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前編

 占いやまじないが盛んなこの国において、結婚相手を占いで決めるというのは、ごく一般的なことであった。

 だから、リニとクラースの婚約も、占いによって決められたことである。


 婚約者となったのは七歳の時で、そこそこ金持ちの家なら、それくらいには相手を見つけ出しているものだ。

 リニは本来、この婚約に不満など持っていなかった。

 他国では占いで結婚相手を決めることなど信じられないという考えもあるようだが、リニからしてみれば、海の向こうの国のように、政略で親の決めた相手と結婚するほうが信じられない。結婚はそんな理由でするものではない。それを家庭教師に言うと、貴族が溢れるほどいるこの国と、あちらでは事情が違うのだと諭されてしまった。

 それはともかく、リニは本来なら、こういった形での婚約に不満など持っていなかったのだ。たとえ相手が無愛想でも、たまに馬鹿にするような目で見てきても、会いに行ってみれば用件をさっさと言えとあしらわれても。


 ──いや、やっぱり不満かもしれない。


 という考えに変わったのは、婚約から八年が経ってからだった。かなりがんばったほうである。

 今日も今日とてクラースは性格が悪い。


「僕は君ほど暇ではないと何度言えば理解するんだ。用がないなら来るな」


 執務机の向こうで、眉間に皺を寄せながら言うクラースに、負けじとリニは言い返した。


「用ならあるわ。婚約者との親睦を深めるというね」

「そんなことに何の意味があるんだ」


 ふんと鼻で嗤うクラースに、リニは少しばかり殺意が湧いた。


「どうせ結婚することに変わりはないんだ。そんなことは時間の無駄だ」

「これからの人生で一番長く一緒に過ごす相手と友好な関係を築くことは、とても大切なことだわ」

「僕にとっては利点を感じないな。もっと関係を改善しなくてはいけない相手が他にたくさんいる」


 説明してくれなくても、それが仕事関係の人間だということは、リニは容易に確信できた。


「わたしがあなたに愛想尽かして、愛人とよろしくやってもいいっていうの!」

「言い方が親父くさい。好きにすればいい。痛い目を見るのは君だ」


 机に肘をついて適当に返すクラースに対し、リニは部屋の真ん中でできるだけ彼を見下ろせるように、背筋をぴんと伸ばした。部屋の主がソファーに腰を下ろすことを薦めないので、律儀に立ったままなのだ。


「あなただって妻に浮気された間抜けな夫だって言われるじゃないの」

「面倒だが、そうなれば僕も愛人を持てばいいだけだな。お互い様なら、周囲もそう騒がないだろう」

「サイテー!」

「愛人の話を持ち出した君がそれを言うか」


 鬱陶しそうな声にリニは怯みそうになるが、拳を握って言い返す。


「わたしはそんなことにならない関係を今、築きましょうっていう話をしているだけよ!」

「そうだな。愛人なんて無駄もいいところだ。お互い持たないほうがいい。話は終った。そろそろ帰ってくれ」

「そうじゃなーい!」


 リニは絶叫したが、平坦に話を強制終了させたクラースは、すでに手元の書類に視線を向けている。

 こうなれば話しかければかけるほど不機嫌になっていくことを知っているリニは、心の中で地団駄を踏みながらも撤退するしかなかった。




「もーう、腹が立つぅー!」


 リニは自室で鬱憤を晴らすように叫んだ。


「何なの、いつもいつも! ちょっと普通の会話をしましょうっていうだけじゃないの! あんなことごとく邪険にしなくてもいいじゃないの!」


 リニとて彼の仕事の邪魔をする気はなかった。だからちゃんと昼食時間の少し前に訪問して、できれば一緒に食事をし、先約があるなら大人しく帰る気でいたのだ。婚約者同士ならよくやることだし、約束を取ろうとしても相手にしてくれないがゆえの苦肉の策なのだ。更にはクラースがのめり込まなくてはいけないほど、仕事に余裕がない状態ではないことの裏も取っている。

 だというのにクラースは、さっさと秘書に近くのパン屋へ自分と秘書の分だけ昼食を買いに行くように命じて、リニを早々に追い払ったのだ。


「あれが婚約者に対する態度なの? というより女性に対する態度なの?」

「まあ、彼は誰にでもあんな感じだもの」


 おっとりとした声で返すのは、テーブルを挟んで正面に座っているリニの姉のフランカだ。顔もおっとりとした美人である彼女が、白く細い右手を頬に当てて小首を傾げる仕草はとても様になっている。

 対して妹であるリニは赤茶色の髪を振り乱して、クッションに拳を叩きつけていた。対称的なようにも見えるが、リニとて気は長いほうなのだ。そんな彼女の堪忍袋の緒をブチ切る存在がいるだけで。


「誰にでもああだったら許されるというものではないわ。婚約者にまであんな態度なのはおかしいでしょう。それに、商売相手にはもっとちゃんとしているじゃないの」


 この国では珍しくない末端貴族家であり商家でもあるクラースの家は、商家としてのほうが有名であり、クラースも幼い時からその仕事を手伝っていた。

 というよりも、リニと婚約してすぐに彼の父親が一度病で倒れてしまい、明らかに家を傾けそうなその弟が代役になってしまったので、クラースは必死で勉強やら実地で学んで、商売が潰れないように押し留めたのだ。

 実際に彼が仕事の根幹に手を出せるようになったのはもっと後のことだが、病床の父親の助けもあって、叔父への牽制役はしっかりとこなしていた。今では全快ではないものの回復した父親と二人で、商売を立て直している。


 そんな苦労の子供時代を過ごしたクラースは、同じ年頃の遊び歩いている若者を馬鹿にしたところがあった。

 クラースもリニも学校を卒業したばかりで、周囲は男なら大学に行くか家業を手伝うといいつつほとんど遊んでいる者ばかりで、女なら花嫁修業らしきものをしてのんびり過ごすか、すぐに結婚する者が多いのだ。

 リニも彼にとってはそんな気楽な若者と同じなのだろう。比べる相手がクラースではそれも否定できないが、やるべきことがないのだから仕方ない。仕事の手伝いなど社交以外ではほとんどさせてもらえないし、花嫁修業といわれるものは一応している。それ以外に特にやることがないのだ。それがクラースの、リニを相手にしない理由なのだとしたら、そんなことを理由にされてもリニだって困る。


「そうねえ。商談なら愛想がいいものねぇ」

「もう仕事と結婚すればいいのに」

「それができないからリニと結婚するのじゃないかしら?」


 フランカは穏やかそうに見えて、たまにとんでもなく辛辣なことを言う。ギャップが大きすぎて初めて聞いた者はたいてい固まっているが、妹であるリニは慣れたものだ。うぐっと言葉に詰まりつつも、すぐに復活してクッションに八つ当たりをする。


「もう! どうせなら他に好きな女がいるとかだったらいいのに!」


 そう、それならわかりやすい。

 リニはその女性とクラースが婚約することを勧めて、自分も新たにいい相手を見つければいいだけだ。

 でもクラースは婚約を解消する気はないらしい。リニを気に入っているからではない。誰であろうと彼にとっては結婚相手なんてほとんど変わりはないから、今更婚約解消などという面倒なことをしたくないだけなのだ。

 そしてリニも文句を言いつつも、婚約解消を提案したことはない。高名な占者が占った結果の縁なのだ。もしかしたら本当はとても相性がいいのではないかという期待を捨てきれなかった。それにクラースも、そうしなければいけない場面では、必要最低限ではあるがリニを婚約者として扱うから、ギリギリのところで嫌いにはなりきれなかった。

 しかしリニは別にクラースのことが好きなわけではないし、ずっと邪険にされ続けてきた恨みは積もっている。この恨みはもし今後、万が一クラースと良好な関係を築けたとしても、いつか晴らしてやる所存である。

 今のところ、結婚しても日々の会話どころか旦那が家に寄り付かない、冷めきったと呼ぶのもおこがましい、元から温まっていない冷菜仕様の夫婦生活しか想像できないが。

 そんなわけでリニは自分の未来の平穏な生活のために、クラースとの関係改善に努めつつも、恨みを晴らす絶好の機会を窺っていたのだった。

 そして、いつかと思っていたその機会は、案外すぐにやってきた。




「どういうこと……?」


 淡いブラウンの髪に琥珀色の瞳。不機嫌そうな表情の中の、常に物事を冷静に見据えようとして険を含んだ眼差し。

 リニは目の前の婚約者をじっと見つめていた。

 疑いようもなく彼はリニの婚約者のクラースである。もし別人なのだとしたら、その方が驚いてしまうくらいには、リニは彼をクラースだと認識している。

 しかし彼がクラースだとすると、明らかにおかしい箇所がある。いや、むしろ全体的におかしい。


「おじ様?」


 リニは自分を呼びつけたクラースの父親ハウルに、目で説明を求めた。


「どうも呪いらしいよ」


 病気で一度死にかけたせいで、おおらかな性格になってしまった彼は、苦悩もなくあっさりと言った。


「呪い……?」


 リニはもう一度婚約者を見る。不機嫌さが増しているあたり、やはりクラースに間違いない。ただしその姿はかなり縮んでいた。

 座っているので正確にはわからないが、身長は恐らくリニの胸あたりまでしかないだろう。だが普段の姿からそのまま縮小したわけではない。クラースはリニが彼と会ったばかりの頃とほとんど変わらない姿に、つまり、幼い少年になっていたのだ。


「そうらしい。私の弟のヘロルトがいきなりクラースに卒業祝いだと言って小包を渡してきてね」

「え……半年以上前に卒業してますが」

「そうなんだが、そこはどうでもいい。あいつにそんなことをいちいち指摘していたら馬鹿らしくなるしね」

「まあ、あの方ですしね」


 思い込みが激しく、一度こうと思い込んだことに対しては、いくら間違いを指摘しても三歩歩けば忘れる人物である。これで性格のいい馬鹿なら許せるのだが、どちらかというと性格の悪い馬鹿なので始末が悪い。クラースは叔父を毛嫌いしていて、いつもゴミを見るような目で見ていた。


「高かったんだから大事にしろよって言って、走り去っていったんだよ。でもあいつは金なんてほとんど持ってないし、まさかウチの名前で勝手にツケ買いしたのか、ってなってね。クラースが中身を確認するためにその場で開けてしまったんだよ」

「まさか……」


 その後の展開が予測できてしまって、リニは顔を強張らせた。


「そのまさかだねぇ。本物の呪具を目にする日が来るとは思わなかったよ」

「おじ様……呑気すぎやしませんか?」


 人を自然な状態から外れさせられることができるのは呪いだけだ。しかし、お腹を痛くさせるとか、ハゲを進行させるとか、自然現象なのかそうでないのか判断がつかないような軽いものは、やろうと思えば、効果のほどはともかく誰にでもできる。まともな人間はやらないが。

 しかし青年を子供に若返らせるような強力な呪いは呪具がなければ成立しない。呪具は現代では希少な骨董品であり、持ち主が所持していることを口外することも稀であるため、手に入れるのは非常に困難であると言われていた。

 そんなものをあのヘロルトが持ってくるなんて、誰も予想していなかっただろう。


「まさか、あれですか?」


 ローテーブルの上に鎮座する物体を見てリニが言った。

 おそらく木像なのだろうが、いまにも崩れていきそうなくらいぼろぼろだ。人に似た形をしているものの、絶対に人ではないと言い切れる。大きな歯をむき出しにして、目は魚のように丸く、顔の部分がやたらと大きい。そのくせなぜか、敬虔な信者のように両手を神妙に合わせている。謎の不気味な生き物を模した、手のひらより一回り大きな物体。

 まさに呪いの偶像といった姿だ。


「すごく燃やしたくなるよね」

「わかりますけど、一応置いておいたほうがいいのでは」


 リニはもう一度クラースに目を向けた。二人のやりとりを見ていたらしいクラースは、つんと顔を逸らして口を引き結んでいる。

 見たこともない表情だ。いつももっと冷めた目をしているのに。丸みのある頬と青年の時よりも大きいように思える瞳のせいだろうか。どこか拗ねているようにも見える、それは──。


「可愛い……」

「は?」


 リニはするりとクラースの前に立った。彼は警戒心を全面に出して、身を引きつつこちらを睨んでくる。これも見たことのない仕草だった。何だか気分が高揚する。リニは両手でがしりとクラースの顔を掴んだ。


「ちょっ……!」

「可愛いわ!」

「はぁ!?」


 ビビるクラースに構うことなく、リニは笑顔で頬をぐりぐりと撫で回した。すべすべでふにふにしている。焼きたての丸パンのようだ。触り心地も抜群で、最高だ。

 リニは可愛いものが大好きだった。そして「可愛い」の守備範囲がかなり広かった。


「おまっ! 何なんだ! 誰だお前!」

「リニちゃんだよ。さっき言っただろう?」

「やだ、クラースが慌ててる!」

「慌ててない! ふざけるな、お前、手を離せ!」

「リニちゃんです!」

「リニはこんなにでかくない!」


 え、と思いリニは柔らかい髪を撫で回していた手を止めた。


「いえ、一昨日会った時から一ミリも大きくなっていませんけど」


 横に、と言われたら頬をつまんでやるために、リニは指に力を入れた。


「だから何度も言っただろう、クラース。お前は本当は十八歳なんだって。私は病気で一気にここまで老け込んだわけじゃないよ。彼女を見てみろ、リニちゃんがそのまま成長したようにしか見えないだろう?」

「え?」


 リニはクラースとハウルを交互に見た。クラースは疑うような眼差しをリニに向けている。


「あ、もしかして記憶も子供の頃に戻ってるんですか?」

「そうみたいだ。でも断片的に成長してからの記憶も混ざっているらしい」


 なるほど、とリニは合点がいった。

 いくら姿が少年になったとはいえ、あのクラースをそれだけで可愛いと思えるなんておかしいのだ。中身も少年に戻っているなら、納得できる。


「お前、いい加減に離せ! 頭を撫でるな!」


 どさくさに紛れていつまでもクラースを撫で回していたリニは怒鳴られた。新鮮だ。冷たく馬鹿にするような言い方をされることはあっても、怒鳴られたことなんてここ数年はない。

 クラースは怒りのためか、それとも恥ずかしいからか、頬を赤くして睨んでいる。


「可愛い……」

「はあっ!?」

「すごい! 可愛いわ、クラース!」

「うわっ、抱きつくな! やめろ!」

「はは、一気に仲良くなっちゃったねぇ」

「ふざけんな親父、止めろ! 本当に止めろ!」


 本気で嫌がっているようなのに、クラースは力ずくでリニを離そうとはしない。いくら小さくなったとはいえ、八歳くらいの男の子ならもう少し力がありそうなのに。

 リニが女だから乱暴にしてはいけないと思っているのかもしれない。だとしたらめちゃくちゃ可愛い。

 しかしリニが少し油断している間に、クラースは彼女の腕をかいくぐって、部屋の隅へと逃れてしまった。


「お前、それ以上近づくな!」


 警戒心が跳ね上がっている。まるで毛を逆立てた猫のようだ。


「えー、嫌よ」


 遠慮の欠片もなく、リニは笑顔でクラースににじり寄った。信じられないという顔をされても気にしない。

 これが他の人間だったなら、リニも常識人としてもっと良識のある可愛いがりかたをする。しかし相手はあのクラースなのだ。遠慮などいらない。

 むしろこれは絶好の機会ではないだろうか。クラースは可愛いがられることを本気で嫌がっているのだ。だったらこの嫌がらせは続行すべきである。積年の恨みを晴らすために。

 自分は可愛いものを思う存分可愛いがれて、おまけにそれがクラースにとっては嫌がらせになる。何と言う素晴らしい一石二鳥だろうか。こんな理想的な状況は他にない。

 リニはここぞとばかりに、邪険にされ続けた鬱憤を晴らすことにした。


「ほら、怖くないから、こっちおいで。ぎゅーってしよう!」

「ふざけんなー!」


 屋敷中にクラースの怒声が響き渡った。




 リニはクラースの屋敷に足しげく通っていた。

 そうして小さなクラースに抱きつこうとしては恥じらいがないのかと怒鳴られ、ひらひらのフリルシャツとハーフパンツを持っていって着せようとすれば変態女と怒鳴られ、一緒に出掛けようと腕を引っ張れば馬鹿かと怒鳴られるという、なかなか充実した日々を過ごしている。

 罵られてはいるものの、顔を真っ赤にして全く余裕のない小さな姿を見れば腹も立たない。クラース(大)と姉のおかげでリニは毒舌に耐性があるのだ。単純な暴言など可愛いものでしかない。変態と言われた時には、少しムカッとして真の変態がどんなものか説き伏せそうになってしまい、八歳相手にさすがにまずいと思い止まったが。

 そしてリニはふと、あることに気づいたのだ。大事なことを失念していたと。

 一度気づくとすぐに確かめたくなったので、今日はクラースに会いに行くのは後回しにして、ハウルの商会の事務所に来ている。

 昼前に訪ねると、ハウルは快く迎え入れてくれて、昼食を一緒に食べるために近くのレストランへ連れて行ってくれた。さすが大人の男だ。息子(大)とは大違いである。


「ねぇ、おじ様。クラースって元に戻るのかしら」

「ものすごく今更な質問だね、リニちゃん。普通はまずそこが気になるはずなんだけど。元に戻れなかったからどうしようとか」


 オードブルを食べ終わったあとに尋ねると、ハウルは一応もうすぐ結婚するはずの相手なんだしと苦笑した。


「今までの恨みを晴らせることが楽しすぎて、つい失念してしまいました」

「はは、じゃあ仕方ないねぇ」


 笑ってすますハウルは、リニがクラースとの仲を良好なものにしようと努力しているにも関わらず、あしらわれ続けたことを知っているので、だいたいにおいてリニの味方である。それに彼は自分が息子を仕事人間にしてしまったという負い目もある。


「それに呪いといっても子供になっただけなら、そこまで悪質なものとも思えませんし」

「そう、そうなんだよ。占者に見てもらったんだけど、呪った相手を子供にさせる呪具なんて、どんな恨みが込められているのかと思ったんだけど、どうもそういった用途で使われていたわけではないみたいだ」

「そういったとは?」

「あの呪具を作った人間は、自分自身に呪いをかけていたらしい。若返りの呪い」

「はぁ、なるほど」


 子供にさせたわけではなく、若返らせただけ。ただクラースがまだ十代だったから、子供になってしまったのだ。

 それは呪いではないだろうと思えるが、あの呪具を作り出した経緯は、恐らくあれが呪具と呼ばれるに相応しいもののはずだ。あまり考えたくない。


「じゃあ、元に戻らないのですか?」

「いやあ、かなり強力な呪具らしいけど、それでも若返りの呪いっていうのは、相当難しいらしくて、あの状態をずっと保っていることは不可能だと言っていたよ。ただ、いつ元に戻るかはわからない。もしかしたら二、三年後かもしれないって」

「それくらいなら、別にいいのでは?」

「リニちゃん、さすがにクラースが可哀想だから」


 むしろ今のほうが楽しいリニは思わずそれくらいと思ってしまったが、確かにクラースは辛いだろう。不幸になってほしいわけではないので、ちょっと反省する。


「今はすぐに元に戻れる方法を探ってもらっているよ」

「わかりました。わたしにできることがあれば言ってください。お仕事のほうは大丈夫なのですか?」

「ああ、クラースが何でも自分でやりたがって、仕事を多くしていたから、少し混乱はしていたけど、一旦収束したから、しばらくは私だけで問題ないよ」


 ハウルは病気については治っているものの、闘病生活が長かったせいで、体力が落ちて疲れやすい体質になってしまっている。あまり無理をしてほしくはない。リニが心配そうな顔をしていると、ハウルがにこりと笑った。


「それならリニちゃんに手伝ってもらおうかな。君のお父さんに怒られるから午前中だけでも」

「ぜひ!」


 リニは顔を輝かせて快諾した。

 どこにでもいる貴族のお嬢様としての教育しか受けていないはずのリニだが、実は計算は得意だ。なにせこのハウル直々に教えを受けている。いつか役に立つかもしれないからと言われていたが、本当に役に立てるのなら純粋に嬉しい。


「そういえば、あの厄介なおじ様はどうしたのですか?」

「ああ、西広場の骨董市であの呪具を手に入れたこと以外は何も知らなかったし、呪い返しもできなさそうだったから、とりあえず蟹漁船に放り込んでおいたよ」

「まあ、あの過酷さでは類を見ないという……」


 割りとどうでもいいが、リニはとりあえず生きて帰れるように祈っておいた。



 

 レストランでハウルと別れたリニはその足でクラースの家へと向かった。

 別に約束をしているわけではない。押し掛けているだけだ。

 クラースは自分が呪いで子供になったということは、一応は納得したようだった。だから今の自分に父親の手伝いができないことをとても悔しがりつつ、父親の病気が治っていたことに安堵していた。あのクラースにとっては、ほんの数ヶ月前に父親が倒れたことになっているのだ。

 そして呪われたせいで外出できないと思っているクラースは、少し鬱屈がたまっているようにも見えた。いや、主な原因はリニなのかもしれないが。


「クラース、こんにちは!」

「うわぁっ!」


 両手を広げて挨拶すると、クラースは驚いてとびずさった。午前中に来なかったので油断していたのだろう。

 書斎の隅で小さくなって本を読んでいたあたり、警戒はしていたのだろうが。

 クラースはリニに会うの嫌さにいつも隠れているのだが、リニは毎回簡単に見つけることができた。クラースのことを理解しているから、というわけではない。単に呪われていることを極力知られたくないクラースが、使用人からも隠れようとするので、行動範囲がかなり狭くなってしまっているだけだ。

 それでもわかりやすい場所にいることはリニを受け入れているようで嫌なのか、毎回隠れては、すぐに見つかっている。なんという無駄な抵抗だろうか。


「可愛い……」

「可愛くねぇ! お前、目ぇおかしいのか!」

「お前じゃなくて、リニちゃんよ」


 是非ともそう呼んでほしいリニは、何度目かの呼び名の訂正をした。しかし残念ながらいつも嫌そうな顔しかされない。


「だから、抱きつこうとするな!」

「いいじゃない、婚約者同士なんだから」

「よくねぇよ! そんなん納得いくか! お前本当にリニか? あいつはもうちょっとくらい可愛げあったはずだ!」

「あら、そうなの?」


 幼い頃のクラースがリニにどんな印象を持っていたのか気になって、リニはクラースの顔を覗き込んだ。


「お前と比べてって意味だからな!」


 更に顔を赤くしたクラースが大声で弁解する。


「なんだ……」


 そりゃあ今のリニよりも八歳のリニのほうが可愛げがあるのは当たり前である。

 クラースは疲れたようにため息を吐いた。数日前よりも目に陰りがあるように見える。これは恐らくリニのせいではない。きっと。


「……ねぇ、クラース。やっぱり外に出ない?」

「はぁ? 俺は呪われているんだろ。バレたらどうすんだ」


 好奇の目で見られるならまだいいほうで、呪われるようなことをしたのかと嫌悪されることだってあり得る。それはリニもわかっているが、やはりクラースの気が塞いでいることが気になった。


「あのね、子供になる呪いなんて聞いたことないし、そんなことを疑う人なんていないわよ。クラースそっくりの子供がいたら、弟か親戚かなって思われるだけなんだから、従兄弟ってことにしとけばいいのよ」


 クラースは考えるように視線を落としたが、顔を上げると疑いの眼差しを向けてきた。

 どうやら話の内容はともかく、リニのことが信用ならないらしい。それについてはリニも自覚があるので仕方がないが。


「抱きついたりしないから」

「……いい」


 クラースは顔を逸らして呟いた。


「うーん、じゃあ、今日は甘いものでも食べながらゆっくりお茶でもしようか。こんな隅っこにいないで、居間に行こうよ」

「……お前ん家かよ」


 クラースは了承はしないものの、リニに手を引かれるままに歩き出す。

 やっぱり不安なのかもしれない。可愛いが先立って意識がそこに向かなかったが、まだ八歳なのだ。呪いを受けたなんて言われてどうすればいいのかわからないだろう。

 リニはもう少し彼に優しくしようと反省した。だいたいリニが邪険にされていたのは、成長したクラースにだ。まだ八歳のクラースは何も──ではないが、そこまでリニに冷たくしていないのだから、彼にとっては理不尽だろう。

 ここは、クラースが嫌がることはせずに可愛がるべきだ。そうして元に戻ったクラースが憶えているにしろ忘れているにしろ、八歳のクラースがいかに可愛いかったかを本人の前で語ってみせれば、充分な嫌がらせにはなる。うん、完璧だ。

 リニはその時のことを想像して顔がにやけそうになるのを手で抑えた。



「お前、なんでこんなにうちに来るんだよ」


 居間で用意してもらった焼菓子にクリームをぬって頬張っていると、クラースがぽつりと呟いた。


「前はそんなに来てなかっただろ」


 リニはコーヒーで焼菓子を流しこんでから口を開く。


「だって前はクラース大変だったじゃない。あの叔父様に好きなようにさせないために見張っていたり、勉強がんばったり。邪魔しちゃいけないと思ったのよ。わたしのお母様からも止められていたし」


 子供の頃のリニとクラースはあまり会っていない。年間行事の折々に顔を合わせていた程度だ。

 だからこそちゃんと話もしてくれない今の関係になってしまったのかもしれないが、あの時のクラースに会いに行っても、本当にただ邪魔でしかなかっただろう。


「……ふーん」


 クラースは納得しつつもしたくないような声を出す。こうやって態度に出すところはやっぱり子供で素直だ。


「心配はしていたのよ。でもわたしにできることなんてなかったし、代わりにおじ様のお見舞いにはよく行っていたわ」

「え?」

「おじ様は喜んでくださっていたし、元気が出るって言ってくださったから、結構入り浸っていたわね」


 だからリニとハウルは今でも仲がいいのだ。

 ハウルは息子に心配をかけさせないために、仕事で必要な時以外は来るなと伝えていたし、妻は占いに傾倒しているせいで、ハウルの病状がよくないという占いの結果が出てから、辛くて見舞いに行けなくなってしまった。

 ほどよい距離感があり、子供で詳しいことを理解していなかったリニだからこそ歓迎されたのだ。

 このことは今までクラースに話したことはない。クラースは隠れファザコンなので、知れば腹を立てるはずだからだ。でもこのクラースになら言ってもいいような気がした。


「……没落する心配がなくなったからじゃないんだな」

「え?」

「別に」


 クラースは顔を逸らしたが、しっかり聞こえていた。どういう意味か考えて、最初の質問に戻ったのだと気づく。


「いや、あの頃はクラースの家が没落しそうだから、距離を置いていたわけじゃあないわよ?」

「……商売が落ち着いたら、交流を持とうとしてきたじゃないか」

「そりゃあ、タイミングとしてはそうなるけど。でも、もうクラースにも余裕ができたんじゃないかと思ったからそうしただけよ。というよりクラース、記憶があるの?」

「ぼんやりとな」


 ハウルが言っていた成長してからの記憶も混ざっているという話は本当だったらしい。疑っていたわけではないが、そう思えるような言動が、今までなかったのだ。


「じゃあ、もしかしてクラースってわたしがお金に寄ってくる女だと思ってた? だからあんなに邪険にしてたの?」

「邪険って何だよ……」


 クラースは困ったように眉根を寄せた。そこは覚えていないらしい。都合のいいことだ。


「クラースはずっとわたしに邪魔だって言って、会話もまともにしてくれなかったのよ。きっとわたしのことが嫌いで、不幸になればいいと思っていたんだわ」


 リニは目を逸らして拗ねたように言ってみせた。

 嫌われていないと断言はできないが、不幸になれとまでは思われていないのはわかっているので、これはただの演技だ。


「なっ、何だよそれ。不幸とか、そんなこと思うわけないだろ」

「だってあのまま結婚していたら、わたしは夫に全く顧みられない寂しい妻になっていたに決まっているもの。不幸じゃないの」


 これについては事実だ。リニは特に理由はないが、家族団欒というものに憧れている。クラースが元に戻っても、二人のあの関係ではそんなものは夢のまた夢だろう。


「別にそんなつもりじゃない……多分」

「覚えてないんでしょう?」

「そう、だけど」

「ふーん、じゃあ元に戻ったら、わたしとちゃんと会話をするって、約束してくれる?」


 弱りきったように眉を下げるクラースに、これ以上いじめるのはよくないと思いつつ、またとないチャンスなので、リニは殊勝な態度でお願いという体の脅しをかけた。

 しかしクラースは急に黙り込み俯いた。

 演技がバレたのかと焦ったリニだったが、怒っている様子ではない。そうっと顔を覗き込んでみた。


「どうしたの?」

「お前さ」


 クラースは顔を上げてリニを見据えた。


「絶対に俺が元に戻ると思ってんの?」

「え? おじ様が遅くても二、三年後には呪いの効果が切れると言っていたわよ?」


 聞いていないのだろうかと驚くリニに、クラースはふぅんと呟いてまた俯いた。表情がどこか暗い。


「戻りたくないの?」

「……別に、そうじゃない」

「そう、じゃあもし戻れなかったとしても、ちゃんと大きくなったらわたしと結婚してね」


 理由はわからないが気落ちしているクラースを軽く励ますつもりでリニは言った。しかしこれは全く励ましにならなさそうだと気づいて誤魔化すように笑う。

 そんなリニをクラースは何言ってるんだこいつ、という顔で見ていた。


「やっぱり仕事ができないことが辛いの?」


 子供の頃はわからないが、十八歳のクラースの頭の中はほとんどが仕事で埋まっていた。だからリニはそうかもしれないと思い立ち、尋ねてみたのだが、案の定クラースは目を見張って動揺した。根っからの仕事人間だ。


「どうしてそんなに仕事ばっかりなの?」


 聞きたくてもずっと聞けなかったことをリニは口にする。なんとなくそうではないかという予想はしているが、ちゃんと知りたかったのだ。

 まだ素直さを残しているクラースは、躊躇いながらも答えた。


「……守らないといけないだろ」


 何のことかは言わないが、それは父親が築き上げたものだとか、父親を頼りにしていた従業員だとか、そういったものなのだろう。


「それにあんな馬鹿に、お前みたいな子供には無理だとか言われっぱなしになるなんて我慢できないだろうが。絶対にぶちのめしてやる」


 腹立たしそうにクラースは鼻を鳴らした。

 あんな馬鹿とは恐らく叔父のへロルドのことだ。思わずリニは声を出して笑った。


「かっこいいね」

「……は?」


 クラースはポカンと口を開けた。


「大丈夫。クラースはちゃんと守ったよ」

「…………」


 クラースは無言で動きを止めた。

 かと思えば、テーブルの上の焼き菓子を勢いよく食べはじめる。

 無視されたリニは笑顔のまま少しムッとしたが、照れているのだと思うことにしてコーヒーを飲む。

 それからお菓子がなくなるまで、他愛ない話を主にリニがして過ごした。いつも以上にクラースはしゃべらなかったのだが、なぜかもう帰れとは言われなかった。

 夕方になり、屋敷を辞したリニは、門を出てすぐにハウルが乗る馬車と遭遇し、軽く手を振って挨拶をする。そして、やはりクラースはファザコンだなと思った。



 帰宅したハウルは居間でじっと考え事をしているクラースを見つけた。


「ただいま。リニちゃんさっき帰ったんだね」

「……おかえり」


 ハウルはおや、と思った。

 いつも自分が帰宅するたびに、あんな奴を家に入れるなと、リニに対する苦情を言っていたのに、今日は何もないだけでなく、明らかにいつもと様子が違う。

 少しは歩み寄れたのかとハウルは期待した。


「クラース、リニちゃんとちゃんと話ができたかい?」


 何度も言った言葉を、少しだけ変えてハウルは尋ねた。

 ちゃんと話をしなさい。

 呪いにかかる前から、折につけハウルは言い聞かせていたが、それがクラースに響いたことはなかった。まだそんなことをしている場合じゃないと言って。

 若さゆえに商売相手から舐められることを、クラースは何よりも嫌っていた。だから早く父親のようにならなければと焦っている。そうしなければ大切なものがすぐに崩れ去っていくとでも思っているかのように。大丈夫だと言っても説得力がなく、自身の不甲斐なさに胸が痛んでいた。


「……したよ」


 仕方なしに言いつけを守ったという態度で、クラースは拗ねたように肯定した。

 ハウルはほっと安堵の息を吐く。


「クラース、ちゃんとあの子と向き合うんだよ。そうすればあの子はきっと、お前の一番の味方になってくれるから」


 息子から否定の言葉はなかった。

 そのかわり彼はハウルをじっと見つめた。言われたことの意味を考えるように、真剣に。



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