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事故物件日記  作者: 椎野
23/32

歩道橋 (3)


 その生徒がなぜ歩道橋で自殺したのか、理由は分かっていない。


 同じクラスだったという啓くんやその友達も、理由は知らなかった。クラスでも口数は少ないし明るい方ではなかったけれど、普通だったそうだ。遺書もなく、前触れもなく、突然亡くなってしまった。1人ずつ担任に呼び出され話を聞かれたところで、それらしいことは何も出て来なかったという。

 話をすることも厳しいくらい顔色の悪い啓くんの代わりに、友達はそう話した。


 彼は、なぜ遺書を残さなかったのだろう。その理由を、何一つ残さなかったのだろう。

 そんなことは、今となっては誰にも分からない。家族でも友達でもない、ましてや知り合いですらない俺には、いくら考えたところで分かりっこない。だから、これはただの予想に過ぎなかった。


「俺は見殺しにすれば良いと思うけれど、ヒトミは違うんだろ」


 どこか楽しそうにしていたあの日と違い、ハジメはつまらなそうに脱力した動作で歩道橋の下を覗き込む。


「この交通量なら、いつ落ちても無事には済まないだろうな」


 行き交う車の様子を確認しながら、そう物騒なセリフを呟いたけれど、俺は何も聞かなかったことにして視線を戻す。

 そんなやり取りをしているうちに、現れた霊に怒鳴り散らし胸ぐらを掴まん勢いで詰め寄っていた生徒の声は、いつの間にか大人しくなっていた。


「俺だって、見殺しにしてやりたいよ」


 目の前の光景を見ながら、思わずそう零すと、ハジメは意外そうな顔をして俺を見る。


「このまま見殺しにしたって、居合わせただけの俺はきっと罪には問われない」

「まあ、不慮の事故でかたが付くだろうね」

「アイツらは、自業自得だ」


 あの図書館の父親と、同じように。自業自得なのだから、自分がしたことの結果は受け入れるべきだ。これはただの俺の予想なんかじゃない。

 ただの予想なのであれば、思い過ごしなのであれば、今まさに彼らが歩道橋の下へと落とされそうになど、ならなかっただろう。


「でもさ、それじゃダメなんだよ」


 歩道橋で死んだ彼は、この場所にはいない。ここにいるのは、何かしでかしたのであろう彼らが作り出した亡霊だ。


「だから、俺は止めなきゃいけない」


 それは、今はもういない歩道橋で死んだ彼の為ではない。落とされそうになっているアイツらの為でも、勿論ない。

 俺自身が、そうでなければならないと、そうであってくれたらどれだけ良かったかと、そう思っているからだ。


 ハジメが何かを答える前に、身体が動き出していた。

 数メートル先では、さっきまで怒鳴っていた男子生徒が今にも歩道橋から落ちそうになっている。蛇のように白く温度の感じられない手が、その身体に絡み付いていた。

 一緒にいた他の生徒は、必死にこちら側へと引き戻そうとする者もいれば、その場で立ちすくみ動けなくなっている者もいた。

 これは、彼ら全員が引き起こした現象だ。だから当然、彼ら自身では止めることはできないのだろう。


「くっそ!突っ立ってねーで助けろよ!」

「無理だ…!力が強すぎる」

「いいから手伝えって!」

「俺たちが、悪かったんだ、」


 近付くほど、彼らの焦りや混乱ぶりが伝わってくる。

 関係ないただ通りがかっただけの生徒たちも、何が起こったのかわからず騒然としていた。目に入る情報では彼らが自ら落ちようとしている風にしか見えないのに、言葉にして騒いでいる内容は真逆なのだから、何も見えていない生徒たちは混乱して当然だった。

 傍目から見れば、彼らは自分で歩道橋の手すりに足をかけ、その上に立ち、悪ふざけをしているようにしか見えなかった。


「助けてやろーか?」


 今にも落ちてしまいそうな状況に、彼らの焦りは頂点に達していた。だけど、不思議なほど俺は冷静だった。

 助けてやろうかと、そう声をかけたところで聞こえてなどいない。手すりに立つ男子生徒の腕を掴み、もう一度同じように問いかける。

 今度はちゃんと聞こえたのか、口汚く騒いでいた男子生徒の瞳が揺れる。口では強いことを言っていても、やはり年相応に怯えてるんだなと、手に取るように分かる反応だった。


「ま、条件があるけど」


 これは彼らの起こした現象で、彼らには止めることはできない。でも、見えていて、なおかつ全く関係ない人間にならどうだろう。


「条件…?」


 彼らの反応を見て、答える前に掴んでいた腕の力を緩める。その瞬間、ぐらりと大きく身体が揺れる。歩道橋の下へと、片脚を取られるように身体は下がっていた。


「うわ…ッ!」


 ほとんど声になっていないような悲鳴を上げながら、落ちないよう必死に俺の腕へとしがみつく。ここが頃合いだろうかと、思い切り力を入れて身体を手前に引き寄せる。そのまま、いつだか授業でやった柔道の要領で背中から地面に叩きつけた。

 何が起こったのか脳の処理が追いつかず呆然と倒れ込む男子生徒の身体をまたぎ、見下ろすように視線を合わせる。黙って数秒目を合わせた後、周りを囲むように集まっていた原因の男子生徒たちにも同じように目を向ける。

 多分、この時の俺の顔は、ハジメもびっくりするような冷たい目をしていただろう。1人1人と順に目を合わせるたび、ビクリと肩を震わせるのが分かった。


 たしかに、ハジメの言う通りだ。こんな風に怯えるくらいなら、最初からやらなきゃ良かったんだ。歩道橋で死ぬまでに、やめるタイミングなんて何度だってあったろうに。それでもやめなかったコイツらに、たまたま居合わせた俺が何か言ったところで響くとは思えない。

 だけど、そうだとしても、俺は言わなきゃいけなかった。


「認めろよ、自分たちがしたことを」


 一呼吸置いた後、低くゆっくりと、ただそれだけを絞り出す。


「認めて、謝れ」


 それ以上の言葉は、思い付かなかった。

 ただそれだけを言い、固まったように動けなくなっている彼らと暫く無言で視線を合わせ続ける。

 その沈黙を破るように、最後に一言だけ付け足した。


「そうじゃなきゃ、ずっとこれを繰り返すぞ」


 その一言を皮切りに、ハッと我に返ったように彼らは身支度を整えると、俺から逃げるようにして去っていった。

 言った意味が、正しく伝わったのかは分からなかった。


「謝ったら、許される。許された気になる。ヒトミは、それで良いの?」


 いつの間にか、すぐ隣にハジメがいて、理解できないと言うように、ため息を1つつく。

 ハジメの言いたいことは、俺だって充分分かっていた。謝らせることで、彼らの罪悪感を軽くしたいわけじゃない。


「良いわけねーよ。認めたところで、未成年だから、大した罪には問われないんだってことも分かってるよ」


 分かってはいるけれど、俺はそうしなきゃいけなかった。そうしなきゃいけないことを、俺は分かっていた。

 どうして俺が事故物件に住んでまで家賃を浮かせたいのか。実家からでも直接大学に通えない距離ではないのに、わざわざ自腹を切ってまで一人暮らしをしているのか。ハジメには言っていない。ハジメどころか、大学からの知り合いには誰一人として言っていなかった。


「だけど、何で死んだかも知らないままじゃ、親や周りは、どうしたら良いんだよ」


 なんで死んだかも分からないままでは、悲しもうにも、後悔しようにも行き場がない。

 なぜ俺が事故物件に住んでいるのか。家を出る金がなかった他に、理由はもう1つ。悪霊なんていやしないと、自分自身に言い聞かせたかったからだ。


「アイツらは、責められなきゃいけないんだ。残された側には、ちゃんと責める相手が、理由が必要なんだ」


 責めるのも、許すのも、あとは全部当事者の自由だけれど。何だったのか、そこに何があったのか、それは正しく知られなきゃいけない。

 俺には兄が1人いた。実家には、死んだ兄の悪霊がいるらしい。兄がどうして死んだのか、理由は分かっていないけれど。あの優しかった兄に限って、そんな馬鹿げたことあるわけがないんだ。

 そう信じたいのに。あの家にいたままではどんどん自信がなくなってしまいそうで、信じられなくなるのが怖くて、逃げるように家を出ていた。


「ヒトミは、」


 何かを言いかけて、いつもはスラスラと嫌味や冗談が出てくるハジメが押し黙る。俺も、それ以上その先を促すようなことはしなかった。

 いつも通り何を考えているのかイマイチ分からない表情で、視線だけが合わさる。


「ほら、疲れたし、なんか買って帰ろーぜ」

「そうだね」

「駅前に新しく焼肉屋ができたじゃん、あそこの弁当狙ってんだけど」


 少し前に、信用しすぎでは云々の件で微妙な空気になったとは思えないくらい、あれからずっとハジメは普通だった。ハジメはあれ以来、何も触れてこない。

 だからきっと、何かを察したとしても、それも触れては来ないのだろう。


「あ、そこなら厚切りハラミ弁当で」

「おまっそれ高いやつじゃねーかよ!つか、厚切りの意味ある?噛めなくね?」

「いや、今回のこれ、完全にサービス出勤だよね?俺」

「すいません、お好きなものをどうぞ」


 ハジメは俺のことを、優しすぎるというし、信用しすぎだと言うけれど。

 本当に優しかったのは、俺の兄の方だ。俺は優しくなんかないし、信じたいものだって信じきれずにすぐ迷ってしまう。

 幽霊なんて存在しないと、そう思いたかったのに。実際見えるようになってみたら、否定することなんてとても出来やしない。

 迷って逃げて、ブレてばかりで、どうしようもない奴なんだ。そう、言ってしまいたくて仕方がなくなる。


 でもそれはきっと、謝って許されようとする心理と、何も変わらないのかもしれない。




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