X日目 (上)
夢を見た。
ずいぶん古びた、商店街のような、アーケード街のような所に、ぽつんと1人立っていた。
他に人は誰1人としていなくて、無音の空間。商店街といっても、もうあまり見かけなくなったような公衆電話がいくつも並んでいたり、明らかにソフトが古そうなデザインの貼り紙がしてあったり。ところどころペンキは禿げて、外装もやたらと古くなっていたり。
見たことも来たこともないような場所に、やっぱりここは夢だろうなと結論付ける。
「おーい」
夢なら夢で、他に誰かがいたり何かが起きたりしないものかと、とりあえず声に出して叫んでみる。
けれど、ただ自分の声が木霊しただけだった。
「誰もいねーの?」
現実味の薄い夢にしては、面白味もまるでない。
普段の夢のように、もっと何かよく分からん生き物が出てきたり、知らないのに知っているかのように接する他人がいたり。現実ではあり得ないものがさも常識面していたり。そういう夢ならではの支離滅裂なお決まりの展開すら何もなかった。
ただ、ガランとした何もない商店街に、俺だけが1人佇んでいる。
じっと待っていても何も起きる様子はないし、目が醒める様子もない。何もすることがなくてつまらないので、ひとまず歩いてみることにした。
何もないようで、よくよく辺りを見ながら歩いていると、やっぱりこれは夢だという点に気づき始める。シャッターが全て下り切った商店街だとばかり認識していたけれど、どうやら少し違うらしい。押し入れのような横開きの引き戸に、ドアノブのついた扉。ベランダに続くドアのようなガラス製の扉に、昔古い小学校にあったような鉄だかアルミ製だかのやたら重い扉。非常口にトイレの入り口。
ひとつひとつの店には、シャッターではなくそれぞれ違った扉が付いていた。
「うーん、どれにしようか?」
なんとなく、子供の頃に読んだ絵本を思い出す。こうやって色んなドアがある所では、どれかを開けて中に入ってみるのがセオリーというものだ。
辺りをぐるりと見渡した後、すぐ近くにあった公衆電話のドアを選ぶ。いくつもの電話ボックスに並んで、壁に直接ドアだけが張り付いていた。少し力を加えれば、いとも簡単に扉は開く。その先を見て、俺は1人、妙に納得する。
やっぱりこれは夢だろうな。
俺の期待に応えたのか、自分の想像力の問題なのか、ドアの向こうには全く知らない、別の光景が広がっていた。
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ドアの向こうは、全く見知らぬ街の、真夏の道のど真ん中だった。
ジリジリと照りつける太陽が、コンクリートを鉄板かのように熱している。今なら車のボンネットとかで目玉焼きでも焼けそうなくらいだと、あまりの暑さに額から汗を流しながら考える。
今は冬なのに、こんなリアルな夏を再現出来るなんて俺の想像力は中々大したものじゃないか。こちらの夢は我ながら良く出来ているなと思わず自画自賛してしまうくらいだ。
どうやらさっきの屋根付きアーケード街のような商店街とはまた別の、昔ながらの近所の商店街といった場所にあのドアは繋がっていたようだ。
照りつける太陽の下、どの店も店先にたくさんの商品を並べている。八百屋や魚屋、リサイクルショップなど、今度はどこからどう見ても普通の商店街だった。
「あら〜、可愛いわねえ」
妙にはっきりと響いた声に辺りを見渡す。
ホログラムのように、プロジェクターで投影した映像のように、どこか立体感がなく薄ぼんやりとした人波の中に、一際はっきりとした人影があった。この夢の登場人物だろうか?
「本当に可愛い。こんな可愛い子見たことない」
近くまで寄って、そこで気付く。優しい声に反して、ただただ不愉快なことに。
八百屋の隣の電柱の前に停めた一台の自転車。そこには母親の買い物を待たされているのか、取り付けられた子供用の座席に座り身体を固く強ばらせている幼稚園児くらいの子どもがいた。
さっきから聞こえている声の主は、その前に立つ中年くらいの女性のものだった。可愛い可愛いと連呼しながら、目の前の子どもの顔や体中をベタベタと触る。怯えたように揺れる瞳や、今にも震え出しそうな肩を見れば、その子が嫌がっていることは明白だった。きっと知り合いですらない他人なのだろう。
「食べちゃいたいくらい」
その一言に、なんとも言い難い嫌悪感が体の底から湧き上がる。その手はまるで連れ去ろうとでもしているかのように、腰に回され、今にも抱き上げてしまいそうだった。
まだ少し距離があるが、どうにか話しかけて止めねばと歩き出したところで、母親であろう人物が買い物から戻って来るのが見えた。
「あら〜この子のお母さん?とっても可愛い子ねぇ」
「あ、ええ、そうです。ありがとうございます」
「それにとっても大人しくて」
「そうなんですよ、買い物の時には本当助かってて〜」
母親は異変に気付くどころか、怪しげな中年女性と楽しそうに話し出す。嫌だったと言い出せるはずもないその子は、ただ耐えるように口を結んで下を向いていた。
それがどうにも見ていられなくて、これは夢だと分かっていても咄嗟に動いていた。
「…あのっ!すみません!」
母親が気付いてやらなくて、どうするんだ。そのくらいの子にとって、頼れるのは親だけだろう。
こんなどうしようもない正義感から、後のことなど何も考えずにただ声を掛ける。これは夢なのだから、どうにだってなるだろう。だけど、夢だとしてもこんなのは嫌だった。
俺の声に気が付き、母親と中年女性がこちらを振り返る。話し出そうとしたところで、下を向いていた子どもが顔を上げた。男の子か女の子か分からないくらい、目が大きくて可愛らしい顔立ちをしている。長いまつ毛がゆっくりと開かれるように揺れ、目が合ったのが分かった。
ぱちん、と火花が散るような、静電気でも走るような、不思議な感覚がした。
俺とその子以外の全ての動きが止まって、端から色を失っていく。進もうにも足は上手く動かせなくて、全身が言うことを効かない。
思わず強く目を瞑って開く頃には、全く別の場所に切り替わっていた。