holy harassment
雨が降る。ここ最近こんな調子だ、晴れ間をしばらく見ていない。
前にお日様を見たのはいつだったろうか。今日も地上の人々は外に出ようとせず、たまに出る人も雨除けをかぶってぐずついた土の上を駆けていた。
澱んだ水たまりが日に日に村を侵蝕し、空を望めば垂れ込んだ雲が絶え間なく露に濡らす。まるで空が泣いているよう、なんてらしくない思いを私が抱いたとき、
「神様、ただいま帰りました」
「おかえりなさい」
灰色の雲から現れた光の珠が帰りを知らせたため、私は返事をした。
ゆっくりと降りる光の珠が、私の前で少年に変化する。ちなみにこの珠、天使のいつもの姿で、彼らは必要な時のみヒト型に変化する。普段なら地上の人々には見えないのだが、極稀に何かの拍子で見られてしまうことがあり、そういった場合に人々は未確認飛行物体とか言って騒ぐよう。
「どう? 見つかった?」
「いや、部下にも命じて探しているのですが、一向に足取りをつかめません。さっぱりです」
「困ったね」
「申し訳ありません」
「あ、ううん、責めてるわけじゃないから。気にしないでね」
慰める私。少年はここしばらく私の元を離れ、悪霊を探し回っていた。
世界の害となる邪悪なアニマが少し前に現れたよう。それで少年は部下の天使たちと手分けして探しているのだけど、いまだ見つけられずにいた。
悪いアニマの出現は以前もあった。しかし少年はそれほど手こずらずに見つけて退治した。こんなに手こずっている少年を見るのは、私が少年と出会ってからの五十五年間で初めてだった。
気にしないで、と言ったものだが、悪霊なんていたら落ち着くものも落ち着けない。早いところ見つけて欲しいものである。ちなみに少年、ずっと前にも言っていたが階級的には大天使と言って、一応天使を従えている立場にあたるみたい。
「でもこんなに探しても見つからないんじゃ、君の上司のざどきえる様に頼んだ方がいいんじゃない?」
「それはいけません、絶対にやめてください! 悪霊を見つけられない程度でザドキエル様をお呼びするなんて大天使の名折れです。それに、“こんなくだらぬことで我を呼び出しおって”と、ザドキエル様からパロ・スペシャルをキメられます!」
「ぱろすぺしゃる?」
「知らないのですか、脱出不可能と称される至高の関節技ですよ!」
「知る訳ないじゃない」
「ザドキエル様は四百年に一度開催される天使オリンピックにてV3を成し遂げた超技巧派レスラーです。普段は鉄の心と呼ばれる程に無表情な御方なのですが、その顔にザドキエル・スマイルが浮かんだら最期、僕なんてたちまち消滅ですよ!」
少年が口角泡を飛ばして上司の召喚を拒んだ。
そんなに上役が怖いのかしら。天使の界隈は存外に体育会系のよう。言い方を変えればパワハラとも言える。わたし前世では、自分の手に負えないと思ったらすぐに上役を呼んだんだけどな。
私はざどきえる様に会った事はない。というか、少年以外の天使を見た事がない。私が天使の界隈を知ることは今後あるのだろうか。
「それはそうと神様、雨が続いておられますね」
「そうね」
「これ以上降り続けると地上の農作物に影響が出ると思われます。雲を晴らしてはどうでしょう?」
天候は自然現象なので積極的には介入しない。これが私のスタンスなのだが、確かに今の雨は長過ぎだ。
地上の人々が困れば私への信仰にも影響する。私は少年の提案に従い、降り続ける雨を止める事にした。
意識を集中し、灰色の空に命じる。雲よ、全能なる我が命に依りて分かれなさい――、と。だが、
「……えっ、晴れない?」
もう一度命じてみても、雲が微動だにしない。私は初めて天候の操作に失敗した。
「どうして。今まで、こんなことなかったのに……」
焦る私。人々からの信仰が足りないのか。いやいや、そんな事は絶対にあり得ない。
地上の人々に異変はない。それに、今くらいの雨なら止めた事は何度もあった。また、雨が降らないときには雨雲を呼び寄せた事もあった。
自信があっただけに動揺してしまう。いったい何が原因なのか。しかし、そんな私に反し、
「やはり、この雨は」
少年は確信を得た様子で暗雲を見上げていた。
「神様、ありがとうございました。この長雨の原因がおかげでつかめました」
「えっ、どういうこと?」
「この長雨は、行方をくらませている悪霊の仕業です。悪霊がこの雨を降らせているのです」
「そ、そうだったの」
「はい。そして神様の神威を阻む限り、今回の悪霊はおそらく神様と同等の力を備えているものと思われます。……神様、出番です、力をお貸しください。僕たち天使が悪霊を見つけたところで敵うとは思えません、ここは神様直々に悪霊の討伐をお願いします」
少年が協力を仰いだと同時、私を奉る地上の神殿では、
「おお神よ、長雨で作物が痛み始めました。このまま雨が降り続けると食べ物が腐ってしまい、今年の冬を越すことができません。どうか神よ、降り続ける雨を止め、地上に陽の光をお恵みください」
と、一組の男と女が手を組み、私の姿を模した像へ祈りを捧げた。
これは、やらなければいけない。これを無視しては私への信仰が廃れてしまう。しかしどうすれば。少年ら天使が見つけられない悪霊を、私が見つける事などできるのか。
「ねえミカエル君、どうしよう」
「そうですね、天から探して見つからない以上、鍵は下界にあるのかもしれません」
「地上に?」
「はい。最近なにか変わったことがないか、人間の話に耳を傾けるといいかもしれません。神様、下界の人間から情報を集めてもらっていいですか? 天からの捜索は引き続き僕ら天使が行いますので」
「うん、分かった、やってみる。ところでミカエル君」
「はい?」
この子の悪い癖だ。お仕置きせねばなるまい。
「い、痛いです神様! こめかみをグリグリするのはやめてください!」
「もう! 君はいっつもそう、私への説明を後回しにして! 先に説明してくれれば驚かなくても済んだじゃない!」
「そ、それは、神様に協力を仰ぐ以上、危機感をあおった方がいいと思いまして……」
「あおんなくても協力したわよ! この神様を脅かすなんて、なんてイタズラっ子よまったく!」
涙がこぼれ落ちるまで、私は少年をいじめた。
えっ、お前の方こそパワハラじゃないかって? そんなことありません、これは可愛い少年へのしつけなのです。