WARNING
「着いた」
村を発ってから五時間ほどが過ぎ、私は北の山の中腹、コウモリの巣に辿り着いた。
まず目に留まったのが、前回わたしに最後まで付いて来れた五人の死体の跡だった。コウモリに食われたのかその身はほとんどなく、骨や武器の残骸などが僅かに残っている程度であった。
ここに来るまでの道中も見かけた、男たちの屍は。改めて「ごめんなさい」と、死んだ男たちに祈りを捧げる。ちなみに私が乗り移ったザックスの体は、殺されると程なくして土に還った。
見上げれば相変わらず、モルガンが言った気味の悪い胎が、ドクドクと脈打ちながらうごめいている。既に日は傾いており、奇跡の猶予もあと一時間しか残されていない。ここがゴールだしさっさと魔法で燃やしてしまおう。そう剣を掲げたとき、――ゾクリとする気配を後ろから感じた。
なぜ分かったのか。それは、一度命を奪われているからだ。直ぐに身を反転し、私は私を一度刺し殺した、馬の下半身を持つ騎士と相対する。
(現れました神様、半人半馬の騎士、“セントール”です)
「分かってる。……みんな見てて。私が、みんなの仇を討つから」
モルガンにダイナ、他、名前も知らずに命を落とした男たち。無数の魂に私は誓いを立てた。
しかし、言うほど易くない事は分かっている。そもそもザックスが敗れたのだ。そんな強敵に、私なんかが勝てるのだろうか。
騒ぐ鼓動、緊張という名の糸が切れそうなくらいに張り詰めている。戦った経験など前回の一度だけ、前世を振り返ってもぬくぬくと生きたしょうもない記憶だけが蘇る。さらに、馬の下半身と人間の上半身を合わせた2メートルは悠に超える魔物の巨体に、構える私の脚はがくがくと震え、イヤな汗ばかりがだらだらと垂れる。
また、ザックスも私もあっという間にやられた。粘ることすら許されなかった。目の前の魔物は、まだ私に見せていない力を間違いなく秘めている。
やっぱり敵わないかもしれない。そんな不安を、なんとか消そうとする私にセントールが、
「お、おまえ、日本人か?」
右腕に抱える槍の先を下げ、私が分かる言葉をいぶかしげに話したため、私は思わず「えっ」と訊き返してしまった。
「驚いた。まさか、この末法の世に、日本人の女が生きているとは」
「……あなた、誰? いったい何者?」
戸惑うセントールに私は問う。というか、私も戸惑っている。
セントールの疑問はもっともだ。私は約二年間地上を見続けたけど、ジャパニーズと言えるような顔の持ち主は見た事がなかった。
そもそも少年の言では、私が前世のときに存在した国々は全て滅んでいる。よって日本なんて単語が出てくるのはあり得ない。顔を窺いたいけど、スリットの付いた兜が顔を覆っているために窺えず、そんな表情の読めないセントールが、ぽつぽつと私に語り始める。
「私は、……被験体K453XR671」
「被験体?」
「そうだ。WOC、世界観測委員会によって生み出された“キメラ”の一体だ」
「えっ、なにそれ? 世界観測委員会ってなんのこと?」
「知らないか。まあ、私の事など捨て置いてくれ。私はお前に興味がある。お前がどこで生まれ、どういった経緯でこの山に訪れたのか、それを尋ねたい」
セントールが、この地上において明らかな異物の私に興味を示した。
少女の願いを具現化した奇跡、なんて言っても理解される訳ないだろう。これは愛の告白よりも難儀な問題だ。
しかし、偽っても仕方ない。理解されようとも思わないので堂々と答える事にする。
「まず名を訊こう。お前、名前は?」
「お前なんて言う魔物に、大切な個人情報を教えるわけないでしょ」
「…………」
「へりくだることもできないのね。ふん、まあいいや、教えてあげる。私は神様よ、あなたが思っているようなヒトじゃないから」
「神、だと……?」
私が吐いた大言に、セントールがピクリと反応した。
笑い飛ばされるのが関の山だろう。私だっていきなり現れた女が、自分のことを神様なんて言い始めたら、頭おかしいんじゃないかと疑ってしまう。
我ながらよくもこんなセリフを吐けるもの。ちょっと前までおしっこ漏らしそうなほどビビっていたはずなのに。ところが、セントールは、
「な、なんということだ。神が、あれほど待ち望んでいた神が、この期に及んで現れたというのか」
意外にも私の言葉を信じ、深い衝撃を受けていた。
「何故だ、なぜ今さら、私の前に現れた……」
「え?」
「私は何度も祈ったはずだ、私のような者を生み出さないでくれ、そして奴らに天罰を下してくれ、と! まさか私に、復讐をやめろなどとぬかすつもりか!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて。……ねえ、こっちから訊くけど、あなたがここにいるってことは、あなたがここでコウモリを育てているの?」
「そうだ。このクドラクも、禁忌の交配と放射能による変異を重ねた結果により産まれた哀れな生き物。私はここでクドラクを着々と殖やし、いつか人間を一人残らず駆逐しようと考えている」
「直ぐにやめなさい。あっちに村があるでしょ? あなたが飼うコウモリのおかげで、あの村が今にも滅びようとしているのよ」
私は約二年間見続けた南の集落を指して告げた。
口を閉ざしたセントール。意外にも話ができそうである。だから私は、
「ねえお願い、人間を駆逐なんてやめて。キメラとか世界観測委員会とか何のことか知らないし、あなたにも事情があるのでしょうけど、あの村の人達、ううん、ほとんどの人間はあなたの言う復讐には関係ないんでしょ?」
対話を試みるが、
「……神よ、どうして人間に肩入れする?」
セントールが、右腕に抱える槍の先を、私に向かって鋭く突き付けた。
「私は人間に絶望しているのだ、こんな姿の生物を平然と生み出す、生まれながらにして悪の人間になぁ!」
「…………」
「神よ、お前が神というのなら、今すぐあの頃に戻してくれ! 妻と子と慎ましく暮らしていた、貧しくとも幸せだった頃に戻してくれ!」
「あなた」
「私は元々人間だったのだ。己を“天帝”の代行者とのたまう使徒どもに、一家もろとも弄ばれたのだ! もう語るまい! 神よ、この醜悪な顔をよく見るがいい! これが弄ばれた者の末路だ、もう私はお前の言う魔物として生き、人間を滅ぼすしか道がないのだ!」
兜のスリットを上げたセントールの素顔は、日が傾いているために全容こそ窺えないが、右眼が顔の半分を覆うほどに肥大化しており、一目で人間ではないと分かるそれは化物と言うしかなかった。
息を呑む私を後目に、セントールが恥じるようにしてスリットを下げる。
「お前が方舟に巣食う使徒を野放しにする所為で、妻と子が、被験体とされた者の殆どが、廃棄品と笑われながら死んだのだのだぞ!? 人は悪だ、存在自体が間違いだ。神よ、我が復讐の邪魔立てをするというのなら消してやる!」
激昂したセントールが馬の四足で駆け出した。
槍の先が迫る。血にくすんだ色の刃が、私を再び貫かんとしている。
思い出されるザックスの体のとき。あのとき私は反応できず、左腕を失った。だから、同じ轍を踏むまいと気を付けていた私は、上体を反らして槍を紙一重でかわした。
セントールの上体は鎧に覆われている。生半可な攻撃など効かないだろう。だから私は、
「はあぁっ!」
絶対に倒すという気合いを吐き、敵の下半身である馬の胴体を鋭く斬る。
「ぐうっ、神め。どうしても、私の邪魔をするつもりか」
「ええ。あなたには同情するけど、復讐なんて絶対にさせない。私が助けるの、神様になって、地上の人々が忘れた優しさを教えるの!」
セントールが下がり、敵の槍も届かぬ大きな間合いが、私とセントールの間にできる。
互いに見合う私とセントール。一気呵成に攻めたいところだが、以前わたしは調子に乗って命を落としている。慎重にならざるを得ない。
どうするべきか、とセントールの動きを窺う私に対し、
「クドラクよ! いけっ、あの女を食い殺せ!」
セントールが、上を仰ぎ見ながら槍を私に向け、コウモリに命じた。
「くっ、手下に襲わせるなんて! 汚いわね!」
上から襲い掛かるコウモリを、私は切り払いながら文句を言った。
何とでも言え。そう言いたげな態度を示すセントール。続いてわしゃわしゃと、二羽のコウモリが樹々を掻き分けて現る。
飛ぶコウモリの爪を、私が身を屈めてかわすが、もう一羽が屈んだ私を見計らったように翼で叩く。
叩かれてよろめいた私。すかさずコウモリを払い除けるが、これ以上現れると辛いかもしれない。しかし、
「ど、どうした、クドラク!?」
何故かセントールが、首をあっちこっちに振りながら動揺している。
「襲え、あの女を襲うんだクドラク!」
セントールが呼ぼうとも叫ぼうとも、コウモリは先に現れた二羽を除いて現れない。
私は理解した。目論見ではもっとたくさんのコウモリが現れるはずだったのだろう。そして、現れない理由も私は即座に理解した。
きっと少年だ。私の見えない所でコウモリを相手にしてくれているのだろう。これは助かった、帰ったらイイ子イイ子してやらねばなるまい。
(神様、クドラクは僕にお任せを。神様はセントールに集中してください)
「ありがとう!」
二羽のコウモリも私は切り伏せ、改めてセントールと向き合った。
初めの槍をかわし、コウモリも少年の助けを得て片付けた。これは私に勝利の運が傾いているのかもしれない。
倒して見せる、と私が意気込む。しかし喜びも束の間、セントールがまだ私に見せていない秘めた力を発揮する。こんな奥の手を残していたなんて思いも寄らなかった。
セントールが、手にする槍を高く掲げる。間もなくして、
「ならば神よ、これならどうだ!」
槍の先がまぶしく光り始める。
「槍が」
呆然と言った私。槍の先が白く輝いている。
目を凝らせば、溶接のときに見るような火花が激しく散っている。あれに手を突っ込めば大火傷を負うだろう。
何をする気、と私がまぶしさに目をすがめながら身構えるが、
「えっ、……キャアッ!」
その程度の注意では捉えることもできない速さが私を襲った。槍の先から迸る光が、私の体を一思いに貫いた。