開かずのカーテン(後編)
初恋の傾向って、その後の恋愛タイプとなんとなーく、リンクするものがあるなあと思います。
ということで心理テスト。
四字熟語を2つ思いうかべてみてください。
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できましたか?
一つ目が人生観で、二つ目が恋愛観だそうです。
これ結構当たるので、友人や家族とすると盛り上がりますよ!
(疲れたな……。)
自分の部屋で勉強机に向かっていた雅紀は、ベッドにごろんと横になった。
のっぺりとした天井が目に入る。
(つまらないことばっかりだ。)
ただでさえ家の中の空気はよくないのに、お母さんが大事にしているカーテンがだめになって、ますます雰囲気が暗くなってしまった。
先月、雅紀はお気に入りだった天窓を板でふさいだ。もう大空を横切る飛行機も、雲も星もなにも見えない。天窓には、他の部屋と同じように銀色のさびがびっしりとついている。
小さな頃からずっと、雅紀の夢はパイロットだった。
眠りにつくとき、この天窓から彗星のように飛ぶ飛行機の明かりが見えると、意味もなく走り出したいほどわくわくした。そのたびに絶対にパイロットになるんだ、と強く決意した。
(僕は、お父さんの会社を継ぐんだ。パイロットにはならないで、家族とずっと一緒にいる。)
雅紀が小さかった頃、家族はとても仲が良かった。けれどお父さんの仕事が忙しくなるにつれ、両親はケンカをすることが増えた。
夜中にふと目を覚ますと、両親が言い争う合う声が聞こえてくることがある。そんなとき、雅紀はベッドにもぐり込んで耳をふさぐ。
二人は雅紀の前ではケンカをしない。雅紀がいないところでするのだ。
(このままじゃ、家族はバラバラになってしまうかもしれない……。)
「お父さんとお母さんと僕とで、落ち着いて話し合って、前みたいに仲の良い家族に戻りたい。」
そう言いたいのに、恐くてできない。
(だってもし、願いをきいてもらえなかったら――?)
家族の亀裂が、決定的になってしまうかもしれないのだ。
最近では両親はケンカすることさえ減ってきた。お父さんが家にいること自体少なくなってきたからだ。雅紀はとにかく不安でしかたがない。いつから、どうしてこんなことになってしまったのか、よくわからない。思い返しても気がついたら「そうなっていた。」としかわからないのだ。
(僕はお母さんもお父さんも好きだし、二人も僕を好きだと言うのに、なぜうまくいかないんだろう。)
二人の言い争いが聞こえた翌朝、お母さんが雅紀をまじまじと見つめて、悲しそうな顔をしたことがあった。
「雅紀が大きくなってパイロットになったら、世界中を飛び回って、もうこの家にはいなくなってしまうのね――。」
雅紀はドキリとした。
「僕はずっと家にいるよ! 家族なんだから、ずっと一緒だよ。」
雅紀は必死だった。
「いやだわ、そうじゃないのよ。お母さんもお父さんも、雅紀の操縦する飛行機に乗るの、楽しみしているんだから。世界一周旅行に連れて行ってね。」
お母さんはあわてて冗談めかして、ニッコリ微笑んだ。
(ウソだ。)
雅紀の進路についても、二人のケンカの原因になっていることくらいわかっている。
お母さんは「がんばってね。」と言ってくれる。けれど会社を経営しているお父さんは「パイロットという職業にはあまり将来性がないぞ。」というのだ。
「飛行機の燃料である石油はどんどん高くなっているし、航空会社自体はこれから減っていく可能性がある。それに昼夜関係なく仕事をするパイロットは、体力的にもとても大変だ。もし身体を壊したとき、飛行機の操縦以外の経験がないのでは、他の仕事を探すのはむずかしくなる。」
「でもお父さん、この先、航空会社が減るかどうかなんて誰にもわからないよ。」
雅紀は反論した。
「雅紀はまだ子どもだからわからないかもしれないが、大人になったらきっとお父さんの言うことがわかるようになる。お父さんは雅紀に失敗のない人生を歩んで欲しいんだ。みじめな負け組になってほしくないんだよ。雅紀だって、人に笑われるのはいやだろう?」
「そうだけど……。」
お父さんが言うことはもっともなのかもしれない。雅紀はまだ学生で働いたことなどないし、自分が大人になる頃に世の中がどうなっているかなんて、正直ぜんぜんわからない。
(失敗のない人生って、なんだろう。成功し続けるっていうことなのかな。)
そんなことはできるのだろうか。パイロットを目指して、もしなれなかったとしたら、それは「失敗」で恥ずかしいことになるのだろうか。
ただ一つはっきりしていることは、もし雅紀が会社を継げばお父さんは喜ぶし、お母さんをさみしがらせなくて済むということだ。
おもいきって塾の『お兄さん』に相談してみたら、「家族のためにも、雅紀君の将来のためにも、とてもいい決断だね。」と言ってくれた。
(パイロットになるのはやめるんだ。僕は現実を選ぶ。お父さんの会社を継いで、家族を元どおりにするのが僕の夢だ。)
そう決めた日、雅紀は天窓をふさいだ。
(そういえば、家中の窓枠がさび始めたのって、その頃だったな……。この天窓が一番ひどい。きっとこの窓は、もともといらないものだったんだな。)
もう空を見ることはないのだから、どうでもいい。
*
「舞羽、舞羽!」
エマは自分の部屋に飛び込むなり、舞羽の名前を叫んだ。
舞羽はベッドの上に寝転がっていた。
「ねえ、起きてったら。天麻がいたのよ――。」
舞羽を抱え上げると、動かないただ羽ぼうきだった。
「なんだ。舞羽、寝てるの……。」
舞羽はエネルギーを使いすぎると、ほうきの姿に戻って『充電』する。
天麻のことを相談したかったのに、これではどうにもならない。
(今、天麻はどこにいるんだろう。私、琴美ちゃんと雅紀君を本当に助けられるかな。)
しかも明日の本番までにだ。考えると心臓がドキドキして苦しくなる。
「僕を呼んだ?」
「きゃああ!」
エマが悲鳴を上げると、黒い詰襟を着たお兄さん――天麻が立っていた。
「どっ――どこから入ってきたの?! 玄関も窓もカギがかかってるのに!」
あとずさるエマに、天麻は不思議そうにくびをかしげた。
「まだわかっていないの? 僕にはそんなもの関係ないんだよ。」
(舞羽が言ったとおり、本当に変幻自在なんだわ……!)
エマはビルの屋上から下を見下ろしたときのように、身体がすくんだ。
「エマ。一人で僕に立ち向かおうという姿勢は感心する。ほめてあげるよ。でもムリだ。君にはできない。演奏会にも間に合わないよ。無意味な努力をするより、大好きなお菓子を食べて気ままに過ごすんだ。」
天麻はバターポップコーンとスライムシェークを差し出した。
「いっ、いらないわよ!」
エマは天麻の手をはらいのけた。
「おやおや、エマは強情っぱりだね。」
天麻はニヤリと笑うと、ロウソクを吹きけすように消えた。
(こ、こわかった……。)
エマはその場にへたり込んだ。
(本当に人間じゃないんだ。あんなのに勝てるのかな――。)
考えると恐ろしくてたまらなくなった。
飾り棚で、なにかがキラリと光った。顔を上げると、舞羽がくれたハートすっきり隊の任命証だった。
(臆病になってる場合じゃない! フェアリー・キングとクイーンに『くじらが丘を任せる』って正式に認められたんだから。天麻に気づいているのは私だけなのよ!)
エマは勇気をふるい起こした。
(まず、琴美ちゃんと司ちゃんに知らせよう。)
エマは部屋を飛び出した。
「おねえちゃん、また出かけるの?」
淳之介が玄関にやってきた。エマは靴を履きながら答える。
「そうだよ。」
「秘密基地の集まり?」
淳之介はかがんでいるエマの顔をのぞきこむ。
「うん。」
「ぼくも行きたい。」
「むりよ。」
「どうして?」
「どうしても!」
天麻のことについて話すのに、弟はつれていけない。少し強めの口調で言うと、淳之介の顔がくしゃっとゆがんだ。
(ま、まずい。)
エマはあせった。おばあちゃんは家にいないし、パパは会社、ママは家にいても忙しい。淳之介は最近一人ぼっちでいることが増えてさみしいのだ。かわいそうだけれど、今淳之介の相手をしている時間はない。ここでごねられて、もしママが来たらややこしくなってしまう。宿題をやっていないのに出かけるのがバレたら大変だ。
「淳之介。」
エマは泣きそうな顔で自分にくっついている弟に向き直った。
「淳之介にはお家を守るっていう役目があるでしょ。」
「それこそむりだよ、ぼくまだ小二だもん。」
淳之介はひざを抱えてくちびるをとがらせた。
「そうかもね。でも、みんな淳之介を頼りにしてる。私もよ。」
「そんなのうそだね。おねえちゃんは一人でおばあちゃんのところへ行ってもいいのに、ぼくはだめなんだ。もう二年生なんだよ。バスくらい一人で乗れる。」
淳之介のもどかしさはエマもわかる。
――まだ子どもなのに、もう子どもじゃないんだから――
そう言われるたび、いったい自分は世界でどんなポジションなの? と叫びたくなることがある。
「来週さ、パソコン教室がないときに、おばあちゃんのところへ一緒に行こう。」
「本当に?」
「うん。」
「ちゃんと約束してくれる?」
エマはうなずき、淳之介に向けて小指を出した。淳之介はぱっと笑顔になって、ぷくぷくした小指で指きりをした。
「ぼくがお家を守ってるから。おねえちゃん、安心してお出かけしていいよ。」
「ありがとう。じゃ、頼んだからね!」
(天麻を追い出せば、淳之介もさみしい思いをしないですむわ。)
エマは自転車に飛び乗ると、琴美の家へ急いだ。
秘密基地に行くと、琴美は花が咲いたような笑顔になっていた。
「エマちゃん。私、ちゃんとピアノが弾けるようになったの!」
「えっ、ええ! すごいじゃない! 良かったよー!!」
エマと琴美は抱き合って喜んだ。
「でもまだカーテンを修理してないのに、どうして?」
「リメイクの話をしたら、雅紀君のお母さんも、雅紀君もとっても喜んでくれたの。涙目になったお母さんに、雅紀君も本当に嬉しそうで。」
(そうか、お母さんが元気になって、雅紀君の心がすっきりしたのね!)
「これで明日の演奏会に無事に出られるわ。エマちゃん、本当にありがとう。」
「司ちゃんにも伝えたの?」
「うん。さっき家に電話したわ。カーテンをなおしてくれるお店も、いくつか見つかったみたい。」
「良かった。これで何もかもバッチリだね!」
(琴美ちゃんの手がもとに戻ったんなら、天麻が雅紀君に憑いていたことは、わざわざ言わなくていいよね。)
余計なことをして、琴美を不安にさせたくない。エマは家に帰った。
「エマ、おかえりなさい。すごい勢いでどうした――。」
「舞羽聞いて! 天麻がいたけど、カーテンをなおせるってわかったら、琴美ちゃんの手がもとに戻ったの!」
「え、ええ? なんだかよくわからないけど、お、おめでとう。天麻はお母さんに憑いていたのね。」
「ううん、そうじゃなかったんだけど――。」
エマは塾で会った『お兄さん』のことを話した。
「それじゃ、天麻に憑かれてたのは、お母さんじゃなくて雅紀だったのね。」
「うん。でも、もう解決したようなものよ。あとはカーテンをなおせば完璧。」
「ふーん……。じゃ結局、雅紀の『よどみ』の原因がなんだかは、はっきりとはわからないままなのね。」
舞羽は腕組みをして考え込んだ。
「なにか気になる?」
「いえね、雅紀君の『よどみ』が本当にすっきりしたのなら、いいんだけど。」
「だって琴美ちゃんが、ちゃんとピアノを弾けるようになったんだから、雅紀君がすっきりしたってことでしょ?」
「ある程度すっきりしたのは、確かでしょうね。」
「完全にじゃないってこと?」
「肝心なのはね、『よどみ』は心の問題ということなの。心がすっきりすれば天麻は雅紀の元からいなくなる。よどめば、いつでもあらわれる。」
「うん?」
「エマ、良くも悪くも人の心は一瞬で変わるわ。何があってもあきらめないで。油断は禁物よ。」
「うん、わかった……。」
舞羽は報告に行くと言って、また妖精界に戻ってしまった。
エマはなんとなく引っかかったけれど(まあいいか。とにかく明日の演奏会は無事にできるんだから。)と思いなおした。
けれど翌日、現実はそんなに甘くないとエマたちは思い知るのだった。
緊張している琴美のために、エマと司は演奏会のリハーサルから参加することにした。会場はとても大きな音楽専用のコンサート・ホールで、大きさの違うホールが3つも入っている。まわりをぐるっと緑の公園に囲まれたステキなところだ。
エマはとっておきのレモン色のワンピースを着て、髪には同じ色のリボンをかざった。脚の銀色スライムは人には見えないはずだけれど、一応ニーソックスで隠した。いつものパーカーにデニムの格好もらくちんでいい。でもおしゃれをするのはやっぱり楽しい。
司はブレザー姿で、花束を抱えてやって来た。なかなか似合っているのに、その顔はとても不満そうだ。
「で、司ちゃんはなんでそんな不機嫌なの。」
「男が花束なんか持って歩くの、すっげー恥ずかしいんだよ。こっからは賀田月が持つんだぞ。」
琴美にプレゼントするお花は、エマが用意すると言ったのに、司が「賀田月は九九・九%忘れてくる。」とゆずらないので任せたのだ。
「ここからったって、あと一〇歩でホールの中だよ。」
「とにかく頼んだからな。」
エマは司から受け取ったお花をスタッフの人に預かってもらった。それから客席の場所取りをしにいく。
「あれ、玉木君と賀田月さんも演奏会に?」
エマと司が座席に座っていると、雅紀がやってきた。驚いている雅紀に、エマは琴美と友達であることを話した。
「驚いたな、そうだったんだ。二人の話はよく聞いていたのに。琴ちゃんはいつも『エマちゃん、司ちゃん』て呼んでたから、気づかなかったな。」
「私たちも、雅紀君が琴美ちゃんのはつこ、いえ、お友達だったなんてびっくりです。」
「本当だね。それにしても二人とも、今日はとてもおしゃれだね。賀田月さんはひまわりの妖精みたいだ。」
ファッションにむとんちゃくな司はエマに会っても「賀田月、おせーぞ。」としか言わなかったのに、中身もかっこいい雅紀はほめてくれた。
(ひまわりの妖精だなんて。やっぱり雅紀君はルパンの次にステキだわあ……。)
エマは司にこっそり耳打ちした。
「ね、さすが雅紀君だよね。」
「うん。緒川の話もよくきいてくれてるんだな。」
(それもそうなんだけど、そうじゃなくて――、まあいいか。)
雅紀の絶妙なカッコよさは、女の子にしかわからないのかもしれない。
琴美は星空のようにスパンコールがちりばめられたドレスで、ステージに登場した。
(わあ、琴美ちゃん、すごくかわいい!)
緊張している琴美を見ていたら、エマまでドキドキしてきた。
琴美はグランドピアノの椅子に座り、すうっと息を吸い込んだ。鍵盤の上に慎重に指を置き、最初のメロディを弾き始めた。
その瞬間、ホール全体がつんのめったように感じた。
キラキラ星変奏曲が、またガラガラ星変奏曲になってしまったのだ。
一人きりのステージの上で、琴美は真っ青になっている。
「なんでだよ――。」
司も自分のことのように青ざめている。
「琴ちゃん……。」
なにも知らなかった雅紀は、わけがわからない様子で呆然としている。
琴美は両手で顔をおおい、立ち上がるとステージ袖に向かって走り出した。
「あっ。琴美ちゃん、待って!」
エマは立ち上がって叫んだ。けれど琴美はふり向きもせず、袖に引っ込んでしまった。
「手はなおったんじゃなかったのかよ?」
「わかんない、そのはずだけど――。とっ、とにかく琴美ちゃんのところに行かなくちゃ。」
「そうだな。」
「楽屋はこっちだ。急ごう。」
雅紀について楽屋に向かう途中で、おろおろしている琴美のお母さんと会った。
「おばさん、琴美ちゃんはどこですか?!」
エマは琴美のお母さんにたずねた。
「わからないのよ。いまスタッフの人も探してくれているんだけれど――。」
「僕たちも探しますから、おばさんは楽屋で待っていてください。琴ちゃんが戻ってきたとき、一人にしたくないんです。」
雅紀が言うと、琴美のお母さんはホッとしたようにうなずいた。
「そうね、ありがとう。そうするわ。」
琴美のお母さんは急ぎ足で楽屋に行った。
「あら、岩橋君じゃないの!」
三人がふり返ると、深緑色のドレスを着た女の人が立っていた。黒髪をロールパンみたいな形にきれいにまとめている。
「牧村先生。お久しぶりです。」
雅紀は会釈をした。
(この人が琴美ちゃんのピアノの先生なのね。なんだか怒っているみたい。)
「来てくれて嬉しいわ。ねえ、あなたも緒川さんのリハを見ていたのよね?」
「はい。ぼくたちも琴ちゃんを探しているんです。」
「そう――。もし本番の一五分前までに戻って来なかったら、今回は外れてもらうしかないわね。」
「ええっ!」
エマは思わず声を上げた。
「厳しいようだけれど、プロのピアニストを目指すのなら、どんなにこわくてもステージを放り出して逃げるなんて許されないわ。チャンスというのはね、臆病な人間の前は通り過ぎていくものなのよ。」
(プロになるのって、そんなに大変なんだ。でもここまできて演奏会に出られないなんて、絶対にありえない!)
演奏会の出演が決まったと話してくれたとき、琴美は躍り上がらんばかりに喜んでいた。毎日毎日、一生懸命練習していたのだ。
「だっ、大丈夫です! 琴美ちゃんは必ず本番までに戻ってきます。たぶんきっとおそらく、トイレか――そうだ、おやつを食べにいってるだけだと思います!」
「は――おやつ?」
牧村先生は眉をひそめてくびをかしげた。
「そうです! 昔から、腹がへっては戦はできぬ、って言いますか――もごっ。」
司が後ろからエマの口をふさいだ。
「あの! オレたち緒川の幼なじみなんです。こういうとき緒川が行きそうな場所は見当がつくんで、必ず連れてきます。」
「そう? じゃ、頼んだわね。これから私のリハなのよ。彼女に演奏会はまだ早かったのかしら……。」
牧村先生はブツブツ言いながらステージへ向かった。
「司ちゃん、琴美ちゃんがいる場所、わかるの?!」
「わかるわけねーじゃん。賀田月がヘンなこと言うから、とっさにごまかしただけだ。」
「そっか、そうだよね。ごめん……。」
(肝心なとき、いつも余計なことを言っちゃうのよね。)
エマは自分が情けなくなった。
「なんであやまるんだよ。それより早く緒川を探そう。」
エマは「うん。」とうなずいた。
「ねえ、琴美ちゃん、家に帰っちゃったりしてないよね?」
エマが言うと、雅紀はくびを横にふった。
「それはないよ。さすがに牧村先生になにも言わずに帰ったりはしないはずだ。それにあのドレスのままで外を出歩かないだろう。ショックで気が動転して、思わず逃げ出しただけだよ。琴ちゃんはこの中にいると思う。」
といってもここにはホールが三つもある上に、レストランにカフェにコンビニまであってかなり広い。
「雅紀さん、三人で手分けしますか?」
「……でも一人だと、私が迷っちゃいそう。」
「このホールはぼくも発表会で何度か使っているんだ。いくつか心あたりの場所があるから、全員で一緒に探そう。」
「はいっ。」
エマと司は返事をして、雅紀のあとについていった。
「琴美ちゃん、どこに行っちゃったの……。」
エマはロビーのソファに座りこんだ。はきなれない靴で走り回ったので、足が痛くてたまらない。
ロビーのテレビモニターには、リハーサル中の牧村先生の映像が流れている。
「リハーサルってあとどのくらいあるんだろう。」
司が言うと、雅紀が答えた。
「たぶん、あと一時間もしないで終わると思う。」
「そんな、こうしちゃいられないわ!」
エマはあわててソファから立ち上がろうとして、小さくうめいた。
「いたた……。」
「賀田月さんどうしたの? 大丈夫?」
「もしかしてさ、靴ずれしてんじゃないの?」
司はかがんでエマの足元を見た。
「あーやっぱり。かかとのとこ、靴下に血がにじんでるじゃん。マメがつぶれたんだ。なんでガマンするんだよ。」
「ガマンなんてしてない。必死で気がつかなかっただけ。」
「ウソつけ。とちゅうから歩き方おかしかったぜ。」
「その靴じゃムリないね。賀田月さんは休んでて。あとは僕と玉木君で探そう。」
「そんな! こんなの、ぜんっぜん、なんともないです。」
「少しだけ休憩して、探す場所をもう一度考えよう。とりあえず飲み物をもらってくるよ。二人はここで待っていて。」
雅紀はそういってスタッフルームに行った。
「けどさ、緒川を見つけたとしても、手がもとに戻ってなかったら、演奏会には出られないんじゃないのか?」
司の言うことはもっともだ。
(舞羽の心配があたっちゃったわ――。)
油断大敵という言葉は本当だとエマは思った。
「ちゃんとカーテンがなおってないとダメなのかもしれないな。オレ、雅紀さんの家に行ってくる。」
「えっ。いくらなんでも、今からじゃ間に合わないよ。」
「だって、ここまで来てあきらめられねーだろ。」
(あきらめられない……すっきりすればいなくなって、よどめばいつでも天麻があらわれる……。)
エマは舞羽の言葉を思い出していた。
「そうよ、そうだわ司ちゃん! 天麻は雅紀君に憑いてるのよ!」
「えっ?」
「塾の『お兄さん』が天麻だったの。」
「はあ?! なんでそれ早く言わないんだよ!」
「だって、琴美ちゃんの手がなおったっていうから、もう大丈夫だと思って。」
「賀田月はやたら前向きだからな。言っとくけど、ほめてんじゃないぞ。」
「なんで前向きなことが欠点になるわけ?」
「とにかくそれなら、カーテンがなおってなくても、今ここで雅紀さんにすっきりしてもらえば、オッケーってことだよな。」
「うん。」
エマは勢いよくうなずいた。
「お待たせ。ジュースと、それから絆創膏。少しはましになるといいんだけど。」
雅紀が紙パックのジュースと絆創膏をくれた。
「わあ、ありがとうございます。」
走り回ってのどが渇いていたエマと司は、ジュースを一気に飲み干した。
エマはかかとに絆創膏をはり、ふうっと一息つくと、口を開いた。
「雅紀君、なにか悩んでることとか、すっきりしないことがありますよね?」
エマはズバリと聞いてみた。
「え――ええ? 突然何の話なの?」
「雅紀さん、正直に話してください。緒川の夢がかかってるんです!」
いつもだったら、先走るエマを止める司もさらに後押しした。
「二人ともどうしたの? なんだかこわいんだけど……。」
「もしかして雅紀君は、自分がやりたいことをガマンしてませんか?」
エマが言うと、雅紀の顔がこわばった。
「べつに――僕はなにもガマンなんてしてないよ。」
「いーえ、してるはずです。ウソついてもわかるんです。琴美ちゃんの夢のためだと思って、いっさいがっさいぜーんぶ、吐き出してくださいっ。」
エマがつかみかからんばかりの勢いで言うと、雅紀ははっとしたように「夢……。」とつぶやいた。
「そうだ、時計塔の部屋だ。」
「え?」
「琴ちゃんは初めての発表会のとき、今日みたいにリハで失敗しちゃって『発表会に出るのやめる。』って言い出したんだ。それでリラックスしてもらえたらと思って、ホールの時計塔の中にある部屋に行ったんだよ。そこの天窓から空を見ながら、ぼくがパイロットになって、ピアニストになった琴ちゃんを乗せて、世界中で演奏会をしようって、話したんだ……。」
雅紀は遠くをながめるような目つきで言った。
「それだわ! 雅紀さん、行きましょうっ!」
「こっちだ。」
雅紀の案内で、楽屋が並ぶ廊下の一番奥にあるドアの前に来た。はげかけたペンキで『関係者以外立ち入り禁止』と書かれている。
「大丈夫、カギはかかってないんだ。」
雅紀はさっとあたりを見まわすと、すばやくドアを開けて中に入った。エマたちもそれに続く。すぐに階段があって、その一番上にまたドアがある。
「二人とも、暗いから気をつけて。」
階段をのぼりきり、ドアを開けると目の前がパッと明るくなった。
小さな部屋のすみにうずくまっている琴美がいた。
「琴美ちゃん!」
「エマちゃん……。」
琴美は泣いていなかった。必死でこらえているようだ。
「琴ちゃん。とりあえず戻ろう。みんな心配してるよ。」
雅紀が言うと、琴美はおびえたようにくびをふった。
「あんなことして。恥ずかしくて、みんなの前に出られないわ。」
「それじゃ緒川はずっとここにいるのかよ? どのみち戻るなら、今でも後でも同じだ。このままだと不戦敗だぜ。」
司の言葉に、琴美はくちびるをかんだ。
「ずっと演奏会に出たいって言ってたのは、本気じゃなかったのかよ。」
「そんなことないわ! もちろん本気よ。」
「じゃ、戻るしかねーじゃん。」
「それは、そうだけど。」
「琴美ちゃん! 琴美ちゃんならできるよ! あんなに練習してたじゃない。」
「でもできなかったの。さっきの演奏、聞いたでしょ?」
エマは琴美の隣に座り込むと、こっそりささやいた。
「あのね、天麻が憑いているのは雅紀君だったの。」
「ええっ?」
「私たちにまかせて。本番までに、雅紀君のハートをすっきりさせるわ。」
エマは琴美の目を見て、しっかりとうなずいた。
「そんな時間ないわ。あと数十分で演奏会が始まるのよ。」
「あと数十秒じゃない、数十分もあるのよ。それに天麻が憑いているのは琴美ちゃんじゃないわ。自分を信じてピアノを弾いて。」
「――わかったわ。」
「そうこなくちゃ。」
エマはリボンを飾った頭を、琴美のこめかみにコツンとぶつけた。
琴美はステージに戻り、牧村先生にあやまった。
「初めての演奏会だし、大目にみましょう。でも次はないと思いなさい。自分のピアノを聞きにきてくれたお客様をおいていなくなるなんて――許されないことよ。」
「はい。」
琴美は青ざめた顔でうなずき、どうにか演奏会に出られることになった。
雅紀が牧村先生に頼んでくれたおかげで、エマたちはステージ袖から琴美を見守ることになった。
琴美はエマと手をつなぎ、雅紀と司と一緒に出番を待っている。
(琴美ちゃんにはかっこいいこと言っちゃったけど、どうしよう?)
本番まで残りわずかだ。客席に人がたくさんいる声が聞こえてくる。サッカーの試合で緊張した空気になれているはずの司でさえ、顔がこわばっている。
つないだ琴美の手がかすかにふるえているのがわかる。なんとしてあげたい。
(とにかく、雅紀君にすっきりしてもらわなくちゃ!)
「雅紀君の夢は、パイロットだったんですね。」
「え? ああ、うん。小さい頃の話だよ。」
雅紀はどうでもよさそうに答えたけれど、琴美がぱっと雅紀を見た。
「雅紀君、パイロットになる夢、やめちゃったの?」
「うーんと、まあね。」
「あんなに飛行機が好きなのにどうして? 嫌いになったの?」
「そういうわけじゃないけど――。」
「じゃ、どういうわけなの?」
琴美はめずらしく強い口調で雅紀にきいた。
「それは――例えばさ、パイロットという職業に将来性かあるかどうかわからない。それにお父さんもお母さんも、僕に会社を継いでほしいと思っているから。二人を悲しませたくないんだ。琴ちゃん、もう本番だよ。よけいなことは考えないで。お客さんが待ってるよ。」
最後は重い石をおくように言った雅紀に、琴美ははっとしたように口をつぐんだ。
「でも――雅紀君がそんな風に自分の気持ちを閉じ込めていて、ご両親は本当に嬉しいんですか?」
琴美のかわりに、エマが雅紀に問いかけた。
「賀田月さん。それぞれ家族に事情があるんじゃないかな。」
声は穏やかだったけれど、雅紀のきりっとした目は「それ以上言わないで。」と告げていた。
(うわ、イケメンが怒ると迫力があるわ……。)
エマは一瞬ひるみそうになった。
(ううん、ここで引くもんですか。雅紀君に嫌われたってなんだって、間違ってほしくないもの!)
「もし私が雅紀君のお母さんだったら、嬉しくないです。」
「私も嬉しくないわ。悲しい。」
琴美もエマに賛成した。
「雅紀さん、ぼくもです。」
司も続いた。
「ちょっと、みんなどうしたの? なんか変だよ。琴ちゃん、もう場内アナウンスがかかったよ。琴ちゃんの出番は一番最初だよ。大丈夫? 落ち着いて。」
「でも――。」
「緒川さん、なにしているの? 早くステージへ行って!」
牧村先生がスタッフの人と一緒に血相を変えてやってきた。
「は、はい!」
琴美はステージ中央に向かって歩き出し、客席からは拍手が聞こえた。
「どうしよう?!」
エマは小声で司に言った。
「とにかく、緒川を信じよう。」
エマたちは急いで移動し、客席の一番後ろに立った。琴美はグランド・ピアノの椅子に座っている。一つ呼吸をして鍵盤の上に手を置いた。
(お願い! どうか、手がもとに戻っていますように!)
エマは胸の前で両手を組んだ。
琴美はエマたち三人と目を合わせ、うなずき合った。
大きく息を吸い込んで、ピアノを弾き始める。
そのとたん、会場からわあっと笑いが起こった。
流れ出した音楽は、ガラガラ星変奏曲だったのだ。
(そんな……!)
琴美の顔は真っ赤だ。必死で涙をこらえているのが、ここからでもわかった。それでも弱々しい音でなんとか弾き続けている。
「大変だ、すぐ中止してもらおう。」
牧村先生のところへ行こうとした雅紀を、司が止めた。
「雅紀さん、緒川はあきらめてません。」
客席の笑い声は、ひそひそ声とともにざわめきに変わった。
「これ以上弾いても、失敗して琴ちゃんが恥ずかしい思いをするだけだ。」
「そんなことありません。失敗したとしても、恥ずかしくなんてないわ!」
エマは客席を出て、受け付けを見まわした。
「あの、これ貸してください!」
エマはそこにいたスタッフの人に言うと、壁にはってあったポスターをはがした。その裏にマジックで大きく『琴美ちゃん、バッチリ! その調子!!』と書いた。
「おい、その調子って、この調子かよ?!」
エマを追って来た司がぎょっとして言った。
「もちろん! 司ちゃんはそっち側を持ってね。」
「あー、もうどうにでもなれだ。」
エマと司は客席の後ろに戻り、ステージに向かってポスターを大きく振った。
琴美はポスターに気づいた。「その調子……。」とつぶやくのが見えた。
エマは大きくうなずいて手を振った。
琴美もかすかにうなずき、吹っ切れたようにガラガラ星演奏曲を弾き続けた。
「緒川、がんばれ……!」
司はポスターをにぎりしめ、思わず声にしていた。
「琴ちゃん……。」
堂々と演奏する琴美を見つめていた雅紀は、まぶしそうに瞬きをした。
すると――。
砕け散ったガラスの破片が逆再生でもとに戻るように、メロディが整っていった。点滅する光のようにめまぐるしく変わる音色に、客席からは大きなどよめきが起こり、拍手喝采となった。
エマと司は声を出さないよう「やったぁ!」と口だけを動かして喜んだ。
最後はたくさんの手拍子とともに、琴美は演奏を終えた。
「エマちゃん!」
ステージから戻ってきた琴美はエマに飛びついた。
「大成功じゃない!」
「ありがとう、みんなのおかげよ。」
「琴美ちゃんの勇気が、天麻をはね返したのよ。」
エマの胸は希望でパンパンにふくらんでいた。
(おばあちゃんの災いも、私がはらいのけることができるってことだわ!)
*
心地よい風がふく午後、岩橋家で小さな演奏会がひらかれた。
新鮮なオレンジをしぼったジュースに、チョコレートがたっぷりかかった焼き菓子。美しい庭が見える部屋の窓には、きれいにリメイクされた宝物のカーテンがかかっている。
「すてきな窓だね。」
エマが言うと、雅紀は嬉しそうにうなずいた。
「カーテンがよみがえって、母さんはとても喜んでるよ。本当にありがとう。」
「そんな、私たちは何も……。」
「君たちのおかげだよ。そして琴ちゃんの演奏に、僕はとっても勇気づけられた。」
雅紀の言葉に、琴美が赤くなった。
「だから僕もおもいきって、お父さんとお母さんに『パイロットになって、たくさんの人を世界中に行かせてあげたい』って話してみたんだ。他にもいろいろね。僕の気持ちをあきらめないで伝えた。」
「それで? どうなったの?」
琴美は少し不安そうにきいた。
「家族の夢をすべて叶えるにはいろいろ、まだ時間がかかるけど――。琴ちゃんが演奏旅行をするときは、僕が操縦する飛行機に乗って行ってくれるかな。」
「ええ、もちろん! 約束よ。」
「うん、約束だ。」
雅紀は笑顔でうなずき、琴美と指きりをした。
「ねえ司ちゃん、これってやっぱり恋なんじゃない? だって二人は将来の約束をしたってことでしょ?!」
エマは司をひじでこづいて、小声で言った。
「さーな。それより賀田月、口のとこにチョコがついてる。」
「えっ。」
エマがあわてて口元をふくと、チョコレートがこすれて横にのびた。
「あ、なんかヒゲみたいになったぞ。」
「やだー!」
「いいじゃん。ヒゲなら大好きなルパンとおそろいだろ。」
司がどうでもよさそうに言うと、全員いっせいに吹きだして大笑いになった。
明るい笑い声は小鳥のように窓を飛び出して、空へのぼっていった。
―開かずのカーテン(終)―
雅紀君にはモデルがいます。幼馴染で、勉強ができてイケメンの優秀な男の子でした。
近所でも評判のイケメン優秀三兄弟の長男君。なので当時は、憧れより劣等感を抱いていました。
みんな江戸時代の大名の若様とか、明治時代の華族の御子息、という雰囲気だったんです。
おじい様がまた素敵な方で、黒い制服をピシッと着た少年とおじい様が並んで登校する姿は「春の雪」にでも出てきそう。いま思い返しても、あんな小学生はいません! 懐かしいな。