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事故物件日記  作者: 椎野
25/32

歩道橋 (5)



「罪悪感は、1つじゃなかったからだ」


 移動しながらも状況を説明すると、考え込むような少しの沈黙の後、ハジメはそう呟いた。


「ひとつじゃない?」

「そう。そもそも、あれの原因は霊じゃない。生きている側の人間の、強い感情が起こしたものだ」

「それって、」


 そこまで言いかけて、言葉を飲み込む。同時に、ニュースやネットで得た情報を思い出す。

 あの時の少年らは、やはり歩道橋で死んだ少年のことを集団でいじめていたらしい。それは目に見える暴行というよりも、精神的なものが多かったそうだ。

 表面的な情報しか知らない俺に、どうこう言う権利はないのかもしれない。けれど、精神的なものの方が肉体的な暴行よりもずっと、咎められにくい分タチが悪いのではないか。そう考えずにはいられなかった。


「ねえ、ヒトミ」


 すっかり見落としてしまっていたけれど、と前置きしてから、黙り込んだ俺に対しハジメは問いかける。

 答えなんてものは既に分かっていて、それでもなお俺に考えるよう促す話し方だった。


「どうして、あの子にもあの現象が見えていたんだと思う?」


 どうして、啓くんにも歩道橋の霊が見えていたのか。どうして、歩道橋の現象は起こったのか。

 もう例の歩道橋は、目と鼻の先だった。前を走っていた浅井の階段を駆け上がる背中が目に入る。


「そんな、まさか。啓くんもアイツらと同じわけないだろ?」


 啓くんもまた、彼らのようにあの現象を引き起こしていたうちの1人だった?だから、他の人には見えていない歩道橋の霊が見えていた?だけど、俺には啓くんはそんなことをするような人間には見えなかった。

 一歩、歩道橋の階段へと足を掛ける。思いの外勢いがついた靴底は、コンクリートに当たって乾いた音を響かせる。まるで自分自身の頭に浮かんだ予想を打ち消すように、必要以上に強く足を踏み込んでいた。

 その音が聞こえたのか聞こえなかったのか、ハジメは落ち着かせるようにゆっくりと言葉を続けた。


「同じじゃなくても、原因になる方法ならある」


 恐怖心や罪悪感が引き起こしたものだと、あの日ハジメはそう言った。他の彼らの原因は、自分たちがしでかしたことに対する恐怖心と罪悪感だったと。

 なら、啓くんは一体何に、恐怖心や罪悪感を抱いているんだろう。


「それが何かは、本人に聞かないと」


 ハジメが答えたのとほとんど同時に、悲鳴に近い声が響く。一気に階段を駆け上がり、歩道橋の中心部に目をやる。


「啓ッ!!」


 歩道橋の上には、浅井と啓くんがいた。

 多分、部屋着のまま外に出たんじゃないかというほど啓くんは薄着で、荷物も何も持っていなかった。その片手を浅井が掴み、引き寄せようとするのが目に入る。けれど、その身体はビクともしなかった。困惑する浅井の表情に対し、下を向き俯いた啓くんの表情は分からなかった。


「みんな心配してる。ほら、帰ろう?」


 その場から動く気配のない啓くんに痺れを切らした浅井が声をかけるが、ほとんど無反応だった。何も答えないまま、下を通る車のエンジン音だけがやけに大きく聞こえる。


「…あの日、一緒にいなかったから」


 浅井はそれ以上急かすわけでもなく、声をかけるわけでもなく、ただ腕を取ったまま黙っていた。掴んだ腕だけは離さずに、啓くんが何かを言うのをただ待っていた。だからか、啓くんの今にも消え入りそうなほどか細い声も、かき消されることなく耳に届く。


「…本当は、薄々気付いてたんだ。でも、おれは、見ないフリをしたんだよ」


 地面に向かって吐き出された言葉が、何を指しているのかは分からなかった。相変わらず下を向いたまま、けれど声は少し上擦り、呼吸は少し荒い。

 様子のおかしさに気が付いた浅井が、今度は無理矢理にでも連れ出そうとするけれど、成長期前の細い体とは思えないほど強い力にその場から動かすことすらできなかった。それは、浅井が掴んでいるのと反対側の手を、歩道橋の少年が掴んでいたからだった。

 浅井の手を振り解き、啓くんは歩道橋の少年の手を取る。


「…啓?」

「だから、今度は、おれも一緒に行くよ」


 手を取って、歩道橋の手すりに足を掛ける。

 何も見えていない浅井には、きっと訳が分からないだろう。啓くんが何をしようとしているのか、その場で正確に理解できていたのは俺だけだった。

 そこからはまるで、スローモーションのようで、ほんの僅かな時間の出来事のはずなのに、やけに長く感じられた。コンクリートの地面を蹴り、何も考えず、ただ走る。突然のことに、動くことすら出来ず立ち尽くす浅井を押し退けるように啓くんの腕を掴む。


「ダメだ!」


 手すりから一歩踏み出す前に間に合ったことを確かめるように、掴んだ手に力を込める。顔を上げれば、どうしてとでも言うように俺を見る啓くんと、その横には歩道橋の少年が何の感情も読み取れない表情でそこにいた。


「どうして止めるの?」


電話越しのハジメには何一つ見えていないはずなのに、絶妙なタイミングで、まるで啓くんの代弁をするかのように俺に問いかける。すぐそこにいて、見ているのではと錯覚すら覚えるほどに。


「どうしてもクソもあるか!」


 だけど、そんな問いかけに答えている暇はなかった。掴んだ手を振り解かれる前に、思い切り手前に引き寄せる。転げ落ちるように倒れこもうと、道路下に落ちるよりは遥かにマシだった。

 途中で止められた啓くんは、それ以上は無駄なことを悟ると、ただその場にうずくまるようにして静かに泣いた。我に返った浅井が駆け寄り、慰めるように背中をさするのを俺は少し離れて見ていた。


 落ち着いてから、啓くんはぽつりぽつりと話してくれた。


 歩道橋の少年とは、小学校も同じだったこと。中学に上がりクラスが分かれほとんど関わらなくなっていたこと。

 同じクラスになったかと思ったら、何故か避けられてしまったこと。いつも同じ部活の派手なグループと一緒にいるけれど、あまり楽しそうには見えなかったこと。

 ある日の帰り道、たまたま委員会で遅くなりいつもとは違う時間に1人で歩道橋を通った時、この場所にいた彼らと遭遇したこと。手すりの上に立たされ、これは度胸試しだと笑う少年に、本当は薄々気が付いていたのに見ないフリをしてしまったこと。

 亡くなった日、珍しく1人で歩道橋にいるところを見かけたのに、声を掛ける前に目を逸らされてしまったこと。だから、話しかけられずに、1人で帰ってしまったこと。


 啓くんはアイツらとは違う。この話を聞いても、俺はそう思う。だけど、啓くん自身はそうは思ってはいなかった。

 だから、それがこの心霊現象のもう1つの原因となっていたのだ。


「もしもヒトミがあの子だったら、」


 そこで一度言い淀んでから、ハジメが続ける。片耳だけ着けたイヤホンから聴こえる声は、電話越しとは思えないくらい鮮明だった。


「止められたい?止められたくない?」


 スピーカーにしていたから、啓くんの話は勿論、ハジメにも全て聴こえていた。その上で、ハジメはそう言っている。

 問いかけてはいるけれど、これはきっと質問じゃない。だから俺は黙ってその続きを待っていた。


「あの子はきっと、死にたいんだ。罪悪感で死ぬしかないんだよ。なら、そうさせてやれば良かったのに」


 そう言われても、やっぱり俺にはそれが正しいこととは思えない。そうすべきだったとは、俺には思えない。

 だけど、たしかにあの時の啓くんはそう思っていたのだろうとも思う。それが正しいことではなかったのだとしても。

 そこまで考えてから、ふと、ここまでハジメが他人の感情に敏感なことも珍しいんじゃないかと、疑問を覚える。


「ハジメは?」


 何のことか、あえて主語は言わなかった。ハジメからの返事も期待してはいなかった。

 俺たちが話している間に、連絡を受けた啓くんの親が迎えに来て、蹲るよう小さくなったその体を強く抱きしめる。それから心配したのだと怒り、バタバタと事態は収束していく。一通り状況を説明し落ち着いた後、俺は浅井と別れて歩道橋を後にする。

 駅のホームで電車待ちをしていると、それまで黙ったままだったハジメが口を開いた。


「俺は、止められたくない」


 それは、さっきの話の続き、俺の問いへの答えだった。

 珍しく感情移入していたハジメは、まるでほんの少しの羨ましさを含んでいるかのようだった。だからつい質問し返していたけれど、それはあながち間違いではなかったのかもしれない。決して揺らぐことはない決意を感じさせる、鋭さがそこにはあった。

 ハジメは、止められたくないのだ。死ぬしかないほどの罪悪感を感じた時、それを止められたくはないのだと。

 たとえそうだとしても。それでも。俺は止めるよ。そう言いかけて、だけど言葉にはせず飲み込む。


「ハジメは、なんか後悔してることでもあんの?」

「さあね。そうだとして、俺はもう死んでるし?」

「たしかに」

「今となっては、消え方すら分からないし?」

「それな」


 軽いやりとりを交わしながら、電車に揺られる。

 その返しじゃ、まるでハジメは消えたいみたいじゃないか。そう会話の端で思っても、口にしたら本当になってしまうような気がして、あえて軽く受け流す。

 

 今日啓くんを止めたこと、後悔はしていない。俺の考えは変わらない。変わらないけれど。これで良かったのか、本当のところは分からない。


 いつか、あの時そうしなくて良かったと、そう思ってくれる日は、来るのだろうか。




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