レンタルビデオ (上)
喧嘩したわけではないのに、どこかでずっと引っ掛かっている。
前期の試験も終わり、夏休みに入ったばかりの俺は、まさか古びたレンタルビデオ屋に来るとは思いもしなかった。しかも、映研の面々も一緒に。
大学そばにあるレンタルビデオ屋は、少々マニアックだ。そもそも今のご時世、サブスクなどのサービスで動画はほぼ見放題。わざわざレンタルビデオ屋に行くことも少ないのではないだろうか。かくいう俺も、便利な動画配信サービスを利用している1人だ。
そんなレンタルが下火となっているこのご時世でもこの店が生き残っているのは、品揃えがマニアックだからというか。普通のレンタルビデオ屋ではないからだった。
「ぶちょー、例のOBの名前って分かります?」
「うーん、あの人、ころころ名義を変えてたみたいだからなあ」
レジカウンターの中で古永部長の対応をしているのは、飲み友達兼同じサークルに所属している佐渡だ。店員の検索用PCを前に受け答えをする佐渡は、この店のアルバイトだった。
「名義も作品名も分からないとなると、ちょっと調べようがないですね」
「仕方ないね、とりあえず一通り棚をさらってみるよ」
この店が普通でないのは、近隣二大学の映画研究会の過去作品を全て取り揃えているからだ。
勿論、通常の商業作品のレンタルも行っているし、誰かれ構わず過去作品を出しているわけではない。会員証などでサークル関係者である証明が出来れば、保管してある別室の倉庫に入ることが許可されるのだそうだ。
「でも不思議ですよね。見たことがあるし扱っているはずなのに、それが何だったか、誰も覚えてないって言うんで」
その昔、まだうちの大学の映研も真面目に活動していた頃に出来たというこの店は、代々どちらかの映研のOBが受け継いでいるのだとか。儲かっていないように見えて潰れないでいるのは、出世したOBたちが出資しまくっているからだとか。
嘘か本当か、そうやって長年続いては、歴代ほとんどの作品が管理・保管されているのだという。聞けば聞くほど、マニアのかける熱量は凄まじいと思う。多分、これまでにも古永部長のような特定の推しに全力投球の強火マニアがいたんだろうなぁなどと、俺は勝手に思っている。
「よし、とりあえず、手分けして作品棚を当たろうか」
佐渡から保管庫の鍵を借りた古永部長が、その場にいるサークルメンバーに声を掛ける。
今日集まったのは、部長、柳生、神原、そして俺。浅井はあれから何かと啓くんを気に掛けているため本日も不在。佐渡は見ての通りアルバイト中だし、佐渡の彼女でサークルメンバーの花島さんこと花ちゃんも、同じくもうすぐ出勤して来るとのことだった。
カップルで同じバイト先とかお熱い限りだが、まあ、そんな冷やかしが出来ないくらいにはあの佐渡が花ちゃんを大事にしていた。俺らにはドSのサドなのに。
「はいはーい!そんで、何を探しに来たんでしたっけ?」
「もう、神原くんたら、チャット全然読んでないでしょ〜!」
せっかく説明したのに!と文句を言いながらも、柳生は説明するから今度はよく聞くようにと神原に念を押す。
その後ろには、鍵付きの保管庫の扉があった。ガチャリと鍵を挿しながら、柳生は俺たちの方を振り返る。その表情は、いやーな予感がしてしまうほど楽しげだった。
「呪いのビデオを探しに来たの」
一呼吸溜めてから、柳生はそう言った。説明としてはかなり端的だけれど、確かに、それ以上でもそれ以下でもない。
チャットを読んでいた俺は知っていたけれど、あらためて聞いても嫌だった。
「呪いのビデオ?」
「そう、OBが昔撮ったやつらしいんだけどね。それを観た人は、みんな突然辞めちゃうらしいのよ」
「昔流行った映画みたいな?そんなの本当に実在するのか?」
流石、ナチュラルに霊を信じていない神原という反応だ。俺だって、そんなビデオ本当にあるのか?と思うし、そもそもビデオであること自体がもう古くないか?とも思う。
だけどまあ、呪いのビデオと呼ばれるものがここには存在し、それによって被害を被っているのだという。だから、何でもやる映研である、うちのサークルにお声が掛かったのだった。
「んでハジメ、どうよ?」
保管庫の中に入り、手当たり次第に見て回っている面々を横目に見ながら、小声で隣のハジメに声を掛ける。
昨日グループチャットで突然招集をかけられた俺は、勿論幽霊部員として行くつもりなんてさらさらなかった。それをなぜか行きたいと言い出したのは、ここにいるハジメだ。
「そうだな、話には聞いていたけど、面白そうな面々だね?」
「いや、俺が聞きたいのは呪いのビデオの方なんだけど」
見えてないのを良いことに結構至近距離まで寄っては物珍しげに眺めるハジメに、なぜか俺がヒヤヒヤする羽目になった。
中でも古永部長の方へ寄って行った時は流石にまずいんじゃないかと身構えたが、部長は見えていないのか無反応だった。
「どうだろう?そっちは情報が足りないかな」
ちょっと他も見て来る。そう言うと、ハジメは保管庫ではなく一般フロアの方へと行ってしまった。相変わらずの自由さに振り回されてなるものかと、俺は俺で適当にやることにする。
このレンタルビデオ屋は、自営業にしてはやはり資金があるのか、チェーンのレンタルビデオ屋くらいの広さはある。店内はそう新しくないとはいえ、昔からあるにしては手入れされているのか汚ならしい印象はなかった。従業員も余裕を持って雇えるのか、時給も悪くないしバイトの人数も一般よりは多い印象。それでも突然辞めてしまうバイトが頻発するというのは、店にとっても迷惑なのだろう。
「人見クン、ちょっといいかい?」
紹介するよ。と言いながら部長が連れてきたのは、男女の二人組だった。
「こちらは隣の映研の部長さん。それからこちらが僕が推している遥さん」
順番に紹介され、挨拶を返していく。この場で幽霊部員である俺だけが、隣の映研の部員と誰一人として面識がなかった。
隣の映研の部長だと言う人は、ラフな格好に伸びた髪を無造作に纏めている所など、いかにも俺が想像する監督といった風貌だ。噂の部長の推しはと言えば、素材が本当に良いのだろう。女性にしては高い背丈で細身、地毛なのか色素薄めの髪に整った顔立ち。なるほど画面映えしそうな人だった。
隣の映研は例の骨の案件で目当ての撮影場所が使えなくなった結果、この夏は撮影内容を変更したらしい。それがどうやら心霊系だそうで、イメージ作りのため呪いのビデオを見に来たのだとか。正直、こんなノリの人には絶対関わっちゃいけない。適当に受け流そうと決めて対応していたのに、部長に裏切られた。
「うちの人見クンはね、事故物件に住んでるんですよ〜」
ね、人見クン?などと、にこやかに同意を求めて来る部長が恨めしい。恨めしすぎて、ついつい睨んでしまったが、完全にスルーされた。
「へぇ、なんか出る?」
隣の映研の部長はと言えば、撮影資料にもなると興味津々だった。あわよくば見学したいなどと言いかねない勢いに、俺は若干数歩下がる。だけどそれも無駄な抵抗で、俺の心の距離がそのまま反映された距離感はあっさりと詰められていく。
「いつから住んでんの?どの辺の物件?」
「あー、変なことは何もないですよ。隣駅で、入学した時から」
畳み掛けられる質問に、しどろもどろになりながらも答える。本当のことは言えないし、かといって不自然な返答も出来ない。うちの部長は何故かやたら勘が鋭いし、隣の部長も人当たりは良さそうだが目つきは鋭い。
何も出ないと嘘がつけなかった俺は、変なことはないと誤魔化すのが精一杯だった。
「んじゃ、もう大分経つのか。どんな事故があったトコ?」
どんな事故物件なのか。ふらふらと店内を見て回っていたハジメが近くに戻って来たのが、視界の端に映る。一瞬、俺がそれを答えて良いのか分からず躊躇する。
「殺人事件」
声がした方にパッと顔を向けると、古永部長は真っ直ぐに俺を見ていた。そのままハジメの方に視線を向けると、口元だけで小さく笑う。
「殺人…?」
これまで黙って話を聞いていただけの遥先輩が、小さくそう溢したのを部長は聞き逃さなかった。
「男子大学生が、顔を潰されて殺されたんですよ」
ひゅっと、誰にともなく息を呑んだのが分かった。
俺は、あの事故物件の詳細を、誰かに話しただろうか。部長は何故そんなに詳しいのだろう。そんな疑問は浮かんだものの、俺ですら調べてすぐ特定できたのだから、そう難しいことでもないはずだと思い直す。
「お前、何もないとはいえ、よくそんなトコに平然と住んでんなあ」
「いやいや、住めば案外普通ですって」
隣の部長は、感心しているのか呆れているのか、はたまた半々か、なんとも言えない表情で俺の肩をポンと叩く。その反応があまりに普通で、妙に強張っていた肩の力も抜けていく。それと同時に、ハジメの様子が気になり何気なさを装って振り返る。
ハジメは、どこからこの会話を聞いていただろう。少し離れた入り口付近に立っているハジメには、そもそも聞こえていたのかすら、その反応からは分からなかった。
「みんな、お疲れさま〜!」
「呪いのビデオなんて、見つかんねぇだろ?」
少し遅れて出勤してきた花ちゃんと、それに着いて回る佐渡がやって来たことで、その場の空気が変わる。こちらのやりとりなんてお構いなしに、熱心に棚を漁っていた柳生と神原も加わり一気に盛り上がる。
そうだ、今日の本題は呪いのビデオの話だったと、その輪に俺も加わることで、事故物件の件はとりあえず有耶無耶にすることにした。