廃墟 (4)
「神原頼む、運転を代わってくれ」
どうにかできる状況ではなかったが、それでもここに留まるのは絶対に間違っている。
運転席に座る浅井には、車を動かす意思が全く感じられなかった。
運転どころか、その他の意思すらあるか分からない。この土地に影響されていることは確実であろうその表情を見たら、運転席に座らせ続けること自体が危険な気がした。
それが正しい判断かは分からなかったが、どんな判断をしても正しい気はしないので、だったらいっそ一番マシだと思われる選択をする。
「いや、俺も酒飲んでるぞ?」
「もうとっくに醒めてるだろ?」
「いや、それはそうだけど。そうは言っても飲酒運転は流石にまずいだろ?」
「頼む、神原しかいないんだよ」
神原は訳が分からないといった顔をしてこちらを見たけれど、青くなりながらも真顔でそう押し切る俺に何かを察したのか、大人しく運転席へと移る。
「2人はいつからこうなんだ?」
「こうって?」
「様子が変だろ?」
「人見には、どう見えてるんだ?」
豆鉄砲でも撃たれたような顔をして、はたと俺を見る神原。
神原には2人は口数が減ったな、くらいで表情などはいつもと変わらないように見えているらしかった。俺にしか分からない変化に、やはりこれは心霊現象かと1人頭を抱える。そうこう話しながらも、自分から動こうとはしない浅井を無理矢理後部座席へと押し込んだ。
いくら俺よりも背が低いとはいえ力の抜けた成人男性の身体は重く、かなり乱雑な扱いになってしまったのに、浅井は文句どころか声一つ上げなかった。
「ここはやばい。とにかく、離れないと」
2人が移動する間、車の中にまで入ってこられたらどうしようかと身構えたが、ぐるりと囲んで凝視しているだけで動く素振りは見られなかった事に安堵する。
動かないんじゃないかと危惧したけれど、あっさりエンジンがかかり車は動き出す。
だから、俺は気がつかなかった。
さっきまで気が狂うんじゃないかというほどに聞こえていた笑い声が、ぴたりと止んでいたことに。
「これほぼ伊達眼鏡なんだよ、こんなことなら運転用の眼鏡を持ってくるんだった…!」
見慣れた黒縁眼鏡を押し上げて、ハンドルにしがみつくようにして神原がうなる。
行きはこんな暗かったか?と疑問に思うほど、道は暗く前はほとんど見えなかった。あったはずの街灯がなく、ある程度は整っていたはずの道は荒れ果て車の前に飛び出る木々の枝に行く手を遮られる。
そんな具合だったので、ほとんど人の歩く速さと変わないような速度しか出せなかった。
「なぁ人見、なんか上に乗ってないか…?」
思ったよりも進みにくい道に手こずりながらも、さっきまで余裕だった神原がどこか不安そうにし始める。
車を走らせたものの、廃墟から子供たちが着いてきてしまっていた。神原には見えていないが、道を塞いだり車の前に飛び出したりして邪魔をしているし、車の上に乗ったり、たくさんの手が窓を思い切り叩いたりしてこちらの注意を惹こうとしている。
そのうちのほんの少しが、神原にも感じ取れているようだった。
「気にしなくていい。そのまま進んでくれ」
必死に平静さを装い、なんてことないといった風に答えたものの、神原にも分かるような現象が起き始めていることに不安を覚える。不安から心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのが分かった。
心臓の音と比例するように、バンバンと車の窓や至る所を叩く音はどんどん激しくなっていく。
「道はこれで合ってるのか?」
「そのはず」
寝ていた神原と違い、車酔いしていようと起きていた俺は道を覚えていた。
カーナビの調子が悪くなってからは、真っ直ぐ一本道だったはずだ。だから、このまま真っ直ぐ進めば、間違いなく元の大通りに戻れるはず。
そう考える一方で、行きはこんなに距離があったろうか?と頭のどこかで不安がよぎる。
クスクス、クスクス
突然車内に響いた笑い声。
まさか車内にまで入ってきたのかと、冷や汗をかきながらも隈なく見渡す。社内のどこにも外にいるたくさんの子供の姿はなく、ほっとしたのも束の間。すぐ真横から、笑い声が聞こえてきた。
「は…?」
ありえない状況に、思考は停止し、ゆっくりと真横を見る。
瞬き一つせず、じっとこちらを凝視する瞳と目が合う。無表情のまま、クスクスと笑い声を上げている。それは先程までいた廃墟の子供たちとそっくり同じだった。
クスクス、クスクス
その笑い声の元は浅井だったことに、俺は静かに絶望する。
「嘘だろ、しっかりしろよ浅井!」
正気に戻って欲しい一心で肩を掴んで思い切り揺する。けれど、そんなことは無駄に過ぎなかった。
運転席から「何かあったのか?」と心配そうな声が掛かったことで、まだ神原には影響がないことにかろうじて俺自身正気を保っていられている。笑い声が脳の奥にこびりついて、頭がどうにかなりそうだったが、そこでふと気がつく。
敷地を出てから今の今まで、子供たちは一度も笑っていなかったんじゃないか?ということに。
「人見!ナビの電源が入った!」
それに気付いたところで、良くなっているのか、悪化しているのかは俺には分からなかった。
「なあ、ナビだとやっぱり道が違うぞ」
「え、そんなはず…」
行きに浅井が調子悪いと言ってから使えなくなっていたナビの電源が入る。使えるようになり表示された道は、俺の記憶とはまるで違っていた。
自分の記憶と、カーナビ。どちらを信じるべきかと考えあぐねる。
ハジメがすいすいとPCを操作することから、カーナビも操られているのかもしれない。けれど、自分自身の記憶も信用できなかった。
記憶自体に干渉されているのかもしれないし、何より、さっき車で待っている間にあろうことか車外に出て3人を追いかけようとした自分の行動を思い出す。あれは完全に判断を誤っていた。
だから、どちらも信用ならなかったし、どちらを信用するべきか分からなかった。
「…どうする?人見」
不安そうにこちらを伺う神原。
浅井だけでなく、助手席に座る佐渡からも笑い声が聞こえ始める。その目はじっとこちらを凝視していた。外にいる子供たちの車を叩いたり邪魔したりする自己主張はどんどん激しくなっている。
悩んでいられるほど、時間はなさそうだった。
「どうしたら…」
言いかけたところで、携帯の着信音が鳴り響く。勿論、マナーモードにしていたし、今までずっと圏外だったから繋がってはいないはずだった。
表示を見れば「ハジメ」の文字。
これほど安心した瞬間はないと、もう何度目になるかも分からない着信の安心感に縋りながら、後になってハジメに心底感謝する。
緊張から冷たくなった指先でもたつき何度も携帯を落としそうになりながらも、俺は慌てて電話に出た。