レンタルビデオ (下)
結論から言うと、花ちゃんも佐渡も全くの無事だった。
「人見くんが呪いのビデオなんて言うから、びっくりしちゃったよ〜」
翌日、割ってしまったDVDの謝罪も含めレンタルビデオ屋に行けば、シフトに入っていた花ちゃんに迎えられる。カウンター越しに、にこにこと穏やかに微笑む花ちゃんからはとてもじゃないが驚いているようになんて見えなかった。
ちなみにDVDは消耗品だしとのことでお許しが出て、弁償などはしなくて済んだ。やっぱり、花ちゃん様様である。
「本当にあれが呪いのビデオだったの?」
「…同居人がそう言うから、間違いないと思う」
俺に起きたことは伏せつつ、もうすでに花ちゃんにも知られていた同居人情報を挙げる。霊感親戚とか正直胡散臭さしかないが、優しい花ちゃんはそれについて言及しては来なかった。
本当は呪いのビデオに当たるのはあの作品だけではないものの、あの後ハジメと話した結果「とある条件」さえ避ければ、特に問題はなさそうだという結論に落ち着く。今回、同じ作品のビデオ版を借りていた花ちゃんはその条件を満たしてはいなかったから、何もなかったのだ。
「そういや、佐渡は観なかったんだ?」
「実はちょっとケンカしちゃってね、飛鳥くんとは観てないの」
満たしていなかったというより、花ちゃんは条件を満たしようがなかった。けれど佐渡は違う。限りなくその可能性は低いと思ったが一応確認すれば、花ちゃんの顔が若干曇る。
佐渡を下の名前で飛鳥と呼ぶのは、花ちゃんだけだった。俺は花ちゃんの下の名前は知らない。佐渡が頑なに俺らには教えないからだ。だから俺たちは苗字から取ったあだ名で、花ちゃんと呼んでいる。そんな花ちゃんと佐渡が喧嘩するなんてあまりに珍しくて、ほとんど無意識に口に出していた。
「…仲直りってさ、どうやってすんの?」
「え?」
「いやいやいや、いつも仲良い2人が喧嘩するなんて思ってもみなくて!そーいう時、どーすんのかなって!」
元々丸い目をさらに丸くしてきょとんとする花ちゃんに、何か変なことを聞いてしまったかと焦る。慌てて訂正するも、全くフォローになっていない気しかしない。
何故かセクハラでもしたかのような気分になる俺を、しばらく珍しいものでも見るように見詰める花ちゃん。少しすると、我慢ならないというように吹き出し肩を震わせ笑う。
「人見くん、もしかして、彼女でも出来たの〜?」
泣くほど面白かったのか、「ごめんごめん」と涙を拭いながら尋ねる花ちゃんの発言に、俺は更に焦ることになった。
「え、なんで!?全然出来てないけど!?」
「だって、人見くんがそんなこと気になるなんて思わなくって」
いつもなら「へー、そうなんだ」くらいの反応でしょ?最近サークルにもあまり来なかったし、他のみんなと飲む回数も減ってるって聞いて、もしかしてと思ったんだけどな。などと、花ちゃんはどこか残念そうだ。
少し前に佐渡やら3人に詰め寄られた時も、似たような勘違いをされたなあと、懐かしさすら覚える。まあ全部勘違いなんだけど。
「じゃあ、同居人くん?」
にこにこと穏やかに微笑みながらも、花ちゃんはやけに鋭かった。ゆるく巻かれた柔らかい色の髪が、ふわりと揺れる。花ちゃんの髪の色とハジメの髪の色は少し似ている。
花ちゃんの言う通り、俺がそれを訊いたのは、ハジメとのことがあったからだった。図書館で言われたことを、俺はどうしても飲み込みきれずにいる。だけど、明確に喧嘩したわけではないし、なんと言えば良いのか返答に困ってしまう。
そうしていると、レンタルの客が来て花ちゃんは一旦業務へと戻って行った。
「いやあ、人見クンてば、本当に面白いことになるねえ」
一息ついて、携帯を見れば、部長から連絡が来ていた。昨日のことであろう着信に折り返せば、開口一番にこの言い草だ。ここがレンタルビデオ屋の出入り口でなければ、俺は大きな声で強めに否定していただろう。
「別に好きでなってるわけじゃないですよ!」
とは言え、小声で訂正することは怠らない。行き交う人々の迷惑にはならなかったけれど、流石に出入り口を通る人には不審な目で見られてしまった。
それでも部長は「そう言うことにしておいてあげよう」と全く取り合ってはくれなかったけれど。
「それにしても、呪いのビデオが複数あるとはね」
「…信じるんですか?」
「同居人くんの説ならば、辻褄は合うからね」
あの後ハジメと立てた仮説は、すぐに部長に報告していた。ハジメによると「とある条件」とは、借りた人物が「男」であること。それから特定の女優に対し「個人的感情を持つこと」だそうだ。
「執着ほど怖い感情はないよ。それが、たとえ愛情であったとしても」
割れたDVDの破片をとりあえずジップロックに収める俺を横目に見ながら、ハジメはそう呟いた。俺に言っているのか、ただの独り言なのか、なんとも判断しかねる声色だった。俺を見ているようで、どこを見ているのか分からない虚な瞳。その冷たさは、決して俺には向けられたことがないような温度だった。
もしかしたら、生前、男女関係で何か嫌な経験でもしたのかもしれない。ハジメは見た目がずば抜けて良いから。それで得することも多いだろうけど、面倒なこともそれなりにあったんじゃないか。なんて、ふと想像する。だからつい、反応してしまったのだ。
「なんか思い出しちゃった?」
「いや?呪いとか言われるほどの恋愛感情なんて、向けられたら普通に恐怖でしょ?」
無意識にか俺の方をチラリと見てから、サッと目を逸らしそう答えた。多分、その何かを知られたくなくて誤魔化したんだろうということは、何となく分かった。
あいにく、俺は行き過ぎた恋愛感情なんてものは、向けられたことも向けたこともない。稼げるレベルに見た目の良いハジメとは違い、俺はそこらに掃いて捨てるほどはいる普通の人間なんだ。だから、想像したところで、それがどういうものなのかはイマイチ分からなかった。
「でもまあ、ノリで引っかかる人見クンも大概だよねぇ」
「いや、アレは誰だってノリません!?」
電話越しでも、部長がアホな幼児を憐れむような表情をしている姿は容易に目に浮かぶ。
俺はアホでも幼児でもないと反論したいところだけれど、部長からして見れば俺はアホだし赤子のようなもんかと認めざるを得ず、グッと飲み込んだ。
「同居人くんは、さぞかし楽しかっただろうなぁ」
面白そうでいいなぁとしきりに羨む部長の声をBGMに、検証のためとはいえハジメに嵌められたことを思い出す。一応、うちであったことの詳細も伝えていたが、それを聞いた部長は泣くほど笑ったらしい。花ちゃんといい、笑いのツボが浅すぎるんじゃないだろうか。
今も思い出したのか、部長は若干笑いを堪えたような震え声になっている。というか、堪えるつもりがないのかもはや普通に笑っているのが腹が立つ。
「本当、これじゃあ世話焼くのも苦労するだろうに」
「世話なんか焼かれてないですよ!」
笑いながらも吐き出された軽口に失礼なと言い返せば、一呼吸置いた後、部長の気の抜けたような声が返ってきた。
「そう?僕には人見クンが心配で仕方ないように見えたけど」
心配で仕方ない?あのハジメが?俺を?
たしかに、変なことに巻き込まれては心配したと怒られてはいるけれど。その倍くらいは俺をからかって遊んだり、今回みたいにワザと嵌めてきたり。普段は心配とは程遠いようなことばかりだ。少なくとも、他人からそう見えるほど、ハジメは心配ばかりしているようなタイプではない。
よく理解できない指摘に、頭の中では疑問符ばかり増殖させている俺をよそに、部長は続ける。
「同居人くんは、どうして見えるのだろうね?」
その一言に、俺はさらに混乱する。部長はといえば、混乱している俺を分かっていて、明らかに楽しんでいる声色だった。
疑問符に埋め尽くされた思考では、ろくに考えることも出来ない。俺の思考がまとまるよりも、何か適当な言葉が出てくるよりも先に、さっさと通話は切られてしまった。「2人のおかげで心当たりはついたし、ツテもあるし、呪いのビデオについてあとは任せてもらえるかな」と一方的に言いたいことだけ言ってから。
どうして見えるって、何が?霊が?それとも、ハジメ自身が?
そもそも、何で部長に、ハジメが心配しているかどうかなんて分かるんだ?会ったことはないどころか、誰にも見えやしないのに。
「人見くん?」
通話の切れた携帯を握りしめたまま、ぐるぐると考え込んでいると、真横から声が掛かる。ハッとして顔を上げれば、仕事がひと段落した花ちゃんだった。
出入り口付近の掃除でもしようと思ったのか、その手には箒とちりとりが握られている。立っている場所が邪魔だったかと慌てて移動すれば、そのままで大丈夫だよと相変わらずの優しさが身に染みる。疑問符だらけの脳を落ち着けたくて、お言葉に甘え、そのままの位置でしばらくぼんやりと掃除の様子を眺めることにした。
サッサッと、手際よく埃や落ちているゴミを穿いては集める。その手慣れた様子に、ゴミ自身が花ちゃんに向かって集まってるようにすら見えてくる。
花ちゃんはたまに笑いのツボが変に浅いとはいえ、基本優しい。他の映研メンバーとは比較になんかならないほど。そりゃ、ゴミも懐くわな。などと、アホみたいな思考をすることで、混乱を極めていた脳もようやく落ち着いて来る。
「あのね。私たちのケンカはくだらないんだけどね、」
「うん?」
と、思いきや。先程の続きらしい会話に、俺はまた頭を抱えることになる。
「どんな仕方ない原因でも、理由でも。話してみないと、相手が何考えてたかなんて、笑っちゃうくらい分からないの」
花ちゃんは教育学部だ。小学校の先生を目指しているという彼女は、たまにうんと歳が上なんじゃないかと思うほど大人びていることがある。
小学生でも相手にするような柔らかい口調に、促されるように花ちゃんを見る。俺に向けられた目は、馬鹿にしているとかではなく、小さな子どもに向けるような慈愛に満ちたものだった。
だからか、他の誰か相手ならムキになっているところを、素直な疑問が口から出ていた。
「相手が全然気にしてなくても?」
「ケンカじゃないの?」
「…したような、してないような」
やっぱり上手く言葉にできず、言いながらも視線は下に落ちる。凸凹したコンクリートの地面は、雑にならしたのか歪で粗い。
「そうだとしても。人見くんが気になるってことは、きちんと話をした方がいいんだよ」
下を向いていても、花ちゃんの方が背が低い。地面からほんの少し目を逸らせば、覗くようにこちらを見る花ちゃんと目が合う。
「でも、何を話したらいいか、」
分からない。その一言は喉の奥につかえて出てこなかった。自分でも、何が言いたいのか、何を言ったらいいのか、何かを言いたいはずなのによく分からなかった。
もごもごと口籠る俺に目を細めると、花ちゃんは続ける。
「じゃあ、人見くんはどう思うのか、まずは決めなきゃね」
にこにこと微笑む花ちゃんに、そうか、と腑に落ちる。
嫌だとは思っているだけで、俺自身の考えや、どうしたいかが抜けていたんだ、と。だから、話すことすら上手くできない。
俺は、ハジメにどうして欲しいんだろう。どうしてやりたいんだろう。
「私も、仲直りのためにも、ちゃんと自分の意見を考えなくっちゃ!」
お互い頑張ろうね!そう言って胸の前で握りこぶしを作り意気込む花ちゃんに、つられて笑顔になる。
ついこの前。霊について、自分なりに考えなきゃならないと思った。だけど、それだけでもダメなのだ。ハジメの言葉がどうして引っかかったのかも、自分なりに理由を見つけなきゃならない。
そして、花ちゃんの言うように、いつか話をしなければならないのだと。逃げてばかりじゃなく。
部長に任せた呪いのビデオはといえば。
後日、制作者の息子と連絡が取れたのだとか。父親は勿論うちのOB、母親は例の元女優。熱烈ファンから結婚まで至ったにも関わらず、死んでからもなお呪いと称されるほどの執着っぷり。
たしかに。ハジメじゃないが、この世で一番怖いのは、執着なのかもしれない。