メガミ テンセイ
「鳴湫かなゑ、何故ぬしは転生を繰り返す? わぬしほどこの幽界に訪れる魂も中々おらんぞ」
見上げるばかりに大きな赤い顔のおじさんが、右手に握る細長い板を私に指して言った。
眉尻を下げ、どうもぼやいているみたい。おじさんが私に向ける、宮司さんなんかが持っていそうな板、あれ笏って言ったっけ? まあ、それはどうでもいいか。
後ろを見やれば、並ぶ人たちがどよめいていた。私ももう地獄に堕ちた人たちと同じく、問答無用で「ゴゥートゥーヘル」とばかり思っていたからびっくりしている。ってそうそう、目の前のアレであろうおじさん、聞き間違えじゃなければ転生って言っていた。
人は死ねば、やはり何かに生まれ変わるのだろうか。
「あ、あのお。すみません、ちょっといいですか?」
「なんだ? 刑は変えぬぞ」
「そ、それは、後で訊くとして、私ってそんなに生まれ変わっているんですか? 全然おぼえてないんですけど。っていうか、人は死ぬとやっぱり何かに生まれ変わるのでしょうか?」
「転生は人間に限らぬ。草木も虫けらも、犬も畜生も、“解脱”に至らなかった魂は全てこの幽界を経た後に生まれ変わる」
「そうなのですか。それにしては、ここに並んでいるのは人間ばかりですが」
「それは錯覚だ。並んでいるのはみな魂ぞ」
「えっ、魂?」
「そうだ、あらゆる生き物の魂が列を成している。その魂がぬしのまなこには人間に見えているだけなのだ。それに転生を覚えていないのは当然だ。魂は生まれ変わる際にレテ、つまりぬしが知るところの三途を渡河することで、それまでの記憶を全て洗うのだからな」
輪廻転生。生きていた頃によく聞いた言葉だが、やはり本当のよう。
私の前世って何だったのだろう。もし歴史に名を残した人だったらどうしよう。でも、ダニとかGとかだったら絶対に落ち込むだろうから、これについては詮索しないことにする。
かの有名な子供探偵からセリフを拝借すれば、真実はいつも一つ、にして大抵は残酷なものだ。そういえば、生きていた頃に、神様に何故か気に入られて前世の記憶を継いだまま転生して大活躍、って小説をインターネットで読んだ事があるが、この分ではそんなもの期待しない方がいいだろう。
でも、転生の何がいけないのか。アレであろうおじさんは、私の転生を嘆いているみたい。
「えーと、私って、どれほど生まれ変わっているのですか?」
「界分の域まで達した、と言っただろう?」
「か、かいぶん? 聞いたことない言葉ですけど、単位ですか?」
「うむ、人間には馴染みのない単位だがな。十進数で言えば、10の7168乗だ」
「そんなに」
「殆どの魂は獄、つまり10の48乗ほどで涅槃に到るのだが。しかし何故、地獄の“獄”ではなく、極上の“極”で数えられているのか。どこぞの魂が誤って伝えたか、うーむ……」
途方もない数だ。どうやら私という魂は、他の魂より遥かに転生しているらしい。
十の七千百六十八乗って、無量大数ですら理論上では処理が可能な、現代のコンピューターでもさばき切れない数なのでは。そんなにも転生するなんて、よほど私という魂は出来が悪いみたい。
では、どうすれば転生しないで済むのだろう。今うなっていた赤い顔の巨大なおじさんは、先ほど「げだつ」とか「ねはん」とか言ってた。これ言葉だけなら知っている。漫画かなんかで読んだことがある。
確か、転生の終わり。ふわっとした知識で言ってるけど。あとどこかの言葉なら「ねはん」のことを「ニルヴァーナ」って言うの知っている。語感がカッコ良かったから覚えている。
目の前の超巨大で、ヤクザよりも遥かにおっかなそうな赤い顔のアレであろうおじさんは、そのニルヴァーナを私にほのめかしているみたい。
「あのー、エンマ様」
「なんだ」
うわっ、つい言っちゃった。心のどこかで何となく認めたくなくなかったから、アレって言ってたのだけど。
認めたし、もういいか、エンマ様で。
「そのげだつ? ねはん? それをするにはどうすればいいんですか?」
「訊いてどうするのだ? ぬしはこれから途方もなき刻をいたずらに過ごすのだぞ?」
「えっ?」
「鳴湫かなゑ、これからおぬしは神となる。あらゆる命の生死を見続ける観念となるのだ。たとえ知れたとしても、その幾星霜の刻の中で必ずや忘るるであろう」
うーむ、って私もついうなっちゃった。どこからツッコめばいいのやら。
どうして私なんかが神になるんだろう。神って神様だよね? みんなから敬われ、崇められ、貴ばれるものすごい概念のことだよね? 私にはそんな徳など間違っても備わっていない。地獄に堕ちて当然なのだけど。だから、
「えーと、もう頭が追い付かないんですが、神って、私の聞き間違えですかね?」
「聞き間違えではない。何度も言わすな、貴様は神に処する」
私がもう一度訊くと、エンマ様に念を押されたため、
「……か、神ってあれですよね、ものすごい存在のことですよね? 処すると言ってるのがちょっと引っ掛かりますが、わたし地獄に堕ちるんじゃないんですか? 嘘ついてますよ?」
足りない語彙力を無様にさらけ出し、嘘つきであることをアピールした。
とりあえず言える事は、エンマ様の言っていることが本当に分からない。でもエンマ様が告げる。どうやら地獄とは、私の考えている地獄とは根本的に異なるようである。
「鳴湫かなゑよ、おぬしはもう地獄に、10の7168乗から1引いた数おちている」
「ぜ、全部って。ことごとく堕ちているんですか?」
「うむ。ぬしは生前の記憶から誤解しているが、ぬしが生きてきた世こそが地獄なのだぞ?」
「え」
答えに私は戸惑った。エンマ様が言う地獄とは、私が生きていた世界を指すようだ。
確かに苦しみはあった。生きていた頃、たくさん悩んだし辛い思いもした。でも、鬼がいて、ぐつぐつと煮えた釜があって、痛みから逃れられない針の山があって。私が生きた世界は、そういった拷問とは無縁であった。
本当に地獄だったの? 私はそう思わざるを得なかった。しかし、それは誤りで、エンマ様が私の認識を正す。
「鳴湫かなゑよ、生まれ変わる先は地獄だけなのだ」
「は、はい」
「涅槃に到れなかった魂は、極々一部の例外を除いて等しく三途の川を渡る。そして地獄に生まれ落つる。それからの魂の身の上は様々だ。おぬしのように比較的平穏な日々を過ごした魂がいれば、親や子を食ってでも生きねばならなかった魂もおる」
「……あ、そっか。私は、まだ幸せに死ねた方なんですね」
「そうだ、誤解が解けたか? 地獄とは堕ちる先によっては、おぬしの考える以上の地獄と成り得る」
エンマ様は、私の抱いていた疑問などお見通しで、軽いショックを私は受けていた。
戦時中に生まれれば、おはじきをドロップと間違えてなめた某アニメの女の子ようにひもじい思いをするだろう。小さな動物に生まれ変われば、毎日が食うか食われるかの戦場となるだろう。世界とは、自分の視界に映る世界だけではなく、常に生命の危機に脅かされている儚い存在だっている。そんな当たり前のことを私は忘れていた。
生きた世界が、地獄ということは分かった。けれども私の中ではまだ疑問が残っている。
さっきエンマ様は、私を神に処する、と言った。神様は天、すなわち天国に住む存在のはず。でもエンマ様は、天国に行けなんて私に一言も言っていない。むしろ地獄の観念になれ、なんて言っている。
「エンマ様、天国はないのですか?」
「ぬしが思う天国とは涅槃であり、解脱した魂が行く先だ。そこに辿り着いた魂はもう生まれ変わることはない」
「えっと、さっき神に処する、って仰ってましたよね? 神様って天国に住むって聞いたことあるんですが」
エンマ様が、笏を改めて私に向け、そして、
「鳴湫かなゑ、それも誤解だ。万物は魂が宿ることで自我を灯す。それは神も例外ではない」
と私に教えた。
つまり、神様も地獄の物、というか概念であり、決して天国に住むわけではない、ということだろうか。
エンマ様が続ける。足りない頭をフル回転し、分かったようで分からないでいる私に。
「神とはその深き“業”ゆえに涅槃に到れず、転生を繰り返す魂が行き着く先ぞ」
「……業?」
「平たく言ってしまえば魂の行いだ。我はこの業に依りて魂を一つ一つ裁いている」
「行いが悪いと、ねはんに行けないんですか?」
「うむ。ぬしが神と仰いだ者どもを今一度顧みるがよい。天の使いと邂逅したなどとほざいては、ひたすら己を律して徳を高めたり、死後を追究すべく悟りを啓かんとしただろう? あのような行為は実に業が深いのだ」
「……立派に思えるのですが。私にはとても真似できません」
「それよ。我のみが人という器を超越したと思い上がり、衆愚を導かんとする行為こそ深き業。地獄ではそのような行いを積むことで涅槃に到れると信じられているようだが、それは転生を果てなく繰り返し、終いには我が神に処するだけだ。解脱には程遠い」
立派な行いをして皆に讃えられた、一般に聖人と呼ばれる人こそ、エンマ様にとっては最も罪深いようだ。
いまいち理解できずにいる私。でも、一つだけ分かったことがある。それは、正邪や善悪といった概念は、エンマ様にとって判断の材料にならないみたい。
偉いからこそ業が深い。そう解釈すると理解できるような気もした。例えば、名前は伏せるけど、世界中の皆が知るあの人とか、他にもあの人とかあの人とか、確かに神様、あるいは神様のように崇められている。
「しかし鳴湫かなゑ、ぬしは特に珍しい。生前のぬしは紛れもなく凡人だ。業もさして深くない」
「はい。それは私自身よく分かっています」
「だがぬしは、界分の域に達しても涅槃に到れなかった。もう見過ごすことはできん。気が進まんが、貴様を神に処さなければならん」
「わ、分かりました。私ってそれほどダメな魂だったんですね」
「…………」
エンマ様は何も答えなかった。私という魂がどんな生を繰り返したかは知らないけど、まあダメだったのだろう。
でも、神って言われ、ちょっとワクワクしちゃっている自分がいる。エンマ様からすれば嘆くべきなのだろうが、だって神様だよ? すごくない? 何でもできて、みんなから敬われるんだよ?
さっき転生したら神様に気に入られて大活躍、って話したけど、それを遥かに上回るんじゃないかしら。しかし、叶うならげだつした方が良かったのだろう。エンマ様は神様よりもそちらを勧めている。
「あの、エンマ様」
「なんだ?」
「また訊くんですが、私がげだつするにはどうすれば良かったのでしょう? 嘘をつかなければよかったんですか?」
「解脱の法は教えられん。ただ、嘘を吐かなければ涅槃に到れるかと問うのなら、否、とだけは答えておこう」
「えっ」
「嘘などみな吐いておる。人間に限らず、獣も虫けらも」
「……人間なら確かにいくらでも嘘をつきますが、動物も虫も?」
「自分に嘘を吐かぬ者はおらんだろう? それに、嘘を吐くにも様々な葛藤があるだろう? 嘘が悪意とは限らぬのだ、故に我は嘘を斟酌しておらん」
「ああ、なるほど。納得しました」
動物も、子のためなら我慢するだろう。群れの為に敢えて個を捨てたりするだろう。
利他的な行いとは基本自分に嘘をついている。これは頭の悪い私でもすぐに理解できた。
「解脱の法は、人間がいくら考えを巡らせても決して悟れない領域。されど大抵の魂は、生を幾度となく繰り返すうちにいつしか至っておる。故にぬしも生きているうちに至らなければならなかったのだが……と、おぬしだけに長々と話している訳にはいかん。後がつかえておる」
「あっ、はい」
「これにて話は終わりだ。ではおぬしを、これより神に処する」
ついつい話し込んで後ろの人たち、いや、魂を忘れていた。
そして鬼の登場だ。私は右手の扉に振り向き、扉が開かれるのを身構えて待っていた。
しかし、待てども鬼が現れない。あれ? さっきのハゲた人のときは、賑やかな声や騒がしい足音がしたんだけど。
「エンマ様」
「なんだ?」
「鬼のヒト達、来ないのですが」
「神は三途の川を渡らずに転生する。しばし待て」
「えっ、じゃあ私は記憶を持ったまま?」
「うむ。だが、ここの記憶だけは洗う。おぬし、そのままそこに立っておれ」
「え?」
エンマ様のすぐそばには、上から縄が垂れ下がっていた。
縄は私が裁かれる前からあったのだが、ただの縄だったので私は特段気にしていなかった。その縄を、エンマ様がぐいっと下に引っ張ると、
「キャアッ!」
どこかで見たコントのように水が大量に落ちて来て、私はそれを頭から豪快にかぶった。
「な、なにするんですか!?」
「今かぶせたのは三途の水だ。これにて幽界での記憶は洗われた。ぬしは生まれ変わった、ぬしの記憶にはその事実しか残らん。では鳴湫かなゑよ、気が遠くなるほどの生と死を間近にし、その中で次こそは涅槃に到るがよい。さらばだ」