骨 (3)
「ねえ、2人とも。ちょっとこれ見て、」
フラフラと辺りを見渡しながら少し後ろを着いてきていた柳生が、急に呼び止める。何故かその声はか細く震えていた。声だけで呼びかける柳生は、一点を凝視したまま動かない。
不審に思い駆け寄れば、その視線の先にあるものに気付く。
「なにこれ…」
柳生が見つけたのは、不自然に掘られた大きな穴と、その中に投げ出された骨の山だった。
「ぶちょー、その骨って、ここから持ってきたんすか…?」
「いや、心霊現象に遭ったって部員が、その時近くに落ちてきたものを拾っただけらしい」
骨の山に視線を落としながら、ただ淡々と部長は答える。
俺や柳生とは違い、あまりにも慣れたような態度に、ほんの少し違和感を覚える。
「ただ全員、何か乾いたものが落ちる音を聞いたそうだよ。それが骨かは分からないけどね」
「それを先に言ってくださいよ…ッ!!」
それなら音がした方へ行かなかったのに!と、涙目で抗議したところで、部長にとってはどこ吹く風。「だって聞かれなかったから?」なんて笑いながら答える部長に、なぜか柳生の緊張もほぐれていく。
けれど、そんな気の抜けたやり取りもほんの数秒しか保たなかった。
夕方で、日もあまり当たらない林の中とはいえ、ここ最近は夏らしく夜も蒸し暑かった。間違っても、鳥肌が立つほど肌寒いなんてことは、屋外ではありえない。ありえないのに。半袖から出た自分の腕を見てようやく、急な温度変化に気がつく。
何かがおかしい、そう思い辺りを見渡した時にはもう遅かった。
モヤが掛かったような、薄く広がる霧。草木をかき分け通って来た道すら、もうどの方向だったかすら分からない。先程落ち着けたはずの心臓は、また慌ただしく動き始める。
「人見クン、一旦落ち着こうか」
緊張から浅くなる呼吸を繰り返していると、そっと部長が耳打ちする。
「帰り道が、」
「この霧では分からないね」
緊張で乾いた喉では最後まで言葉が出なかったけれど、部長にも霧は見えているようだった。自分だけではないことに安心しつつ、言われるように呼吸と心臓を落ち着ける。
「ヤナちゃんには分かるだろうから、大丈夫だよ」
緊張が解けた柳生はといえば、穴を写真に収めたり、辺りを観察したりと、ずいぶんと余裕そうだった。俺よりも薄着の柳生に何も変わった様子がないということは、本当に何も感じていないのだろう。
「ヤナちゃんはね、心霊好きだけど、起こり得ないと思っているから。ファンタジーだからこそ、憧れるタイプなんだよ」
なんだか、部長もハジメのようなことを言うな。その理論でいくと、柳生は心霊好きな神原みたいなもんか?などと思考を巡らせていると、またどこかで音が聞こえ始める。
乾いたような、けれど妙に耳に残る音。骨の山を崩したような音は、不規則に繰り返される。まるで、少しずつ近づいているような。それは繰り返されるたび、徐々に大きくなっていた。
「普通なら、音とは反対の方に逃げるかな?」
怯えから隣の部長に視線を向ければ、ひどく落ち着いた様子で、口元に手を当てそう呟いた。
「でも、僕らはあくまで検証しに来たわけだから、ねえ?」
「むりむり、絶対無理ですよ…!」
にこやかに同意を求める部長に、何が言いたいのかを理解したくなくて小刻みに首を振る。俺のあまりの狼狽えぶりに、柳生が不思議がりながら近づいてくるのが横目に分かった。
「人見くん、どうしたの?」
「んー?ちょっと気になるものがあってね。ヤナちゃんは、少し離れて、ゆっくり着いて来てもらえる?」
もちろん、人見クンは僕と一緒に行こうか?そう言って部長に掴まれた腕を、恐怖から力の抜けていた俺には、とても振り解くことなんて出来なかった。
「いやいやいや!音の出所を突き止めて、それでどーするんすか!?」
「もう〜人見クンたら、少しは静かにしてくれないかなあ〜」
引きずられるようにしながら、ほぼ無理矢理連れていかれるこの状況に、これが騒がずにいられるか!とばかりに俺は話し続ける。
合間に合間に聞こえてくる音に、聞こえないフリをしたくて声の音量はどんどん大きくなっていく。だけど悲しきかな。確実に音源に近づいているからか、音がかき消されることはなかった。
「ああ、ほらご覧。音の正体はアレだね」
不意に立ち止まり、そう言い切った部長。俺はあまりの恐ろしさに、顔を上げることが出来なかった。幸い、あたりに立ち込める霧のお陰で、足元すらよく見えてはいなかった。
ガラガラ、グシャ。ガラガラ、グシャ。
崩れような、組み立てるような。よく分からない音が繰り返し聞こえている。その音の大きさから、まだすぐそこまでは迫っていないことだけは分かり、肩に入れた力がほんの少しだけ緩む。
「こういうのはね、要は映画と同じなんだ」
そう近くはないとはいえ、徐々に迫り来る音に対して、なんとも思わない落ち着いた声色で部長は話し出す。
「そこに記録されたものが、繰り返し再生され続けているだけ。たったそれだけのことなのさ」
映画は撮影した映像で、リアルタイムで起きていることではない。心霊現象もそれと同じ。かつてそこであったことが、その場で繰り返されているだけ。部長の理屈はそういう事だった。
それがあまりに至極当然のように思えて来て、不思議と恐怖心も薄らいでいく。
「いいかい?人見クン。だから、ただの映像に注意を向ける必要なんてないんだ」
部長の声に促されるまま、ゆっくりと顔を上げる。少し先には、何かの塊があった。それが上下に動くたびに、ずっと聞こえていた音が繰り返される。
それは多分、元は人のカタチをしていたのだろう。ただ、何人かは分からない複数が合わさったソレは、もう到底人のカタチをしてはいなかった。
こちらに向かって進むたび、その内の誰のものとも分からぬ骨の一部が、ガラガラと崩れては落ちる。
「意識しなければ、アレは無害だよ」
ハジメは俺に、霊の存在自体を否定しろと言った。部長の理屈もまた、ハジメの解釈とは少し違うものの、本質的には同じだった。
いつもと違い、その場に遭遇しているのは1人じゃないからか、対処法は変わらなくとも妙に心は落ち着いていた。
ゆっくりと近づいて来ていたソレは、ある一定の距離で止まると、それ以上近付いては来なかった。
「本当に害あるものは、こんなモノじゃない」
映画だって、電源を入れなければ流れないだろう?それはただの記録の、心霊現象にも同じことが言えるね。じゃあ、この場合の電源って何だろうか?はてさて、これが始まる条件は?
まるでハジメのような、明らかに答えを知っているであろう口調で、部長は俺に問いかける。
「ねえ、2人とも、」
俺が考えをまとめるより先に、柳生に呼び止められる。言われた通り少し離れて着いて来ていた柳生は、気付けばすっかり追いついていた。
「誰か来る」
柳生が来たのとほぼ同時に、つい先程まで立ち込めていた霧はすっかり晴れていた。咄嗟に前へ向き直れば、少し離れた場所にあったはずのソレも、もうどこにも見当たらなかった。
その代わり、ガサガサと草木を掻き分ける音と、ガタガタと何かを運ぶ音。そして人の足音が聞こえていた。
「あれ?こんなところで何してるの?」
現れたのは、1人の女性だった。
年齢は同じくらいか、少し上か。見た目からは年齢があまり読めなかった。色の白い肌に、真っ直ぐに伸びた長く黒い髪。見たことはなかったが、秋田美人とはこんな人のことを言うのだろうか。そう思うくらいに透明感のある美人だった。
どんな人が来るのかと身構えていた俺や柳生は、すっかり気が緩み脱力する。
「そこの大学生?」
「あ、はい。アタシたちは、」
「ええ。僕ら史学科なんですけど、暇つぶしに探索してたら迷ってしまって」
柳生が答えようとして、部長がそれを遮るように受け答える。
部長はそう言ったけれど、俺たちは全員、史学科ではない。そもそも、ウチの大学に史学科なんてものはなかった。史学科があるのは、隣の某有名大学だけだ。
「あら、そうなの。それなら帰り道を教えてあげるね」
「助かります〜!」
部長はなぜ、嘘をついたのだろう。
その後は柳生に対応を任せたのか、部長が話に割って入ることはしなかった。女性に道案内を受ける柳生の後ろで、部長が俺に向かって静かに囁く。
「人見クン、きっとこれがその条件だ」
俺にだけ聞こえる音量で、いつもと特に何も声色は変わらない。だけど不思議と、俺を見る目だけはいつもより真剣だった。
「こういう場所ではね、説明の付かない現象なんかよりもずっと、人間に注意した方がいい」
幽霊なんてのは、本当は大したことないんだ。みんな幽霊を怖がるけれど、本当は生きている人間の方がうんと怖いのさ。そう言って意味ありげに女性を見た後、部長はまた俺へと視線を戻す。それから、黙ったままゆっくりと後ろを振り返った。
部長の視線の先には、女性が運んできた物があった。それは、女性1人でも押せるようなサイズの荷車だった。
「さて、人見クンには、何が見える?」
道に迷った俺たちを案内するために、女性は一旦荷車を脇に置いていた。その際に、上にかけた布が少しズレたのだろう。中に積まれている物が、布の端からほんの少しだけ覗いていた。暗く影になった中で、やけに目立つ白。
それはまるで、あの穴の中にあった、骨の山のようだった。




