図書館 (上)
どさり、と一冊の本が落ちる。
音のした方を振り返り、場所を確認するよりも早くに、一冊また一冊と落ちていく本。
本棚以外何もない薄暗がりの空間をぼんやりと照らすのは、少し古びた骨董品のようなランプひとつだった。その周りを囲むように立ち並ぶたくさんの本棚。
老人のような、年齢は分からない浮浪者のような格好をした人物が隣には蹲っていた。時折くもぐった呻き声のような音が聞こえている。それ以外に人はおらず、この状況が何なのかは、さっぱり分からない。
どさり、とまた一冊。ある一箇所から本が落ちた。しばらく眺めていても、それは止むことなく続いている。
外側から内側に進むように、ドミノが倒れるように。一定のリズムで、順が決まっているとでも言うように。
それはまるで砂時計の砂のようだと、この訳分からない状況に反し、俺は他人事のようにぼんやりと考えていた。
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図書館に行きたくなったのは、霊について調べてみようかな、という気になったからだった。
「ハジメも行く?」
あとは靴を履いて家を出るだけ、というところで、いつものようにPCを操作している背中が目に入り、つい声を掛けていた。
なんとなく声をかけた後で、いやハジメは地縛霊だしこの部屋からは出られないんじゃないか?と、頭の中で自問自答が始まる。
これは無神経だったかなと焦りだす俺と、正反対に何を考えているのか分からない顔をしてこちらをじっと見るハジメ。目の前には履きかけのスニーカー。
頼むから何か言ってくれ、そう思ったところでハジメは何も答えなかった。
「いやさ、いつも家の中にいるし、たまには外に出るのも楽しいんじゃないかなーと、思って、さ」
いやだから出られないだろ?と、頭の中で別の自分がすかさず横槍を入れるので、どうにも歯切れが悪くなってしまう。頼むから黙っててくれ、脳内の俺よ。
「それだけ?」
「え、それだけだけど…」
やっぱまずかったか?謝っとくべき?と、内心かなり気まずくなりながら恐る恐る答える。「これで思い出してはないのか…」そう呟いたハジメの声は、脳内で非難してくる自分への対応に忙しい俺には全く聞こえていなかった。
どうしたもんかともだもだしながら、何かを誤魔化すように慌ててスニーカーを履く俺に、あっさりとした調子で「じゃあ行こうかな」とハジメが返事をする。
「は?え?外出れんの?」
「出られるよ」
「え、地縛霊なのに!?」
「地縛霊なのに」
まあ、なんでか俺にも分からないんだけどね。そう言いながらも、本当に外出するつもりなのか、PCの電源を切ると玄関の方へと向き直る。自分のことながらもまるで無関心といった態度のハジメに、なんとも言えない気持ちになるがそれよりも何よりも、外に出られるという驚きの方が上回っていた。
「え、地縛霊ってそういうもんなのか?」
「いや?俺も元々はこの部屋から出られなかったよ」
そう話しながらも本当に外に出られるのか疑ってかかっていたが、やはり本当だったようで、問題なく玄関の外へと一歩踏み出す。
101号室の部屋以外で、しかも日中の、太陽の下でハジメと並んで歩くのは違和感しかなかった。霊だと分かってはいるのに、まるで生きている人間のようだと錯覚するほどには。
「久しぶりの外はどう?」
「うーん、変な感じ」
「やっぱ家にいる?」
「でも悪くはないよ」
肉体はないけれど眩しさは感じるのか、外に出てしばらくは目を細めなるべく日陰に入るよう動いていた。
横を通る人に勿論ハジメは見えないし、散歩している犬はこちらを見て警戒するように時たま吠える。家の塀から飛び出た枝木が危ないだろうなと思っても、肉体がないので当たることなくすり抜ける。
霊だから太陽の光に当たって消えでもしないかとヒヤヒヤしていたが、そんなことは杞憂だったようだ。
「ヒトミ、イヤホンしたら?」
急にどうしたんだ。そう聞く前に、ハジメの言わんとすることに気がつく。
イヤホンは常に持ち歩いているし、すぐにだって取り出せる。でもなんとなく躊躇っていると、急かすようにハジメが続けた。
「他人から見たら、独りで話してる変な人に見えるよ」
「そうだけど…」
そうだけど、何?とでも言いたげな顔をして俺を見るハジメには、このなんとなくそれはしたくないという気持ちはカケラも分からないんだろう。俺自身、どうしてかと問われても明確な言葉には出来なかったので、大人しく黙ってイヤホンを着ける。
側から見れば、イヤホンを着けながら通話している人間が1人歩いているようにしか見えないのだろう。
駅の反対側へ更に15分程歩くとある、地域の図書館。自転車で行けば15分もしない。歩けば家から30分強。それを1人で歩くよりもずっとのんびりとした速度で、周りの景色を見ながら45分かけてゆっくりと歩く。
隣を歩くハジメは、どことなく楽しそうに見えた。
「なあ、そういえば」
元々は部屋から出られなかったということは、いつから出られるようになったのだろう?ハジメは普通の地縛霊とは、何か違うのだろうか?
そう疑問を口にしても、ニコリと微笑んだだけでハジメは答えてはくれなかった。