人形 (下)
「ってだけで、だから何があったってわけじゃないんだけど」
1人目は怯えてしまったのか、その後頑なにその店でトイレに行けなくなったぐらいの害しかない。
他の2人は普通にまた使っていたし、もう日本人形はなかったと言っていた。俺はトイレが近くないのと、そんな話を聞いた後ではなんか嫌だったので行かなかった。
「あれも霊だったのかな?」
「うーん、どうだろ。ちょっと違う、かな?」
「あ、やっぱ酔っ払いの勘違い?」
そんなような気はしてたんだよなー、いつも結構酔っ払うしなー俺ら、なんて呑気に答えれば「霊ではないけど心霊ではあるんじゃない?」とバッサリ切り捨てられた。
「霊ではないけど心霊ではあるって、どゆこと?謎かけ?」
「ヒトミはさ、霊ってなんだと思ってる?」
更に質問で返され、どういうことかとハジメを見たが、俺なりの答えが返ってくるまでは教える気はないらしい。
ニコリと良い顔で微笑まれて無駄に圧を感じただけだった。
霊をなんだと思っている、か。
目の前のPCでは、日本人形の霊がその家の人間を全員呪い殺して、祓い屋が登場し、さあ今からが盛り上がりだと言わんばかりのシーンに差し掛かっていた。隣を見れば、そこにも事故物件の霊であるハジメがいる。
「死んだ人がなるもの、かな?」
「じゃあ、死んだら全員が霊になるの?」
死んだら全員が霊になる。
どうだろう?もしそうだったら、町中霊で溢れているんじゃないだろうか。
うっかり死にかけて霊が見えるようになってから少し経つけれど、すでに何回かは心霊体験に巻き込まれてはいるけれど。だからといって、生活していて日常的に見ているとか、常に絡まれているとかではない。
死んだらもれなく霊になるという前提ではないような気がした。
「それにしては、霊が少ない気がする」
「そうだね。霊は死んだ人間だけど、全員がなるわけじゃない」
そう語るハジメは、自分のことでもあるのに、ただ淡々としていた。
映画の中の日本人形の霊と、ハジメとでは全く違う。ハジメは見えない頃の俺が想像していた霊よりずっと人間らしかった。
「人の念じる力って強くてさ」
「うん?」
「生き死になんて、多分そこまで重要じゃないんだ」
悲しさも、苦しさも、楽しさも、何も感じ取れない声色だった。ハジメが何を考えているのか、俺には分からなかった。
想像していたよりはずっと人間らしく、かつてはここで生きていて、だけどハジメはもう死んでいて、だからこそ霊らしいとも言える。
「その場に強く焼き付けば、プラスマイナス関係なく実体をもったりする」
「どういうこと?」
「その人形には、元の持ち主の念が強く残ってたんだろうね」
そういうの、付喪神って言ったりするらしいよ。
そう言ってハジメが器用に触れずにPCで検索を始める。
すっかり観る気を失っていた映画はあっさり停止ボタンを押され最小化されてしまった。多分続きを観ることはないだろう。
付喪神とは、長い年月を経た道具などに神や精霊などが宿ったものなのだそうだ。
神や精霊がどうとかは分からないけれど、ハジメが言うには心霊的にも説明が付くらしい。
生きた人間の強い感情は、それがプラスかマイナスかは別として、強ければ強いほど他のものにも影響を及ぼすそうだ。カメラで切り取った写真のように、強い感情だけが切り取られ、そこに残り作用し続ける。死んだ人間そのものである必要はない。
つまり、人形に宿っていたのは生きているか死んでいるかは分からないが、元は誰か人の強い念で、それが人形の霊の正体である、と。
「まあ、男女共用の、しかもトイレなんかに置かれていたら怒りたくもなるよね」
「え、そういうもん?」
「理由なんて、だいたいそんなもんでしょ。ヒトミが思っているほど、霊に大した理由なんてないよ」
そんなもんかと、拍子抜けする。
ハジメはいつも、同情したらいけないとか、考えても無駄だと言う。この人形のことを考えたら本当にそうかもしれないけれど、本当にそれで良いのだろうか。それで俺は納得できるんだろうか。
ハジメのことを知りたいと思うのも、考えるのも、ハジメ自身は無駄だと言うのだろうか。
無駄だと言われてしまったらと考えたら、ハジメはどうなんだとは口に出して聞くことができなかった。
「こういうの知るためにホラーとか観たり調べたりしてたわけか」
「人が想像し得ることは、全部起こり得ることだから」
いやそんな馬鹿な、とも思うが、ハジメが言うと全く洒落にならない。信憑性が違いすぎる。
乾いた笑いで誤魔化せば、「笑い事じゃないんだけどね」と笑顔で睨まれる。
「ヒトミもよく見て参考にしておいた方がいいよ。結局のところ、霊が何かはよく分からないから」
人が人自身のことをよく分からないように。霊も霊自身のことは分からない。
もしかしたら、人は霊を、霊は人を、それぞれのことの方が分かるのかもしれない。俺が、俺自身のことを意外とよく知らないように。
自分でもよく分かっていないというハジメのことを分かることが出来るのは、唯一ハジメを見て話すことが出来る俺だけなのかもしれない。
「そういえば」
「ん?」
「さっきは、悪かった」
気まずさがなくなったところで、一応言っておかなければと思い謝れば、きょとんとした顔で俺を見る。
ハジメが驚いているのも珍しいなと考えている間に、みるみる意地悪い顔になっていったけれど。「何のこと?」「謝られるようなことならたくさんあるけど」「うっかり色々連れ込みそうになったりとか」などと嬉々として突っ込まれる。
はいはい、怒らせた時の俺と全く同じ構図ですね。仕返しですか。いい根性してやがる。意地悪い表情すらも顔が良いとサマになるなぁ!この野郎!と、軽く足蹴にしてやろうと思ったけれど、霊なので当たるはずもなくベッドのフレームに足の小指をぶつけて身悶えた。
学習しない俺も悪いが、生きていると錯覚するくらいに霊らしくないハジメも悪い。
「ヒトミは馬鹿だなあ」
はいはい、馬鹿な子ほど可愛いんだろ。今に見てろよ。痛みに蹲る俺を覗き込み、心底楽しそうにハジメは笑う。
全く、生きてる人間よりも生き生きしてるじゃねーかよ、霊なのに。という幽霊ジョークは思いついたものの、口でも物理でもハジメに勝てないと悟った俺は心の中で皮肉るだけにしておくことにした。
▲人形は、一応実体験を元にしています。