出歯亀シンドローム
ヘッケルフォンの町は様相が異なっていた。
「ねえ、あんた結婚してるんでしょ? いいの?」
「構わないさ。神様が言ってんだろ? “これからの恋愛は自由だ”って」
「そうね、神様は、”一人を愛する時代は終わった”と言ってたのよね。……ん」
なんか、色男と艶のある女が、建物の陰に隠れて熱いキスをかましている。
うわー、舌が絡み合っている。この後が容易に想像できるわ。……って、いやいや、ちょっと待って。わたし「これからの恋愛は自由だ」とか「一人を愛する時代は終わった」なんて一言も言ってない。
どういうこと。二人のこの後が非常に気になるけど、私が我慢して他を回ると、
「ああ、お義父さん。そこは、いけません……」
ある民家では、押しに弱そうな女性が、義理の父なのであろう中年の男に押し倒されており、
「俺のコレが忘れられないってか。ヘヘッ、いいぜ。お前の彼氏じゃ味わえないエクスタシーをもう一度教えてやるからオレん家まで来いよ」
裏路地では、清楚な成りの女性が満更でもない顔で、粗暴そうな男から腰に手を回されており、
「うふふ、君はじめて? お姉さんが可愛がってあげる」
木陰では、思春期真っ盛りの男の子が、オトナのおねえさんにねっとりと絡み付かれていた。
我慢する必要なんてなかった。なんてハレンチな。どの人もこの人も、昼間っからいけない情事に耽っていて、私の神様にあるまじき窃視衝動をくすぐってくる。
「だ、ダメですよ、ぼ、僕には、好きな人がいるんです……」
「でもその好きな子はこんなことしてくれる? 私、君のこと一目見たときから気に入ってたの。神様だって恋愛は自由だって勧めているんだし、今はそんな子のこと忘れてお姉さんと愉しも? ね?」
あーいや、これは少年には見せられない。って違うちがう、待ちなさいあなたたち。私は一夫一妻を勧めているはずだ。こんなエッチで節操ないの、間違っても勧めた覚えはない。
私はいつもベルの村の上にいるため、ヘッケルフォンの町を訪れたのは久しぶりだけど、前に訪れたときとは明らかに違う。誰も彼もが、私を口実にして淫らな行為に及んでいる。
もう覗いている場合じゃない。この町で何が起きているのか。私が困惑しながらも神殿に向かう。すると、
「神は仰られた、子こそ宝であり、愛とは元来自由なものである、と。これは神が一人でも多くの子を欲しておられるお告げだ! 皆の者、一人を愛する時代は終わった、貞操を越えし自由な恋愛を愉しもうではないか!」
雨が降る中、うさんくさそうな一人の男が神殿の前で演説しており、その雨音を打ち消す高らかな声が人々の耳目を集めていた。
「男は本能のままに女と交わるがいい。そして女は、男の愛を有るがままに受け入れよ! 神が望むは未来を担う、子に満ちあふれし純真にして無垢なる世界! さあ、男女が成す愛の結晶を神の御前に捧げるのだ、さすれば神は、至上の祝福を我々に授けて下さるだろう!」
は? 誰あいつ。私あんな男と話したことないし。
子供は好きな方だけど、子供が欲しい、なんて一言も言ってない。私が茫として眺めていると、歳にして十二くらいの女の子が男に歩み寄る。
女の子は、可愛らしくてまだ何も知らなそうな子だった。まさか。いやまさか、そんな。
「あの、おじさん」
「なんだいお嬢ちゃん?」
「私も神様のためにお手伝いしてあげたいんだけど、子供ってどうすればできるの?」
「そうか、お嬢ちゃんはまだ知らないのか。お嬢ちゃんは、女の子の大事な所から、血が出たことがあるかい?」
「うん。この前はじめて出た」
「そうか。ではお嬢ちゃんも、神様のために手伝う資格があるな」
「ほんと?」
「ああ。おじさんが子供の作り方を教えてあげよう、付いてきなさい」
もう我慢できない。私は、奇跡を起こした。
神殿の中に降り立った。服を着ているか心配だったけど、イーデンが彫った像のおかげか、裾の長いワンピースみたいな服をまとっていたのでほっとした。
気を取り直して、私がつかつかと外に出ると、雷を落とした所為もあるからか、私の登場にみな驚いていて、
「かっ、かかかかっ、かみ、さまぁ!?」
うさんくさいロリコンクソ野郎が、私の姿にぺたりと腰を抜かした。
「ねえあなた」
「は、はいぃっ!」
「さっきから聞いてたんだけどさ、私、子供が欲しいなんて一言も言ってないんだけど。なんで嘘を教えるの?」
「あ、あわわ」
「答えなさい! さもなくば、今度はあなたのその煩悩にまみれた頭に向かって雷を落とすわよ?」
「ひぃぃっ! ぼ、僕は、“ルシア”にそう言えって言われたんです!」
ルシア? 誰それ。
「ルシアって誰よ?」
「ええっ、神様ご存じないのですか!?」
「知らないわよ」
「神様と会話できるという女です。だからてっきり、僕は神様のお告げと思いまして」
ルシア。そう言えば、この長雨が降り始める前に、誰かが「ヘッケルフォンにイイ女がいる」って言ってたな。
イイ女が、ルシアって名だった気がする。もちろん面識なんかない。
「そのルシアって女どこにいるの? 案内なさい」
「ルシアは、ここから南へ行った“クラヴサンの洞窟”にいます。どうしてか、あんな所に住んでまして」
「そう、分かった。ではあなた」
「は、はい」
「今さっきの演説、一度や二度じゃないんでしょう? 撤回を今すぐ街の人々に触れ回ってきなさい。いいわね?」
「は、はいっ!」
「嘘でしたすみません、ってみんなに誠心誠意あやまって来て、一夫一妻を守るよう神様は言ってます、って伝えるのよ? それと」
今も男の傍らに立つ、何も知らない女の子を指し、
「この子に変なことしたら、あなた、分かっているわね?」
「はいぃぃぃ!」
走り去るロリコン野郎。正直天罰を下してやりたい気分だが、人々がいるのでこの辺で我慢しよう。
状況が読めてきた。ルシアという女が今の男をたぶらかし、私の教えを淫らなものに騙っているのだ。
何故そんなことをする。いや、それは今はどうでもいい。私の教えを偽り、あまつさえ吹聴するなんて絶対に許せない。何が何でもルシアという女を問い詰めなければ。
(ミカエル君、聞いてた?)
(はい)
(私、このままルシアとか言う女に会いに行って来る。奇跡どのくらいもちそう?)
(一日、といったところでしょうか)
(着くかしら)
(大丈夫です。クラヴサンの洞窟でしたら半日もあれば十分です、道案内はお任せください。ただ)
(ただ?)
(もしかしたらその女が、僕が見つけられずにいる悪霊と係わりがあるのかもしれません。もし悪霊と会敵しましたら気を付けてください。姿こそ捉えておりませんが、神様とは正反対の不浄な気を感じ取っておりますので)
(分かった。ありがとう)
確かにこれは少年が探している悪霊、及び長雨と関係があるのかもしれない。
また、ルシアという女はイイ女との噂だ。ヤトガの村でジタンという老爺の息子が失踪しているが、これもルシアにたぶらかされたなら説明がつく。
関係はなくとも武器は要るだろう。道中間違いなく魔物が現れる。よって、剣の一つくらい転がってないかな、なんて私が辺りを見回すと、
「神様」
群集から現れた一人の老婆に呼ばれ、そして私は、この老婆が誰か一目で分かった。
「ええっ、あなたジャンヌ? この町に住んでいたんだ」
「はい。神様は、変わらず美しくて何よりです」
「やめてよ、私なんかよりあなたの方がずっと可愛いでしょ。そうそう、ヘーデルは元気?」
「つい先日、天に召されました」
「そっか。……ごめん、空の上にいたけど見てないや」
「いいんです。あの人も、神様のおかげで、幸せに暮らせましたから……」
「……ジャンヌ?」
「生きているうちに、また、逢えるなんて」
「ジャンヌ」
「私の神様……」
私の手を恭しく握るジャンヌは涙を落としていた。
ジャンヌは、もうしわくちゃのお婆ちゃんだけど、それでも可愛かった。私なんかよりもずっと。
この子には本当にお世話になった。私が神様になれたのは、この子のおかげといっても過言ではない。
「ねえジャンヌ。私これから、また戦うかもしれない」
「はい」
「私でも握れる剣あるかしら? 弓矢もあると更に嬉しいけど」
「任せてください。いつか神様が現れたときのために用意していた物をお渡ししましょう」