骨 (1)
悪霊の定義が、俺にはまだ分からない。
久々にサークル室に顔を出してみると、妙な心霊話で盛り上がっていた。
俺がほぼ幽霊部員となっているこのサークルは、一応映画研究会、という体になっている。大学1年の初め、同じ学科だった佐渡に「なあ、自由に使えるロッカー欲しくねぇ?」と声をかけられ入ったサークルだ。つまり俺にとっては映研ではなく、ここはほぼロッカー室も同然。
そろそろ夏休み前のテストの時期だし、ロッカーに置いた教科書を回収しがてら、過去問と講義プリントでもたかりに行こうか。そんな下心満載でサークル室のドアを開ければ、見慣れた人物が一箇所に集まり騒いでいた。
「あれ〜?人見クンじゃないか」
騒いでいるのはいつものことだけれど、所々「心霊」だの、「これは大発見」だの、「検証」だの、いかにも怪しい単語が聞こえてくる。
これは、かなりまずいタイミングで来ちゃったらしい。過去問とプリントをたかるのは早々に諦めて、教科書だけ回収してさっさとずらかろうと、コソコソ移動していたがあっさりバレてしまった。
思わず、家で動画でも観ているであろうハジメの顔を思い浮かべる。うん、これは絶対嫌な顔されるな。
「お久しぶりです、ぶちょー」
サークルなのに、部長?サークル長じゃなくて?という気もしなくもないが、映研は部長派だったらしい。そんなどうでもいいことを考えては現実逃避をするけれど、このままではハジメに怒られる未来は避けられない。
いや、絶対に巻き込まれてなるものかと、声を掛けてきた部長に適当に挨拶をしながら、後ろ手でロッカーを漁る。我ながらロッカーの中が適当すぎて無駄な時間を食ってしまい、この僅か数秒で俺は整理整頓を決意した。
「何で最近来なかったのかなあ?待ってたのに」
「いやちょっと、」
最近来ていなかったのは、バイトの合間ハジメと名作映画全制覇会を開催していたからだ。
いつかの週末地上波ロードショーの際、有名シリーズどころをひとつも観たことがないなんて言うから、ついつい長期開催してしまったのだ。あの作品のファンとしては譲れなかった。
とまあ、そんなことは言えるはずもなく、下手な誤魔化しと共に部長の様子を伺う。
ノンフレームの控えめな眼鏡に、細めのサラリとした髪からは一見穏やかな優男風に見えるけれど、この部長はただの優男などではない。
「みんな寂しがってたよ」
「いやそれはないっすね」
「即答?」
「そりゃ」
よし、今日はこの適当なノリで行けそうだぞ!このまま面倒なことになる前にさっさと帰ろう!
そんな希望の光も、部長の次の言葉で打ちのめされた。
「ああ、そっか。同居人がいるんだもんねぇ。サークル室に入り浸ったりしてる場合じゃないかあ」
「は?」
いや、は?何で、それを知ってんだ?
ついうっかり、部長相手にタメ口になってしまったけど、当の本人はそんなこと気にしていないようで話し続ける。
「人見クンてば、なんか面白いことになってるみたいで」
「それそれ!その話あたしも聞きたかったのに!何で全然来ないかなー?」
「…誰が言ったんだよ」
「えー?神原くんもショウくんもサドも、みんな言ってたけど?」
ほとんど独り言のつもりで呟いたが、しっかり聞こえていたらしい。同じ学年の女子・柳生が律儀に答える。って、アイツら、全員じゃねーか!
厄介なことになるからと、せめて口止めはしといたはずなのに、まるで意味がなかったことに頭を抱える。
いやでも待て、まだ霊感云々まで全部筒抜けになっているとは確定していない。希望は残っているはず!
「てなわけで、ちょうど良かったよねえ」
「そうそう、ナイスタイミング〜!」
そう意気込んだものの、秒で打ち砕かれた。うん、希望は残ってないかもしれない。
ロッカーと長机で、2人とは距離を取っていたはずなのに、いつの間にか両サイドを挟まれている。
ノンフレームのすっきりとした眼鏡をかけた部長に、最近の流行りなのか細い金フレームのお洒落丸眼鏡を掛けた柳生。レンズの奥で2人して楽しげに目を細めている。この厄介な眼鏡コンビめ。
部長と柳生、それぞれの顔を順に見ると、それはそれは嫌ーな表情をしては俺の腕を掴んだ。そしてそのまま、半強制的に着席させられる。
「人見クン、一緒に心霊検証をしないかい?」
「嫌です」
そして何を言い出すかと思えば、やはりと言うか。しかし、たとえ部長の提案といえども、そう簡単に頷く訳にはいかない。
もう巻き込まれたりはしないぞ!と、何度目かになる決意を決めた俺は、強い心で即断る。でもまあ、この2人相手に、俺がそう上手く断れるはずもないわけで。
「前期のプリント、コピーさせてやったツケは?」
「…それはずるいだろッ!」
入院していた頃の話を持ち出すのは反則じゃないか…?と思いつつも、他にも借りる相手はいたにも関わらず、成績優秀者の柳生のプリントに縋ったのは他でもない俺だ。
ロッカー目当てだった俺とは違い、柳生はオカルトとかホラーとか怪談とか、この手の話が三度の飯より好きで語りたいがために映研に入った人間だった。その柳生が、心霊検証なんてやらない訳がない。見えるヤツが知り合いにいるらしい、俺を逃す訳がない。
「…検証にご一緒させていただきます」
「素直でよろしい〜!」
観念して参加表明をすれば、2人は満足げに頷く。
そして長机の上に、白い塊を取り出した。ちょっと太めの枝くらい、長さは約15㎝といったところか。表面はザラついたような凹凸はあれど、全体的につるんとしている。
「…象牙?」
「さ〜あ、どうだろね?これね、裏の草むらから出てきたんだよね」
意味ありげな笑みを浮かべた部長は、そう言って白い塊を手渡してくる。それは、軽く机に叩きつければ簡単に折れてしまいそうな程脆く見えた。
「これ、骨だと思わない?」
象牙も骨みたいなもんじゃない、と言いながら、柳生はそれを俺から受け取る。そのまま自分の腕と比べるように重ね合わせた後、言った。
「これ、人間の骨だったりして」
柳生は同意を求めるよう、満面の笑みを浮かべる。それは可愛らしいなんてもんじゃない。面白いこと見つけた、と言う時の浅井の表情とはまた違う。浅井は純粋に楽しいことが好きだった。一方、柳生はといえば。それがやばそうに見えれば見えるほど、好奇心が増す人間なのだ。
正直、俺は今にも帰りたかった。思わず腰を浮かせ立ち上がろうとしてしまったけれど、それを見越した部長がパイプ椅子の背もたれに肘を置き、にこりと微笑む。
だから、この人のこういうところが穏やかな優男ではないんだと。
「さて、そんなわけで、かるーく検証しましょ!」
これは絶対軽くなんかじゃ済まないぞ。有無を言わせぬ2人に抵抗しても負け確実だったので、せめてとばかりに心の中だけで抗議する。
俺の脳内のハジメはというと、既に若干不機嫌になり始めていた。