ジンルイハ スイタイシマシタ
「もっとも、西暦と呼ばれた時代は、2400年をもって終わったのですが」
少年の告げた事実に、私は仰天せざるを得なかった。
私は知っていた。私がいま存在する世界は、私が生きた世界の遥か先だった。
こんなのって。にわかには信じられないが、私よりも長く地上を見続けている少年が言うのだから間違いないだろう。
「ちょ、ちょっと待ってミカエル君。私、死んであにまになる前は2021年にいたの」
「……なるほど、神様の前世は、いわゆるミレニアムと呼ばれた時代の人でしたか」
「うん。じゃあ、下の世界って、遥か先の未来ってこと……?」
「そうなりますね、神様にとっては」
何と言う変わり様だろう。人類が七百年の間に、これほど衰退したなんて。
しかし、未来と知って、私が約二年間地上を見続けて抱いた様々な疑問が氷解した。地上は一目では産業革命やルネサンスなんて遥か先の、古代と言ってもいい程に後れた時代なのだが、その一方節々で、古代ではまずありえない異物が見られるのである。
例えば銃。薬莢を込めるタイプの銃であり、これは私の記憶に間違いがなければ、日本の戦国時代より後の時代の代物だ。また、地上の人々は電気を知っており、風車や水車、ソーラーパネル等で、生活に必要な電力を自力でまかなっている。
他にも色々と散見され、中には私が知らないハイテクな物まで見かける事がある。基本は古代なのだが、所々で中世に近世、果ては私が生きていた時代の物まで見かける妙な世界なのである。
「ミカエル君、日本は? アメリカは? イギリスは? 中国は?」
「訊くと思っていました。残念ですが、全て滅んでいます」
「えっ? 2021年のときにあった国が、ことごとく?」
「はい。その時代にあった国々は、一つ残らず滅んでおります」
私が知る世界の国々は、既に滅んだようであった。
日本がなくなっていたのはちょっとショックだけど、でも、七百年超だ。それ程までに世界は変わったのだろう。
本題に移らねば。地上は七百年の間に何が起きたのだろう。
「ねえ、さっき“人間は神を自ら捨てた”って言ったよね?」
「はい」
「裏を返せば、昔の人々は神様を信じてた、ってことだよね? 私が死んだ2021年から、私があにまになった2775年の間に、人間が神様を捨てるに至った事件が起きたってことだよね?」
「はい」
「それって一体なんなの? 何が起きたの?」
「それはですね、西暦2146年、下界では神の不要論という、無神論を過激にした思想が突如として提唱されたことから始まったのです」
「神の、不要論?」
尋ねた私に、少年が静かにうなずく。それから、
「お訊ねしますが、神様はアニマとして生まれ変わる前の前世では、神の存在を心から信じていましたか?」
「うーん、心から、って言われると信じてなかったと思うなぁ。都合のいいときに神様、なんて祈ったくらいで。もしかしたらいるかも、くらいの気持ちで、本気の人に比べたらいい加減だったと思うもの」
「分かりました。大まかに言って無宗教者の類だったわけですね」
「神様にされちゃったけどね。あ、天使の君からしたら怒るとこ?」
「いえ、全然です。確認の為に訊いただけなので気になさらずに。では、このように思ったことが一度はあるのではないかと。宗教があるから戦争が起きる、と」
「あ、……うん、あるね」
「その考えを過激にしたのが神の不要論なのです。宗教があり続ける限り争いは終わらない、時の為政者が何の前触れもなく唱え始めた、この宗教を悪に仕立て上げた思想は、とても大きな反響を呼んで下界に一大センセーショナルを巻き起こしました」
と、宗教に熱心でない人なら一度は抱くであろう想いが、かつて世界を駆け巡ったことを私に教えた。
だが突然に過ぎる。時の為政者って言うと、死ぬ前で表せば総理大臣や大統領だろうか。そんな立場の人が、一気に世界が荒れ始めるような事を突然唱えるだろうか、と思ったが、「事実は小説より奇なり」という言葉があるし、何よりも少年が事実として述べた。それは本当に2146年に起き、そして私では想像すら及ばない水面下の駆け引きがあって宣言されたのだろう。
宗教を真っ向から否定した。神様を信じる人たちは当然カンカンのおかんむり、激おこぷんぷん丸だろう。
「もちろん神様を信じていた人たちは怒ったのよね?」
「はい、黙っている訳がありません。世界中の国々が、この不要論の撤回を求める声明を発表します。更に過激派が暴走し、各地でテロが多発するようになりました」
「それで、神様を信じていない人達と争うの?」
「いえ。そう事態は単純には済まず、むしろ無神論者たちは鳴りを潜めました」
「って言うと?」
「キリストにイスラム、仏教にヒンドゥー教、当時の宗教は神様もご存知かと思われますが、この各宗教がテロを発端としてそれぞれ争い始めたのです」
「ええっ、神様を信じてない人達じゃなくて、宗教と宗教とが対立するようになっちゃったの?」
「はい。各陣営が互いに非難し、己が奉じる教えこそ正義と掲げ、事態は泥沼化していきました。そして2149年、遂に最終戦争が始まったのです」
「最終、戦争」
「この戦争こそが人類の滅亡を決定づけました。人間どもは核兵器に細菌兵器と、生態系を一変させる兵器を惜しみなく使いまして、いま下界の人間を襲う、神様からして見れば異形のモンスターは、それら兵器の影響で生まれてしまったのです」
今日も下の集落を襲ったコウモリ等、漫画やテレビゲームの中でしか見なかった人を襲う魔物、それが地上に生まれた理由を私は理解した。
そして、人類が衰退した理由も。戦争の結果は、地上の人々を見れば一目瞭然であり、
「戦争は2187年まで続き、結果は全陣営共倒れに終わりました。人類の八割が死滅したこの惨事に、生き残った人間は神の不要論を選択、宗教への弾圧が始まったのです」
「…………」
「有神論者たちは棄教を命じられ、従わぬ者、いや、従った者も処刑されました。そして教会に寺院、絵画や彫刻など、神を彷彿させる物もことごとく破壊され、こうして神は忘れ去られてしまったのです」
人々が神様を知らない訳を私は知った。
宗教があるから争いが起きる。この言い分は私も死ぬ前にそう思ったことがあるので理解できる。それに、どこにだって過激な人はいるものだ。キリスト教は宗教改革で争ったって言うし、ちょっと違うけど日本だって、第二次世界大戦前は御国の為にと神風アタックだ。
でも、信じる神様が違うくらいで、人が憎み合って殺し合って滅ぼし合うなんてバカらしい。怒られる考えかもしれないけど、私はそう思っていた。もっと柔軟に考えられなかったのか。
引用になるけど、隣人を愛せなかったのか。人類は七百年の間に、取り返しのつかない選択をしてしまったようである。あまりにもあんまりな人の有り様に、私はちょっとふさぎ込んでしまう。
「まあ神様、昔の話ですから。神様が驚かれるのも無理はありません、僕も生まれ変わった先が、遥か先の未来と知ったときは驚きましたので」
「えっ。ミカエル君も、あにまになる前の記憶ってあるの?」
「あっ。……すみません、今のは忘れてください。僕ら天使は自分自身の前世を明かしてはいけないと、これも前に仕えていた神と同様にきつく言い渡されているのです」
謝った少年。どうやら少年も私と同じく、今のあにまになる前の記憶を持っているようである。
「話を戻しましょう。人間は神を自ら捨てたのです。この者たちを助けたところで、神様に感謝する者などどれほどいることやら。したがって滅ぼし」
滅ぼし、とまで言った少年が、白い雲に向かって指を差した。
間もなくして、なんと少年の指から光が現れる。そして光が、プロジェクターのように雲へ映像を映した。
天使ってのはこんなことができるのか。そう驚くのも束の間、私は更に驚き、そして映し出された映像に身を震わす。
少年が映す映像には、大きなナメクジがたくさん映っていた。ナメクジがぐちゃぐちゃと入り乱れている映像に血の気が引く。けれど少年は、意に介すことなく映像のナメクジ群を目で指し、
「この人間に代わって新たに地上を支配すると予想される生命体に、神様が教えを説き、信仰させる方が懸命かと思われます」
私にナメクジの神になれ、と勧めた。
「み、ミカエル君、教えを説くも何も、ナメクジじゃんこれ」
「確かに今はナメクジですが、よく見てください。ただのナメクジに比べて頭が大きいでしょう?」
「ほ、ほんとだ」
「とても高い知能を有しているのです、このナメクジは。あと千年もすれば更なる進化を遂げ、地上の覇者に成り得る知能を有すだろう、とオファニエル様は予見しておられます」
少年が勧めるとおり、直ぐに醜い知恵を働かせる人間など放っておき、このナメクジが純真なうちに信仰させる方がいいのかもしれない。
絵を描くにしても白い下地の方がずっとやり易い。少年の勧めは理にかなっていた。でも千年は長い。モチベーションが絶対に続く気がしないし、何よりもナメクジの神様なんて勧められてもちょっと。
そう言えば死ぬ前に、不死鳥を題材とした漫画で頭の良いナメクジが現れていたな。あれは信仰させるとかって話じゃなかったけど。
「ええっとミカエル君。ナメクジの他には、ないかしら?」
「他ですか。新たに下界を支配できそうな生物と言うと、……こんなのもありますね」
私が眉尻を下げて勧めを断ると、少年は雲に映る映像を切り替えた。
次に映し出されたのは、二足で歩く豚だった。これは知っている。と言うより、未来の世界において現れていたなんて驚くしかなかった。
間違いない。少年が次に勧めた生物は、漫画やテレビゲームなんかで見たあのオークだった。ナメクジよりはマシだし、映像の隅にいる仔豚なんてはとても可愛いんだけど、うーん。
「元々が人間の家畜だったからでしょうか、こいつらには人間に似て利己的なところがありますが、屈強な肉体に何でも消化する雑食性、そして次々と子を産む旺盛な繁殖力を備えています。神様がよく教えを説けば地上の支配者になれるでしょう」
「ミカエル君。私、やっぱ人間の神様がいいかな……」
「人間にこだわりますか。まあ、お気持ちは分かります。神様も少し前まで人間だったわけですからね」
少年が下を向き、
「では、どの生物の神となるかはひとまず後にして、神様に“奇跡”の叶え方を知って頂きたく存じます。神様、下の村に嘆き悲しんでいる男たちがいるでしょう?」
「あ、うん」
「あの男たちは今、懸命に祈っています。神様、良い機会ですから、あの男たちの願いを叶えてあげましょう」
「叶える? そんなことできるの? どうやって?」
「ただあの男たちの願いを読み取り、叶えてやろうと思えばいいのです。さあ」
「う、うん、やってみる」
私は促されるままに従い、下で嘆き悲しむ男たちを見つめ、何を考えているのか読み取ろうとした。
すると、いとも容易く男たちの願っていることが分かった。そして私は、それを叶えてやろうと念じた。
今まで地上の人々が何を考えているかなんて分からなかったのに。しかし、そんな疑問について考える暇などなく、
「神様、陰ながらサポート致します。存分に力を振るってみてください」
私は幽霊ではない、しかとした存在で地上に降り立った。いや、地上に降り立ててしまった。