歩道橋 (1)
その歩道橋には、自殺した生徒の霊が出るという。
梅雨の初めらしくジメジメと湿った空気に、暗く重苦しい雨雲。道を行き交う人とぶつかりそうになる傘を避けながら、傍迷惑にも歩道橋の下で立ち止まる。
特に何の変哲もない大通り沿いの歩道橋に、何の変哲もない中学校の通学路。周りは下校時間の中学生ばかりで、そんな中立ち止まる成人男性2人に、不審者かとでも怪しむようにジロジロとこちらを見ては通りすぎて行く。
あまりの居心地の悪さに、苦情の意味も込め、行ってみようと誘ってきた張本人の肩をやや強めに小突く。
「どしたの?ひとみーん」
ただ、能天気な浅井には何の意味もなかったのか、間の伸びしたような緩い返事が返ってきただけだった。
「だから、俺は見えないんだってば」
昨日の講義終わり、今日の予定を聞かれ何もないとうっかり答えてしまったのが運の尽き。ちゃんと要件を聞いてから予定の有無を答えるんだった。
ちょっと見て欲しいものがあるんだよね〜と言われ、バイト先のシフトを確認するのに夢中だった俺は、生返事で了承してしまった。まさか「見てほしい」じゃなく、「視てほしい」の方だったとは。
家に帰ってから、馬鹿じゃないのとハジメに散々小言攻めにされたのは言うまでも無い。
「でも、ハジメくんは見えるでしょ?」
「いや、だから、人見知りだから」
いや、ただの設定なんだけど。と、心の中で付け加える。
傘の隙間から、渋々一緒に着いてきてくれていたハジメの方を伺うように見れば、そのやりとりに迷惑そうに眉根を寄せていた。顔が良いやつは、何をしても顔が良かった。色んな意味で最悪だ。
先日の廃墟の一件の後、大学の友人らを誤魔化すためになんだかんだで余計な設定があれこれ付いてしまったと白状すれば、案の定ハジメは呆れ返っていた。「誤魔化すにしても、何でそうなるわけ?」なんて言われたものの、そんなの俺だって知りたい。どうしてそうなった。
まさか幽霊のハジメ自身が霊感体質扱いされるなんてこんな可笑しな話はないし、これでますます心霊絡みの話から逃れにくくなり厄介この上ないとのことだそうで。
それもこれも、あれほど気をつけろと言っていたのにノコノコと心霊スポットに行っては巻き込まれる俺が悪いと指摘され、返す言葉もなくそっと土下座を披露した。身に覚えがありすぎる。
そんなこんなで、早速浅井から持ちかけられた心霊絡みの件に、俺とハジメは早くも巻き込まれかけていた。
「前みたいに、電話でハジメくんに聞いたらいいじゃん〜」
「いや、まあ、そうなんだけども、」
「電話は普通に喋れてたし、平気なんでしょ〜?」
「たしかに、思いっきり喋ってたけど!」
能天気にゆるゆると話す浅井に、また変なことに巻き込まれるなよと全身で圧をかけながら俺を見てくるハジメ。
あーもー!なんて言ったらいいんだと、あまり賢く無い頭を捻りすぎて思わずガシガシと髪を掻きむしる。その様子に、少し後ろに立つハジメは呆れたようにため息をひとつ吐く。
その吐息だけで、絶対に馬鹿にしたような、いい加減にしてよとでも言うような、なんとも言えない冷ややかな目をしているのは明らかだったので、あえて振り向かない。
触らぬ神に祟りなし。神ならぬ、触らぬ霊だけど。
「でもそんな噂、どこで聞いたんだよ」
浅井が言うには、この歩道橋でつい2ヶ月ほど前に自殺した生徒がいて、その霊が出るということだった。
上京組の浅井は、俺のように一人暮らしをしている佐渡とは違い、こっちに住む親戚の家でお世話になっている。その家の子がこの学区の中学校に通っていて、つい2週間ほど前から毎日のように歩道橋の霊を見るというのだ。
日に日に顔色が悪くなり、口数が減り、思い詰めたような表情になっていくその子に、能天気の浅井なりに何かしてあげたいと思った結果がこれらしい。
そんなことを言われたら、嫌がることも出来なくなってしまう。心なしか、少し後ろでこの話を聞いていたハジメの圧も弱くなったような気がする。
「それで、その子は?」
「うーん、もうそろそろこの辺りを通ると思うんだけどな〜」
そう浅井が言ってから少しした後、通りがかった制服姿の男子中学生が驚いたように声を上げる。
「ショウ兄、何でここにいるの?」
「お疲れ〜、来ちゃった!」
ショウ兄、と呼ばれた浅井がニコニコと無邪気に話しかける。浅井翔平なので、ショウ兄か。
大学の友人らといる浅井は、本人の性格もあってか弟のように扱われていたけれど、それなりに年下の親戚に慕われていたことに妙に感心してしまう。
「啓の調子が悪そうだから、大丈夫かな〜?って」
啓と呼ばれた浅井の親戚の子は、確かに一目で分かるくらい顔色が悪かった。
あまり寝れていないのか、目の下には深いクマが出来ている。一緒に下校していた隣の友達と比べても、とてもじゃないが調子が良さそうだとは言えなかった。
親戚の子が友達に浅井を紹介している流れに便乗して、俺も軽く挨拶をする。普段から浅井のフットワークは軽すぎるくらいだからか、見知らぬ俺がこの場に混ざっていても特に気にした様子がなかったのは助かった。
「歩道橋に、霊が出るんだって?」
目の前にある歩道橋を、下から見上げる。
どこにでもあるような所々塗装が剥げ古びた歩道橋は、そこまで高さがあるわけでもない。自殺するにしても、大型トラックなどが通るタイミングで上手く飛び降りなければ、簡単には死ねないだろうということはやらなくたって理解できる。
わざわざこんなところで死ぬことを選ぶなんて、どんな事情があればそうなるのだろう。俺には想像もつかなかった。
霊の話を尋ねると、啓くんは元から青白かった顔色をさらに青くして下を向く。隣の友達が心配そうに肩に手を置きながら、代わりに返事をする。
「おれには見えないんですけど、啓は毎日のように見るって言うんです」
歩道橋の上から、何度も何度も飛び降りるのだと、そう話した。
とりあえず、実際に見てみないことには何とも言えないとハジメが言うので、歩道橋の階段に足を掛けると、後ろから男子中学生の集団がやってきて追い越していく。無理やり追い越した為、傘同士がぶつかって弾けるように水滴が飛ぶ。
今渡ろうとしていた人間を押し退けて追い越していく男子生徒に、迷惑な奴らだと意識を向けると、通り過ぎ様の会話が耳に入ってくる。
「アイツの霊が出るって?バッカじゃねえの?」
「ビビってんのかよ」
「そうじゃねーよ!でもまさか、こんなことになるなんてさあ、」
「お前ら、見てないからそんなこと言ってられんだよ!」
バシャバシャと水飛沫を上げながら、足速に階段を上がっていく。
啓くん以外にも、見える人がいるのか。
通り過ぎた男子生徒の集団は、クラスの中心にいるような、運動部など派手な部活に所属していそうな、教師にも反抗したりするような、独特の雰囲気があった。
ハジメの方を見れば、聞こえていたのか軽く目配せをした後、意味ありげに頷く。何か思い当たることがあるのか、その口元には笑みが浮かんでいた。
「啓、大丈夫?」
「アイツら、同じクラスの奴なんです」
吐き気でもするのか、口元を押さえしゃがみ込む啓くんに浅井が声をかける。さっきよりも青白い顔をして、冷や汗までかいていた。嫌な奴らを見た、とでも言うように、階段を上る背中を見る友達の目つきは冷たく鋭い。
啓くんの具合があまりに良くないので、一旦休んだ方がいいんじゃないか。そう浅井が提案しようとした所で、突然上がった声に遮られる。
歩道橋の上から聞こえた、複数の叫び声だった。
「ああ、やっぱり。視せてるのか」
歩道橋の上から聞こえる上擦った声とは対照的に、どこか嬉々とした声色でハジメは呟く。
突然のことに、啓くん以外の3人で顔を見合わせる。状況的に、霊が出たであろうことは明らかだった。
しかし、頭ではそう理解していても、誰も身体は動かなかった。
「ヒトミ」
ハジメの呼ぶ声に、ハッと我に返る。
「行ってみたら、何なのか分かるよ」
この状況で尚、ハジメだけは楽しそうに笑っていた。




