絶対に断れないロールプレイ
「初めまして神様。僕は今日から神様に仕えさせて頂きます、“ミカエル”と申します」
透き通ったブルーの瞳に、汚れなき白い肌、陽にきらめくブロンドの髪をなびかせる美少年が、自分の胸に手をあててにこやかに名を告げた。
ヤバい、すっごくカワイイ。ちょっとイジワルしてみたい、なんていけないいけない。私は慎み深き淑女なのである。オトナらしく振る舞うべきであろう。
しかし素晴らしい。こんな美しい男の子、死ぬ前の人生を振り返っても出会ったことがない。
いつ以来だろうか、男の子を見て胸がときめくなんて。璃佳子と付き合っていた潤くん以来なかった気がする。そう言えば、潤君が好きだったときは、いつか璃佳子と別れてしばらく経った後に私と付き合って、なんて友達が付き合っているのにも係わらず自分と付き合う妄想ばかりしていた。
神様、と言われているのが引っ掛かるが、それは後で訊くとしよう。今日は死ぬ前を合わせても最良の日、なんて感激していると、
「しかし驚きました。僕の仕える方が、こんなに美しくて、ほっとするような女神様だったなんて」
ぎょぎょぎょ。美少年がそのあどけない顔で、私を見つめて美しいと褒めてくれた。
ついつい某魚類学者の驚き声を心の中であげた。当然、なんて偉ぶる訳にはいかない。これは否定しておこう。
「美しいなんて。やだ、困っちゃうな、にへへー」
「いえいえ。今まで女神様って、無駄に美し過ぎて、どこか近寄り難い印象があったのですが、そこへいくと神様は美し過ぎず、程々に整った御顔をしていらっしゃいますので安心しました」
「…………」
「女神様って潔癖な方が多いですから気を遣うんですよね。大抵は嫉妬深くもありますし。ザドキエル様に派遣を命じられたときは“やだなぁ”なんて辟易していましたが、あの地べたを這いずり回る人間どもとあまり変わらない御顔であるので助かりました」
なんだこれ。この子天然で言っているのかしら。
ちょっとショックだ。少年は、私の事を美しいと言いつつも、それほど褒めていない。
そりゃー璃佳子には敵わなかった。でも、私は死ぬ前に様々な人からもて囃されている。うぬぼれるようだけど、私は自分のルックスに多少の自信を持っていた。
少年には冷静でいられなくなるくらいに好かれたかった。私に見惚れ、私以外の女などちょっと見て捨てるくらいに。手放しでは喜べなくて無性に悔しい。それはさておき、少年は私のことを「神様」と言い、聞き間違えでなければ派遣とも言っていた。
少年は間違いなくアレだろう。ほのかに輝く輪っかを頭に浮かべ、背にはペリカンみたいな翼を生やしている。コスプレにしても大げさだ、この空の上でやる意味が分からない。
「ねえキミ」
「ミカエルって呼んでください」
「じゃあミカエル君。さっきキミ、私のこと神様とか言ってたよね?」
「はい神様、自信を持ってください。神様は、紛うことなき神です」
「……どういうこと?」
首をかしげる。この幽霊のような私に、神様として自信を持て、とは。
神様ってあれだよね? みんなに敬われて崇められて、ともかくものすごい存在のことだよね? 敬われたことなんかないし、自分を神様なんて思ったこともないけれど。
まあ、神様と言われて悪い気はしないが、何もかもがピンとこない。そもそも私は何者なのかも分かっていない。触ることもできず、地上の人に語りかける事もできない意識だけの存在。やっぱり幽霊ではないのか、なんて考えていると、
「神様。自分のことをゴーストのようだ、なんて思っていたりしてませんか?」
そんな私の疑問に先んじて少年が尋ねた。
「ゴースト? そうね、幽霊みたいとは常々思ってるよ」
「僕ら“天使”は、そんな迷えるアニマを導くのが役目なのです」
「あにま?」
「アニマとは天界に住む意識、地上の生命体が感じ取ることのできない天の存在の総称です。ちょうど今の神様や僕もアニマに含まれます。アニマはその心次第で神にも悪霊にもなりまして、僕は神様を、この世界の神へと導くために遣わされたのです」
世界の神様。また大きく出たものである。
間違っても私にそんな器はない。とは言え、少年の言いたいことをなんとなく理解した。つまり少年は、自分が何者か分からないで迷っている私を神様にするべく現れたようである。
うん? ちょっと待って。私、神様になるの? 地上の人々から敬われるようになるの? 話のスケールがとてつもなく大き過ぎて引くんだけど。
なんで私なんかが。私はオンリーワンのちっぽけな存在でいいんです、ナンバーワンなんて望んでおりません。
「あのーミカエル君」
「なんでしょうか?」
「えっと、なんで私なんかが神様に? もっと他に適任の人、じゃなくてあにまがいるんじゃ?」
「いえ、神様は十分神となる資格がおありです。我らが王座にして天上位階第三位の座天使・オファニエル様が、神様の事をずっと見続けていましたから」
「うえっ、私、見られてたの?」
「はい。地上を呪う、世界に仇なそうと企む。神様がこの天界に顕れてから、そういった邪念に一度も駆られなかったことをオファニエル様はご存知です。神様は神となる資格ありと、オファニエル様は判断されたのです」
どうやら私は、知らず知らず監視されていたようである。
確かにねたましいとかは一度も考えたことはない。むしろ地上の人々には同情している。でも、誤解している。何もできなくて、この約二年間無為にぼーっと眺めていただけなんだけどな。
少年は「おふぁにえるさま」と言った。上役だろうか。しかし、改めて考えると、背筋に冷たい汗が走る。天使ってなに? 言うなれば計り知れない力を持った天の意志からの使いってことだよね? そもそもこの少年だって、先の登場からして尋常ではない。
私の想像を超えた何かが、私をずっと審査していたというのだ。なにそれ、怖すぎる。よって、
「ね、ねえミカエル君。君の上司どこから見てるの?」
「オファニエル様は俗に言う千里眼の持ち主です。探しても見つかりませんよ」
首を慌ててあちこちに振り向けたが、目やカメラらしき物は見当たらなかった。
プライバシーの著しい侵害だ。独り言もつぶやけやしない。もしも私が、邪な想いを抱いていたらどうなっていたのだろうか。
地上が皆しあわせだったら、交じれない己の身を嘆き、抱いていたかもしれない。だから試しに、
「もし私が、世界を滅ぼそうとか考えていたりしたら」
「その場合は僕ら天使が全力で滅ぼしにかかります。悪霊と化したアニマは害となるだけですからね」
聞くまでもなかった。滅ぼされずに済んで喜ぶべきなのだろうか。
「神様なら恐れる必要なんかないですよ。僕ら天使は、神様のような清きアニマのためにあるものですから」
「そ、そう評価してくれるのはうれしいけど、自分では汚れてる、って思ってるけどね。そう言えばミカエル君さ、さっき派遣って言ってたよね?」
「はい。僕ら天使は命じられて神に仕えますが、それはザドキエル様が決定されるのです」
「ざどきえるさま?」
「聞いたことありませんか? 天上位階第四位の主天使様です。ちなみに僕は第八位、新入天使を指導する大天使にあたります」
えっへん、と胸を張った少年。よく分からないが、天使という職業? は、派遣会社のようなシステムで働いているらしい。
天使の世界も色々あるみたい。天使は神様と単純な主従関係にあるもの、と思っていたから意外であった。
ちょっと整理してみよう。少年の述べた派遣が、死ぬ前同様の派遣であるならば、命令権は私に有る。そして給与を払う必要はない。そこはちょっと気楽である。
しかし、私は少年の言う「ざどきえるさま」と、少年の雇用に関する契約を結んだ覚えはない。少年は私の元にいつまでいてくれるのだろうか。そもそも、可愛いから気を許しちゃったけど、この子どこまで信じていいのだろう。いかにもな天使の彼だが、あくまで自称である。
まさか、実は悪魔でしたとか、そういうことないよね? 一応たしかめた方がいいだろう。私が、
「ミカエル君。派遣ってことは、他の神様にも仕えてたことあるんだよね? 今までどんな神様に仕えていたの?」
と訊くと、彼は、
「それはすみません神様。前に仕えていた神について明かすことは、天使の掟として固く禁じられているのですよ」
申し訳なさそうにして私の問いに対する答えを断った。
「神様に余計な先入観を抱かせないための措置と思われますが、理由は訊いたことありません」
「そうなの。残念」
「気になるでしょうがすみません、お許しください」
他の神様について知れれば、少年が天使の証明になると思って訊いた。けれどそれは、天使たちの決まりで明かしてはいけないよう。
まあ死ぬ前も、守秘義務という勤め先で知ったことを迂闊にしゃべっちゃいけない規則はあった。それに、少年が私の元を去り、次の神様に仕え始めたとして、その次が私のことを根掘り葉掘り聞いて笑ったとしたら、あまり良い気はしない。
仕方ない。無理強いはできないので信じることにしよう。なにせ少年が言うには彼の上役が監視している。下手な勘繰りは身の危険である。
しかし荷が重い。何度だって言うけれど、私は神様なんて器じゃない。
親の財布からお金をくすね、中学時代の親友を売り、不倫の末に幸せな家庭を引き裂いた私が、まさか神様に推されようとは。
やはり、私が適任しているとは思えない。もっと利他的な徳の高いあにまこそが神様になるべきであろう。例えば、生前に私財をなげうって貧しい人々を救ったあにまとか、自己犠牲の末に果てた立派なあにまとか。
私は凡人、いや、凡あにまである。私なんかが神様になったら、地上は今以上に荒れそう。だから、
「ねえミカエル君、やっぱり考え直さない?」
と、言葉足らずに伝えると、
「え?」
ほうけた顔で訊き返されたため、
「ほら、私なんかが神様じゃ、地上の人々も困るでしょ?」
遠回しに自信ない旨を伝え、やんわりと神様を辞退する。
「そ、それは困ります! もうぼく転出届だしちゃったんですよ!?」
「転出届って。天使たちの間にもそんな物があるのね」
「お願いします神様、どうかこの世界の神になってください! もし断られたら僕はただの天使に降格され、窓際に追いやられてしまいます!」
「ええ、でも、自信ないし」
「新入天使たちから使えないヤツと煙たがられ、さらにザドキエル様からパロ・スペシャルをキメられてしまいます! 終いには自主退職を迫られ、僕はこの世界から消滅してしまいます!」
「…………」
「もう僕には行く所がないんです! 神様、僕を助けると思ってどうか!」
一方的にまくし立てる少年。分かった。分かってしまった。
はい、と首を縦に振らないと先に進まないパターンだ。私の気持ちなど忖度しない、一方的な承諾の押し付け。
気が進まないが、やるしかないようである。どこのロールプレイングゲームだ、まったく。
「……期待しないでね?」
「やってくださいますか、よかったぁ。ザドキエル様から泣き落としてでも神になってもらえ、と厳命されてたんですよぉ。この二年間、神様がしゃべる言葉の勉強をしたのが無駄にならなくてよかったぁ」
天界とはそんなにもあにまがいないのだろうか。私なんかが神様なんて。
もうどうにでもなれ。地上が今よりも更に荒れたら、それは私なんかを神に推した天使たちの責任だ。
とは言え、眺め続けるだけの幽霊のような自分には鬱屈としていた。こんな私でも、地上の人々を助けられるなら助けてあげたい。だから一応、不満げな顔を浮かべて、
「それで、神様って何をすればいいの?」
少年に何ができるのか尋ねる。
「神様はどうなされるのが良いと思われますか?」
「うーん、そうね。まずは下の人たちを、少しは助けてやるべきなのかな、と思うんだけれど……」
しかし少年は、私が下の集落に目を向け、助けたい、と伝えると、
「下の人たち? 神様、いま地べたを這いずり回っている下界の人間どもを助ける気ですか?」
「え? うん」
「うーん、あまり勧められませんね。助けたところで敬われるとは思えませんし。……神様、人間はもう滅ぶ定めなのです。救っても徒労に終わると思われます、放っておいた方が得策かと」
いきなり否定された。少年はさらりとした顔で、人々を見捨てるべき、と告げた。
どうしてだ。地上の人々は魔物に襲われ、日に日に数を減らしている。特に下の集落なんては、唯一対抗できたザックスを失い、もう滅亡待ったなしだろう。
行き場のない人々を救ってこその神様ではないのか。そんな戸惑う私に、
「神様」
少年が尋ねる。
「ザドキエル様から聞いた話では、神様は二年ほど前に、この天界に顕れたと伺っておりますが」
「そうね。そのくらいから地上を見続けてたよ」
「では、既に下界の様子も分かっていらっしゃると思います。人間は神を自ら捨てたのです。ザドキエル様がすぐに僕を神様の元に遣わさなかったのも、審査のほか、神様に下界の事をよく知ってもらうためなのです」
人間が神様を知らず、優しさが足りないことは、私が約二年間地上を見続けて慣れるくらいに承知していた。
だが、神様を捨てた。これはどういう意味だろう。神様が捨てるならまだしも、人が捨てるなんて立場的から見ても妥当じゃない。
かつて人々は神様を知っていたのだろうか。私は人を助ける前に、人が滅びの道を辿り始めた原因を、知らなければならないのかもしれない。
「ねえミカエル君、地上の歴史って分かる?」
「はい。千年くらいの間でしたら」
「知ってる限りでいいから、”人間は神を自ら捨てた”ってところ教えてくれない? 地上で何が起きたの?」
「分かりました、説明は上手い方ではないですが。……下界はかつて、西暦と呼ばれていた時代がありまして」
「えっ、西暦?」
「ええ。その西暦で言えば、今は2777年にあたります」