつかわそう。私は、よくやった、と言った旨の言葉をしゃべろうとしたのだが、
「○×△☆♯♭●□▲★※!」
「……?」
「ザックス、なに言ってんだお前」
あ、しまった。日本語でしゃべっちゃった。
やばい、地上の言葉が出てこない。ええい、ならばジェスチャーだ。私はニカッと歯を見せ、二人に親指を立てる。
「……ザックス」
「お前、変わったか?」
笑う私を、二人がほうけた顔して見ている。そりゃそうだろう。本物のザックスなら助けてやりつつも冷やかし、そして恩着せがましく偉ぶっていたのだから。
お前たちは助け合うということを学ぶがいい。そして私の存在を感じ、やがて私をあがめるがいい。
この体は土塊だが想いは伝わろう。なんてね。ふふっ。
「あっ、ザックス」
「おい待てよ」
ぼさっとしている訳にはいかない。日が暮れる前に決着を付けなければ。
山の中腹まであと少し。私は北へ向かって再び走り始め、モルガンやダイナ達がそれに続いた。