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探偵になった男

作者: 川﨑啓礎子

強くなりたいと思って警察官になった男が、ある事件をきっかけに殺人事件を担当する刑事になる。そしてある事件で運命を変えるできごとが…探偵になった男は先に警察を辞めていた同期の男と共に探偵事務所を開く。探偵の仕事は浮気調査や人探し、時には犬まで探すことになるが、飼い主の少女と仲良くなり…

俺は探偵。探偵になってまだ半年過ぎた頃だが、依頼人から捜索を受けた人間を探していると様々な人間模様が見えてくる。それは前の仕事にも言える事だった。高校卒業後、警察学校に入り最初は駅前の交番勤務だった。定年を一年後に迎える厳しいが、ガッチリとした体形とは裏腹にちょっと乙女チックな面白さがある警部補との勤務だった。警部補の名は伊藤強。名前の通り強い人だったかもしれない。乙女チックというのは娘さんばかり四人もいて自分はいつも話を聞いてるだけ、意見は元論話に突っ込むことすらできないと言っていた。一度飲み会の帰り家まで送ったことがあった。娘さんが出てきて丁寧な挨拶をされた。できた娘さんだと思った。綺麗な娘さんで、目のあたりが伊藤さんに少し似てるような気がした、俺よりか年上だ。姉妹四人仲が良くいつも笑い声のたえない家だと言っていた。奥さんの話は一度も出てこなかった。「俺にお前みたいな息子がいたらな」口癖みたいに言ってたけど、いたらどうなんですかって聞いてみればよかった。息子より娘がいいに決まってる。そんな言葉もかけられないまま伊藤さんは定年退職してしまった。一年間色々なことを教わった。駅前交番は落とし物や駐輪所での盗難が多い。そんなある日、高校一年生の女の子が自転車を盗まれたと泣きながら交番に来た。

「今日は寝坊しちゃって、慌ててたから自電車に鍵をかけ忘れてしまって、戻ったら自電車が無くなっていたんです。お父さんに叱られちゃう、どうしよう」

俺はなんて慰めたらいいのか思案していた。そしたら伊藤さんが

「お父さんには正直に話せばいいんだよ。誰だって寝坊もするし、慌てることもある。ちゃんとごめんなさいって言えばいいんだよ。それでもお父さんが怒っていたら、おじさんが一緒に謝ってあげる。なっ、だからもう泣かないで、バスで帰れるかい?」

女の子は元気になっていた。笑顔でお礼を言って帰って行った。本当は盗むやつが悪いのに。

伊藤さんには感謝しかない。それから数年が過ぎ、ある事件がきっかけで俺は県警の刑事になった。その事件は殺人事件だ。帳場がたち、こんなに刑事っているのかと思うほど集まっていた。俺はわくわくしていた。テレビドラマで見た場面が今まさにここにある。だが現実は惨い。一人暮らしの女性を襲った事件。一人目は二十五歳OL。二人目は二十歳の大学生。金品を奪われそしてどちらも絞殺されていた。土足で侵入されていた足跡が一致。二人のアパートはわずか二百メートルしか離れていなかった。近くに住む者の仕業かもしれないと誰もが思った。一斉に聞き込み開始。俺は女刑事と組むことになった。歳は五十歳を超えている独身の刑事だ。

「新人君は女デカとかい?高卒の新人には丁度いいな」

いかにもエリートでございます風の男に言われ俺はムカついた。

「はいセクハラ!犯人捕まえるのに女だろうが、年寄だろうが若かろうが、それに学歴だって関係ない!」

きっぱりそれだけ言って

「行くよ」

と彼女が俺を連れて外に出た。彼女の名は仙道理沙五十五歳。俺は鈴木洋一、二十二歳。ここから長い毎日のはじまりだった。

「刑事はとにかく聞き込み!歩いて歩いて歩きまくる!走るのは鈴木君あんたにまかせるよ、私はもうだめ心臓ばくばくきちゃってさ、歳にはかなわないよ。昔は私も結構走ったし徹夜なんか続いたってへっちゃらだったけど、集中力もたないし最近目もきてる。あれ?私使えないね。お荷物きたって思ってるでしょ?ごめん!その通りなんだけど、長年の刑事の感?てやつはあるつもりだからとにかく宜しくね」

元気もあるおばちゃんだと思った。たいした情報もないまま3日が過ぎた朝、三人目の犠牲者が出た。二人目の現場から今度は100メートルしか離れていなかった。三十歳のOLだった。そしてその女性は俺が初めて勤務した駅前交番でお世話になった伊藤警部補の娘さんだった。こんなことが起きていいのか!叫んだのは俺だけじゃなかった。伊藤警部補は昔は凄腕刑事だったらしく、仲間からの信頼も厚く真面目で仕事に熱い男だったという。ところが奥さんを癌で亡くしてしまってから伊藤さんの人生は一変してしまう。まだ一番下の子が小学生だったから伊藤さんは刑事から交番勤務に変更いわゆるお巡りさんになったというわけだ。お子さんが四人もいたのではなかなか大変な生活だったことだろう。たしか四人のうち二人は結婚して子供もいるはずだ。お孫さんの話を聞いたことがある。待望の男の子ができてそれは嬉しそうに話てくれたっけ。長女が一緒に暮らしていて俺が挨拶したのは長女の方だ、だとすると殺されたのは一番下の娘さんということになるのか。どんな顔して伊藤さんにどんな言葉をかければいいのか何も浮かばない。どちらにしてもお線香をあげにいくのは犯人を逮捕した後だ。ただ涙がとめどなく流れ落ちて、ぬぐってもぬぐっても流れ落ちてくる。こんなに泣いたのはばあちゃんが死んだ時以来だから、もう二年前だ。俺が警官になったことをもの凄く喜んでくれたばあちゃん。小さい頃から可愛がってくれて祖母の作ったぼたもちが俺の一番の好物だった。じいちゃんが十年も前に亡くなってから、ずっと一人暮らしだったけど、いつも元気で、俺の子供をみるまではまだまだ死ねないと言ってたのに、風邪をこじらせあっという間に亡くなってしまった。今でも思い出すと涙があふれだす。伊藤さんは娘が殺されたんだ、計り知れない悲しみと憎しみでどんなに苦しいか。伊藤さんを想うと切ない。いったい犯人はどんな奴なんだ!皆やっきになって捜査してるのに手掛かりがつかめないままただ時間だけが過ぎていった。とにかくこれ以上犯人を野放しにして、次の犠牲者を出さないよう交代で夜の見回りを強化した。そんなある夜に仙道さんから

「彼女はいるの?毎日仕事ばっかりしてて文句言われないの?」

なんてこと聞かれ

「俺今まで彼女できたことないんです。好きな子ぐらいはいましたけど付き合うなんて考えたこともなくて。姉がいるんですけど、優しいというよりおせっかいで、なんでも口出してきて威張ってるわりに怖がりで、女ってめんどくさいなって思うようになって、だからなんですかね。」

「へえ。いいお姉ちゃんだね」

「いいお姉ちゃんなのかな。そういう仙道さんはなんで結婚してないんですか?」

「私はね、前世に幸せな家庭を築いていたの。優しい夫と可愛い二人の娘に恵まれそして、可愛い男の子の孫にも恵まれた。家族みんな近くに住んで、私は家族のために尽くした。そんな生活を前世でしたから、今度はまったく真逆な生活をしようと思ってさ!自分だけのために働いてひとりっきりの生活を楽しもうと思ってね」

「前世がみえたってことですか?」

「そういうこと。不思議でしょ?別に信じなくてもいいよ」

と言って彼女は笑った。俺は信じられないと思った。そんなSFみたいな話。あるわけない。

ずっと家に帰ってなかった。父さんはサリーマンで定年まであと三年、母さんはスーパーの総菜売り場でもう十年働いてる。パート仲間の話がなかなか面白くていつもうちは賑やかだった。あっ、母さんは仙道さんと同じ歳かもしれない。独身女性っていうのはこんなにも綺麗にしていられるんだな。母さんとはぜんぜん違うと思った。だけどなんだか暗い影があるような。気のせいかもしれないな。寂しそうなんて思ったら失礼だ。彼女もいない俺が何を言う!その時仙道さんが動いた。さっきから怪しい男がいる。何か探してるようにうろうろと歩きまわるその男。二人で職質かけることになり、男に近寄る。

「こんばんは。何かお探しですか」

仙道さんが男に問いかける。すると男は驚いた様子で一瞬ピクリともしなかったが、逃げた。

「こら待てー」

仙道さんと俺は追いかける。逃がすか逃がしてたまるかー必死に逃げる男をこっちも必死に追いかける。手を伸ばし男のシャツをつかんだ、あーっ転がるように男が倒れた、俺も一緒に倒れる、男のシャツをつかんだまま死んでも離すものかと力が入る。仙道さんが来た。「やっぱり若いね。私心臓ばくばく!さっ、話は署で聞くよ」

男を車に乗せ署に向かった。こいつがあの連続殺人犯なのか。まだ若くおとなしそうなこの男が、車の中で男は何もしゃべらない。怯えているような様子もない。署に着いてからまじまじと男の顔を見た。どこかで見たことあるような、もしやこの男は交番勤務の時、万引きで補導されてよく伊藤さんにお世話になったあの浅井亮太ではないか。署に着くと数人の刑事達が待っていた。後は任せろというように男を連れていった。

「私達の仕事はこれまでっていうわけ。毎度のこと。あれ鈴木君血が、顔からも腕からも」

痛い体が痛い、そうだ男のシャツをつかんで倒れた時全身を打撲したんだ。無我夢中ですっかり忘れてた。言われて痛みが込み上げてきた。

「病院行こう。骨は折れてなさそうだけど傷の手当とシップも貰ったほうがいいよ」

仙道さんに言われるがままに病院へ向かった。幸い大した怪我もなくシップを山ほどもらい病院を出た。

「どうして警察官になろうと思ったの?」

仙道さんに聞かれ

「強くなりたかったから、ですかね」

と答えた。

「警察官にならないと強くなれないの?」

どうして警察官になろうと思ったのか本当は答え等ない。安定した公務員の中で一番自分には向いてると思ったから。なんて答えでは面白くないと思った。

「警察官は皆強いイメージがあって、自分も鍛えられるかと思いました」

「ふーん確かに今日は強かったね」

「仙道さんはどうしてですか?」

「私は人の生活に興味があってさ、犯人の行動や私生活、がさ入れや聞き込みで人んち入ると証拠品より家の中を観察するのが趣味。どうせ何人も入り込んでるし、誰かが見つけてくれる。家の中の家具とか置物なんかみてるとそこの家族のドラマが出来上がる。ここの奥さんみかけより綺麗好きとか、こってり化粧してるわりに部屋のなかぶっ散らかしとかね」

俺はポカンとしてしまった。意外な答えだった。

「何かおかしい?どんな理由でもさ、自分のやるべきことをやればいいんじゃないかな」

仙道さんは笑顔で言った。今日は仙道さんの意外な面を見た気がした。前世がわかるとか、人の生活に興味があるとか。でも話してる時でも回りを見てる観察してるというか、だからあの時もあの男がうろうろしてるのを瞬時に見つけた。やっぱり刑事の感が働いたのだろうか。それと言ってた通り走るのも遅かった。あくる日あの男の取り調べが始まり、やはり犯人はあの浅井亮太だった。浅井は金欲しさにたまたま入ったアパートで、女に見つかり首を絞めて殺してしまったが、意外と金になると思い立て続けに犯行を繰り返してしまったと自供した。最後に殺してしまった女性が、まさか以前お世話になった伊藤さんの娘さんとは知らなかった。とんでもないことをしてしまったと泣き崩れたそうだ。浅井亮太十九歳。


それから俺は伊藤さんのお宅へお線香をあげに行った。三人の娘さんに迎えられてなんか照れ臭く

「美人姉妹なんですね」

とおもわず言ってからあわてて出されたお茶をすすった。

「あちっ」

皆が笑顔になったのがわかった。まだ三歳と一歳くらいの男の子が部屋の中で走り回っていた。子供は元気がいいな。俺も笑顔になっていた。伊藤さんも目を細めて孫達を見ていた。「浅井亮太は母親がいなくて、父親と姉の三人家族だった。父親はしょっちゅう女を連れ込み、亮太がまだ小学生のころだったかいつも暗くなっても外にいた。姉が亮太を可愛がってたけど、その姉も亮太が中学に入って間もなく男と出て行った。その頃からかもしれないな、亮太がおかしくなったのは。万引きしたりケンカして友達を骨折するほど殴ったり、とにかく荒れていた。私がもっと気に掛けてやればこんなことにならなかったかもしれない。高校を中退してからこの町を出ていったっきりで、亮太のことをすっかり忘れていたよ」

「親がいなくても真面目に生きてる人はたくさんいますよ。伊藤さんが後悔することなんてありませんよ」

「私は皆が安心して暮らせる街づくりを目指して警官になった。結局なしとげられなかったよ」

俺は何も言えなかった。亡くなった娘さんは末っ子で甘えん坊だったそうだ。だがお母さんが死んでからあまりしゃべらなくなった。心配した伊藤さんは一ヵ月仕事を休んでそばに寄り添って家事をこなし、旅行にも行ったそうだ。そうして段々と元に戻ってきたという。短大を出て一人暮らしをしたが、しょっちゅう家には帰ってきていたらしい。

「やっぱり家はいいな」これが娘さんの口癖だったそうだ。娘さんの就職先から自宅までが離れていたために仕方なく一人暮らしをしていた。ただ職場の人達は皆いい人達で会社が好きだと言っていたそうだ。きっと娘さんの人柄がいいからだと思った。

                   

俺は久々に実家に帰ることにした。今住んでるアパートから車で三十分ほど離れた町に実家はある。俺の帰りを一番喜んでくれるのは愛犬ジョンだ。ラブラドールレトリバー十歳。小学生の修学旅行で東京に行った時、盲導犬を初めて見た。目がキラキラ輝いて真っすぐ前を見て、そしてひたむきに歩くその姿に俺は感動した。そして中学に入りたまたま入ったペットショップでジョンに会った。一目ぼれだった。あの時見た盲導犬に出会えた気がした。だが盲導犬は訓練された犬だ。しかも十頭のうち一頭なれるかどうかの優秀な犬だ。ジョンがうちに来た日から全てが変わった。まだ生後一ヵ月半の子犬に皆メロメロで甘やかしたのがいけなかったのか、ジョンは天使から悪魔に変わった。家中の壁は噛み千切られ、あっちこっちにおしっこをする、ウンチはふんづける、なんでもかんでもかじりまくる。「こらー」と言って追いかけられるのが大好きで、思わず笑ってしまう有様だ。人なつっこくて、甘えん坊、悩み知らずの明るい犬ジョン。あっという間に大きくなって三十キロはあるだろうか。ジョンは俺の弟みたいなもので、いつも一緒だった。俺が家を出てから母さんが散歩してくれてるが、いつも引っ張られているようだ。姉ちゃんがいたころは一緒に散歩していたようだけど。今は姉ちゃんも嫁に行ってしまい、夫婦二人になったらジョンがいてくれて本当に良かったって母さんが言ってた。そういえば浅井亮太は母親と姉を恨んでいたのだろうか。自分を置いて行ったと思っていたら、捨てられたと思っていたら。殺された三人の女性を母親と姉に思えて殺したのだろうか。なんだか浅井亮太が哀れに思えてならない。この世の中には、どれだけだくさんの悲惨な生活を送っている青年少女がいるのだろう。伊藤さんが言ってた皆が安心して暮らせる世の中を目指してたと、俺もそんな世の中にしたいと思う。誰も悲しまない皆笑って暮らせる世の中を目指したい。でもどうすればいいのか。雲をつかむような話かもしれない。

家に帰ると案の定、ジョンがしっぽと腰をふりふりボールをくわえてやってきた。久しぶりの散歩だ。さすがに十歳ともなればひっぱらないし、落ち着いたものだ。悪魔だったあの頃が懐かしい。ジョンが笑ってる。突然帰ったから母さんが慌てて夕飯の支度をしだして、何やらぶつぶつ言っている

「前もって言ってくれれば少しは気の利いたもの作ったのに、取り敢えずあんたの好きな鶏の唐揚げは作れたよ」

嬉しそうにせわしなく動いている。

「最近お父さんもお母さんも中年太りでさ、プチダイエット始めたもんだから本当にろくなものないよ」

そういえば半年見ない間に少し丸くなったかもな。でもそんなこと言ったら落ち込むのめにみえてるから、

「全然大丈夫だよ」

「あらそう?良かった」

安心させとく。

「そうそうお姉ちゃん妊娠したんだよ。春には私もおばあちゃんだよ。あんたもおじさんになるんだから楽しみができたね」

「ほんとかよ!それは楽しみだなあ」

姉ちゃんがお母さんになるのか。姉ちゃんならきっといいお母さんになれる。母さんもうきうきしてる。家族が増えるってことはめでたいことだ。無事に生まれて来いよ俺の甥っ子?姪っ子?どっちでもいいけど元気に生まれてくるのを楽しみにしてるぞ!父さんが帰ってきて久しぶりに家族団らんの夕飯を食べた。父さんは相変わらず口数がすくない。その分母さんが喋りまくってるけど。話の中にジョンの足の話が出てきた。足を引きずってるらしい。でも俺とさっき散歩したとき引きずってなどいなかった。もしかして俺に心配かけないようにしたのか。まさかね。母さんの思いすごしだと思った。

これからはちょくちょく帰ってくることにしようと思う。仕事次第だが。


最近は大きな事件もなく、たまっていた書類の整理をしていたある日事件は起きた。殺人事件。若い女性が殺された。以前付き合っていた男の犯行とみて間違いないということで、男を家から連れ出す時、帽子を深々と被った黒のジャンパーを着たやつがいきなり割り込んできた。そいつの手からナイフがみえた、慌ててそいつを捕まえようとしたが間に合わず、犯人の足にナイフが刺さった。血が噴き出す

「いてえーなんだよこれ」

叫ぶ犯人。慌てる捜査員達、しかしそいつは抵抗しない。帽子が落ちた。女だ。

「私の娘を返せ、なんでお前なんかに娘は殺されたんだ?人殺し、返せ返せ娘を返せー」

泣き崩れた。被害者の母親だった。犯人は彼女のことが忘れられずに、何度も彼女をつきまわした。彼女は警察に相談にきていたらしい。それで男は逆上して犯行に及んだ。彼女の母親は何も知らなかった様子で、娘さんが相談していた警察官に訳を聞き、警察なんて頼りにならないと思い、娘の仇をとりにきたということだった。もともと殺すつもりはなく、足か腕に傷をつけるつもりだったと。傷を犯人が見るたび、痛むたびに自分が殺した娘のことを思い出すだろうからと。娘が殺されてから私の人生は終わったようなもの。夜も眠れない。食欲もなくなり、生きてるんだか死んでるんだかわからない状態で、この先どうやって生きていけばいいのか。だれか教えてほしいと言っていたそうだ。俺は伊藤さんのことを思い出していた。娘を殺された親。伊藤さんならなんて言ってあげるんだろうと考えていた。俺には何も浮かばない。ただ涙がとめどもなく流れていた。人はどうして簡単に人を殺すことが出来るんだろう。残された家族のことを想ったら、殺すなんてできないはずなのに。

署では被害者の女性の相談をうけていた警察官がお咎めをうけていた。その警察官は近藤博。大卒で俺より四つ年上だが同期だ。警察学校では結構仲良くしていた。お人好しそれが彼の最初の印象だった。父親が警察官だったから自分も父のような警察官になると言っていた。俺は心配になり様子をみに行った。近藤は辞表を出していた。追いかけて叫んだ。

「なぜだ、確かに今回のことは悔やまれるが、次からまた頑張ればいいだろう?お前にできることはまだまだあるだろう?」

「そんなに簡単に片づけられない。俺は彼女から相談を受けた時、他の案件で忙しく真剣に聞いてあげてなかった。ただ何かあったら電話してと言って帰した。それから三日後に事件はおきた。彼女からの電話があり駆け付けたが遅かった。俺がもっと真剣に聞いてあげていればこんなことにはならなかった。そして母親に元彼のことで相談を受けていたことを話した。殺人犯をもう一人増やしてしまうところだった。全部俺のせいなんだ」

「俺も同じことをしてたと思う。だれが相談受けたって同じことになっていたさ。彼女の運命はこうなる運命だと思うことはできないか。お前のせいなんかじゃないよ。お前が辞めたって彼女は生き返らない」

「ありがとう。警察学校で共に学んだことが懐かしいな。いつのまにかお前は刑事になってた。俺は父のような警察官にはなれなかった。残念だが仕方ない。ずっと忙しくて休みもろくにとってなかったから、旅にでも出てみるよ。俺に何ができるかゆっくり考えてみる。お前は俺の分まで頑張ってくれ」

「次の仕事が決まったら連絡してくれよ。待ってるから」

そして近藤の背中を眺めていた。寂し気な力ない背中を。

昼飯を食べに近くのラーメン屋に入った。カウンター越しに注文してると、

「私も同じもの」

「えっ」仙道さんが隣に座ってきた。

「久しぶり!元気だった?」

「ここんにちは」

俺は頭を下げた。仙道さんは笑ってる。

「ここのラーメンおいいしいよね。よく来るの?」

「あっ、はい。三回目です」

「相変わらず真面目だな。なんかあったんでしょ?」

「別に何もありません」

「同期が辞めたって聞いたけど。私が若い頃、近藤君のお父さんにはさんざんお世話になってさ。厳しかったけどどこかお人好しで、憎めない先輩だったな。昨年定年退職して、身寄りのない少年達のお世話をするボランティア活動をしてるみたい。近藤君から聞いたんだよ」

「近藤と親しかったんですか」

「時々話す程度だったけど。まさか辞めるとはね。私もなんの力にもなってあげられなかった。情けないよ。歳ばっかくって役立たずだよ」

「俺も同じです。引き止めましたがダメでした」

「なんか言ってた?」

「旅に出てゆっくり考えてみるそうです」

「旅か。いいね。私は前世でたくさん旅行したんだよ。夫と二人で温泉旅行とか、子供達とも色々行ったなぁ。本当に楽しかった。信じなくてもいいけどね」

「いやーどうですかね」

「都市伝説の番組見たことある?信じるかどうかはって、あれ好きなんだよね。お笑い芸人とかが真面目にミステリーなこと調べてくるでしょ。面白いよね」

「今は旅行しないんですか?」

「今は温泉で日頃の疲れを癒しに行くぐらいかな。定年退職したら外国に行きたいな」

仙道さんが嬉しそうに話てる。俺は近藤のことが気になっていた。お父さんもお人好しって言ってたな。近藤はお父さんに似てるんだ。きっといい警察官になったと思う。


あれから数カ月がたったある日、強盗殺人未遂事件が起きた。一人暮らしのお年寄りを狙った犯行で、犯人は金目的で家に侵入し、そこに住むお婆さんにみつかり、口をふさいだ。お婆さんは気を失い倒れた。犯人はお婆さんを殺してしまったと思い慌てて逃走。近くに住む娘さんが発見し、警察に通報する。お婆さんは病院に運ばれたが幸い命に別状なしということだった。家の中は荒らされてはいたが、特にとられたものはないらしく、お婆さんの証言で似顔絵ができた。一斉に捜査開始。俺は四十半ばのおっさんデカと組むことになった。見た目はヤクザ。だが実に優しいおっさんだった。独身で一人暮らし。料理好きで献立の話なんかしてくる。今度夕飯御馳走するって言われた。もちろん手作りの夕飯を。なんか寒気がしたが苦笑いをしてみせた。似顔絵のおかげで犯人が捕まった。だが否認してるという。遠藤翼二十一歳の大学生だった。厳しい取り調べが続く中「やってません」の繰り返しで、なかなか前に進めないでいるという。本当に犯人なのか、似顔絵と比べてみるがさほど似てるとは思えなかった。だが犯行当日のアリバイがあやふやで前科があったからだという。前の事件は暴行事件だった。友人と飲み会の帰り酔っ払いに絡まれ口論となり、殴ってしまったという。相手は全治2週間の怪我だった。遠藤は障害致死の容疑で捕まった。だが友人と周りにいたやじうまの証言で相手の方にも非があるとみて、刑は軽く済んでいる。

「一度でも罪を犯すと繰り返すくせがつく。きっとあいつはやってるよ」

誰かが言った

「色眼鏡でみてやがる」

料理好きのおっさんが言った。前の事件は売られた喧嘩を買っただけではないか。遠藤だけが悪いわけではないのに。今回の事件はやってないと俺は思う。遠藤は絶対白だ。これでは冤罪になってしまう。なんとかしなくては。こうなったら俺が真犯人を探すしかない。でもどうやって犯人をさがせばいい?俺は焦っていた。そしてこの事件が俺の人生を変えることになる。おっさんも俺と同じ意見だった。取り敢えず、遠藤の身内や友人をあたることにした。遠藤は母親と二人暮らし。父親を癌で亡くしたのは中学生の時、それから母親と寄り添うように生きてきた。大学も奨学金とアルバイトでどうにか通っているが、今度の件で大学へも通えるかどうか。

「翼は本当に優しい子で、何かの間違いだと思います。刑事さんどうか翼を助けて下さい。お願いします」

泣きながら母親は頭を下げた。四十代前半なのに苦労しているせいか五十歳くらいに見えるその母親に、

「とにかくやってみます」

これだけしか言えなかった。そして母親によると犯行当日の翼は大学に行ってたはずだという。特に変わった様子もなくいつも通りだったということだった。おっさんは翼の友人をあたっていた。そこである事実がわかる。友人の話によると犯行当日翼は大学を休んでいた。翼には親しくしてる女がいるらしく、どうやらその女のためにアリバイを偽ってるようだった。その女を探さなくては。母親に聞いてみたが女のことは分からなかった。翼の通う大学をあたるしかなく、おっさんと二手にわかれてすぐのことだった。女の悲鳴が聞こえ俺は慌てて声のした方へ走った。すると女が倒れていた。あたりには誰も見当たらない。

「どうしました」

「突然上からこれが前に落ちたんです」

こんなものが当たったら、大怪我だ、下手したら死んでしまう。上を見上げると建物は五階建ての屋上から落とされたことになる。ペットボトルは無残にも中のお茶は飛び出しぺっちゃんこだ。この女性は大学の事務員をしている佐野英子二十五歳。髪が長く色白でとても綺麗な女性だった。いったいこのペットボトルは故意に落とされたものなのか、誤って落とされたものなのか確かめるため俺は屋上に上がった。しかし誰もいなかった。いた気配もないのだ。どういうことなのか。俺はもう一度佐野英子に会いに事務所に行ったが彼女は気分が悪いと帰った後だった。気分が悪くなるのも無理もないと思ったが、何かがおかしい。そこへおっさんが来た。おっさんの話によると、遠藤は大人しくあまり友達はいないようだが、女の影については一人だけいた。それは事務員の佐野英子だという。俺は驚いて先ほどおきた落下の件をおっさんに話した。おっさんは少し何やら考えている様子だった。

「普通上からものが落ちてきたら、大騒ぎするし事務所の人達にも話すはずだろ、なのに黙って帰った?なんかおかしいな」

「俺も何かがおかしいと思う」

「よし、この女をあたるぞ!」

おっさんは張り切っていた。佐野英子は大学から十分ほど離れたアパートに暮らしていた。だが留守だった。何処へ行ったんだろう。聞きたいことは山ほどあるのに。仕方がなく近くで待つことにした。

「ところで二人はどういう関係だと思う?」

「俺は二人が付き合ってるようには見えない、何か訳ありのような」

「どんな訳にしてもさ、大学の生徒が捕まってるんだぜ。しかも無実かもしれない。なんで黙ってるんだ。その女はどんな感じだった?」

「それが綺麗な女性なんですよ。もしかしたら遠藤の方が片想いしてるかも」

「片想いね。女っていうのは綺麗でも図々しい生き物だからな」

「確かに。でも男も図々しい人多いですよ」

「そりゃそうだ」

思わず笑ってコーヒーを飲んだ。そこへ彼女が帰って来た。少し様子をみる。するとまた彼女は出掛けて行く、俺達は彼女の後をついて行くことにした。行く先は飲み屋街。彼女はホステスだった。何時になるかわからないので、帰ることにした。そして明日にでも大学で話を聞くことにした。

「大学の事務では給料が安いのかね」

「アルバイトですよね」

「どっちが本業かわかんねーぜ」

おっさんが言った。確かに昼間大学でみた佐野英子とはまるで別人のようだった。本当の彼女はどっちなんだろう。朝署に行くと遠藤の様子がだいぶ弱っているようだった。かなりきつい取り調べが続いているようで、このままでは遠藤の体がもたないかもしれない。おっさんと俺は急いで大学へ向かった。事務室から佐野英子を呼び出した。

「昨日の件でしょうか」

まるで何もなかったように彼女は言った。そして夜の顔とはまるで違う顔で。

「今日はここの生徒の遠藤翼との関係について教えて頂きたい」

「遠藤翼?さあ生徒の名前まで覚えていませんが。その生徒がどうかしたのですか?」

「強盗の容疑で捕まってます。アリバイがあいまいなもので、あなたが何か知ってるのでは?」

「私は何も知りません」

「でもあなたと一緒にいるところを彼の友人が見てますよ、知らないはずないんですけど」

「見間違いではないですか。私は知りません。仕事がありますので失礼します」

「待ってください。彼は無実の罪で逮捕されたんだ。何か知ってるなら教えてください」

「私には関係ありません」

「では昨日ペットボトルが落下したことは、どう思いますか。もしかしたらあなたを狙った可能性があります。あなたを殺そうとしてるやつがいるかもしれないんですよ」

彼女は黙ったまま下を向いている。絶対何か隠してる。どうすれば本当のことを言ってくれるんだ。俺は考えていた。そこへおっさんの携帯電話がなった。署からだった。

「遠藤翼がはいた。佐野英子。覚せい剤の取引容疑で署まで来てもらう」

彼女はだまったままだった。それにしても覚せい剤って?どうして遠藤がかかわった?俺はなんだか分からなくなってた。署に戻ると例によって数人の刑事が待っていた。佐野英子を引き渡し、遠藤のもとへ行こうとした時、遠藤の母親が刑事と話してるのがみえた。

「母親が泣いてるとでも遠藤に言ったんだろうよ」

おっさんが言った。そうか母親と二人寄り添って暮らしてきたんだ、これ以上母親に心配かけたくないということか。遠藤は大学とアルバイトの生活の中、友人と呼べるのは数人だけ。

ある日奨学金のことで事務員の佐野英子と出会う。綺麗で優しい女性に心を奪われてしまう。そんな真面目な青年を佐野英子は利用する。この男は使える。夜の店で働くようになってから、佐野英子は変わっていったという。同じ年ごろの女性やもっと若い子、皆ライバルだった。きらびやかに着飾り目立たないとお客が付かない。常連の中に覚せい剤の取引を持ち掛けてきた客がいた。金になるという。彼女は金に目がくらんだ。だけどみつかったら捕まる。だれか私の見方になる子をさがさなくては。それが遠藤翼だった。遠藤は大人しく控えめな性格、友人も少なくもちろん恋人もいない。自分にはもってこいの相手だと思った。覚せい剤の取引はだいたい夜おこなわれるが、最近は相手の都合で昼間行われることがある。自分は昼間の仕事もあるだからちょうど良かった。遠藤は秘密は守るはず。そのために一度寝てあげた。童貞だった。私は家に仕送りをしていて、事務の給料だけでは無理があり、この仕事に手を染めたことを遠藤に告げた。もちろんホステスの仕事は内緒にしてある。とにかく可哀そうな女を演じていれば遠藤は必ず私を助けてくれると思っていたのに。まさか強盗事件の犯人にされて捕まってるとは。私も運が悪い。取り調べで彼女はそう話したという。彼女はしたたかな女だった。

「やっぱり女は怖いのう。ペットボトルの件も何度か落とされてたようだ。あたし可愛いから憎まれてたみたい女子からね。って言ってたそうだ。自分でいうところがなかなかな女だよな」

おっさんが言った。世の中どのくらいの女性が怖いんだろう。考えてみたところで答え等ない。少なくとも俺のまわりにはそんなに怖い女性はいない。

そして、今回の強盗事件で遠藤が誤認逮捕されたが、覚せい剤の取引の手助けをしたことは罪になる。続いて取り調べがはじまった。今度はちゃんと話てるようだ。罪が軽くなることを願う。だがやってないと言っても全然信用されない、犯人と決めてかかる取り調べのやり方にはどうにかならないものか。俺達警察官は神ではない。もちろん裁判官だって神ではない。今までに冤罪がどれだけあったことか。何十年もたってから無実でしたって、言われても過去はもどらない。そんなニュースを何度か見たことがある。犯罪者が被害者に変わる。そう警察からの被害者になる。冤罪をするくらいなら犯人なんて捕まえなくたっていいようにも思える。本当の神が罰を与えてくれるはずだから。


おっさんちで夕飯を御馳走になることになった。おっさんの部屋はワンルームで、余計なものはなく綺麗にしていた。あれ、この写真は恋人?綺麗な女性と映っているのはまさかおっさん?今とは大分違う、髪も長くそしてイケメンにみえるぞ。まじまじとみていたらおっさんが「それ妹。大分前の写真だから別人に見えただろう」

「おっ、椎名さんの彼女かと思いましたよ。綺麗ですね」

おっさんと言いそうになって焦った。おっさんの名は椎名幸一。四十二歳だから妹さんはもう三十歳は過ぎているだろうな。

「俺が警官になって間もなくの頃の写真なんだ。それより食べようぜ」

おっさんの手料理は結構上手かった。豚肉の生姜焼きにキャベツともやしのシーチキンマヨネーズ和え、それからアサリの酒蒸し。あり合わせで悪いなんて言ってたけど、俺にはすっごく豪華な夕食だ。生姜焼きの豚肉は柔らかく、しっかりとショウガがきいている。アサリはプリプリで酒の加減がちょうどいい。ご飯をおかわりしてしまった。

「両親を事故で亡くしてからずっと妹が家事をこなしてきて、妹にばかりでは悪いからさ、俺も料理をもするようになったんだ。ちょうど俺が警官になって二年が経ってたかな。二人暮らしが始まって妹はまだ学生だったけどよくやってくれたよ。俺は頼りないけど、母親であり父親になるつもりで頑張った。そして三年前妹は結婚した。俺も嬉しかった。幸せになってほしかったから。だが去年離婚した。俺は切なくてね。俺にできることはなかったのかと自問自答したよ。妹が結婚してからは仕事に没頭してた。家に帰っても誰もいないし、妹は幸せに暮らしてると思ってたし、妹は誰にも相談できずにいたなんて、悩んでたことも知らずに俺は仕事だけしてたんだ。情けないだろう、両親の代わりに頑張るはずだったのにさ」

おっさんは泣いていた。俺はなんて言えばいいのか言葉がみつからない。

「悪い!しめっぽい話して、どうだった俺の料理は?なかなか上手いだろ」

「上手くてびっくりですよ!」

「今妹さんはどうしてるんですか」

「今はなんと新しい彼ができたらしいんだが、結婚は考えてないらしい。俺もまだ早いと思ってる。元夫のことを想うとこれまた切なくてな。何度か妹のアパートに招待されてさ、夕飯御馳走になった。彼は母親と二人暮らしだったんだ。父親が借金を苦に自殺してる過去があって、妹と幸せになってほしいと心から願ってたんだけどな。だからあいつ今どうしてるかと、幸せな暮らしをしているだろうかと、時々考えるとやっぱり切ないよ」

「妹さんとは縁がなかったんですよ。きっとその人も妹さんみたいに新しい人と出会ってますって。椎名さんが心配することないですよ」

「そうだよな。案外俺心配性なんだよ。お前は悩みとかなさそうだな」

そう言って笑ってくれた。

「何言ってんすか、俺だって悩みぐらいありますから。悩むってことは神様からの宿題らしいですよ」

「宿題?そうか一つ一つ解決していかないといけないわけだな」

「そういうことです」

俺は偉そうに言って笑った。今日は暗い話なんかに付き合わせて悪かった。とおっさんは言った。こんな話したのはお前が初めてだとも。また来ます。と言って俺はおっさんのアパートを出た。おっさんの暗い過去を想うと、人はみかけで判断してはいけないことをつくづく実感した。本当に意外な過去だった。そんなことを考えながら家の前まで来た時、誰かが俺にぶつかって来た。えっ、痛い、痛い、ゆっくりと自分が倒れていくのがわかった。そして足音が遠く離れて行く。誰かが俺の体に熱いなにかを突きつけた。

「きゃー」近くでだれかが叫んでる。俺はもう見ることが出来ない。暗い闇の中に吸い込まれていくみたいに目を開けることが出来ない。

「気が付いた?良かった。良かった」

そう言って泣いてるのは母さんか。父さんも姉ちゃんもいる。俺はどうしたんだ?

「アパートの前で何者かに刺されたんだよ。近所の女性が救急車をよんでくれて、あと少し遅かったら危なかったってお医者さんが言ってた」

「あんた誰かに恨まれるようなことしてるの?」

姉ちゃんも泣きながら言ってきた。

「俺何にも心当たりないけどな」

刑事のくせに自分のことになると何もできないものだ。ていうか痛い。脇腹を刺されたらしいな。これでは暫く身動きできそうにない。

「ところで犯人は見たのか?」

俺の上司が来ていた。参ったな。

「後ろからいきなりだったものですから。すみません」

「今仲間が全力で捜査している。安心して治せ」

そう言って帰っていった。

いったい俺に何が起きているんだろう。殺される?程の恨みをかうほど俺はいったい何をしたんだ。誰なんだ。本当に何も浮かばないぞ。

「気がついたって?びっくりさせんなよ」

おっさんが入って来た。そうだおっさんちからの帰りだったな。皆に心配かけちまった。

「何も心当たりないらしいな。まさかとは思うけど犯人がお前を殺しにここへ来る可能性もあるぞ、気を付けろ」

そう言って色とりどりの花束を置いて出て行った。なんだよおっさん花の趣味もいいじゃん。でも参ったな、俺を殺しにここへ?腹が痛くて動けないのにどうやって気を付けるんだよ。だけど自分のことは自分で守るしかない。俺は刑事なんだから。その夜夢をみた。暗い夜道、誰かが後ろからついてくる、思わず振り向くが誰もいない、だがその瞬間脇腹に激痛が走る。みるみる体からおびただしい量の血が流れ出し俺は大声を出す。そして目が覚める。なんとも恐ろしい夢をみた。それから数日が過ぎたある日仙道さんが来てくれた。

「久しぶり元気そうだね」

「大して元気じゃないですよ。今日はお休みなんですか」

「そう休みでさ、暇だから顔見に来た。ここのプリン美味しいんだよ」

仙道さんは駅前のカフェのプリンを買ってきてくれた。二人でプリンを食べてると前話してた前世のことが気になって、

「ところで仙道さんは今と前世ではどっちが幸せですか?」

「人生ってさ、死ぬ時にしかわからないと思うんだよね。前世ではね、孫を二人みることができて、すっごく幸せだったんだけど、癌でさ、今の私より若い時に孫の成長もみないで死んだの。悔しかったな。もっと生きていたかった。今の私に言えることは、やっぱり家族があるってことは幸せだよ。幸せだった。鈴木君も家族大事にね。そしてこれから迎える家族もね」

これから迎えるって嫁さんのことか。まだまだ先のことだろうな。

「はい。大事にします」

「そう自分の体もだよ。早く良くなるといいね」

また来ると言って仙道さんは帰って行った。少ししてドアが開き、仙道さんがまた来たのかと思ったら、見知らぬ男が立っていた。ナイフ?を手にしてる。俺はものすっごい大声で叫んだ。男は俺の声に驚いて逃げて行った。廊下で仙道さんの声がする。なにやらもみ合ってる様子?俺は何とか体を起こしゆっくりと廊下に出た。仙道さんが男を捕まえていた。

「やったよ!鈴木君。あんたの素晴らしい大声のおかげ。これでゆっくり休めるね」

「でもどうして?」

「さっき廊下でこいつとすれちがって、ピンときた。刑事の感ってやつ」

そう言って仙道さんは笑ってピースした。ほんとに仙道さんはよく見てる。やっぱり凄いな。だけどおっさんのおかげでもある。気をつけろって言われて、さてどうしたものかと考えて、大声を出すことだけ考えた。俺も結構大声でたな。自分でも驚きだった。あいつのたまげようったらなかったな。思わず笑った。いて、やっぱりまだ腹の傷が痛む。パトカーのサイレンがした。同時に捜査員がやってきて色々聞かれた。仙道さんは休暇中とはいえ現行犯逮捕になる。男は大分暴れたようだが、数人の刑事に取り押さえられパトカーに乗せられた。

翌日俺の上司が来た。男は佐野英子の常連客で、佐野英子にぞっこんだったらしい。そこへ俺が現れた。刑事とも知らずに俺を刺した。だが新聞で俺が刑事だと知り、佐野英子は俺に捕まったのかとまた怒りがこみ上げ、再度殺しに来たというわけらしい。野田康人三十二歳。まだまだ若い。殺人未遂で済んだしこれからの人生やり直せる。人間死ぬ気になれば何だってできる。あの時俺が出した声のように。俺もこれからの人生考えたほうがいいのかもな。傷が治るまでゆっくり考えるとするか。それにしても仙道さんが持ってきたプリン美味かったな。退院したら姉ちゃんに買って行こうか、お腹の子の分もいるよな?まあ何個でもいけるプリンだからたくさん買って行こう。

大分傷もよくなったある日、伊藤さんが見舞いに来た。

「良かったな、その程度で済んで、若いから回復も早いだろう」

「ありがとうございます。仙道さんが犯人を捕まえてくれました」

「仙道が?相変わらず頑張ってるな。あいつは元気もいいが、気が利くし刑事には珍しくいつも笑顔だった」

「仙道さんから伊藤さんにはお世話になったと聞いてます」

「大した事してないさ」

「伊藤さんは今何かされてるんですか」

「今少年犯罪防止と支援みたいなボランティア活動をしているよ。俺みたいな定年退職組と地域の人達の暇なおっさん連中とな。ボケ防止だよ」

そう言って笑った。俺はさすが伊藤さんだと思った。

「それいい活動ですね。俺にも手伝えることあったら言って下さい」

「ありがとう。まずは傷早く治せ」

そう言って伊藤さんは帰って行った。俺はリハビリの為毎日病院周りを歩いている。伊藤さんを病院の駐車場まで見送った。最初は一歩だって痛くてなかなか歩けなかったのに、毎日続けているうちに普通に歩けるようになった。人間の体は治そうとする力が半端ない。退院の日も近いかも。少しウキウキした気分になっていた。

「あのー刑事さんですよね?」

突然女性から声をかけられた。俺は慌てて振り向いた。若い!二十代前半ってとこかな、茶髪で目がぱっちりで左唇の上にほくろがある可愛い子だった。

「そうですけど何か?」

「お兄ちゃん、兄を探してるんです」

「行へ不明ってことですか?」

「もう半月も何の連絡もなくて、携帯も電源が入ってないようだし、黙っていなくなるなんて今までなかったから」

彼女は涙ぐんでいた。

「警察には届けましたか」

「もちろんです。でも動いてるんだか何の連絡もなくて、私の家この近くなんですけど、ここに刑事さんが入院してるって聞いて」

警察も忙しいからな、捜索願は結構入ってるって聞いたことあった。事件性がないと特には動かないかもな。

「兄にもしものことがあったら私 助けて下さい、お願いします」

頭を下げられても俺はどうしていいかわからない。

「取り敢えず、俺は入院中だから捜索状況の方は生活安全課の友人にでも聞いてみるから君の連絡先を教えてもらっておくよ」

彼女はうつむいたまま、携帯番号と名前を書いたメモを渡してくれた。

「宜しくお願いします」

彼女はぽつりと言って去って行った。相沢伸 二十八歳 行へ不明の兄。病室に戻って生活安全課の佐々木信之に電話した。佐々木は相沢伸の捜索の件は関わっていなかった。だが後日佐々木が病院に来た。

「色々調べたんだが、携帯電話は電源切ってるし、親しい友人からも情報は得られなかった。捜索の進展はなしだ」

「どうすることもできないってことか」

「そういうことだ。お前の頼みだから自分の仕事後回しにして捜査官から資料みせてもらったんどぞ。おそらく自分から出ていったと思われる。上の判断だ」

「自分から?妹があんなに心配してるのに?しかも携帯の電源切って?なんか不自然じゃないか」

「しかし、これ以上は探しようがないんだ。他にも捜索する案件は多いし、俺も少年犯罪の事件で一杯一杯なんだよ。役に立たなくて悪かったな。早く退院してくれ、待ってるぜ」

「ああ。ありがとう。忙しいところ悪かったな」

佐々木信之は同期だが大卒で、真面目だし、俺なんかより出世は早いんだろうな。ぼんやり去って行く後ろ姿を眺めてた。それから妹相沢エリに電話した。

「もしもし。大変申し訳ないんですが、捜査の進展は今のところ何もないそうです」

「え…やっぱり警察は何もしてくれないんですね。もういいです。自分で探します」

そう言って電話は切れた。警察は何もしてくれないかぁ。以前扱った事件でも同じようなこと言われたな。俺は自分が情けなく思えてきた。無力だと思った。家出人は年間約二万人ほどいるらしい。皆何処へ行ってるんだろう。その夜俺は眠れなかった。

明け方ようやく眠りについて、どのくらい寝たんだろう目を開けたら相沢エリが立っていた。俺はびっくりして声が出なかった。

「おはようございます。よく寝てたんで起こさずにいました。やっぱり一緒に兄を探していただけませんか?」

「おはようございます。やっぱり一人では不安ですよね。来週には退院できると思うので、それまでにできることをやりますか」

「はい!良かった」

相沢エリは涙目で笑った。俺はまずお兄さんの普段の様子を聞き出し、それから銀行の口座から最近引き出しが行われているか彼女に調べてくるようお願いした。あっ、あと付き合ってる女の人のことも調べないとな。夕方彼女が疲れた様子で帰って来た。銀行では個人情報がどうとかで時間がかかったが、最近引き出しがあったのが静岡県の富士市だという。

「お兄ちゃんなんでそんなところに」

「知り合いとかいないの?」

「まったくいないよ」

両親は二人が小学生の頃離婚した。父親に女ができたそうだ。明るかった母親は段々と暗くなっていった。兄が就職した時二人で家を出た。時々母親には連絡しているが相変わらず元気がないらしい。兄は電化製品の工場に勤めていた。真面目な性格で無遅刻無欠勤だったのに、無断欠勤をするなんて考えられなかった。会社のほうでも心配してくれているという。そして付き合ってる女の人はいないようだった。とにかく富士市に行くしかないと思った。

彼女には退院したら連絡すると言って帰ってもらった。さてこれからどうする?俺。

退院したら仕事に復帰しなければならない。片手間に探せるとは思えないし、これ以上休むのも気が引ける。彼女だってそんなに仕事を休めないだろうし、そうだ!近藤博。あいつ今何してんだろう?思った瞬間電話してた。

「久しぶり俺鈴木。突然だけどさ、今何してる?」

「鈴木か?本当に久しぶりだな。俺は今探偵事務所開こうとしてる、なんとか生きてるよ」

「えっ、マジで?是非にでもやってもらいたい仕事がある」

なんてラッキーなんだ。まさかあの近藤が探偵とはね。早速明日会うことになった。近藤は警察を辞めた後旅に出たと言う。以前から行きたかった東北方面へ。電車で温泉をめぐる旅に出た。東北の人達は暖かい人が多かったという。田んぼに畑、大小さまざまな山と赤いトタン屋根の家々の景色を眺めながら電車に揺られて旅をした。家を出て三日過ぎたころに電車の中で声をかけられた。自分の母親と同じくらいの年齢の女性だった。

「何処まで行くの?良かったら食べて」

その女性がみかんをくれた。「みかんは好物です」と言って嬉しそうに食べているとその女性はいきなり泣き出したそうだ。訳を聞くと息子が突然居なくなったそうで、息子を探しているとのことだった。ちょうど近藤が息子さんと同じくらいの歳らしく、思わず声をかけてしまったらしい。警察にも捜索願を出したがなんの手掛かりもなく、息子の日記に東北にいつか行きたいと書いてあったのを見て、こうして出掛けて来たということだった。近藤はどうせ当てもない旅だから一緒に探すことにした。女性は驚いた様子だったが、嬉しそうに何度も頭を下げた。息子さんの名前は江本亮介二十四歳。それから息子さんの写真を手に観光地や旅館を巡って歩いた。そして三日が立ったある日小さな旅館で手掛かりを掴んだ。なんと二日前に一泊して昨日の朝立ったという。息子さんは一人だったらしく、暗い様子だったので次にどこへ行くのか尋ねたら、秋田県へ向かうと言ったそうだ。母親と近藤は旅館のおかみにお礼を言うと急いで電車に乗った。そこは山形県だった。秋田にはすでに着いているはずだ。すれ違いになってしまう。二人は焦っていた。午後には秋田に着いたがどこを探すか検討している時だった。

「母さん。どうして」

後ろを振り向く、息子さんが立っていた。

「亮ちゃん」

母親は泣きながら息子さんに駆け寄った。近藤も思わず泣いていたという。息子さんは仕事で悩んでいたという。相談できる友人もなく両親にも迷惑をかけられない。やっと入った会社だったから辞めるわけにもいかず、なんとか頑張ったが眠れない夜が続き、気が付いたら電車に乗っていたらしい。一度行って見たかった東北地方へ向かっていた。何日も会社を休んでしまったし、皆に迷惑をかけたことでもう死ぬしかないと思った。だが両親のことを想うとなかなか死ねなくて、今日までこうして生きていたのだそうだ。近藤は自分が警察官だったこと、そしてあの事件のことを話したそうだ。そして自分がしたことに耐えられず辞めて今こうして旅に出たことを話した。二人は黙って聞いてくれた。息子さんは会社を辞めて、もう一度一からやり直すと言ってくれた。もう逃げないとも言った。近藤はその時初めて人の役にたてたようなよう気がしたという。そして探偵になる決意をした。俺は近藤の話に感動していた。人の役に立つ仕事かぁ。犯人を捕まえるのは俺の仕事だといつも張り切っていたが、俺も近藤と一緒に働きたいと思った。捕まえても上の刑事たちが手柄を持っていき、残務処理ばかりやらされ、そしてやってないと言っても犯人だと決めつけてかかるやり方にはいい加減嫌気がさしていたんだ。もちろん皆そういう警官ばかりではないし、仙道さんやおっさんのような優しい刑事もいるが、今回俺を頼ってきた相沢エリの為にも探偵になろうと思った。近藤は驚いていた。まだ事務所を開いたといっても看板も出していないし、事務員も雇入れてない。まだまだこれからやることがたくさんあるらしい。それならやっぱり俺がいた方がいいと思った。まずは相沢エリの兄を探すことから始めることになった。

近藤はすぐに話を理解してくれた。取り敢えず富士市の交番に行って情報をもらうことにする。近藤には先に捜索の仕事をしてもらい、俺は退院の手続きと警察を辞める手続きをしなければならない。

その前におっさんに会いに行こう、おっさんは何というだろうか。


翌日少し傷は痛むが退院となり、おっさんのアパートには夕方行くとして、実家に向かった。

もちろんジョンが嬉しそうに迎えてくれた。母さんはまだパートから帰ってなかった。ジョンの散歩をしているとジョンが足を時々引きずるようだった。そういえば前母さんが話してたな、やはり歳のせいかな、人間も足から歳をとるもんな。早めに散歩を切り上げて家に帰ると母さんが帰っていた。

「退院するなら連絡してくれればいいのに、そしたらお刺身でもかってきたのに」

「入院中はお世話になりました。心配もかけてすみませんでした」

「あら、そんな言葉どこで覚えたの?」

「それより母さん俺警察辞めて探偵になろうと思う」

「えっ!?そりゃあんなことがあったんだから心配だし怖いよね。母さんも辞めるのは反対しないけど、どうして探偵なの?」

俺は近藤の話と相沢エリの話をした。母さんは黙って聞いてくれた。母さんはいつも俺の味方だったな。近藤が出会った母親も息子を案じて一人で探しに出た。母親の愛は海よりも深いと聞いたことがある。父さんが帰ってきて、夕飯を食べながら母さんに話したことを聞いてもらった。父さんは

「お前が決めたことならそれでいい。ただ探偵で食えるようになるまでは家から通ったらどうだ」

「そうだよ、事務所の家賃やら経費やらって何かとかかるよ」

「そっか、そうだよな。今のアパート引き払ってくるよ」

俺は考えが甘いようだった。でも両親というのはありがたい存在だ。今までもこれからも感謝しかないよ。そして家を出ようとした時ジョンが俺の車に飛び乗った。今まで一度もそんなことしたことなかったのに。

「ジョン、一緒には行けないよ、降りるんだ」

俺は無理やりジョンを車から降ろした。ジョンは悲しそうな顔をしていた。母さんも驚いていた。ジョンと母さん父さんに見送られ俺はおっさんのアパートへ向かった。

おっさんはちょうど今帰ってきたとこらしく、コンビニの弁当を食べていた。

俺は近藤のこと、相沢エリのこと等話続けた。おっさんは弁当を食べながら黙って聞いてくれていた。そして、俺にお茶を注ぎながら

「まずは退院おめでとう。探偵かぁ。人探しが多いと思うがなんでも相談に乗るぞ。俺に出来る事があれば手伝うからな」

「本当ですか?おっ椎名さんは頼りになりますから、そう言ってもらえると嬉しいです」

「警察という仕事もやりがいのある仕事ではあるが、お前はまだ若い、やりたいことをやればいいんだよ」

「ありがとうございます。近藤と力を合わせて頑張ります。落ち着いたら連絡しますから、事務所に遊びに来て下さよ」

「おう、がんばれよ。連絡待ってるぜ」

おっさんはいつも俺を応援してくれる。兄ちゃんみたいな存在だ。結局俺はこの先もずっとおっさんにお世話になることになる。


署に行くと上司から早速呼ばれた。俺の入院中に進んだ仕事の内容の説明をされた。退職する俺には必要ないことばかりだった。いつ話せばいいのかタイミングをうかがっていたが、結局何かと忙しく夕方になってしまった。

「やみあがりはさっさっと帰れよ!」

どこからか聞こえてきた。まだ傷は痛むがやることは山ほどある。だが無理はできない。

暗闇の中帰るのは刺された時のことを思い出しそうだ。俺はトラウマになっているのか。

暗くなる前に署を出た。

「鈴木君!お疲れ!そしておかえりだね、今日からでしょ?」

仙道さんが後ろから来た。

「ただいまなんですけど、俺警察辞めるんです。まだ上に言ってないんですけど」

「えー寂しいな。やっぱり怖くなった?」

「いえ。刺されたことは理由ではないんです」

俺は近藤のこと相沢エリのことを話した。

「探偵?そういえば私の同期も警察辞めて探偵になったやついた」

「その人どうしてます?」

「知らない。確か実家に戻ったんだよね。関西だったと思うけど、でも近藤君と一緒なら安心だけど、食べていけるまでは大変だね。力になるよ!頼っていいからね」

「ありがとうございます。仙道さんにはこれからも力になってもらうつもりでした」

「オッケー」

仙道さんは笑顔で言ってくれた。おっさん同様仙道さんにも何かとお世話になっていくことになる。それから数日が立ちようやく上司に退職の話をした。何故か直ぐに承諾された。やっぱり刺された衝撃で辞めるんだと思ったらしい。結局一カ月後に退職することになった。そして近藤が富士市から帰って来た。何件もの交番を回り七件目の交番で相沢伸を見たことがあると言われ、周辺のスーパーを回っていた時、相沢伸が現れた。女性と一緒だった。近藤は相沢伸に近づき妹のことを告げると顔色を変え、近くの茶店で話すことになった。茶店には相沢一人で来た。相沢は毎日通っていたコンビニでその女性と知り合い、挨拶程度だったがある日女性から声を掛けられ時々会うようになっていた。女性は相沢より三歳年上で夫がいた。だがその夫に暴力を振るわれ離婚しようと思っているが、夫は断固として別れてくれないという。女性はこのままでは殺されるかもしれない一緒に逃げてほしいということになり、埼玉からこの静岡県まできたのだという。妹には何も告げずに申し訳なく思っているが、妹に言ってしまうと決意が鈍ると思い黙って出てきた。妹さんにこのことを話ししてもいいかと尋ねると、自分から連絡すると言った。取り敢えず相沢が住んでいるアパートの住所だけ確認して近藤は帰って来た。俺は相沢が生きていて良かったとほっとした。近藤はなかなかやる男だった。そして相沢エリが訪ねてきた。

「お兄ちゃんのことありがとうございました。お兄ちゃんから電話があって色々話しました。何もなかったみたいに。お兄ちゃん幸せ?って聞いたら、エリと話すことができてようやく幸せに暮らせるって。彼女と一緒にいてもずっとエリのことが気がかりで、やっぱり連絡するべきだったよな。ごめん。って、そして母さんを宜しくなって言われました。だから今度実家に戻ります。母さんとお兄ちゃんのところに会いに行こうと思います。その彼女にも会ってみたいし。本当にありがとうございました」

相沢エリは穏やかな顔になっていた。この子も幸せになってくれたらいいなと思う。


その夜またあの夢をみた。誰かに襲われる夢。犯人は捕まったというのに俺はまだ怯えているのだろうか。傷の痛みはまだ消えてはいなかった。

大きな事件もなくほぼ毎日事務所で仕事をしていた。一ヵ月がこんなに早く感じたことはなかった。あと一週間で家に帰る予定だったある日、母さんからの電話で俺は動けなくなった。ジョンが死んだ。

ジョンが俺の車に乗り込んだ時のことを思い出していた。いつもどこに行っているの?僕も連れて行ってよって乗って来たんだ。もうあまり生きられないって知っていたのだろうか。せめて俺が帰ってくるのを待っていてほしかった。これからはずっと一緒に暮らせたのに。俺のたった一人の弟ジョン。急いで家に帰った。すでに姉ちゃんがジョンに寄り添っていた。まるで眠っているようなジョン。だんだんと足が悪くなり病院に行くと胸にできものができていて、手術を提案されたが良くなるかどうかは分からないと言われた。少し様子をみているうちに食欲がなくなり、あっという間に亡くなった。食べることが大好きなあの食いしん坊のジョンが食べられなくなるなんて、辛かっただろうと俺は涙が止まらなくなっていた。母さんはごめんね。ごめんね。と何度も俺とジョンに謝っていた。もう少しで俺が帰ってくるからってジョンに言っていたそうだ。まさかこんなにあっけなく死ぬなんて思ってもみなくて、もっと早くお前に知らせるべきだったと母さんは泣きながら謝った。俺がいてもどうすることもできなかったと思う。ごめんよジョン。俺もジョンに謝るしかなかった。だけどさよならとありがとうぐらいは言いたかったよ。十歳のジョン、人間でいうと六十六歳くらいかな。早すぎる死だ。もっと長生きしてほしかった。俺はその夜ジョンのそばで眠った。朝になり夢にジョンがでてこなかったことが悲しかった。待ってたんだぞジョンお前なんで会いに来てくれないんだよ。ジョンの亡骸に向かって呟く。ペット霊園でジョンを焼いてもらった。焼かれている間、姉ちゃんとジョンの思い出話で盛り上がった。赤ちゃんの頃の天使から悪魔に変わったやんちゃぶりや体当たりされて青あざがしょっちゅうできたこと、食いしん坊でいつもなんかちょーだいって顔してたこと、人懐こくて近所の人からも可愛いがられたこと、そして甘えん坊だったことも。

「この子にもジョンに会わせたかったな。ジョンの声を聴かせると凄く動いたの」

姉ちゃんはお腹をさすりながら言った。ジョンもきっと姉ちゃんの子供に会いたかったはずだ。ジョンは自分が犬だと思ってなかったからな。人間のことが大好きな子(犬)だった。

俺は空へと昇っていく煙を見上げ、天国へと旅立ったジョンにありがとう!ずっとずっと大好きだよ!いつも俺の心の中にお前はいるからなと叫んだ(心の中で)


近藤の事務所は昔小さな花屋さんだった場所だ。何か訳ありらしく家賃が安かったそうだ。机や本棚椅子にテーブル等を買い込み事務所らしくなっていた。いよいよ明日で警察官ともおさらばか。我ながら警官の姿もかっこよかったなと思う。とにかく自分で決めたことだ。前へ進むしかない。前進あるのみ!だな。

その日は朝から挨拶や片づけやらで、午前中があっという間に過ぎ、相沢伸の捜索状況でお世話になった佐々木の所へも挨拶に行った。

「世話になったな。俺明日から探偵なんで何かあったら宜しく」

「おう、そうなんだってな。相沢伸も見つかったって?やるじゃないか。捜索願が出たらお前の事務所に案内しようか?」

「それもいいかもな。宜しく頼むよ。でも今回の件は近藤のおかげなんだ。あいつはできる男たぜ」

「近藤はできるやつだったよ。警察にいればまだまだ出世したかもしれないのに。あの事件は災難だったよ」

「災難かぁ。お前も頑張れよ」

「お前の方こそな」

佐々木は笑いながら手を振った。仙道さんに挨拶に行くと来客中だった。何やら申告な顔つきで会話していた。相手は老人のようにみえた。長くなりそうだと思い、おっさんの机に行くと書類の山ができていた。

「椎名さん、随分と貯めましたね」

「うるせぇ、何かと立て込んでてこの有様だよ。鈴木君手伝ってくれないかな」

両手を合わせてる。

「手伝えるわけないでしょ!色々お世話になりました。体に気を付けて頑張って下さい」

俺は頭を下げた。

「そうだったな。今日で終わりか。お疲れさん。また遊びに来いよ。俺の方が遊びに行くかもな」

「はい。いつでもどうぞ」

そしていよいよ帰宅する時間になったその時、事件発生の電話がなり皆バタバタと動き出した。

「お疲れ様。お前はもう帰れ、頑張れよ探偵君」

上司がそう言って俺の肩をたたいた。俺はただ頭を下げて皆が消えて行くのを見送った。

殺人事件なんだろうか。もう俺には関係ない。ただどうか誰も怪我しないように、そして誤認逮捕だけはしないようにと願うだけだ。


俺は何となく虚しい気持ちでアパートに帰った。あれ、電気がついてる。ドアを開けると姉ちゃんがいた。

「お帰り!お疲れ様」

「なんで姉ちゃんがいるんだよ」

「だって今日警察最後の日でしょ?どうせ誰からもねぎらってもらえないんだろうから、せめて姉である私がねぎらってあげようかなってね」

「義兄さんはいいのかよ」

「実は出張でいないのよ」

「そういうわけか」

「そういうこと!あとさ、引っ越しの手伝いもかねてね」

「助かります」

姉ちゃんは俺の好物の唐揚げやポテトサラダ、それからマーボー豆腐を作ってくれていた。ありがたかったし、嬉しかった。俺は小さい頃から姉ちゃんに何かと面倒みてもらったな。姉ちゃんは俺と違って頭も良くて、長女ということもありしっかりしていて、不出来な俺をいつも心配してくれていた。やっぱり姉弟っていいもんだな。

姉ちゃんに俺の布団で寝てもらって俺はこたつで寝た。朝になるともう姉ちゃんは起きていて、朝食の支度をしていた。結婚したらこんな感じなんだろうなとぼんやり姉ちゃんを眺めていた。

「おはよ!ほら早くしなさい!今日は忙しいよ」

「はい!今日は宜しくお願いします!」

こりゃぼーとなんかしてられないや。引っ越しといっても、もともと荷物なんてそんなにないけど、ダンボールに詰める作業が結構苦だ。本を縛ったり洋服を畳んだり細かい作業を姉ちゃんがしてくれた。俺は大きな荷物を動かしていた。その時玄関のドアが開いた。父さんだ。今日は仕事のはずでは?

「今日は仕事有給だ。こんな時にでも使わないと使わないで捨てるようだからな」

「助かります!」

洗濯機や冷蔵庫、俺ひとりでは到底無理だった。家の物置まで運ぶ。またいつか一人暮らしをする時まで保管だ。それか結婚する時かな(一生ないかもな)父さんの車と俺の車、それに姉ちゃんの車に積んで全部だ。たった一人りでも結構荷物ってあるものだな。最初の交番勤務の時は家から通ったから、ここでの暮らしは一年くらいだろうか。お世話になりました。頭を下げて玄関のドアを閉めた。家に着くと母さんがお昼を用意して待っていてくれた。

「おかえり!また今日から宜しくね」

「こちらこそ!またお世話になります」

なんか子供の頃に戻ったみたいだ。だが今は社会人だから甘えてばかりはいられない。明日には近藤が開いた事務所に行こう。初出勤だ。その夜俺は夢をみた。ジョンがボールをくわえて走っている夢。俺はジョンを追いかけるが、追い付かない。ジョンはどんどん遠くへ行ってしまう夢。目が覚めて俺は泣いていた。もうこの家にジョンはいない。

翌朝近藤の事務所に行くと、近藤はもう来ていた。すっかり事務所らしくなっていて、俺の机も用意されていた。

「ようこそ新入社員さん」

「これから宜しくお願いします」

「さて、事務所の名前どうする?」

「俺は人が笑顔になれる事務所にしたいんだ、だからスマイル探偵事務所ってどうだ?」

「笑顔になるのはいいけど、なんかダサイな、スマイルって」

「他になんかあるのか?」

「ない!」

「決定だな!」

俺が考えたスマイル探偵事務所に決まった。俺達も笑顔で対応しないとな。

「あとは事務員さんを募集しよう!若くてかわいい事務員さんがいいな」

「それは俺も賛成だ」

そして早速募集した。だが来たのはたった一人だった。六十一歳のおばちゃん。

「ちょうど会社を定年退職して探してたのよ。事務は長いからまかして!それから人生経験も豊富だよ!あとこれ一番大事!給料は安くていいよ!退職金結構もらったから当分は大丈夫。だって始めたばかりなんでしょ?あたしんちこの近くだから、ここに何ができんのかと気にしてたのよ、そしたら探偵事務所って、あたしそういうの大好きだから。そんでネーミングセンス!スマイル探偵事務所ってさ、気に入ったよ。きっと優しい人が経営するんだろうなって思って。そしたらあんた達若いでしょ、あたしの子供みたいなもんだもん、あたしみたいなおばさんがいた方がいいよ」

俺と近藤はあっけにとられておばちゃんの話を聞いていた。たしかに給料のことまであまり考えてなかったな。安い給料で働いてくれるのと、事務経験があるいうことで、このおばちゃんに決めた。佐藤千恵子六十一歳。家族は夫と二人暮らし。一人息子は二年前に事故で死んでいる。早速その日の内に働くことになった。家にいても暇だということだった。

「あたしのことは千恵子さんって呼んでね。そっちは洋ちゃんで、こっちは博君でいいかな」

なんで俺はちゃんづけなんだよ。確かに近藤は俺より四歳も年上だが、なんか子供扱いされてるみたいだ(子供と一緒か)

「はい。お願いします」

近藤と口を揃えて言った。近藤はチラシのフォーマットはできてると言って見せてくれた。なかなかいい感じだった。おばちゃんが横から顔を出しグーと言って親指を突き出した。それからホームページもできていた。さすが近藤仕事が早い!って感心している場合ではない。俺もチラシの印刷を始めた。まずは二百部印刷した。するとおばちゃんが百程取り、早速近所に配ってくると出て行った。俺と近藤はポカンとおばちゃんを見送った。そして二人して笑った。

「いい人が入ってきて良かったな」

近藤が言う。

「ああ。若くて可愛い人ではないが、こんな人が俺達には必要なのかもな」

さて俺もチラシ配ってくるかな。俺は駅前に行き、歩いてる人達へチラシを配った。こんなことするのは初めての経験だ。すぐにゴミ箱へ捨てる人、鞄の中に押し込む人、じっと眺めている人、様々だった。とにかく起動に乗るまで地道にやっていくしかない。チラシはすぐに無くなり事務所へ戻った。おばちゃんが帰ってきていてお昼の支度をしていた。お茶やコヒー、コップ等色々揃えてくれていた。

「どうせ家にあったって使わないものばかりだし、お昼一緒に食べよう」

そう言っておばちゃんが作ってきた煮物やおにぎり、漬物を出してくれた。おばちゃんはお茶を淹れながら、近所にポスティングしたことや、商店街に触れ込みもしてきたことを話した。口だけじゃなく体も良く動く人で感心する。

おばちゃんの料理は上手かった。おばちゃんは小柄でショートカット、化粧は濃いが美人な方かもしれない。食べながらおばちゃんをまじまじと見てしまった。近藤が俺達は元警官だということをおばちゃんに話した。そしてどうして探偵を始めようとしたのかも話した。おばちゃんは食べながら話を聞いていた。

「警察官も似合っていたろうね。でもあんた達はいい探偵になれるよ。あたしがついてるしね。でも無理はだめ。これだけは守ってよ。しんどくなったら休む。相談する。一人で抱え込むなんて絶対だめ。あたしの息子は仕事が忙しくてさ、毎日残業で疲れてたのに休まなかった。あたしは市役所の福祉課にいてね、困ってる人の相談にのってあげてたのに、自分の息子が悩んでるなんて知らなかった。そして仕事の帰りに崖から落ちた。居眠り運転だったのか、自殺だったのかはわからない。何もしてあげれなかった自分を責めた。仕事なんか辞めさせるべきだったのに。一年間は立ち上がれなかったよ。でもさ悩んだって泣いたってもうあの子は帰ってこないから、前を向こうと思って、あたしが暗いと旦那も暗くなっちゃって、電気がついてない部屋みたいにね。だからここのスマイル探偵事務所の看板見た時あたしも誰かを笑顔にさせたいなって思ったの。若い人達ちには無理してほしくない。命を大切にしてほしい。あんた達には元気に働いてもらうよ」

俺も近藤も何も言えなかった。子を亡くした親の気持ちはどんなにか辛いだろう。伊藤警部補のことを想った。そして近藤は元彼に殺された女性の母親のことを考ているのだと思った。あの事件は近藤の運命を変えたのだから。

午後になりチラシをもっと配るかどうか相談していると、来客があった。六十代の女性がチラシを手に入ってきた。

「こんにちは。探偵って犯人捜しもやってくれるの?」

「犯人って?どういうことでしょうか」

近藤が聞く

「実は下着泥棒を捕まえてほしいのよ。警察に行って来たけど全然動いてくれる様子ないから。私のお気に入りばっかり盗まれるんだからムカつく」

「し下着土泥棒?」

近藤と俺は思わず声を上げた。

「それはムカつくわよね。わかるわ。大丈夫この二人元刑事だから安心して待っていて下さい」

すかさずおばちゃんが口をはさみ、お茶を出していた。早速住所と名前を記入してもらっている。近所に住む阿部幸子一人暮らし結構派手目だ。おばちゃんとすっかり仲良くなり機嫌よく帰って行った。

「早速チラシの効果でたね。頼んだよお二人さん」

「看板出して初めての仕事が下着泥棒っていうのはちょっとな」

俺はやる気が失せていた。

「贅沢言わない!笑顔で対応できてなかったよ」

おばちゃんに怒られた。確かに俺達笑顔どころか不審者でも見るような顔だったかもな。早速その夜家の前で見張りを始めた。刑事の仕事を思い出す。だがその夜は現れなかった。

結局見張り始めて三日目に犯人は現れた。しかも阿部幸子の家ではなく、三件となりのアパートだった。俺達は簡単に捕まえることができた。男はまるで警戒していなかったのだ。そして交番に突き出した。男は隣町に住む学生で、派手な下着を盗むのが趣味だったようだ。

次の日、阿部幸子がお礼にとケーキを買ってきた。ケーキはイチゴのショートケーキにモンブラン、チーズケーキにチョコレートケーキだった。近藤がこれはじゃんけんで勝った人から好きなの取ろうということになり、一斉にじゃんけんをした。二回目で決まり俺が一番でおばちゃんと阿部さん、最後が近藤だった。結局言いだしっぺが最後になり、皆で大笑いした。おばちゃんは嬉しそうにコーヒーを淹れ、皆でケーキを食べた。

「俺は男ばっかりの三人兄弟だから何かとじゃんけんで決めてた、久しぶりにじゃんけんで盛り上がったな。思い出したよ子供の頃のこと」

「男の子三人ではお母さんも大変だったね、博君は何番目なの?」

「俺はしっかり者の長男です!」

「しっかり者は余計では?」

透かさず俺は突っ込む。

「あら、しっかりしてるよ博君は」

博君はってなんだよ。俺は口をとがらせる。二人のおばちゃんは笑ってる。

お会計もおばちゃんが何やら計算して請求していた。阿部さんは支払いを終え久振りに笑ったと言って嬉しそうに帰って行った。

「まいどあり!でもまた来るよあの人、寂しいんだと思う。ケーキ美味しかったね」

おばちゃんは阿部幸子の気持ちがわかるんだと思った。

「あのーすみません」

「はーい!いらっしゃいませ。どうぞ」

おばちゃんが案内してお茶を出す。三十代の女性が来た。夫の浮気の調査依頼だった。

「探偵らしい仕事がきたね」

おばちゃんは嬉しそうに言った。浮気調査は近藤が担当することになった。俺はチラシを印刷していた。もう少し客にきてもらわなくては。数日後その客は現れた。

神田由美二十八歳。黒髪が長く、目は切れ長でスラットした美人だ。いなくなった彼氏を探してほしいとのことだった。警察には相談していない。俺が担当することになり彼氏の写真を預かった。彼の名前は柴田裕也三十二歳。彼女が帰った後

「あの子どこかでみたことあるような。だめね。歳をとると直ぐに思い出せなくて」

おばちゃんが言った。とにかく俺は柴田裕也を探さなくては。預かった写真をよく見ると、彼氏の隣に写っている女性は神田由美ではない。似ているが違う。この女性はだれなんだろう。そこへおばちゃんが顔を出す。

「あっ思い出した!この子はここが花屋だったころに働いていた子だよ。確か自殺したって聞いた。しかもここで。可哀そうにまだ若かったよ。何があったんだろうね」

「自殺?ここで?だから家賃安いんだな。訳ありってこういうことか。おばちゃん知ってたの?」

「あたしは全然平気。ホラー映画大好きだし、お化けなんかより人間の方が怖いよ」

「確かに。ということは神田由美はこの子の姉なのかな」

「そうだね。似てるから見たことあるって思ったんだ。えっ、ていうことは、妹の彼氏なんだよ。この男が妹を自殺においやったんじゃないの」

「まさか。なんで神田由美はここに来たんだろう」

「その男を退治してほしいんじゃないの」

「退治って、鬼退治かよ。俺、柴田裕也探しに行って来ます」

俺は事務所を出たがどこへ行けばいいのかわからなかった。当てもなく歩いていると

「鈴木君、ボーとしてどうした?」

「仙道さん!」

俺は救世主にでも会ったように笑顔になっていた。早速訳を話すと落ち着いて話せる場所に連れて行ってくれた。仙道さんがよく行く茶店だった。まずは柴田裕也の写真を見せた。

「この男斎藤隆一だ、結婚詐欺で先日捕まったよ」

「えっ、柴田裕也じゃないんですか?しかも結婚詐欺で捕まった?」

「間違いないと思う。私の同期が逮捕したから」

俺は驚いていた。いったい何人の被害者がいたのだろう。

「詳しいことはよく知らないけど、三人の女性が警察に相談に来ていたみたい。こいつホントに悪いやつだよ。たいしてイケメンでもないのに口が上手いんだろうね」

騙す方が悪いに決まってるが、騙される方も用心が足りないような気がする。神田由美の妹は騙され自殺したということなのか。なんだか切ないな。

「そういえば仙道さんに挨拶にいったら男の人と話中だったので、そのままになってすみません。今度事務所に遊びに来て下さい」

「ありがとう。そうかあの時来たのね、あの男の人はね、私が捕まえた犯人の父親なんだ。息子に面会に行った日は大体挨拶に来るの。誰にも話せないようなことをさ、話に来るわけ」

「そうだったんですか。犯人の父親ですか。複雑ですね」

「最初は複雑だったけど、段々に身の上相談みたくなってさ、こっちの悩みなんかも話したりしてね。もう一年になるかな」

「へぇ、一年ですか。仙道さんだから話しやすいんでしょうね」

「そう、若い子にはもてないけど年寄にはもてんのよ」

仙道さんは笑いながら言って、餞別替わりに御馳走してくれた。

俺は事務所に戻って、神田由美に連絡をした。二時間後に神田由美は事務所に来た。

「神田さん、柴田裕也は偽名で、本当の名前は斎藤隆一といいます。先日結婚詐欺で逮捕されました」

「結婚詐欺?しかも逮捕された?」

神田由美の目から涙が零れ落ちた。お茶を出しにきたおばちゃんもちゃっかり俺の横に座って話を聞いている。

「実は私の妹が突然自殺したんです。ここに花屋さんがあって、ここで働いていたんです。妹は真面目な子で、彼氏なんてできたことなかったのに、二ヵ月程前突然彼氏ができたから紹介するって言ってきて、私は楽しみに待っていたんですが、段々と口数が少なくなって、悩んでるみたいだったのに、彼氏と喧嘩でもしたのかと思っていたんです。そしたらここであの子は死を選んだ。妹のそばにこの写真が置いてあったんです。裏に名前と日付が書いてありました。私はこの男のせいで妹は死んだんだと思いました。でもどうやってこの男を調べればいいかわからなくて、何にも聞いてなかったなって、私も仕事が忙しくてあまり妹にかまってあげなかったから、もっと私が聞いてあげていればって、後悔しているんです。だめな姉なんです。だからせめて復讐しようと思っていたのに逮捕されてるなんて、私はどうしたらいいのでしょうか」

「辛かったね。でも神田さんはもう何もしなくていいんだよ。お姉ちゃんのあんたが泣いてくれるだけで、妹さんはほっとして、そして今度は笑顔で妹さんの話をしていけば喜んでくれるから。いつまでも泣いていてはだめだよ。きっとお姉ちゃんのことが大好きだったと思うから、今度は神田さん、あんたが妹さんの分まで幸せになってください」

おばちゃんが俺の言うこと全部話してくれた。神田由美は泣きながら返事をした。

「だけどこの男の罪がもっと重くなるように、妹さんのことも警察に届けた方がいいのでは?」

俺はそう提案した。

「そうですね。私警察に行って妹のことを話してきます。妹は男の人に騙されるような子ではないんです。なのに…あの男が憎いです」

「きっと神様のばちがあたるよ。その男が反省しなくても神様は見てる」

「そうですよね。ありがとうございました」

神田由美が帰った後、俺とおばちゃんはため息をついて倒れるようにソファーに腰かけた。

「あの子大丈夫かな」

「大丈夫!女は案外強いんだよ!」

それはおばちゃんだからだよ、あの子はか弱いし若いし、心配だなと俺は思っていた。

今回の件は仙道さんのおかげで解決したようなものだな。仙道さんは加害者の親の相談を聞いていたなんて、「被害者の会」っていうのは聞いたことあったけど、加害者の親だって辛いよな。人殺しの家族も非難の目にさらされて、そこにはもう住めなくなって引越するしかないんだ。

近藤が帰って来た。浮気してる夫の調査は進んでいるらしく、夫が女とホテルに入る写真を撮っていた。

「決定的な証拠だな、でも奥さんは浮気を知ってどうするんだろう」

「そりゃあ離婚する時の慰謝料でしょ」

おばちゃんが言う。おばちゃんにもし旦那さんが浮気をしたらどうするか聞いてみた。

「そうね、うちの人に限ってそれはないと思うけど、もし浮気してたら子供だけは作らないでって言うかな。たまには他の女性とお茶したりおしゃべりしたりはいいと思うよ」

「寛大ですね」

「寛大っていうのは大げさだけど、あたしだってたまには他の男性とお茶ぐらいしたいな」

「そんな人いるんですか?」

「いるわけないでしょ!年下のイケメンいるわけないでしょ」

いるわけない!俺と近藤は顔を見合わせた。そして笑った。

それにしても世間には浮気だの不倫だのがあふれてる。昨日も浮気調査がきた。近藤が今の件が片付いたら調査することになっている。

「あのーすみません」

「あら、こんにちは。どうぞ入って」

女の子が立っていた。おばちゃんが中へ入れて座らせた。髪を二つに縛って赤いリボンをつけてる、黒と白の水玉模様のスカートをはいている可愛い女の子。

「どうかしたの?」

俺は笑顔で問いかけた。

「美穂の、私のルビーがいなくなっちゃったの」

「ルビー?」

「ビーグル犬です。探してくれませんか。お願いします」

女の子は泣きながら頭を下げて頼んでる。

仕方ない俺が探してやるか!女の子の名前は内田美穂十歳。俺と美穂ちゃんはルビーを探しに外へ出た。いつもの散歩コースを案内してくれた。それから商店街を見て回り、それから公園へ。どこにもルビーの姿はない。散歩している人にも訪ねてみたが無駄だった。

もう一度公園に戻り、椅子に座って美穂ちゃんから話を聞く。ルビーがいなくなってから二日が立つらしい。前にもいなくなったことがあるらしく、でもその時は一日で戻って来たという。

「誰かに連れていかれたのかな、その人が悪い人だったらどうしよう」

美穂ちゃんはまた泣き出した。

「美穂ちゃん、大丈夫お兄さんが必ず見つけるから、泣かないで。お兄さんも犬飼ってたんだよ。ジョンっていってルビーよりも体が大きな男の子だよ」

「ジョンっていうの?かわいい?」

「かわいいよ!でも天国にいっちゃったんだ」

「天国?死んだの?どうして?」

「病気で死んだんだよ。でも十歳だった」

「十歳?私と同じ歳だね、ルビーは三歳なの」

三歳かぁ、まだ若いな。ビーグル犬は猟犬だから、鳥でも捕まえに行ったか?

「川にでも行ってみようか」

俺は美穂ちゃんと近くの川へ向かった。やはり水鳥がいた。二人でルビーの名前を呼んだ。するとくんくんと鳴き声がした。

「あっ!ルビー」

ルビーがいた。うずくまっている。足に傷があり動けないでいた。俺はルビーを抱きかかえ、美穂ちゃんの家まで行った。おばあちゃんが出迎えてくれた。上がってお茶でもと言われたが丁重にお断りして帰って来た。美穂ちゃんはいつまでも手を振ってくれた。幸いルビーの怪我は大したことなさそうだった。

事務所に帰ったらおばちゃんが心配して待っていてくれた。もう帰宅している時間なのに。ルビーのことを話すと安心して、良かった、良かったと何度も言っていた。おばちゃんも昔犬を飼っていたらしい。雑種だったから長生きして十七歳まで生きていたという。でも死んだら寂しいよねって、おばちゃんは涙目になっていた。そしてあわてて帰って行った。

「おばちゃんずっとどうしたかなって心配してた」

近藤が言う。おばちゃんの犬も天国でジョンと会っているだろうか。

「近藤は犬飼ってなかったの?」

「もちろん飼ってたさ、犬も猫もいた。今は猫だけになったけどな」

やっぱり近藤の犬も亡くなってるのか。今度皆で犬の話で盛り上がれそうだな。

次の日美穂ちゃんのおばあちゃんが来た。ルビーを見つけてくれたお礼にとシュークリームを買って来てくれた。早速おばちゃんがお茶を淹れてくれた。

「ルビーの怪我はどんな具合ですか」

「おかげ様で人間の傷薬を塗ってみたら大分いいようです。いつも美穂がひとりでお世話してるもんですから、いなくなった時はそれは悲しみましてね。うちは男親がいないもんで、あの子が五歳の時でした。一人っ子だからルビーを妹のように可愛がっていて。ほんとなら娘、美穂の母親が挨拶に来るべきなんですが、娘は仕事でいつも遅いので代わりに私が来た次第です。本当にありがとうございました。お代はいくらでしょうか」

「大したことはしていませんし、ルビーは美穂ちゃんが探したようなものですから、気にしないでください」

「そうですよ、美穂ちゃんにいつでも遊びにくるよう言って下さい」

おばちゃんは笑顔で言った。美穂ちゃんのおばあちゃんは何度も頭を下げて帰って行った。

「美穂ちゃんお父さんいなくて寂しいだろうね。でもさ、美穂ちゃんのお母さんまだ若いよね、再婚とかしないのかね」

「子持ちは難しいでしょ、独り身だって難しい時代ですよ」

「あら博君彼女いないの?」

「だから難しいって言ったでしょ、出会いがないんですよ」

「出会いなんて待ってたらだめだよ、自分から進んで出会いの場に出掛けていきなさい」

「そんな暇ないし、今はまだいいです」

「あらそう、洋ちゃんどうなの?」

ついでに聞いてくるのやめてくれ。

「俺もまだいいです」

「そっか、二人とも今は仕事に生きるか。かっこいいね、お仕事頑張りましょう!」

おばちゃんは元気よく言った。

午後になって、浮気調査の結果を聞きに近藤のお客が来た。ピンクのスーツを着たきつそうな顔、しかも香水まできつい。

近藤は調査結果と写真を見せながら丁寧に報告した。その客は怒りながら

「これであの女に請求してやる。おいくら?」

近藤は目を丸くしている。すかさずおばちゃんが請求書を出す。

「あら意外と安いのね、また何かあったらお願いするわ」

そう言ってその客は帰って行った。

「驚いたね、旦那に慰謝料とるのかと思ったら、浮気相手の女に請求するんだね。女の敵は女って言うけど、怖いねー」

「夫婦生活はうまくいくんですかね、相手の女だって黙ってないでしょうに」

「もともとうまくなんかいってないんだよ、だから浮気されるんでしょ。旦那にはしっかり働いてお金さえ持ってきてもらえばいいんでしょ」

「そんなもんなんですかね」

「皆が皆そういう夫婦じゃないけど、どうなのお二人さんのご両親は?」

「うちは母ちゃんが強くてさ、父ちゃんいいなりだけど、よそに女の人作るなんて柄じゃないしな、仕事一筋みたいなところあるから」

「近藤の父ちゃんは元警察官だろう?そんな暇ないよな。うちも母さんが仕切ってて、父さんはいいなりだよ。毎日定時で帰ってくるし」

「洋一の父ちゃん何の会社?」

「うちは食品製造会社のサリーマン」

「へぇーどっちもちゃんとしたご両親だね。あんた達みてたらわかるけどね。二人とも真っすぐに育ってる、ご両親に感謝するんだよ」

二人で仲良く返事した。真っすぐに育ってるなんて初めて言われたな。それも両親のお陰か。

俺も近藤もちゃんと両親がそろってることは幸せなんだと思った。犯罪を犯す人は片親だったり、いなかったりが多いかもしれない。少なくとも俺が今まで関わった事件の犯人はそうだった。そういえば中学の同級生で、高校に入った時両親から本当の子供じゃないと告げられ、それから非行に走り、あげくには暴力団に入ったやつがいたっけ。本当の家族じゃなくても可愛がって育ててくれたのに、どうしてあいつは非行に走ったんだろう。中学まではいい子だったと思う。運動神経がよくて、たしかサッカー部の部長だった。面白くてクラスの人気者だった。両親は告げる必要があったんだろうか。あいつ今も暴力団にいるんだろうか。探してみようか俺は迷っていた。

「ちょっと洋ちゃんどうした?ボーとして」

「あっ、今考え事しててすみません」

「お客さんだよ!美穂ちゃんおいで」

今日はピンクのスカートをはいている。ルビーの散歩の途中で寄ってみたらしい。

「昨日はありがとう。ルビーね、ゆっくりだけど歩けるの」

「良かったね。お兄さんも一緒に散歩行こうか」

「一人で大丈夫。さようなら」

美穂ちゃんは帰って行った。

「なんかおかしいな、もっと明るい子なのに」

「洋ちゃん早く追いかけな」

おばちゃんに言われ俺は美穂ちゃんの後を追った。ルビーを引っ張りながら美穂ちゃんは急ぎ足で歩いていた。

「美穂ちゃん、やっぱりお兄さんも散歩してもいいかな」

美穂ちゃんはうかない顔つきで、周りを気にしてる様子だ。俺は美穂ちゃんとルビーを公園に誘ってベンチに座った。

「あのね、お兄さんのことお母さんの恋人ってクラスの子に言われたの」

ルビーを探してるところをクラスの子達に見られていて、そんな噂をされていたのか。

「美穂ちゃんはなんて答えたの?」

「ルビーを探してくれた探偵の人って言ったのに、皆ニヤニヤして聞いてくれないの」

「その子達は美穂ちゃんの友達なの?」

「違う、友達なんかじゃない。美穂には友達いないもん」

「友達じゃないなら気にすることないよ、そんな子達と友達じゃなくて良かったね。美穂ちゃんはまだ本当の友達に出会えてないだけだよ。今はルビーが美穂ちゃんの妹であり、親友でもあるんだろ?」

美穂ちゃんは不思議そうな顔して俺を見ていた。

「うん、今はルビーがいるから大丈夫。ルビーは捨てられて施設にいた子なの。殺処分される犬がいるって聞いて、お母さんと見に行ったんだ。たくさんいたけどうちは一匹しか飼ええないから、その中で美穂に一番懐いたのがルビーだったんだ。だから美穂がめんどうみてる。美穂にも本当の友達できるかな」

「美穂ちゃんならきっとできるさ、焦ることないよ。それに美穂ちゃんみたいな友達を探してる子いるんじゃないかな」

「ありがとう、おばあちゃんが心配するからもう行くね。」

「美穂ちゃん、また一緒に散歩してもいいかな?」

「うん、さようなら」

美穂ちゃんはルビーと帰って行った。俺が事務所に戻ったら、近藤とおばちゃんが心配そうな顔で待っていた。

「どうだった?もしかして美穂ちゃんいじめられてるの?」

俺は美穂ちゃんとのやり取りを話した。

「子供ってさ、傷つけるようなこと平気で言うんだよね。だけど所詮子供のすることだからあんまり大人が首つっこむのもね」

俺達は困った困ったと呟いていた。そしてこれからも美穂ちゃんを皆で見守っていくことにした。

帰りに暴力団に入ってしまった山田守の家に行ってみた。おじちゃんとおばちゃんは元気にしてるだろうか。

「おい、鈴木じゃないか、久しぶりだな」

「山田か?帰ってたのか?」

「ああ。俺この家出た後暴力団なんかに入って荒れた生活してたんだけどさ、女ができて暴力団抜けたんだ、結婚してさ、子供もできた。その女のお陰で真面目な生活してた。それで親のありがたみってやつをさ、実感したんだ。子供が出来て大変さがさ。血が繋がってなくとも育ててくれた親に、俺は酷いこと言って出たこと悔やんでさ。戻って来たんだ。あの時、本当の子じゃないって聞いて頭が真っ白になっちまったんだ」

「そうだったんだ。でも良かったな。俺警察辞めて今探偵やってんだ、ふとお前のこと思い出してさ、今日来てよかった。元気そうでホント良かった」

「そっか、お前警察やってたのか、捕まらなくてよかったよ。今は近くの工場で働いてるよ。父親になると色々生活変わるぞ」

山田はそう言って笑った。俺も一緒に笑った。金髪に染めてた髪も黒くなり短くカットして、少し浅黒い顔の山田はイケメンだ。

家に帰ってから母さんに山田の話をしてみた。

「あら言ってなかった?守君子供と可愛い奥さん連れて帰って来てさ、山田さん嬉しそうにこれで本当の家族になれたって言ってたんだよ。あたしも泣けてね。守君が出て行ってからずっと山田さん寂しそうだったから、ほんとに良かったよね」

そうだったんだ、元々山田は根はいいやつだからな。それにしても可愛い奥さんか。付き合う人って大事だよな。美穂ちゃんにもいい友達できるといいな。


それから数日がたったある日、素行調査の依頼がきた。いかにも真面目そうな男の人で、歳は六十歳くらいだろうか、俺の父さんよりかは上だと思う。

「娘が付き合ってる男性のことを調べて頂きたい。お恥ずかしいのですが、娘が初めて付き合った男性でして、もしや娘は騙されてるのではと心配なもので」

そういって封筒を差し出した。娘さんの彼氏は上野隆史三十歳。IT企業に勤めてる。娘さんは二十八歳市役所勤務だ。今回は俺が担当することになり、封筒を預かり一週間後に連絡することにした。男性は静かに頭を下げて帰っていった。

「娘が騙されてるなんて心配し過ぎだと思うけどね。今時珍しいタイプの男だよ」

おばちゃんが言う。

「真面目そうですもんね」

近藤が言う。

「家でもあんな感じなのかね、娘さんも真面目だから初めて付き合った人なんでしょ」

「俺まず会社から調べて来ます」

「いってらっしゃーい」

二人に言われた。その会社は東京だった。高いビルの一角にその会社はあった。上野隆史の写真も預かっている。すらっと背が高く、くっきりとした目鼻立ち、俳優みたいな顔立ちだ。昼休みに出てくることを期待して俺はビルの中を探索してみる。商業施設や飲食店なんかもあり、結構人が出てる。平日でも東京は人が多いな。十二時十五分上野隆史が出てきた。しかも一人だ。写真で見るよりかずっとイケメンだ。俺はバレないように後をついて行く。元刑事としてはお手の物だ。ところが、二百メートル先の曲がり角で見失った。慌ててキョロキョロ周りを見る。

「探してるのは俺?」

上野隆史が俺のすぐ後ろに立っていた。

「あっ、そのえっと」

もと刑事が呆れるな。俺はどもってしまった。

「もしかして探偵さんかな?一緒に昼飯でもどう?」

バレてる。察しが良すぎる。どうしようか考える暇はない。

すぐそばの洋食屋に入った。昼時とあって混んでいたが、なんとか座れた。

「お薦めは日帰り定食!今日はハンバーグ定食だけどどうする?」

上野隆史がまるで友達にでも言うように言ってくる。俺も同じものを頼んだ。

「どうして探偵だと分かったんですか?」

「つけられてたから、何も悪いことしてないし、刑事ではないと思った。となると探偵かと。付き合いだした子がいたからその家族が探偵を雇った?ぴんときたよ」

すぐにバレてたなんてショックすぎる。

「彼女とはどうやって知り合ったんですか?」

「ネットのお見合いサイト。そろそろいい歳だし、子供ほしくてさ」

「上野さんならいくらでもみつかるでしょうに、ネットで不安は無かったですか?」

「ちゃんとしたサイトだし、不安は無かった。理想の子と出会えたよ」

「その理想の子の親が心配して、調査を依頼してきたことをどう思いますか?」

「当然のことだと思う。こんな世の中だからね。俺のこと調べるの今日が初日だろ?」

「はい。なんでもわかっちゃうんですね。実は俺元刑事だったんで、みつからない自信あったんですけど、上野さん凄いですよ」

「へぇ元刑事さん、警察組織にうんざりしたかい?」

「そんなんじゃないです。警察もいい仕事でした。まだ探偵もなりたてで、これで一生食べていけるかまだわかんないですけど」

「どうせ調べていけばわかることだから、最初に言っておく、俺はトランスジェンダー。そして彼女も同じ。ずっと独身でいると親が心配するし、お互い子供が欲しいという理由。もちろん家族は誰も知らない。俺達二人の問題だから、ただ子供ができてその先のことまではわからない。けど皆同じだろう?愛し合って結婚しても離婚する夫婦は大勢いる」

俺はどうしていいかわからなくなっていた。運ばれてきた定食を夢中で食べて夢中で考えていた。

「確かに色んな形の結婚生活ありますよね。もしかしたらお互い愛し合えるかもしれませんよ」

「愛し合える?それは無いな。女に興味はない。彼女も男に興味は無いはず。ただ、大切な家族にはなれると思う」

大切な家族。それが一番大事なことだと思った。

「では真面目に彼女との結婚を考えているということですね。ちなみに今彼氏?はいるんですか?」

「真面目に考えてるよ。彼氏か、今はいない。この先はわからないとしか言えない。彼女だって同じだと思うけどね」

「ありがとうございました。もう少し上野さんのこと調べさせてもらってもかまいませんか?」

「調べるの大変じゃないか?言ってくれれば教えるよ」

「いえ、これが俺の仕事ですから。だけど確認して調べるってなんか変ですね。すみません」

「別にいいよ。こうみえて俺真面目な生活してるから、どうぞお調べ下さい」

そう言って上野隆史は笑ってくれた。そして洋食屋の前で別れた。

俺は上野隆史の住んでるアパートに向かった。上野隆史は栃木県の出身で、大学が東京でそれから一人暮らしをしていた。アパートの住民にそれとなく上野隆史のことを聞き込んでみるが、悪い噂は出てこなかった。上野隆史は頭が切れるし、性格もいいやつとしか思えなかった。あとは夕方にでも上野隆史の会社へ行き、同僚にでも聞き込みしてみよう。

「洋一じゃないか」

「えっ、おっ、椎名さんどうしたんですか?」

「俺はこの辺で今聞き込み中なんだよ。お前の方こそ何してんだ?」

「俺も今仕事中ですよ、事件ですか?」

「殺人未遂事件があってな。犯人は捕まったんだが、そいつの住んでる周辺を聞き込みしてんだ」

「まさかこのアパートですか?」

「犯人が住んでたアパートだ、それがどうした?」

「俺が調査している人もここに住んでるんです。偶然ですね」

「ホントだな、そいつ何て名だ?」

「上野隆史っていうんです」

「そいつイケメンだろ?」

「そうです!えっ椎名さん知ってるんですか?」

「俺の友達の元彼だ。もう別れて一年になるかな。俺も一度会ったけどいいやつだったぜ」

「椎名さんの友達って男ですよね?」

「そうだけど、なんで別れたか聞いてます?」

「なんかそろそろ結婚して子供が欲しいってことだったと思う。俺の友達は相変わらずひとりだけどな」

「上野隆史は女と結婚するのか?それで相手の親が調査依頼してきたってわけか」

「そうなんです。先程上野隆史と会って話してきたんですけど、女を愛するなんてできないってはっきり言ってました。でも大切な家族にはなれるって言ってたんです」

「恋愛と結婚は違うっていうやつだな。普通は好きでもないやつと一緒に暮らせないけどな、それにしてもなんで調査対象者と話してんの?」

「そうなんですよ、真っ先にバレて一緒に昼飯食べながら聞き込みしました」

「なんだそれ?お前下手だな、っていうか上手くいったのか」

「そうなんですよ、結果上手くいったみたいな、感じですかね」

おっさんと二人で大笑いしてしまった。おっさんと別れて、俺はまた上野隆史の会社に

向かった。ちょうど退社時間となり、会社員達がぞろぞろとエレベーターから降りて来た。だが上野隆史と同じ会社の人間が誰なのかまったくわからない。このビルには沢山の会社が入っている。途方にくれていると、女性が近づいて来た。

「どなたかお探しですか?」

なんて綺麗な女性なんだ、二十代後半か、髪は束ねていて薄化粧だが切れ長の目で、澄んだ黒い瞳が何とも美しかった。淡いオレンジ色のワンピースがよく似合っていた。

「はい、人を探しています。上野隆史という男性なんですが」

「上野でしたら、まだ勤務中だと思います。お呼び致しましょうか?」

「あなたは上野さんと同じ会社にお勤めでしたか。ちょっとお尋ねしたいことがあります。時間はとりません、よろしいですか?」

「はい。かまいませんけど」

その女性は少し不安そうに応じてくれた。上野は社員達からも上司からも評判はいいようだった。更に仕事はできるし、周りの気遣いもできた人間のようだった。特に女性からの人気は高いようだ。イケメンで仕事ができるんだから当然だな。しかし誰も彼がトランスジェンダーだとは思ってもいないだろう。俺は丁重にお礼を言ってその女性と別れた。

なんて付いてるんだろう。今日の俺。今日はもう事務所には寄らずに帰宅することにした。

事務所に電話をいれると、おばちゃんが興味津々で待っていたらしく、残念がっていた。明日は質問攻めにあうこと間違いなしだ。この件について皆で思案しなくてはならない。

翌日事務所に着くと、案の定おばちゃんがコーヒーを淹れて待っていた。近藤ももう来ている。俺は昨日の件を全部話した。二人とも信じられないといった様子だった。

「それで依頼人のお父さんにはなんて説明する?」

「でもまずは依頼人の娘(彼女)の方も調べた方がいいのでは?」

「上野隆史の言ってることが本当か確かめるってこと?」

「その上でお父さんに報告しないと納得いかないよね、第一信じられないでしょ、自分の娘が男を愛せないなんてさ、そういうのって病気の一種なんだっけ?性同一性障害」

「それって自分の意志とは別に体だけが異性になってるってことだよね?」

「上野隆史は外見も中身も男でしたよ、ただ女性に興味がないだけみたいです」

「それは病気とは言わないかもね。しかしもったいないね、イケメンなのに」

取り敢えず今日は依頼人の娘、安藤麗子を調べることにした。安藤麗子はK市役所の総務課に勤めていた。安藤麗子もまた美人な女性だった。こんなに美人なのに付き合った男がいないってことは、やはりトランスジェンダーなのか。話をしようと思った。昼休みに出てくるだろうか。俺は待つことにした。昼過ぎ安藤麗子が出てきた。

「安藤さん、すみません。ちょっとよろしいですか」

「なんでしょ?セールスならお断りですよ」

「いえ、突然すみません。私探偵の鈴木と申します。実はあなたのお父様から上野隆史さんの調査の依頼がありまして」

「わかりました。その先のカフェで食事をしながらお聞きします」

安藤麗子は焼きサンドのセットを注文した。俺は日替わりランチのカツカレーのセットを注文した。俺はアイスコーヒーを飲み一息ついてから、上野隆史と話たことを告げた。

「それは本当のことです。付き合ってはいませんが好きな人(女性)はいます。でもそんなこと両親には言えないし、孫をみたいってずっとうるさくて。上野さんはとても良い人だったから、子供つくるのにはちょうどいいかなって。お互い合意のことなんです。まさか父が調査依頼してるなんて知らなかった。鈴木さんお願いです、このことは父には内緒にして頂けませんか。娘が男の人を愛せないなんて知られたくありませんし、きっとがっかりするでしょうから。自分で言うのもなんですが、ずっといい子にしてきたんです。親に心配かけるようなこと全くしてこなかった。真面目に生きてきただけなんです。ただ好きになる人はみんな女性だった。男の人に興味ないんです」

「ずっと隠していくんですか?」

「隠せるものならずっと隠していきます。知らなくていいこともあるでしょ?わざわざ不幸になるようなことする必要がありますか?」

「不幸になるかどうかはわからないじゃないですか」

「不幸は大げさかな、でも幸せとはいえないでしょ?このまま独身を続けるよりかは結婚して子供つくるんだから。余計な心配させたくないんです」

「本当のことを言うべきかどうかはこちらで判断いたします。依頼人はお父様ですから」

その後一揆にカツカレーを食べた。安藤麗子はゆっくりと焼きサンドを食べていた。

「また連絡するかもしれません。今日は突然失礼しました」

「鈴木さん、宜しくお願いしますね。真実が正しいわけではないはずです」

俺は黙ったまま頭を下げた。カフェを出てボーと歩いていた。真実が正しいわけではないか。安藤麗子の言葉が頭から離れなかった。これまた事務所に帰ったら皆で思案だな。

事務所に着くとお客(依頼人)が来ていた。近藤が対応していた。おばちゃんが俺にコーヒーを持ってきた。

「また調査依頼だよ、前回の逆パターン、息子の彼女を調べてほしいってご夫婦で」

おばちゃんは小声で教えてくれた。そんなに自分の子供が信じられないのかな。なるようにしかならないのに。見た感じは普通のご両親だけど。帰って行く後ろ姿を眺めながら俺はそう思った。

「息子さんは財務省にお勤めだそうで、付き合った女性が高卒だから心配だとかなんとか言ってる」

「はあ?高卒を馬鹿にしてる言い方だね!自分の息子ができがいいからって、息子が選んだ女を信じなさいって言うの」

おばちゃんは怒った口調で言う。俺もその通りだと思う。

「でもさ、そんなに馬鹿にしてるようではないんだ、母親の方は高卒らしく、理解はあるようなんだけどな、父親の方が息子とつり合いがとれないって、だから女の悪い所を見つけ出してほしいようなこと言ってた」

「父親もお堅いお仕事なんでしょ?」

「そうです。元外務省にいたと言ってました」

「英語もペラペラなわけね。あたしらとは違う世界の人間だ」

「それよりも俺の話を聞いて下さいよ」

俺は安藤麗子の話をした。二人とも考えこんでいる。沈黙が流れていた。先に応えを出したのはやっぱりおばちゃんだった。

「あたしは安藤さんの気持ちわかるな。誰にも言えない秘密?みたいなものをずっと抱え込んで真面目に両親に心配かけないように生きてきて、優しい子なんだね。独身で生きてく選択肢だってあったろうに、孫をみせてあげたいっていうんだろう?なかなかできることじゃないよ」

「それじゃ、依頼人のお父さんには本当のことは隠して報告しろと?」

「本当のことを報告して納得してくれればいいけど、そう上手く進むかどうか。愛のない結婚を許すのかな」

「これは複雑な問題だから、時間をおいて考えたほうがいいね。依頼人のお父さんが来るまでまだ四日あるじゃない」

俺と近藤も賛成だった。もう少し考えてみることにした。近藤は早速依頼を受けた女性について調べることにした。依頼人の息子は渋谷豊三十歳。上野隆史と同じ歳だった。そして調査対象者は加藤ゆかり三十二歳。年上の彼女ってわけか。

その日美穂ちゃんがやって来た。しかも友達を連れて。

「こんにちは。今日はお友達を紹介します。池田まりちゃんっていうの」

「いらっしゃい!お友達を紹介しに来てくれたの?まりちゃんか、おばちゃんは佐藤千恵子っていいます。宜しくね」

おばちゃんは嬉しそうに二人にリンゴジュースを出している。

「俺は鈴木洋一です。宜しく!もうひとりのお兄ちゃんは出掛けてるからいないけど、近藤博っていうんだ。いつでも遊びに来てよ」

美穂ちゃんの嬉しそうな顔、ルビーを見つけた時以来だな。まりちゃんの髪は短くTシャツにジーパン、見た目は男の子みたいだった。そして美穂ちゃんは花柄のスカートをはいていた。二人はなにやらひそひそ話をしてまた来ますと言って帰って行った。

「良かったね、美穂ちゃんの嬉しそうな顔、やっぱり子供は友達と遊ぶのが楽しいよね、でもあの子どっかでみたことあるような」

「またですか?まりちゃんを?」

「そうなのよ、でも思い出せない。こりゃ時間かかりそうだ」

おばちゃんはよく見てるな。関心するよ。

おばちゃんは最近お昼は家に帰っている。俺や近藤が外に出てる時以外はいつも家に帰って、帰宅が遅くなってもいいように夕飯の支度もしてきてるようだ。

「思い出したよ!夕飯の支度してたらふいに思い出した、まりちゃんさ、前は髪の長い子だったから直ぐに思い出せなくて、近所に住む子なんだけどね、お母さんが夜のお仕事をはじめてから変わっちゃったみたいでさ、前は明るい子でね、髪を二つに縛ったり一つに縛ったりオシャレだったのに、あんなに短く切っちゃって、確かお父さんはいなかったんだよね、最初から」

そういえば美穂ちゃんもお父さんいなかったな。クラスに一人親ってどれくらいるんだろう?今はさほど珍しくはないだろうけど。俺が小学生の頃は離婚というよりは親を病気で亡くした子がいたかな。死んでしまったら二度と会えないけど、離婚はいつでも会えるはずだからまだいいような気がする。だがまりちゃんのお父さんは最初からいないって言ってた。お父さんのこと何も知らないのかな、未婚の母なのだろうか。

「洋ちゃん?何考えこんでるの?」

「あっ、色々と考えてました、まりちゃんと美穂ちゃんのこと」

「お互いお父さんがいないからお友達になれたってことじゃないと思うけどね。でも仲良さそうだったから良かったよね」

「ルビーの散歩も二人でするんでしょうね、俺の出番なくなったな」

「また出番がきたら行っておいで」

おばちゃんは笑いながら言った。俺も笑って答えた。

夕方近くに近藤が帰って来た。加藤ゆかりを調べていた。加藤ゆかりは父親と弟の三人暮らし、母親を小学生の頃病気で亡くして以来、ずっと母親代わりのように生活してきている。父親も真面目な性格で、悪い噂もないが弟が引きこもりのようだった。姉のゆかりは優しい性格で弟の面倒をよくみていたが、中学の時に受けたいじめがきっかけで、引きこもりになったらしい。もう十年以上も引きこもりを続けてる。加藤ゆかりは高校を卒業した後、近くの信用金庫に勤めた。親切でお客からの信頼も厚く真面目で男の噂もない。渋谷豊とは最近知り合ったらしい。渋谷の同僚が合コンを計画し、たまたま加藤ゆかりが勤めている信用金庫の女性と渋谷の同僚が知り合いだったことから合コンをした。渋谷の一目惚れだったようだ。渋谷は加藤ゆかりの生活をすべて知っている。親が反対しようと意志は固いと思う。

「依頼人の親は彼女の悪い所を見つけてほしいと言っていたが、弟が引きこもりというだけで何も悪い所は見当たらないんだ、弟のことだって何も彼女のせいじゃないし、もしかしたら姉が結婚することで、外に出るきっかけになるかもしれない。この女性はいい奥さんになると思う。反対してる親が馬鹿だよ」

近藤は珍しく怒っていた。

「本当だね、今時こんな子珍しいよね。地味な性格なんでしょうに、渋谷さんには他の着飾った女性よりもゆかりさんが輝いてみえたんだよきっと」

「渋谷は見る目があるってことですね」

俺も久々に感動していた。見た目よりも中身で一目惚れするなんて。

「そういうこと、加藤ゆかりは千恵子さんの言うように地味で、決して美人ではないが清楚な感じが人を引き付ける要素なのかもしれない」

「そのまま依頼人には報告するといいね」

「はい。きっと納得してくれると思います。息子が選んだ女性は素晴らしい女性だと気づいてほしいです」

「博君の方はそれでいいとして、洋ちゃんの方はどうする?」

「俺考えたんですけど、やっぱり本当のこと報告したら皆笑顔になれないよう気がして、こういう場合は嘘も方便ということで、依頼人のお父さんには二人がトランスジェンダーだということは伏せて報告します」

「俺もそれでいいと思う。もしばれたらその時考えればいいよな」

明日は依頼人よりも先に安藤麗子に報告に行くことにした。

安藤麗子は昼休みに役所を出て来た。

「安藤さん、少しだけいいですか」

「はい」

安藤麗子はうつむいていた。

「事務所で検討したんですが、お二人のトランスジェンダーの件は伏せて報告します。うちの事務員が安藤さんの気持ちがわかるって言って俺なんかの意見まるで聞かないんです。うちの事務所の名前スマイル探偵事務所っていうんですよ。皆が笑顔になれるようにって付けた名前なんです。だから悲しい気持ちになる人がいたらだめだから」

その先を言おうとしたら、安藤麗子は泣き出した。

「ごめんなさい。その事務員さんにありがとうございますって、私の気持ちわかってくれてありがとうございますって伝えて下さい。私こんなんで幸せになれるかどうかわかりませんが、前を向いて生きていきますから、上野さんと一緒に」

安藤麗子は笑顔になっていた。俺は胸のなかにあったモヤモヤしていたものがすーっとなくなっていくのがわかった。

「お幸せに」

それだけ言って別れた。上野隆史と幸せになってほしいと願わずにはいられなかった。

夕方、安藤麗子の父親(依頼人)が来た。俺は上野隆史についてトランスジェンダー以外のこと全て報告した。依頼人は少し考えていたようだったが、納得して帰って行った。

「ひとまず良かったね。少し間があったから焦ったよね」

「何か言われるのかと俺も焦りましたよ」

「笑顔にはならなかったけど、納得したようだから良しとするか」

「おっさんが笑顔になったら気持ち悪いでしょ」

おばちゃんが笑う。おっさんか、今日はおっさんちにでも行ってみるかな。ちょうど渡すものもあるしな。俺は久しぶりにおっさんちに行った。おっさんは夕飯の支度をしていた。俺が来て更に料理を追加して御馳走してくれた。

「そういえばさ、上野隆史の件はどうした?気になってたんだよ」

「はい、うまくいきましたよ。相手の女性とも会ってきましたが、美人でお似合いのカップルですね、人はみかけによりませんよ、まさか二人がトランスジェンダーだなんて思ってもみないですよね、もちろん依頼人のお父さんには報告しませんでした」

「それは良かった。何も本当のことなんかわざわざ教える必要ないよ、俺もさ、今関わってる事件がなかなか厄介な事件でさ、同じ会社に勤めてる女が一方的に男を好きになって、無理心中をはかったんだけど失敗した。男はただ優しく接しただけらしいが、女は大きな勘違いをした。優しくした男が悪いのか勘違いした女が悪いのかどっちだと思う?」

「なんですかそれ?俺は勘違いした女が悪いと思いますけど、ただ優しくしたって言ったってどういう優しさなんですかね」

「それだよ、仕事上の付き合いってやつで、女にコピーを頼んで笑顔でお礼を言うような感じらしい」

「それで勘違いしますか?そんなの日常茶飯事なような気がしますけど」

「だから謎なんだよ、どっちかが嘘を付いているようでさ」

「嘘?まさかホントは深い付き合いだったってことですか?」

「かもしれないと思ってさ、今調べてるんだ」

おっさんも相変わらず忙しそうだ。そうだおっさんに渡すものがあったんだ。

「椎名さんに是非聴いてもらいたCDがあって、今日持ってきたんです」

「このグループの歌は聴いたことはあるけど」

「このアルバムの中の歌がすっごく気に入ったんで、後でゆっくり聴いてみて下さい」

俺はCDを預けて帰った。きっとおっさんも気に入ってくれるはずだ。

椎名幸一はCDを聴きながら泣いていた。まるで妹の別れた夫が歌っているみたいに聴こえてきたからだ。妹の元夫は今どうしているのだろうと心配してることを洋一に話たから、あいつこんな歌きかせやがって。二人が暮らしていた時確かに幸せだったんだ。この歌のようにきっと今ならお互いの気持ちにぴったりかもしれない。ありがとうの言葉を明るく言えるはずだ、今ならきっと。妹にも聴かせよう。椎名幸一は久しぶりに流した涙で心が洗われたようだった。


翌日事務所に予定よりも早く渋谷豊の両親がやってきた。俺とおばちゃんは驚いてそわそわしていたが、担当の近藤はもう準備ができていた。

「相手のことはもう調べは済んでますか」

「もちろんです。ご連絡差し上げるつもりでした。息子さんは実にお目が高いですね。大変良い女性です」

「なんですと?ちゃんと調べたのかね?あの娘が良い女性な訳がない!息子は騙されているに決まっている。あんたも騙されているんだよ」

「いいえ。私はちゃんと調べさせて頂きました。小学生の頃に母親を亡くしてからは、自分のことよりも家族の為に生きてきた。世話好きでお人好しのどこがいけないというんですか?息子さんはこの女性と結婚したら絶対に幸せになれと確信しました」

「私が言うのもなんですが、苦労は買ってでもさせろって言うでしょ?この娘さんは人には言えない苦労をしてます。息子さんが選んだこの娘さんとの結婚を許してあげて下さい。お願いします」

おばちゃんがみかねて口をはさんだ。

「なんなんですか?あなたは。人んちのことに口をはさむのはやめて下さい!余計なお世話ですよ。我が家には合わないと言ってるんです」

「渋谷さん、結婚は家とするんじゃない。本人同士が好き会っていれば成立するんじゃないですか?」

近藤が言った。俺もその通りだと思う。このままだと駆け落ちみたいな形になる。それはだめだ。両親に喜んでもらえない結婚は悲しすぎるし、加藤ゆかりは望まないだろう。反対されてると知ったら彼女はきっと断るに違いない。そしたら渋谷豊は家を出るだろう。そうなったら…

「渋谷さん、息子さんが家を出てもいいんですか?そして親との縁を切るとまで言い出しかねませんよ、それでも反対されますか」

俺が言おうと思ってたことを近藤はきっぱりと言った。

「わかりました。息子が豊が選んだ娘さんに会ってみようと思います。お父さん、もういいでしょ?この人達の言うことを信じましょう」

今まで黙っていた母親が言った。まるで最初から賛成していたかのようだった。

父親は無言で悲しそうな奥さんの顔をじっと見つめていた。そして二人は立ち上がり無言で頭を下げ帰って行った。

「はあ~どうなるかと思ったよ。思わず口出しちゃったけどまずかったかな?」

「千恵子さんが言ってくれて助かりましたよ。俺なんかより説得力ありますもん」

「でも最後はお母さんが折れてくれたね。やっぱり息子に出て行かれたらショックだもの。もともと息子可愛さからのことだからね。加藤ゆかりさんと幸せになってほしいね」

「あのご両親ですからね、まだまだすんなりいくかわかりませんが、結婚してほしいですね」

「さてとコーヒータイムにしよう!」

おばちゃんが元気よく動き出した。俺達もほっと一息コーヒーを飲む。

「今日のコーヒーは特別美味しいな。千恵子さん、これいつものコーヒーですか?」

「やっぱり博君は違いがわかる男だね、昨日スーパーで美味しいコーヒーっていうの買って来たのよ。今日は特別に早速淹れてみたけど美味しいなら良かった」

「美味しいコーヒーってなんですか?」

「そういうネーミングだったの!面白いでしょ?ところで洋ちゃんは違いがわかった?」

「いやーいい仕事の後だから美味しんだと思ったんすけど、言われなかったら分かんないかな」

「そんなもんだよね。あたしもそんなに違いがわかんないや。それから浮気調査何件か来てるから宜しくね」

俺達は返事をした。最近はおばちゃんも簡単な調査依頼は受付してる。俺達が留守をしてることがあるためだ。おばちゃんがいてくれて安心して調査に出掛けられる。

浮気調査も回を重ねると人間不信になりそうだった。


半年が過ぎた頃一人の女性が現れた。その人は相田若菜二十六歳。今年の春に医者になったという。美しい女医に俺達はつい見惚れてしまった。

「お医者さん?何科なの?」

おばちゃんがコーヒーを淹れながら聞く。

「外科です。手術がしたいから。私変わってますから」

「変わってなんかないですよ。でもまるでドクター何とかみたいですね」

「あのドラマ好きだなー」

「話がそれてすみません」

おばちゃんは口に指で×をして静かになった。

「人を探して頂きたいんです。私の初恋の人。高校一年の時の英語の先生、桜井真一。当時二十五歳だから、今は三十五歳にはなってますね。結婚してるかもしれませんが、今どうしているのか知りたいんです。母親の病気のせいで東北の病院へ行くことになり、先生も学校を辞めて東北へ行ってしまいました。突然に。私は自分の気持ちを伝えたかったし、先生のお陰で学校に来る楽しみ、いえ、生きる喜びを与えてくれた。そのお礼を言いたかったのに。何もできない自分が情けなくて、しばらくの間は何も手につきませんでした。成績も落ちて両親からひどく責められました。責められるのはいつものことだったんですが、私は自殺を図ったんです。一緒に住んでる祖母が見つけてくれて未遂に終わりましたが、病院に運ばれ数日入院しました。何も先のことなんて考えてなかったんですけど、その時に医者になろうと思いました。それからの私は夢中で勉強しました。先生への気持ちを忘れることができたし、だからこうして医者にもなれた。やっぱり先生のお陰なんです。本当は私が探しに行くべきなんですが、今は仕事を優先しなくてはならないので、そんな時こちらのチラシを目にして、お願いすることにしました。どうぞ宜しくお願いします」

「内容は分かりました。それで先生を見つけたら相田さんはお会いになるんですか?」

「それは…まだわかりません」

「今も東北にいるかどうかは分かりませんが、こちらとしては見つかるまで探させて頂きます。時間はかかるかと思いますがよろしいですか?」

「もちろんです。何日かかってもお待ちしています」

相田若菜は少し安心したような様子で帰って行った。

「お医者様かあ。お金はあるね。美人で頭が良くて、何にも悩みなんかないように見えるけど、あるんだね。いくらでも恋人できるだろうに。初恋の力っていうのは凄いね。そういえば私も最近初恋の人見たんだけど、一揆に覚めたよ。おっさんになってた」

いや自分もオバサンだから。俺は突っ込みたかったが止めた。

「この件は洋一、お前がやってくれるか?」

「ああ。俺が探してみせるよ」


早速俺は東北大学病院へと向かった。着いたのはもう暗くなるころだった。受付で入院患者のことを聞き込みしたが、十年も前のことなので、記録は破棄されていた。

「この人に見おぼえないですか?」

俺は相田若菜から預かって来た桜井真一の写真を見せた。

「この人、憶えています。東京から来られてお母さんを入院させました。三カ月ほどで退院していきましたよ。この人英語がペラペラで、助けてもらったんです。先生達は英語話せても事務員達はそうはいかないでしょ、受付に外国人が来て困っていたらこの人が会話してくれて、しかもイケメンだったから憶えてました」

横から見ていた事務員が答えてくれた。英語の先生だからな、ペラペラなわけだ。俺は住所を知りたいと伝えたが無理だった。仕方がないので明日近辺の高校をあたることにした。

俺は駅前のビジネスホテルに泊まることにした。仙台は意外と都会だった。夕飯は近くの居酒屋に行き、名物の牛タンをたらふく食べた。美味かったせいもありビールを二~三杯飲んでしまった。俺は酒があまり強くなかった。千鳥足でホテルに向かう途中に数人の男達とぶつかり口論になった。そして気が付いたら殴られ倒されていた。

「大丈夫ですか?」

「なんとか」

俺はそう言って立ち上がろうとしたがよろけて立てない。すると声をかけてくれた女性が手を差し出してくれた。その女性は二十歳くらいに見えた。もうあの男達の姿は無かった。元刑事がなんてざまだ。

「ありがとう。もう大丈夫だから」

「鼻血出てますよ」

そう言ってポケットティッシュをくれた。みるみる真っ赤に染まっていくティッシュを何枚も使ってしまった。

「それあげます。それより早く冷やした方がいいかも」

殴られたせいで鼻と頬が腫れていた。ちゃんと歩けない俺のことを心配して、その女性はホテルまでついてきてくれた。フロントで氷を貰ってタオルで冷やした。ベットで横になった瞬間に一日の疲れからかビールのせいからか寝てしまった。どれくらい寝ただろうか。窓の外はすっかり明るくなっていた。時計の時間は六時だった。夢をみていた。あの恐ろしい夢じゃなく、ジョンが俺の前に現れ何か言いたそうに俺の目をじっと見ていた。俺は「ジョン」って大声で呼んでみた。ジョンは笑っているようだった。そこで目が覚めた。何を言いたかったんだろう?急いでシャワーを浴び鏡を見ると大分鼻と頬の腫れはひいていた。そうだ、あの女性は?もちろん部屋にはいなかった。俺はなんてことしてしまったんだ。名前も聞かずに、お礼も言わずに。俺は寝てしまったわけだ。

「あーあ悪いことしたな」。

思わず声を出した。取り敢えずフロントに行って話を聞くことにした。

「すみません、昨日私と一緒にいた女性に見おぼえはありませんか?」

「さあ、見覚えはございません。何かあったんですか?」

「いえ。殴られた私を通りかかった女性がここに連れてきてくれたものですから」

「防犯カメラ見ますか?」

「はい。いつ帰ったのかもしりたいので、助かります」

フロントの女性は気が利いていた。防犯カメラを見させてもらってるとコーヒーを淹れてくれた。俺が出て行ったのが十九時過ぎで、女性と一緒に戻って来たのが二十二時だった。そして二十三時過ぎにその女性は出て行った。

「あっ、この女性は多分近くのコンビニでバイトしてる子ですよ」

防犯カメラを見ていたフロントの女性が気が付いたように言った。助かった。これでお礼に行けると思った。その女性は夕方からコンビニでバイトしているようだった。学生かもしれない。それにしても一時間も俺のそばで看病してくれたのだろうか。

その日俺は高校を何件も回った。そして七件目で見つかった。桜井真一はこの学校にいた。

俺は夕方まで待った。桜井真一の家を確かめたかった。できれば今の様子を写真に収めたかった。相田若菜に見せるために。夕方桜井真一は学校から出てきた。バス停に立っている。

俺もそのバスに乗ることにした。なるほど近くで見ると写真よりもイケメンだ。こりゃ一目惚れされるよな。そして四つ目のバス停で桜井真一は降りた。俺も慌ててバスを降りた。まるでストーカーだな。気がつかれないよう後ろからついて行く。すでに団地の中に入っている。そうか桜井真一は家を建てたのか、ということは結婚してるのか。赤い屋根で黄色の壁のその家に桜井真一は入って行った。表札には桜井と書いてある。間違いないな。庭にはたくさんの花が咲いていた。車は一台止まっている。何人家族なんだろうか。ウロウロしていたら、近所の人なのか犬の散歩をしてる人がいた。話しかけてみた。

「すみません。私桜井真一さんを探してます。この辺だと聞いてきたのですが、知ってますか?」

「ええ、すぐそこの家ですよ」

「ありがとうございます。よろしければ家族構成なんか教えてもらえますか?」

「あなたどういう関係?もしかして刑事かなにか?」

その女性は不審者でもみるように俺のことを上から下まで見ていた。

「実は探偵なんです。桜井先生の教え子からの依頼なもので」

「なるほどね。探偵さん。桜井さんは高校の先生でしたね。奥さんも確か先生ですよ。女の子が一人いたかな。可愛い女の子でね。それからおばあちゃんも一緒に暮らしてると思いますよ」

「ありがとうございます。おばあちゃんは桜井さんの親ですか?」

「そう。息子さんの親ですね。自慢の息子さんみたいで、一人息子って言ってたかな」

良かった。お母さんは元気になったんだ。都会からこっちに来て良くなったんだと思った。

俺はその人にお礼を言って、また来た道を帰って行くことにした。バスを降り、ホテルの近くのコンビニへ向かった。昨日のあの女性に会うために。

「いらっしゃいませ、あっ、もう大丈夫ですか?」

「昨日はありがとう。俺お礼もいわないまま眠ったらしいね。ごめん。夕飯でも御馳走するけど」

「お礼なんていらないけど、明日学校休みだから、お昼御馳走になろうかな」

「了解!明日ホテルの前で待ち合わせでいいかな?」

「はい」

笑顔で答えてくれた。俺は夕飯の弁当を買ってホテルに戻った。女性の名札には神谷と書いてあった。明日のことを考えていたらワクワクしてきた。デートっていうのはこんな気分になるのかもな。残念ながらデートではない。

次の日は朝早く桜井真一の家の前で待った。カメラを片手に。最初に出てきたのは奥さんと女の子だった。保育園に入ってるんだろう。確かに可愛い子だ。髪を二つに縛りピンクのリボンをつけている。花柄のスカートをはいていた。奥さんも黒髪で色白の綺麗な人だった。何枚か写真を撮った。その後、桜井真一が出てきた。今日もスーツが決まっている。それから近くの交番に行った。家族の情報を教えてもらえるかもしれないからだ。そこの交番には三十代の巡査が勤務していた。俺は自分のことを色々話した。そしてどうしてここにきたのかも話した。巡査は興味深々という感じで話を聞いていた。そしていくつかの情報を話してくれた。

桜井真一は五年前に母と二人で引越てきたという。あの家は中古住宅だった。その後結婚して子供ができた。その子の名前を聞いて俺は驚いた。桜井真一の切ない気持ちがわかったような気がした。

「それにしても探偵かあ、俺も憧れます。依頼があれば日本全国探して歩くんですか?」

「もちろんそのつもりです。でもまだまだ始まったばかりですから、先のことはわかりませんけどね」

そんなやりとりをして俺は交番を後にした。

彼女との約束の時間がせまっていた。慌ててバスに乗り込んだ。待ち合わせの場所に行くともう彼女は来ていた。

「すみません。待ちました?」

「今来たところです」

彼女は笑顔で答えてくれた。何が食べたいかと聞くと美味しいものと言うので、なんでも揃っているファミレスにした。彼女の名前は神谷美香二十一歳。

「私こう見えて医大生なんですよ」

「そうなの?頭いいんだね。何科の先生になるつもり?」

「動物。獣医を目指してる。小さい頃から動物が好きでさ。今も実家には犬と猫がいるし、鶏やウサギもいたことあった」

「へえ、それは凄いね。美香ちゃんが面倒みてたの?」

「私とおばあちゃんがね。小学校の時両親が亡くなって、おばあちゃんと二人暮らしだったんだ。動物が好きだけじゃ厳しいよね。結構勉強が大変で、バイトなんかしてる場合じゃないんだけどさ、奨学金だけじゃ足りなくて」

「そっか。でも偉いね。おばあちゃんは元気なの?」

「うん。元気。実家は福島なんだけど、最近はなかなか帰れないからおばあちゃん心配してるけどね」

「そりゃあ女の子の一人暮らしは心配するだろう」

「だから電話はちゃんとしてるよ。そういう鈴木さんだって、先日は危なかったよね」

「ああ、つい弱いのにビールなんか飲んじゃったから、フラフラしちゃって。あの時はありがとう」

「私が悪い女だったら、財布とか携帯とか盗んでとんずらしてたかもよ」

「そうだよな、危ない所を本当にありがとうございました。俺が寝た後もずっといてくれてたよね」

「だって冷やしたタオルがずれちゃうからずっと抑えててあげてた」

なんて優しい子なんだと思った。俺は深々と頭を下げた。そして二人して笑った。彼女の注文した海鮮丼が運ばれてきた。次に俺の焼肉定食が運ばれてきてお互い食べ始めた。なかなか肉が柔らかくて上手かった。海鮮丼も具沢山でおいしそうだった。それから彼女はチョコレートパフェを頼んだ。彼女はおいしそうにパクパク良く食べる。食べてる時が一番幸せと言って嬉しそうに食べていた。

「探偵って仕事も大変そうですね。もしかして仙台は初めて来ました?」

「初めて来た。意外と都会で驚いたよ。今回は捜索対象者が早く見つかったから楽な方だった。こんな出会いもあってついてたよ」

言ってから恥ずかしくなった。まるで彼女に会えて嬉しいみたいじゃないか。いやその通りなんだけど、なんて言ったらいいか考えていると

「ホント、不思議な出会いですね」

彼女はあっけらかんとしていた。気にして損した。

「私卒業するまであのコンビニでバイトしてますから、また仙台に来た時は誘って下さいね」

「そうだな。声かけるよ。勉強頑張って」

「はい。必ず獣医になってみせます。そして傷ついた動物や病気の動物達を治してあげるの。できれば動物園に入りたいと思ってる。今日はご馳走さまでした」

「動物園かあ。あと、もし困った時は連絡して」

俺は名刺を渡した。

「スマイル探偵?いい名前ですね」

彼女は微笑みながら言った。そして俺達は別れた。

彼女の目はキラキラと輝いていた。この子ならきっと獣医になれるだろう。芯の強そうなしっかりとした性格だ。小さい頃に両親を亡くしてるって、色々苦労してきてるんだろうな。そんなことを想いながらホテルに戻り身支度をした。今からなら夕方には事務所に帰れそうだ。


新幹線に揺られながら神谷美香のことを考えていた。動物が好きなだけで獣医になろうと本当に思ったのだろうか。もっと話がしたかったと俺は後悔していた。髪はショートカットで化粧もしていない、澄んだ黒目に少し日焼けした肌は健康的な印象だ。そして人を引き付けるような笑顔が可愛かった。また会える日が来るだろうか。そっか、ジョンはこの子に会わせてくれたのか?動物好きな優しい女の子に。それから俺は目を閉じた。急に睡魔が襲って来た。気が付いたら間もなく大宮駅に着くところだった。危なく乗り過ごすところだった。事務所に着くと、近藤もおばちゃんも俺の帰りを待っていた。

「お帰り、疲れたでしょ、でどうだったの?」

早速コーヒーを淹れながらおばちゃんが質問してきた。近藤は黙って椅子に座ったままだ。

「桜井真一をみつけましたよ。残念ながら結婚してました」

「やっぱりね。イケメンを世間の女性達がほっておくわけないよね。それでお母さんは?」

「元気になって一緒に暮らしてました」

「それは良かった」

「意外と早く見つけ出せたな。依頼人もびっくりするんじゃないか」

「ああ、色々ついてた」

「あら、色々って何?」

「えっ、いや、別に」

俺は余計なことを言ってしまった。

「何よ怪しいな、言いなさいよ」

おばちゃんのしつこさに根負けして、あの夜の話を聞かせた。

「そんな出会いがあったの?いいじゃないの。それでその子は可愛いの?」

「まあまあかな」

「ということは可愛いってことだね。良かったね、洋ちゃん」

「別に良くないでしょ、もう二度と会えないかもしれないんですよ」

「そんなのわかんないじゃない、名刺渡したんでしょ?そのうち連絡くるかもよ」

おばちゃんはニヤニヤしていた。近藤もにやついていた。俺は気恥ずかしかった。

それから相田若菜に連絡をした。思っていたより早かったせいか相田若菜は少し黙っていたが、明後日に事務所に来ると言った。家に帰ると誰もいなかった。いつもなら夕飯の時間なのに。俺は母さんの携帯に電話してみた。

「もしもし、洋一帰ってきたのかい?」

「今どこ?」

「お姉ちゃんが陣痛きたから、父さんも一緒に病院に来てる」

「えーっ俺もすぐ行くよ」

俺は焦った。もうそんな時期だったのか、すっかり忘れていた。急いで車に飛び乗り、病院まで走らせた。病院までは車で二十分で行ける、いよいよ会えるんだな。男の子か女の子か、とにかくワクワクして運転していた。病院に着くと分娩室の前で父さんと祈るように手を合わせてる母さん、そしてソワソワして落ち着かない様子の義兄さんがいた。

「オギャー」

「あっ、生まれた」

皆一斉に声を出した。

「旦那さん、中へどうぞ」

看護師さんに呼ばれて、義兄さんが分娩室へ入って行った。母さんは泣いていた。

「良かった。無事に生まれてきてくれて本当に良かった」

しばらくしてから、看護師さんが赤ちゃんを抱いて来てくれた。

「元気な男の子ですよ」

「初めましてばあばですよ」

母さんが赤ちゃんへ覗き込むようにして挨拶をした。

「おじさんですよ」

俺も真似して挨拶をした。

「じいじですよー」

父さんもすかさず覗き込んできた。

そしたら姉ちゃんが疲れ切った顔して義兄さんの押す車イスに乗って出てきた。

「皆、ありがとう」

「お疲れ様!元気な男の子見せてもらったよ」

「姉ちゃんおめでとう」

「洋一、帰ってたんだね」

「うん、感動の瞬間に間に合って良かった」

「いい子でしょ?あんたのこと待ってたんだよ」

「ホントかよ」

笑って言ったが、もしかして本当に俺のことを待っていたかもしれないな。これから毎日が楽しくなりそうだ。俺の子供じゃないけど姉ちゃんの子だからな、俺の血も入ってるんだから可愛いに決まってる。甥っ子の誕生がこんなに嬉しいとは思いもしなかった。父さんも母さんも本当に嬉しそうだ。もちろん義兄さんもだ。自分の子なんだからひとしおだろう。義兄さんの両親は山梨に住んでるのでまだ来ていなかった。俺達三人は姉ちゃんと義兄さんを病室に置いて先に帰って来た。夕方からの騒ぎで何も作ってないからと母さんが、途中お寿司を買って来てくれた。夕飯のお寿司を食べながら生まれてきた赤ちゃんの話で盛り上がった。母さんなんか、

「目のあたりがあたしに似てたよね」

「ちょっとしか見てないのにわかるわけないだろ」

「あら、そんなことないわよ、すぐわかったもん」

父さんは黙って俺達のやり取りを聞いている。俺は幸せを感じていた。


次の日相田若菜が事務所にやって来た。

「相田さん、桜井先生は○○高校にいました。そして隣の高校の先生と三年前に結婚されています。二歳になる女の子が一人。名前は若菜ちゃんです。そうあなたと同じ名前です」

「えっ、そんな、私と同じ名前?」

そう言ってから相田若菜は泣き崩れた。その名前は偶然だったのか、それとも十年前の教え子の名前をつけたのか、それは本人にしかわからないことだ。だが、相田若菜の涙の訳は俺の考えと同じものだと思いたかった。

「桜井先生は前と変わらずとても素敵な先生でした。そしてお母さんも元気になられて一緒に暮らしています」

そう言って撮ってきた写真を見せた。相田若菜は目を細ませて少し笑顔になっていた。

「ありがとうございました。先生は幸せそうでしたか?」

「はい。私には幸せそうに見えました」

「それなら良かった。今回依頼して本当に良かったです。これから先どんなに辛いことがあっても頑張っていけそうです。ありがとうございました」

「桜井先生にはお会いにならないんですか?」

「今はまだ。綺麗な思い出だけでいいんです。ただやっぱり先生の姿を見たい気持ちもあります。だけど今はまだとしか言えません」

そう言って書類を鞄に詰め込み相田若菜は帰った。

「私はあの子の名前を娘につけたんだと思うよ」

「俺もそうだと思うな」

「なんかロマンチックじゃない?」

「素敵な話だね」

おばちゃんはうっとりしていた。近藤は偶然じゃねーのって言っていた。


「こんにちは」

「あら美穂ちゃん、ひとり?」

「まりちゃん転向しちゃったの。誰もどこに行ったか教えてくれないの。まりちゃんを探してくれますか」

せっかくお友達ができて喜んでいたのに、まりちゃんはどこに転向したのだろう。

「美穂ちゃん、お兄さんが調べてみるから元気だしてよ。ルビーはお留守番かい?」

「今日はお留守番してる。近くにまりちゃんがいないか探してたから」

美穂ちゃんはまりちゃんが一人でどこかで遊んでいるような気がしていたらしい。おばちゃんが早速近所に話を聞きに行ってくれた。まりちゃんは施設に入ったということだった。まりちゃんの母親が再婚した。だが再婚相手に乱暴されまりちゃんは交番に逃げた。再婚相手は逮捕され、母親の元にも置いておけないとの児童福祉の判断で、まりちゃんは隣町の施設に入れられた。学校も生徒には話せない。だから美穂ちゃんはまりちゃんがどこへ行ったか知らないのだ。本当のことを話すべきなのか、俺達は悩んだ。まりちゃんは新しいお父さんのことを美穂ちゃんに話ていなかった。話せなかったのかもしれない。だとしたら俺達が話していいものか。

「美穂ちゃん、まりちゃんは今はどこにいるか内緒なんだって、そのうちに美穂ちゃんにだけお手紙書くらしいよ。だから安心してまりちゃんからの手紙待っててね」

「どうして内緒なの?美穂もお手紙書きたい」

「私達もまりちゃんから内緒にしてって言われちゃったの。だから秘密は守らないといけないでしょ?」

「わかった。美穂待ってる。まりちゃんからのお手紙待ってるよ。ありがとう」

美穂ちゃんはおばちゃんとのやり取りだけで帰って行った。

「これでよかったのかな。まりちゃんに会いに行ってこないとね」

「千恵子さん、それで良かったと思います。他に方法なんて浮かばなかったです」

まりちゃんも美穂ちゃんもかわいそうだ。身勝手な大人のせいで。いつも子供達が犠牲になってしまう。何もできない弱い子供達に何もしてあげられないのだろうか。


そんなある日、依頼人は現れた。

弟を探してほしいという姉の井坂るみ三十五歳。居なくなった弟は井坂幸助二十八歳だ。井坂るみは背が高く細身で髪は長く、後ろで一つに束ねていた。化粧もしておらずTシャツにジーンズいわゆる地味な女性だ。仕事は介護関係の仕事をしている。両親と四人家族で弟の幸助は建築関係の仕事に就いていたという。ある朝家から弟が消えていたというのだ。携帯だけは持って行ったようだが、財布や免許証、保険証もおいたままだった。前の晩までは何も変わった様子はなく、自分からいなくなるはずがないと姉のるみは言う。携帯に電話するも電源は切れている様子。その日の内に警察へ捜索願を出した。それから一ヵ月の月日が経っていた。

「警察はあてになりません。何度となく催促しましたが、何の手掛かりもなく、進展もないまま一ヵ月が経ったんです。もう一生幸助には会えないような気がしてきて、恐ろしくて夜も眠れません。両親も食欲もなく元気もなくなり、どんどん衰えてきています。このままでは幸助に会えないまま死んでしまうかもしれません」

井坂るみは泣いていた。切羽詰まっているようだった。

「警察も何もしていないわけではないのでしょうが、捜索願を出されてる方が多いのはご存じですか?自分から家を出る、つまり家出人も多くいて、なかなか捜査が進まないのが現実なんです。私達も時間がかかるかもしれませんが、それでも依頼しますか?」

井坂るみは少し考えてから

「分かりました。もうお願いするしかないので、宜しくお願いします」

井坂るみはもう泣いていなかった。強い意志が感じられる顔になっていた。

「井坂さん、弟さんのこと心配だね。彼女はいなかったの?」

おばちゃんが心配そうに話しかけた。

「幸助の彼女ですか?高校生の頃は確かにいたんですが、今もその子と付き合ってるかどうかは分かりません。家に連れてきたこともないし、最近は彼女の話をしたこともないと思います」

「あら、そうなのね。大丈夫この二人がきっと探しだすからね」

井坂るみは、弟井坂幸助の写真と働いている会社の住所を書いたメモを取り出し、必ず待ってますからと言い残して帰って行った。

「居なくなって一ヵ月も経ってるんじゃ、もしかしてってことあるかもよ」

おばちゃんが意味深な言い方をした。

「もしかしてって、死んでるってことですか?」

「なんかいやな予感がしない?」

「しませんよ。とにかく会社あたってきます」

俺はそう言うしかなかった。死なれてたらもう、探す必要がない。でも遺体はみつけてあげないとな。何考えてるんだ、まだ探してもないのに。死んでなんかいないに決まってる。自分に言い聞かせるように呟いた。

会社は結構大きな建設会社で、従業員も大勢働いていた。事務員の女性が専務の高田さんという人に合わせてくれた。

「社長が留守なもので、井坂の件ですね、我々も心配してるんですよ」

四十歳くらいのガッチリした色の黒い男の人だ。外の仕事が多いからか日焼けして黒いんだろうな。俺は姉の井坂るみから聞いたことを話した。

「井坂は入社以来真面目に働いていて、欠勤したことはなかったと思います。まさか家出ということはないと思いますし、人間関係でトラブルなんてこともないと思いますが、同期の者に聞いてみるといいですよ。今呼んできます」

「ありがとうございます」

専務の高田さんは部屋を出て行った。程なくして井坂幸助と同期だという神永信二と佐川誠が入ってきた。青い作業服、二人とも日焼けしていて痩せている若者だった。

「井坂がいなくなった前の日も普通に仕事してましたし、何も変わったことはないと思いますよ」

「あいつはホントに普通の生活していたと思います。ただ、姉ちゃんのことを悪く言ってたことがあったかな、だいぶ前ですけど」

「お姉さんのことをですか?具体的にどんなことだったか覚えてますか?」

「たしか、なんでもかんでも首つっこんできてうざいとかなんとか言ってたかな」

「おせっかいだということですかね?」

「さあ、あんまり仲良くなかったみたいでした。彼女とも一ヵ月前に別れたって言ってました。それも姉ちゃんのせいだとか言ってたかな、でもそんなことで家出なんかしないでしょ?」

「そうですよね。家出したって会社には来ますよね。彼女のこと教えてもらえますか?」

「彼女のことはこれです」

携帯で井坂幸助の元彼女の情報を教えてくれた。

「あいつ仕事は休んだことないから、結構この仕事気に入ってたみたいでしたよ」

ではどうして井坂幸助は姿を消したのか。

「早く見つけて下さい。俺達もあいつがいないと困るんですよ、あいつ結構よく働いてくれてたし、明るくて面白いやつなんですよ」

「ありがとうございました。お忙しい中すみませんでした。また何かあったら教えて下さい」

二人は仕事に戻った。俺は事務員さんにお礼を言って会社を後にした。会社では嫌われてる様子もなしか。姉の井坂るみと仲が悪いっていうが、兄妹喧嘩ぐらいはするだろうしな。俺は深く考えなかった。俺の姉ちゃんだってなんでも首つっこんでくるから、姉なんてものは弟のことが気になる存在なんだと思っていた。それより元彼女にも話しを聞いておこう。

元彼女は須田里奈二十五歳。化粧品関係の仕事をしていた。須田里奈は茶髪で化粧が濃く、目鼻立ちがはっきりした美人な女性だった。須田里奈に近づくと

「刑事?」

いきなりそう言われた。

「いえ。私は探偵の鈴木洋一と申します。刑事が来ましたか?」

「まだ来てない。幸助のことでしょ?どこにいるかなんて知らないよ。もう別れて二カ月はたってるし、あたし新しい彼氏できたからさ、迷惑なんだよね」

「すみません。須田さんにご迷惑はおかけしませんので、別れる前のこと何でもいいんで教えてもらえませんか?」

「幸助と半年ぐらいかな付き合ってたのは。友達の紹介で付き合ったんだけど、仕事の休みが合わなくて、それとお姉さんが口出ししてきて、すっごくうざかった」

「お姉さんと会ったことあるんですか?」

「そう。ここに乗り込んできた。仕事中のあたしに幸助と別れろって、わざわざ言いに来たの。それっきり会わなかったけど」

俺は驚いた。あのおとなしそうな井坂るみがそんなことするとは想像もつかなかった。

「お姉さんのことは何か聞きましたか?」

「家にいてもまったく話さないみたいだし、両親からも良く思われてないようなこと言ってたかな。とにかく嫌ってたよ」

「他に思い当たることないですかね?井坂さんの友人のこととか知りませんか?」

「中学の時の友人と今も続いてるって一人紹介された。長嶋圭太っていう人、それしか知らない。もういいですか?」

「ありがとうございました。お仕事中すみませんでした」

「ちょっと待って、探偵さんに依頼した人ってご両親ですか?」

「いえ。お姉さんです」

「あのお姉さんが?」

須田里奈は不振な顔を見せた。そして仕事に戻って行った。

なぜ不振に思ったのかは分からない。弟の幸助からは嫌われていたが、姉は弟のことが好きだったに違いない。弟のことが心配だったから須田里奈に会いに来て、弟にふさわしくないと思い、別れろと言ったのか。自分とはまるで正反対な彼女に。とにかく姉の井坂るみに聞いてみる必要がある。だがその前に幸助の友人長嶋圭太を探そう。俺は井坂幸助の家に向かった。

井坂幸助の家はS市の大きな住宅団地の真ん中にあった。これでは迷子になるぞ、目印をみつけなくてはまともに帰れなくなる(子供か)電柱に記入されている番地を目当てに歩くこと十分、ようやく辿り着いた。井坂幸助の両親が揃って出迎えてくれた。六十代半ばだろうか。幸助と姉とは七歳の歳の差がある。遅くできた子供だったんだな。幸助の部屋に案内され、俺は中学の卒業アルバムを探していた。いなくなって一ヵ月が経つ部屋は綺麗に掃除されていた。普通男の部屋ってこんなにきれいなはずがないのだが、母親が片づけたのだろうか。あの青い作業服がベッドの上に畳んで置いてあった。卒業アルバムがみつかり、長嶋圭太の住所をメモし、写真を携帯で撮影した。居間に両親がお茶を用意して待っていた。

「ありがとうございました。部屋のお掃除はお母さんが?」

「いえ。娘がしてました。いつ帰ってきてもいいようにって。普段は部屋にも入ったことないんですが」

「優しいですね。兄妹仲良かったんですか?」

「とんでもない、ほとんど話しなんかしてませんでした。あんなに威張っていたのにいったい何処へ行ったのか。幸助を早く見つけて下さい。宜しくお願いします」

母親が言って父親は頭を下げた。父親は何も話さなかった。母親似の弟と父親似の姉。そんな感じがした。それにしても「あんなに威張っていたのに」って言っていたが、何かが変な気がした。あの両親は何かを隠しているような…俺の考え過ぎなのか。

長嶋圭太は食品会社の工場で働いていた。定時の時間までは少し時間がある。

俺は近くのファミレスに入った。そういえば昼飯まだ食べてなかった。ランチメニューはすでに終わっていた。ピザとドリンクバーにした、一揆にピザを食べ、コーラにオレンジジュースとぶどうジュース、最後にコーヒーをついできた。コーヒーを飲みながらゆっくりと考える。姉の井坂るみは弟の行くへを知ってるんじゃないだろうか。いやそれならわざわざ警察に届けるか?ましてや探偵にまで依頼しないだろう。やはり姉は関係ないか。そうなると井坂幸助は何か事件に巻き込まれた可能性がある。携帯だけ持って出ている。そうだ夜中に携帯で呼び出されて、幸助を車に乗せてどこかへ行った。また警察に行って調べてみるか。佐々木を頼るしかないな。

定時の時間になり残業がなければ会えると踏んで、俺は門の近くで長嶋圭太を待った。

二十分が過ぎたころ長嶋圭太は現れた。定時の帰宅で良かったと俺はほっとした。

「すみません。長嶋圭太さんですね。私探偵の鈴木と申します。実は井坂幸助さんが行くへ不明でして探してるんですが、何かご存じないでしょうか」

「えっ、幸助がいなくなった?いつからですか?」

「一ヵ月前からです。連絡なかったですか?」

「何も。最近はお互い仕事が忙しくてメールもしてなかったから、特に気にしてなかったです。おふくろさん心配してるでしょう?あそこの親幸助のこと溺愛してたから」

「溺愛ですか?」

「小さい時から可愛がってましたよ。大人になっても変わらず可愛がってた。ああいう親も珍しいですよね」

「お姉さんのことは何か知ってますか?」

「ああ、真面目で地味なお姉さんね。あまり見たことなかったけど、一度「人前に出てくんな」って幸助が言ってたことあった。幸助んちに行った時だったかな」

「お姉さんはその時どうしてました?」

「覚えてないな。中学の時だったから、でもその後お皿だかコップだかが割れた音がしてた。結構派手に落としたようで、すっごい音がしたのだけ覚えてます」

俺は鳥肌がたった。もしかして姉の井坂るみがわざと割ったのかもしれないと思った。

長嶋圭太からは手掛かりになる情報は得られなかった。俺は事務所に戻らずに帰宅した。

家に帰るのが楽しみになっていた。可愛い俺の甥子が待っている。毎日お風呂に入れる時はてんやわんやの大騒ぎ、皆で交代に抱っこしては、今笑ったとか、あくびしたとか写真撮りまくりだ。姉ちゃんが退院してからは毎日賑やかだ。

俺は姉ちゃんのことが大好きだ。姉ちゃんはどう思ってるか知らないけど、小さい頃から姉ちゃんは俺の味方で、勉強も教えてくれて、そして優しくしてくれた。井坂幸助はどうだったんだろう。井坂るみは味方でもなく、勉強も教えてもくれない、そして優しい存在でもなかったのだろうか。ただ両親には溺愛されていた。姉は愛されていたのだろうか。あの親に。

次の日早速警察署に向かった。そして佐々木を呼び出した。井坂幸助の捜索願いはきているが、特に進展はなかった。怪しい人物との付き合いもなく、恨まれてるようなこともないようだった。事件性はないとの判断で、家出の可能性も含めて捜索する方針だった。

「仕事は順調のようだな。俺のお陰でもあるかな?今度御馳走しろよ」

「確かに、度々お世話になってます。今度御馳走するよ!だけどまだまだお前の方が給料高いだろ」

「そのうち俺の給料の何倍にもなったら誘ってくれ」

「そんな時がくるのかね、当分無理そうだぞ」

俺達は笑って別れた。廊下でおっさんに会った。

「おい!すっかりあのグループのファンになっちまったぜ、今夜夕飯御馳走するぞ」

「本当ですか?行きます!」

やっぱり気に入ってくれたんだ。あの四人グループのボーカルは、もう二十年以上歌ってるが声が少年のようにいい声をしている。昔の歌もいい曲ばからりだ。嬉しそうに話すおっさんは妹想いのいいお兄さんだ。

事務所に行き捜査状況を二人に話した。

「どこへ消えたんだろうね、何の不満もないようだけど」

「俺もそう思う。もしかして新しい女と駆け落ち?」

「それはないと思うんだよね、元彼女以外どこにも女の影は無かったんだ」

「でもさ、以前兄ちゃんがいなくなって捜索の依頼受けただろう?あの時の兄ちゃんは女と駆け落ちだったぜ。妹に何も言わずに出て行った」

「ちょっと待って、まさかお姉ちゃんが殺したってことはない?」

「えーそんな恐ろしいこと言わないでくださいよ」

「ありえないよね。血がつながった弟を殺すなんて。それに来た時泣いて頼んでたしね」

そうありえないと思う。だが何かが引っ掛かっていた。そうだ、姉の井坂るみにもう一度話を聞かなくては。俺は井坂るみが働いている老人ホームに行った。そのホームは五階建てのまだ新しい建物だった。そこへ井坂るみが建物から出てきた。夜勤明けで帰るところだった。

「幸助のこと何かわかりましたか?」

「幸助さんがお付き合いしていた須田里奈さんに会いに行かれてますよね、しかも別れるように言ったとか」

「すみません。忘れてました。私最近忘れっぽくて、幸助がいなくなって動揺してたんです」

忘れてた?俺は不振に思った。

「そうですか。後は何か思い出したことはないですか?」

「何も。探偵さん先日うちに来たんですね。幸助の部屋で何かわかりましたか?」

「綺麗にお掃除されていました、お姉さんが掃除をされたそうですね」

「ええ。いつ帰ってもいいようにと思って、それが何か?」

「優しいなと思って。家ではほとんど話さないし、兄妹仲も良くなかったと聞きましたが」

「二人とも大人ですからね、そんなに話すことなんかありませんよ。誰がそんなこ言ってるんですか?」

「それは教えられません。私も情報集めるために色々な人に会ってますから」

「とにかく早く幸助を見つけて下さい。失礼します」

井坂るみは怒ったような口調だった。俺は怒らせるようなこと言っただろうかと、井坂るみの後ろ姿を眺めながら考えていた。やっぱりどこかおかしい。

事務所に戻ったら、近藤が接客中だった。例によっておばちゃんがひそひそ声で

「浮気調査された夫が怒鳴り込んできたのよ、余計なことすんなって」

「余計なことしてんのは旦那の方ですよね」

「余計なことって浮気のこと?言えてる」

しかし近藤は落ち着いて対応していた。時間がたつと案外冷めてくるらしく、言いたいことだけ言ってその男は帰って行った。

「あたしが淹れた美味しいコーヒーのお陰もあるよね。だって三回ぐらい淹れてあげたよ」

「三回も淹れたんですか?苦いコーヒーでよかったのに」

「それにしてもこれから先こういう人間がまた来そうだな」

「仕方ないよ、私達は依頼されてやってんだから、何も悪いことしてないし、怖がることないよ」

おばちゃんは相変わらず強いな。

「千恵子さんって怖いもないんですか」

「あたし?ないよそんなもん、この歳になるとさ、ドキドキハラハラなんてことめっきりなくなったね。あっ、あった先日スピード違反で捕まった時、さすがのあたしもドキドキした」

思わず笑ってしまった。そのドキドキかよ。

「捕まったんすか?」

「そうなの、やられたよ。いつもあんな場所にいないのにさ、白バイがぬーと出てきた。お化けより怖いね。」

なんか警官とおばちゃんのやりとりが想像できる。俺はニヤニヤしてしまった。

「洋ちゃん、何笑ってんのよ」

「すみません。何でもないです」

「そうそうあたしまりちゃんが入った施設に行って来たよ。まりちゃん元気そうだった。でもね、施設の人の話では最初はかなり落ち込んでいたみたい。最近ようやく皆と打ち解けることができたんだって」

「それで美穂ちゃんのことは?」

「美穂ちゃんのこと話したら嬉しそうだった。手紙も書くって言ってたよ」

俺達は安心した。やっぱりおばちゃんは頼りになる。

俺は仕事を済ませて、おっさんのアパートに行った。今日はカツカレーだ。カレーのいい香りが部屋中に漂っていた。

「先日話した事件な、解決したよ。男も嘘をついてた。女とは挨拶程度のようなこと言ってたが、やることはやってんだよ。彼女がいるくせにな。女は一回でも寝るとその気になって、ストーカーのように付きまとう。結局男は彼女にばれるのが怖くなって女をどうにかしようと考える。それに感づいた女が男を殺して自分も死ぬっていうパターン。真面目な女程怒らせると怖いものはないな」

真面目な女?俺は井坂るみのことを考えた。おっさんに相談してみようか。

早速井坂るみの話をおっさんに聞かせた。

「それは絶対姉の井坂るみが怪しいだろう、両親からも弟からも嫌われて、なんで一緒に暮らしてたんだ?ただ弟を殺す動機が薄いな」

「そうなんですよ、殺すほど憎いって相当ですよね」

「何かあるな。よし、俺が捜査するよ。今一山終わったばかりだ。お前付いてるな」

ホントに俺付いてる!おっさんに任せておけば間違いなしだ。

それから数日が経ったある日、おっさんが事務所に現れた。

「椎名さん、よく来てくれましたね」

おっさんは手に菓子折りを持っていた。おばちゃんが嬉しそうに美味しいコーヒーを淹れてくれた。

「色々調べたぞ、井坂幸助は典型的な内弁慶で外面はいいが、家では相当威張ってたようだ。両親が甘やかしすぎたせいだろうが、特に姉に対しては殴る蹴るの暴行を働いていたらしい。仕事が忙しくなると余計に家族にあたりちらしていたそうだ。ストレス発散をそういう形でしかできなかったんだろう。そして、幸助が付き合っていた彼女に姉のるみが会いに行ったことで、幸助はものすごく激怒して、るみに包丁を持って襲い掛かったらしい。父親が止めに入ってことは収まったらしいがな」

俺達は驚いて声も出なかった。

「今捜査チームが家の中を調べてる」

「やっぱり井坂るみが幸助を殺したんですかね」

「そういうことになるかな」

そこへおっさんの携帯が鳴った。

「遺体が見つかったらしい。家の庭に埋められていたようだ。詳しいことはまた後で」

おっさんは現場、井坂幸助の家に向かった。

「まさかの事態になっちゃったね。さすが現役の刑事は違うね、椎名さんっていうの?イケメンじゃないの!また来るかしら」

「井坂るみはどうして捜索依頼なんかしたんだろう」

「俺もそれが不思議でしかたないよ」

「多分だけど、殺したことの罪に耐えられなくなって、誰かに遺体を探してほしかったんじゃないかな。自首することもできたはずだけど、両親を想うとできなかったのかも」

「でも両親からも嫌われてたのにどうして」

「それはあたし達にはわからないことだね。幸せな人にはわからないことなのかもね」

幸せな人か。俺達は皆幸せなのかもな。弟を殺さなければならないなんて、不幸な人だと思った。そして殺された弟もまた不幸な人間だ。

おっさんから連絡がきたのは夕方遅くなってからだった。井坂るみは逮捕された。

井坂るみはずっと前から弟のことが憎かった。両親は弟のことばかり可愛がり、ろくに勉強もできない弟のために私立の大学まで行かせてやった。弟の言うことは何でも聞いてやってた。そしてあんな醜い性格の人間ができあがり、皆弟に怯えて生活するようになっていた。そんな時弟は友達の紹介で知り合った女性(須田理沙)にぞっこんになり、金遣いが荒くなった。自分で稼いだ給料だけでは足りずに、両親からも姉からも金をむしり取るようになっていた。そして井坂るみが彼女に別れてほしいと頼みに行き、弟から殺されそうになる。このままではいつか殺されると思った井坂るみは、弟井坂幸助を殺害する計画を立てた。

弟に睡眠薬を飲ませぐっすり寝らせ首を絞めて殺し、家の庭に深く掘った穴の中に埋めた。

俺達は何とも言えない気持ちで、残された両親のことを考えていた。

「なんだか可哀そうだね。誰がとかじゃなく皆かわいそうだよね。誰にも相談できなかったのが残念だよね」

おばちゃんは涙目になっていた。

「正当防衛にはなりませんが、それに近い殺しだから罪が軽くなるといいですね」

「うん。そしたら第二の人生明るく生きてほしいな」

「弟を殺しておいて明るい人生ってわけにはいかないだろ」

「もちろん十分償ってこれからも生きて行くだろうけどさ、今までだって真面目に生きてきてんだから、神様だってちゃんと見てると思うよ」

おばちゃんの意見に俺達は納得した。


あれから俺はあの恐ろしい夢にうなされることは無かった。傷もさほど痛くはない。もう何も怖いものはない。俺は強くなってるのだろうか。

二日後それは届いた。井坂るみからの現金書留だった。中には依頼料と手紙が入っていた。

「探偵事務所の皆様、この度は大変お世話になりました。自分で殺しておいて捜索依頼をだす愚かな行為をお笑いください。憎かった弟ですが、いざ殺してみると罪の重さに自分も死のうかと何度思ったかわかりません。そんな時私が勤めていた老人ホームで仲良くしていた女性から、いなくなった飼い犬を探してくれた探偵さんの話を聞きました。あまり笑わない彼女が嬉しそうに話していて、心温まる話に私はどんな人達なのか興味がありました。この人達なら私の本当の気持ちをわかってくれると思い、依頼させて頂きました。捕まりたくないのか、捕まりたいのか自分でも分からなくなっていました。しかしご迷惑をお掛けすることとなり本当にすみませんでした。この手紙が着く頃には、警察に逮捕されていると思います。罪を償い今までの人生反省してまいります。   井坂るみ」

消印の日付は井坂るみが逮捕された日だった。どんな気持ちでこの手紙を書いたのだろう。

「悲しすぎるね。愚かな行為だったけど、あたしは笑わないよ。だけどまさか美穂ちゃんのお母さんと同じ職場だったとはね。世間は広いようで狭いよね」

「美穂ちゃんのお母さんがそんな風に話てるなんて、なんか嬉しいですね」

「俺達の仕事を待ってる人がいて、役立つ人がいるってことで、これからも笑顔になれる人の為に頑張っていくか!」

「そういうことだな」

「はい!頑張りましょう!」

俺達はみんな心に傷や悲しみを抱えている。だが今日も元気に生きている。




                   おわり


初めて書いた小説です。他人の生活に興味があり、色々なことを想像し、様々な人間模様を書いてみました。人は多かれ少なかれ心に悲しみや、苦しみを抱えている。それでも前向きに生きる人達の姿を書きました。たくさんの人達が前向きに、そして明るく生きていければという願いを込めて。

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