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事故物件日記  作者: 椎野
18/32

図書館 (下)

 

 やたら暑い、そしてなんだか酸素も薄い気がする。


 抱えていた本を床に置いて、上着を1枚脱いだところで気が付いた。やけに薄暗い、ここはどこだ。

 辺りをぐるりと見渡しても何もない。もしかして、ハジメかと思い追いかけたけれど、あれは別の心霊現象だった?そこまで思い至り、また怒られると頭を抱える。

 しばらく現実逃避するようにその場に蹲っていると、誰かに背中を叩かれた。


「うわっ!」


 突然のことに上擦った声を上げながら飛び退けば、そこには浮浪者のような老人のような男が立っていた。

 あまりの身なりに、また霊が出たのかと身構えるものの、長く風呂に入っていない人間特有の体臭がツンと鼻について顔をしかめる。あれ、そう言えばさっきこの人、俺のことを触らなかったか?


 どさり、と突然本が落ちる音がして、思考を遮られる。


 顔を上げれば、いつの間にか本棚に囲まれていた。円を描くように置かれた本棚の中央に、古びたランプ、俺、浮浪者のような男。全く状況が掴めないまま、本は時計の針のように端から順に落ちて行く。


「うう…連れてきた、言われた通り連れてきた。頼むから、もう解放してくれ…」


 隣で蹲り、唸るように懇願する男。よく分からないが、どうやら俺はこいつの代わりになる為に連れてこられたらしい。ふざけるなよ、胸ぐらを掴んで一言文句を言ってやろうと思ったら、どこからか歌が聞こえ始める。


 "連れてきたけど、それでいいとは言ってない。

 ほんとに連れてくるなんて、悪い子、悪い子。

 お気に入りの本、図書館の本、ビリビリに破れた本。

 それがどれだか、覚えてる?"


 小学生くらいだろうか、少し舌ったらずな少女の声で、ゆっくり歌い上げる。

 それを聞いて、男はガタガタと震え出した。周りの本棚からは、その間も本が落ち続けていた。本が落ちる度に埃が舞い、湿気たような紙が古くなったような匂いが立ち込める。

 意味が分からないまま、けれど男とは違い怖いという感情も特になく、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。少女は更に歌を続ける。

 

 "夏の日のお風呂場は、暑くて苦しい。

 汚いと言って掛けられるお湯は、熱くて痛い。

 最後に食べたご飯は、いつだったか。

 最後に図書館に来れたのは、いつだったか。

 最期に見たものは、なんだったか。"


 苦しさを感じさせない柔らかな口調で少女は歌う。けれど俺はその内容に耳を疑った。それはまるで、虐待のようじゃないか。

 歌の元の少女の姿を探しても、どこにも見当たらない。本棚の本は、もうほとんど落ちきっていた。

 これが全部落ちたらどうなるのだろう。


 "もう遅い、もう遅い。時間ぎれ、時間ぎれ。

 関係ない人を連れてくるなんて、悪い子、悪い子。

 悪い子には、お仕置きしなくちゃ。"


 少女がそう歌い上げるのと同時に、本棚の最後の一冊が落ちる。


「…っ!許してくれ、許してくれ、許してくれ!」


 懇願するように、土下座をするように、地面に頭を擦り付ける男のことを、俺は不思議なことに全く可哀想だとは思わなかった。

 隣で汚く泣きながら許しを乞う姿を見ても、1ミリも心は動かない。自分でも驚くくらい冷え切った目でただ男を見下ろしていた。後から考えてみれば、この状況で、それは異様な精神状態だった。誰かの感情が入っていたんじゃないかと思うほどには。


「許さない」


 そう言ったのが、自分の声だったと認識したのは数秒遅れた後だった。

 体が勝手に動き、中央に1つだけ置かれたランプを手に取る。その動き全てが画面の向こうのことのようで、自分の体なのに他人の体のようだった。

 ランプを持った手を、男の背中めがけてゆっくりと振り上げた瞬間、尻ポケットに入れていた携帯が大きく揺れた。片耳だけ着けていたイヤホンからは、耳が痛くなるほどの着信音が聞こえている。


「え、あ、ハジメ?」


 思わず離してしまったランプは、床に当たってガラスが粉々に砕けていた。


「気付くのが遅くなってごめん」


 気が付くと、1階の児童書コーナーに俺はいて、放心する俺を心配するようにハジメが覗き込んでいた。さっきまでの本棚も、男も、ランプも、どこにもない。


「少し目を離すと、すーぐヒトミは変なのに目を付けられるんだから」


 本当勘弁してよと、俺に何もないことを確認して調子を取り戻したのか、ハジメがいつものようにチクチクと小言を言い始める。

 そのハジメを見て、俺の思考もだんだん落ち着いてくる。


 俺は、あのランプで何をしようとしていた?

 あの時、ハジメから電話が来なかったらどうなっていたんだ?


 それに気が付いた時、これまで毛穴が塞がっていたんじゃないかと思うくらい、ドッと汗が噴き出したのが分かった。


------


 それ、多分あの記事のことじゃないかな。

 心当たりがあると言うハジメに連れられ、資料閲覧コーナーのPCの前に座っていた。


「今回の霊は、元々ヒトミに手を出すつもりがなかったから俺も気付かなかったんだと思う」

「どういうこと?」


 俺が座る横で、ハジメは器用にPCを操作し、とある記事を見せる。

 虐待死した少女の記事だった。

 去年の夏の終わりに、お風呂場に閉じ込められた状態で亡くなっていたらしい。父親からの日常的な虐待に、見て見ぬ振りか思考することをやめたのか何もしなかった母親。小学5年生で、この図書館に来るのが好きな、大人しい子だったそうだ。

 街の小さな新聞には、図書館スタッフに取材した記事も残っていた。大人しくて良い子だったのに、たまにビリビリに破れた本を申し訳なさそうに持ってきたそうだ。小さくなった破れたページの欠片までも残さずに持って。


「人の感情は、強ければ強いほど他のものに作用する。って、前に言ったよね?」


 覚えていると頷けば、これもそうだとハジメは言う。

 

「この子にとっては、それが父親に対する恨みだった」

「あの男が、父親?」


 まさか、そんな。浮浪者のような老人のような男だったのに。あり得ないとハジメを見れば、さも当然のように返される。


「状況的に見てそうだろうね。ネットの掲示板には、父親の無断欠勤が続いているとあったし」

「待てよ。てことは、あの男は生きてたのか?」


 あの場にいたのだから、あの男も当然心霊現象の一部なのだと思っていた。でも、ハジメの言うように、本当に父親で、本当に生きてる人間だったのだとしたら。

 俺は、生きている人に火をつけようとしていたのか?


「そもそも、あれは父親への恨みが生んだ現象だ。ヒトミは父親に理不尽な要求をするためのただの材料で、父親以外に悪意はない」


 その証拠に、恐怖は感じなかったろ?

 ハジメにそう言われて、思い返す。確かに、怖いとは感じなかった。けれど、自分のしようとしていたことを理解してしまったら恐ろしくなり言葉がうまく出てこなかった。

 それに、虐待されていた女の子は、どうにも浮かばれないじゃないか。

 色んな感情が一気に渦巻いて、自分でも上手く処理しきれなかった。無意識に、膝の上に置いた手を強く握りしめる。

 父親にやり返したところで、女の子が生き返るわけでも、虐待されていたことが無かったことになるわけでもない。でも、じゃあ、どうしたらあの子の気持ちは晴れるんだ?あの父親が死ぬまで、止められないのか?


「可哀想?」


 そう尋ねるハジメの声は、ただただ無機質だった。それがあまりに冷たくて、俺は隣にいるのにハジメの方を見ることができなかった。


「確かにこの子の人生は可哀想だ。この父親は自業自得で救いようもない」


 放置して暗くなったモニターに映るハジメの顔は、見たこともないくらい温度が感じられなかった。

 ハジメは、俺があの父親に火をつけて殺してしまっていたとしても、なんとも思わないのだろう。


「だけど、可哀想だからって、生きてる他人を巻き込んでいい話にはならないんだよ」


 ハジメの目も、口調も、酷く冷たかった。


「今のあの子に、同情する価値なんてない」


 突き放すようにきっぱりと言い切るハジメに、何でもいいから言い返さなければ、そう思って咄嗟に口を開く。


「でも、だけど、ハジメだって幽霊だろ!」

「そうだよ、だから俺のことだって同情する必要はない」


 だからって、こんなことを言いたかったわけじゃない。こんなことを、言わせたかったわけじゃない。

 言ってしまってから後悔したって、もう遅かった。


「ヒトミはさ、俺のこと信用しすぎじゃないの?」


 その一言に、耳を疑う。顔を上げれば、隣のハジメと目が合った。

 さっきみたいに、いつもみたいに、思いつくまま言い返すのなんて簡単だ。だけど、それで、俺の言葉はこいつに届くのか?

 簡単に答えてはいけない問いのような気がして、俺は何も言うことが出来なかった。



 帰り道。

 人が少なくなり始めた公園で、1人で遊ぶ子へ声を掛ける。行きに少し気になっていた子だった。


「君、ひとり?その人形カッコいいな」


 流行りの戦隊モノの人形だろうか。ひとりで砂場に埋もれながら遊んでいたその子は俺を不思議そうに見上げるので、笑かける。それにつられてその子もぎこちなく笑顔になる。


「一緒に遊んでも良い?」

「うん、いいよ」


 別の人形を貸してもらって、一緒に遊ぶ。

 俺に出来ることなんて、精々このくらいしかなかった。ハジメはその様子を、隣でただじっと見ていた。


 その横顔が何を考えているのかは、今の俺にはまだ分からなかった。




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