表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/24

本当の奇跡

「あー、おかあさーん」


 地上の集落では一人の女の子が、広場をさまようにして歩きながら大声を上げていた。

 危ない。あれではコウモリの格好の餌食だ。今コウモリが現れたらひとたまりもなく捕まるだろう。

 早く逃げないと。そう私が鼓動を早め、空の上から女の子の身を案じる。そばで見ている少年も、

「あの子、危ないですね」

 険しい顔を浮かべて同じ意見を述べる。


 あの子を私は知っていた。少年が現れる前、母親がコウモリに捕まり、そして自身も捕まった女の子だ。

 名前はジャンヌと言う。あの子は確かに捕まったのだけど、コウモリが落とした事により運よく逃れられた。

 だけど、それなりの高さから落ちたことと、母親を失ったことで可哀想なことになってしまった。気が触れてしまったのである。今ではぼけた老人のように村を徘徊(はいかい)し、一人ではおしっこもできない始末だ。とても可愛い子なのに。


 ザックスが幅を利かせていた地上の集落は、人の数を着々と減らしていた。

 当たり前である。村を守っていたザックスが殺された上に、若い男はみな私が引き連れた(ため)に死んでしまった。残るは年老いた男や女子供ばかりで、コウモリと戦える男がほぼいない状態にあった。

 集落に住む女性の中には、(いま)だに北の山から男が帰るのを待っている人がいる。戦える人がいないから帰って来て、と願っている訳じゃないだろう。そのくらい好きだった人が、私が引き連れた男の中にいたのだ。だから私はその人を見る度に、胸が締め付けられてしまう。

 今やコウモリの狩場と化した地上の集落。村を捨てるか、それとも残るか。集落では毎日ヒステリックな声が飛び交うほど激しく言い争っており、これにザックスの兄イーデンは頭を悩ませている。


「おいジャンヌ! 一人で外を出歩くなって言ってんだろ! クドラクに捕まっちまうぞ!」

「あー」


 広場をふらふらとさまようジャンヌを、引き止めに男の子が現れた。

 ジャンヌに駆け付ける男の子。危険を顧みない彼の名はヘーデルと言い、ジャンヌに恋する男の子だ。

 ジャンヌとヘーデルは、優しさが足りないこの世界において、私の心を癒やす一輪の花であった。ずっと前になるが、ジャンヌが好きな花を、あきれるくらいにヘーデルが山ほど摘んで来たことがあり、(うれ)しがるジャンヌと照れるヘーデルを、私は空の上からほほえましく眺めていたことがある。


「神様、来ました」


 少年が目で示した。翼を広げるコウモリが北の空から現れた。

 目が良いのか、目以外の感覚で分かるのか。コウモリが地上のジャンヌとヘーデル目がけ、ぐんぐんと(はやぶさ)のごとく迫っている。

 気付いたヘーデルが、ジャンヌの手を引いて逃げようとするが、気が触れているジャンヌには危機が分からない。「おかあさーん」と失った母親を今も捜し続け、手を引っ張るヘーデルに抵抗している。

 そして、もう間に合わなかった。コウモリが手頃な獲物とばかりに急降下し、ジャンヌを捕らえに(あし)を広げるが、

「ジャンヌ!」

「あうっ!」

 ヘーデルがジャンヌを突き飛ばし、代わりにヘーデルがコウモリに捕まった。


「ぐっ、が、あ……」

「あー! あうっ、あ、ああっ!」


 子供一人くらいなら容易(たやす)く握りつぶす肢にヘーデルが捕まり、そんな彼の危機にジャンヌが泣きわめく。

 必死にもがくヘーデルだが、コウモリが鋭い爪を彼の体に突き立てる。近頃コウモリは、捕まえてから即飛び立つのではなく、捕まえた人間を握り潰して動かなくなったのを確認してから巣に運んでいた。これは村を守る男がいなくなった事で、獲物を仕留める余裕ができたからであろう。

 周りに人はいるが、誰も助けに向かわない。皆がくがくとコウモリに震えており、唯一ジャンヌだけが、腕を振り上げてヘーデルを助けようとするが、

「ううっ!」

「ジャンヌぅ!」

 子供が敵う訳がない。コウモリに軽くあしらわれ、そんな倒された好きな子の身をヘーデルが苦しみながらも案じる。

 私は、()われるばかりのヘーデルと泣くジャンヌを直視できなくなる。だから目をつむったが、――えっ。これって、どういうこと?


「ねえミカエル君、あの子の今の気持ち、私、なんでか分かるんだけど……」


 私はジャンヌに目を見開きながら言った。

 突き刺さるようなジャンヌの(おも)いが、なぜか流れるように読み取れる。――誰か助けて、って。

 驚く私の一方で、少年が冷静にジャンヌを見つめながら、

「神様、あの子気が触れてますよね?」

 と尋ね、私がうなずくと、

「たまに現れるのですよ、出来てしまう人間が。神様はシャーマンと言う、神霊や精霊といった類のものを、自らの体に()かせる人間のことを知っておりますか?」

「うん、聞いたことある。私の前世じゃイタコっていったかな? でもほとんどがやらせって聞くけど」

「それは神様の前世が物質主義の全盛で、スピリチュアルな思想を白眼視していた時代だったからですよ。まあインチキもいたことは否定しませんが、本来シャーマンと呼ばれた者たちは、僕たちが住むこの天界にアクセスできるのです。人間は元々天界にアクセス出来る力を備えているのですが、それができてしまうと狂ってしまい、普通の人間でいられなくなる為に無意識で制限をかけています。神様は人間の脳が10%しか使われていないって下界の通説を聞いたことがありませんか?」

「えっ、30%じゃなかったっけ?」

「数字はともかく知っているようですね。人間の脳は、その機能の大半に制限が掛けられているために、普段は天界にアクセスできないようになっています。ですが、何かの拍子でその制限が外れてしまい、天界にアクセスできてしまう人間が時おり現れるのですよ」

「そうなんだ。それであの子は」

「はい。あの子は気が触れてしまったばかりに脳の制限が解け、僕たちが住むこの天に想いが伝えられるようになったのでしょう。しかしなんという想いの強さでしょうか、あの子にはシャーマンとしての素質もあるのでしょう。この天使の僕にも、あの子の想いが痛いくらいに伝わってきます」

 ジャンヌの想いが、この空の上に伝わる理由を話した。


「……ねえ、ミカエル君」

「なんでしょうか」

「あの子に、願わせることってできると思う?」

「はい。こちらがあの子の想いを読み取れるという事は逆もしかり、あの子にこちら、つまり天の意思を伝えることは可能です。天の意思を人に告げる事を、人間はオラクルとか託宣とか呼んだりしますが」

「そう、分かった。ありがとう」

「……まさか、神様」

「うん、やってみる。あの二人を、私は、助けてあげたいの」

「神様、あの子一人の願いでは」


 私はジャンヌに呼びかけた。私を願え、と。

 死ぬ前、前世の私の姿に、ザックスの超人的な強さ。私が肉体を成型するにあたって思い付く限りのイメージをジャンヌに注ぎ込んだ。

 間もなくして通じ合った私とジャンヌ。私の思考がジャンヌにコピーされ、私がジャンヌとなる。

 思考の中で体を創造する。そして、完成した究極のイメージを、願え、と改めて告げた。


「神様!」


――青い、(あお)い空の下に光、否、雷光が(はし)る。


「本当に出来てしまうとは。神様……」


 私は全力で駆けた、コウモリに向かって。

 光に驚いたコウモリが、ヘーデルをつかみながら羽ばたこうとしている。させるものか、と私は、走る勢いをままに思いっきりコウモリをブン殴った。

 当たりどころがよかったのか、コウモリがヘーデルを放して倒れ込む。すかさず近くにあった大きな石を持ち、それを抱えたままコウモリに馬乗りになる。そして、狂ったように殴り付ける。

 もう必死だった。あれほど生き物を殺そう、などと考えたのは死ぬ前を通しても初めてだったくらい。程なくしてコウモリが息絶え、大石を置いた血まみれの私が、痛がりながらも体を起こすヘーデルと彼に抱き付くジャンヌに歩み寄る。

 二人とも、無事でよかった。私がしゃがんで二人を抱き締める。


「あ、あんた、いったい誰なんだよ。突然、現れて……」

「ああっ! あうっ、あー!」


 突如として現れた私にヘーデルは当惑し、ジャンヌは大声で泣いていた。

 さて、これからどうしよう。なんて迷わずとも分かっている。私は今度こそこの村を救って、人間の神様になるんだ。


(神様、具現化は成功しましたが、その子の願う力がいくら強くとも、所詮は一人の願いです)

(うん、分かってる)


 私は二人を放して立ち上がり、北の山を望んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ