ライブ本番――私はただの
「では、演ります」
ファンテとヒスイは客席の中央に座っている。
――実は少し音が揺れるんだよな。これが、厄介……。
いっそ全くの野外ならやりようはあるのに。
リーンは息を吸い歌い始める。
「おお……」
ヒスイから感嘆の声が漏れる。
ファンテは、ヒスイには劇場でのライブをお願いした時にワンコーラス聞いて貰ったきりだったなと記憶を辿る。
リーンの歌はゆったりとした曲調だ。
――聞いたことのない曲だな……。
いつもと言葉が違う。ファンテが耳にしたことのない言葉が音の波となり、歌を象って降り注ぐ。
昨日よりは声の調子が良いとファンテには思えた。
隣を見るとヒスイも感動しているようだった。
歌い終わってリーンが頭を下げる。
「ど、どうでした?」
ヒスイは何度も頷いた。
「この前聞いた時よりも格段に素晴らしかった。いや、正直半信半疑でしたが、中々どうして」
ありがとうございます、にこりとするリーン。
と、ヒスイは力なく笑う。
「実は……あなた達に話すことではないでしょうが、この小屋はもう、閉めようと思っているのです」
「え! そうなんですか」
舞台上からリーンが大きめの声を上げる。
「はは。どうにも客足が遠のいていましてな」
大道芸も演劇も、人々に飽きられてしまってはどうしようもない。歌も楽器もない世界と言うことはつまり、演奏や踊りなどもない為、演劇の幅は限られているのだろう。
「あなた達に出会えて良かったですな。最後に一稼ぎさせて貰いますよ」
「私、頑張ります。お客さんいっぱいにして見せますね」
鼻息の荒いリーン。
「ええ。期待していますよ……では、本番を楽しみにしていますね」
席を立ち、ヒスイは小屋を出ていった。
「びっくりだね。私達が最後の演者でいいのかな」
ファンテの横に座る少女。
「巡り合わせって奴だな」
想像もつかない大きな存在が人と人とを引き合わせ、何かをやらせようとしている――ファンテにはそう思えることがある。
「巡り合わせねぇ……そんなものなの?」
「ところで今の歌は? いつもと違ったようだが」
「あー、言葉が違うのよ。これまでは英語ばっかりだったんだけどね」
さっきのは日本語、とリーンは答える。
「英語? 日本語? 世界にはそんな言語もあるのか」
「――うん」
リーンは表情を曇らせる。もう戻れない世界へ、ほんの少し望郷の念を抱く。
「もう少し練習するね」
少女はまた舞台に上がる。ファンテはその背中を見守るが、どこか不安げな気配を漂わせているのが気になった。
結果として興行は成功だった。
モーファンスの街の人々はリーンの歌声を楽しんだし、五日間の興行は連日満員だった。
「ありがとう、リーンさん、ファンテさん。とても――良い舞台でした」
誰も居なくなった劇場の舞台上で、ヒスイが二人に頭を下げる。
リーンは何も言わずただ顎を引いて俯く。
「いえ。ご満足いただけたのなら幸いです」
ファンテがにこやかに応えた。
ヒスイは息を一つ吐く。
「ではこれで――お終いとしますかな。思えば昔は良い役者や腕のいい芸人がいて、この劇場もたいそう賑わったものです。最後に、あなた達のお陰で往時を思い出しましたよ」
遠い目をするヒスイの目に涙はなかった。むしろこれで踏ん切りが付いたとでも言いたげな表情で、それ以上言葉は続かない。
報酬を、とヒスイが懐から取り出した革袋。
「いえ、要らないです」
受け取ろうとしたファンテはリーンの言葉に戸惑う。
「何だと? リーンお前……」
彼女の目にじわりと滲む涙でファンテは察する。
ヒスイも思うところがあったのか黙って革袋を戻した。
ではこれで、と彼は劇場を出て行った。
「ごめんね、ファンテ」
「いや、別にいいが――」
彼女は――ぼろぼろと泣いていた。
「お、おい、リーン?」
「気づいてた?」しゃくりあげるリーン。
「何を? 俺は良い出来だと思った」
「うん、毎日満員だったもんね。だけどね、繰り返し来てくれた人は一人もいなかった」
――そうだったのか。
「あたしは五日間、ずっとただの見世物だった」
物珍しさにかまけて、客はリーンの『声』を聞きに来てはいたが、『歌』を聞きに来てはいなかった――ヒスイにはそれが分かったのだろう。これではすぐに飽きられてしまう、と。
「こんなもんじゃないのよ、あたしはもっと歌える」
悔しい、と彼女は声を絞り出す。
「ヒスイさんはさ、劇場を続けるかどうか迷ってると思うんだよね。だから、私の歌で背中を押してあげたかった」
唇を噛むリーン。
「不調の原因は?」
彼女によれば自分の喉と劇場との相性が悪かったようだ。中途半端に閉鎖された空間で、自分の声の良さが半減してしまったのだと。
「何とか修正出来ると思ったんだけど……甘くなかった」
「楽器の補助があればってのはそう言うことだったんだな」
頷くリーン。依頼を出して十日になるが、組合からは何の連絡もない。
――一人くらいいると、思ったんだけどな。
彼女には彼女なりの目算があった。人口十万を数える街、モーファンスになら。
――転移者の一人や二人。
「――リーンさん……と、ファンテさん?」
不意に劇場の入口で声がした。男が立っており、組合の事務員だとファンテは思い出す。
「今、会館にお二人の依頼を受けたいって人が来てるんですが……」
二人は顔を見合わせ、慌てて駆け寄った。