闘犬乱舞
「ええっ? 奥さんホントー?」
「ほんとなのよー。ウチの旦那ったら、腰ふってる最中に“腰が抜けた”とか言っちゃって」
「やだー」
「んもー困っちゃったわホント。あんな情けない旦那と一緒になるんじゃなかった。ねえ奥さん、私を満足させてくれそうな若い子いたら紹介してくれないかしら?」
ここはヤトガの村。私は婦人たちによる井戸端会議を、後ろから亡霊のようにして聞き耳を立てていた。
肉付きの良いパワフルな感じの御婦人が、「ガハハ」と楽しそうに笑っている。雨は相変わらず降っているというのに。
笑う御婦人を満足させられる男などそうそういないであろう。なぜそう言い切れるのか。それは、なんとなくである。いやだってこの御婦人、色んな意味で強そうだもの。
「もう欲求不満でうずいてうずいて、仕方ないのよぉ。若い子どこかにいないかしら?」
「そうねえ。この前ベルの村に行ったんだけど」
「えっ、ベルにいるの若い子!? そりゃ行くしかないわねぇ。うふふ、待ってなさぁーい。鍛えぬいた私のテクで、ぷりっぷりの若いエキスを空になるまで搾り取ってあげるわぁ」
「やだもー」
「オホホ」
話に花が咲いているが、少年の言う「鍵」はまず出てこないだろう。
何が悲しくて、婦人たちの下世話な話に耳をそばだてなければならないの。井戸端会議に見切りをつけた私が、この場をそっと後にする。
私は奇跡を起こしていない。意識だけの状態、つまりアニマのままで人々から情報を集めていた。
理由は各村町に建つ神殿の中の、私の像にある。像は既に亡くなったイーデンが造ったものであり、どうも彼にはそういった才があったようで、私の戦う姿をさながらに彫ってくれた。
しかし、私さながら。この私に似ていることが仇となってしまった。私は人々の願いを基にして地上に降り立つ。このときの人々は、像の私をイメージする。
つまり、私は像の私そっくりにしかなれないのだ。皆がイメージする私が地上に現れれば、人々は腰を抜かすだろう。それに、私が皆の前に現れ、何の成果も挙げずに天へ帰ってしまうと信仰が薄れてしまう。したがって無駄打ちは許されない。ここぞ、という時にしか地上に降り立てないのであった。
言い忘れていたが、私は地上の人々が話す言葉をマスターした。伊達に五十五年も神様をやっちゃいない。聞くのも話すのもどんどこい、私だって勉強するのである。
「へへっ、いよいよチャンピオンの座から降りるときが来たな」
「おいおい、テメーの犬っころが、俺の“フジタデンゴロウ”に敵うと思ってんのかよ?」
「ぬかせ。しばらくすれば俺の“ワタベミキオ”がチャンピオンだ。よしワタベミキオ、あのボケ面うかべた犬を泣かせてやれ!」
「ハッ、かませ犬の分際でイキリやがって。いけっ、フジタデンゴロウ! 返り討ちにしてやれ!」
村の広場では、闘犬が催されていた。
白熱する男たち。野蛮ではあるが、これも一種のスポーツ観戦だろう。そう私は好きにさせている。
酒に賭博、それからエッチ。人間というものは、常に何かしらの娯楽や快楽を求めている。私は神様になってそれを改めて学んだ。
いつの時代もやることは変わらない、原始的で利己的、教養もへったくれもあったもんじゃない。芸術に価値を見い出したイーデンはホント稀な例外である。しかし、この娯楽や快楽が、日々の労働の糧となっている側面もあるため、私としては度を過ぎなければ否定する気はない。
前世でも、捕まえたモンスターを戦わせるゲームが流行っており、モンスターが可愛くて私も遊んでいた。よって酒や賭博は程々に、と人々には教えているのだが、
「ああぁ!? 俺のワタベミキオが負けただとぉ!? てめえ、何かイカサマこいただろ!?」
「あー!? ふざけんな、負けて悔しいからっていちゃもん付けてんじゃねえぞ!」
「いってえ! 殴ったなこの野郎!」
「おう、かかってこいやぁ! 俺のバレットパンチで飼い犬もろともぶちのめしてやらぁ!」
犬そっちのけで、飼い主がバトルを始めた。
大の男二人が取っ組み合っている、ぬかるんだ土の上で泥んことなり。そして、
「いいぞ、やれやれ!」
「こらえろ! 勝てばお前がチャンピオンだぞ!」
「そこだ、どろかけだ! 犬の仇をとってやれ!」
闘犬のとき以上のはやし声、いや、喝采が周りから上がっている。
こいつらどこの子供だ。私は頭を抱えた。地上の人々には教養が必要かしら。それにこんな調子で、長雨の原因を探れるのだろうか。
「うぃー、ひっく」
「あらあらジタンさん、またこんなに呑んだくれちゃって。お水もってきましょうか?」
「水なんているかよバーロゥー。この雨じゃ野良仕事できなくて暇なんだよぉ。酒もってこいバーロゥ」
広場を離れた民家の軒先では、酒に酔った一人の老爺が、気にかけた婦人を乱暴に振り払った。
なんて横暴な。私がちょっと憤るのだが、婦人は「仕方ない」と言った顔を浮かべ、連れ添う男の子に水を持ってくるよう命じる。私が優しくするよう教えたとは言え、よく出来た婦人である。
私には酔っ払いの相手などできそうもない。この婦人の方が神様にふさわしいんじゃなかろうか、美人だし。ちなみに、人々は自前で酒を造っており、それは私にもちょくちょく捧げられる。
ビールにワイン、蜂蜜酒にどぶろく。まあ色々と造っていて、天に住む故に飲めない自分が恨めしい。えっ、密造酒じゃないかだって? それは前世の話でしょ。私は寛大なのです。……なーんて、酒も賭博も禁じないのは、禁じて悪口を言われたくないのもあるんだけどね。波風立てたくありません、事なかれバンザイ。
「酒だサケ、酒よこせぇー」
老爺が雲の垂れこめる空を仰いでわめき散らしている。
苦笑している婦人。正直言って私、この聞き込みは気が重たかった。人々の話を聴くのが嫌という訳じゃない。むしろ生の声は割と面白い。私の悪口さえ言ってなければ、人間観察は楽しいものである。
問題はその後、敵は私の天候操作を阻んだ悪霊だ。私なんかが勝てるだろうか。私はいざ地上に降り立ったときのために、空の上で稽古を重ねた。少年のサポートで何度も何度も、神様らしく戦えるよう努力した。
シミュレーションは十分にこなした。でも、五十五年前のコウモリの件以来、私は一度も地上に降り立っていない。それに、私は悪霊と言われる敵と戦ったことがない。少年に任せっきりであり、未知なる敵と実戦の経験不足が、私を不安に陥らせていた。
前に少年は、悪霊はおそらく私と同等の力を備えている、と言っていた。でも、これは少年なりの嘘だろう。「以上」なんて聞いてしまえば、私は尻込みするに違いない。
もう一度述べるが、敵は私の天候操作を阻んだ。力は上と見積もるのが妥当だろう。よって逃げ出したい、その時が来ないことをどうしても願ってしまう。でも、やらなければならない。私は五十五年前の気持ちを思い出し、際限なく膨らむ不安をどうにか押し止めている。
だから、わめく老爺が羨ましかった。私は怖い、酒でも飲んで気を紛らわしたい。そんな不安に駆られる私が、ジタンという名の老爺を見つめていると、
「ヘッケルフォンに行った息子が、帰って来なくてよぉ」
老爺がわめくのをやめ、婦人に情けない声で吐露した。
「……もう何日、帰って来てないんでしたっけ?」
「今日でちょうど一月だぁ。あいつが野良仕事をさぼるなんて今までなかった、一体どうしちまったんだよぉ」
えっ、今なんて言った? 息子が帰って来ない、だって?
ヘッケルフォンはここヤトガから三日もあれば着く。往復でも六日で、一ヵ月なんていくら何でも遅すぎる。
だから酔いつぶれているのか。合点がいった。私は少年が言った鍵を見つけたのかもしれない。