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エマはそうじま!  作者: ローズリリー
1/5

(元)汚部屋住みの女子中学生が、魔物が汚したお家と仲間の心をスッキリおそうじ!

   そうじ魔誕生

 くじらが丘は、のどかな住宅街だ。街の中心にくじらの形をした丘があるから、くじらが丘。丘のてっぺんに登れば、どんなに小さな子どもでも街中を見渡せる。

 白い壁に茶色い屋根の家々。大きなグラウンドがある学校。白い花が咲く街路樹の通りには、フルーツたっぷりのケーキ店、頼めば世界中のあらゆる本をそろえてくれる本屋、何に使うのかわからないような古道具ばかりある雑貨屋など、たくさんのお店が軒を連ねている。

 宝箱の中身をならべたような街並みの一つ一つには、どんな物語や秘密があるんだろう。小さかったエマは、おばあちゃんに連れてきてもらってはそんな空想をしていた。


 十三歳になったエマは――あごがはずれそうなほどの大きなあくびをして、トドのように寝返りをうった。ふわふわのラグが気持ちいい。

(はあー。リラックスっていいわあ……。)

 くじらが丘中学校がお休みの日は、勉強もなにもしないで、お部屋でゴロゴロするのが最高だ。必要な物はすべて、立ちあがらないでも手が届くところに置いてある。

 そのせいで床は物でいっぱいだ。

 例えば、飲むと口の中がきみどり色になるスライムシェークに、バターポップコーン。エアコン、テレビなどの各種リモコン、本にマンガにタブレット。すべてエマの手がとどく半径六〇センチ以内においてある。家族には『ズボラ魔法陣』と言われるけれど、エマは『便利魔法陣』と名づけている。

 寝転がって読んでいる本は大好きなシリーズ、怪盗紳士アルセーヌ・ルパンだ。

(大人になって結婚するならルパンみたいな人がいいな。頭いいし、モテるけど浮気しないし。子どもの頃苦労していて、じつは優しいところとか最高。ちょっと運が悪いところもそばで助けてあげたいし。見た目もすっごくかっこいいはずだもん。)

 考え始めると妄想が止まらない。ルパンはエマの理想の人だ。問題は職業が泥棒ということだけ。

(でも紳士なのに怪盗ってところが一番の魅力だからな……。それをとったらエビが入ってないエビフライみたいになっちゃうもんね。)

 そうなったらただのフライと、ただの紳士だ。

「エマ!」

(きたっ!!)

 ビクッとしたエマは、あやうくスライムシェークをこぼしそうになる。残念ながらポップコーンは少し床に散らばってしまった。

 仁王立ちしたママがドアに立っている。エマの完璧なゴロゴロ・ホリデーは、いつもママの小言で中断される。

 計算ドリルをかかえた弟の淳之介じゅんのすけが、クスクス笑いながらママの後ろを通りすぎた。エマと違って理数系で勉強好きな淳之介は、まだ小学二年生なのにくじらが丘小でも評判の優等生だ。かわいい弟だけれど、ときどきにくたらしい。

「まったくもう、こんなに散らかしっぱなしでゴロゴロして! あなた、いったいいつになったら自分のお部屋をきれいに片づけるの?」

「えーっと、次のお休みの日。」

 ママは目をうすく細めた。まるで詐欺師をにらみつける刑事のようだ。

「ママ、もしかして自分の娘をうたがってるの?」

「あたり前でしょ! あなた、小学生の頃からそう言い続けて、もう中学生じゃないの。今日やりなさい、それも今よ。今この瞬間からはじめなさいっ!!」

 ママの目は白雪姫に出てくる魔女みたいにつり上がっている。これはまずい。

 エマは片づけとそうじが大嫌いだ。

 なぜならやってもやっても終わりがないからだ。どんなにがんばってピカピカにしたって、一週間後にはまた散らかってしまう。それなら一年に一度、年末の大そうじで十分なんじゃないかな、とエマは考えている。でも、ママには通用しない。

「今日片づけなかったら、テレビのゴミ屋敷特集にこの部屋を映してもらうわ。」

 ついにママはおどしという手段に出た。

 一応そうじはしている。床の物をどかしながら、ときどきは掃除機をかけているのだ。でも散らかり具合はとんでもない。

「ちょっとママ、娘をテレビに売る気なの?」

「エマ、これはあなたのためなのよ。このままズボラに育ったら、将来ろくなことにならないんだから。」

「だけど、このあと予定があって――。」

「部屋をきれいにするまでは、外出禁止!」

「ええっ!」

 ママは本気だ。エマはあせった。

瑤子ようこさん。そこまでしちゃ、いくらなんでも気の毒よ。」

 優しい声が響いて、おばあちゃんがあらわれた。

「おばあちゃん!」

 エマは立ち上がると、大好きなおばあちゃんの背中に隠れた。

「でも、お義母さま……。」

 ママはおばあちゃんには弱い。

「エマちゃんはズボラなんかじゃないわ、完璧主義なの。ぜんぶをきちんとしようとするから面倒くさくなってしまって、結局できなくなっちゃうだけなのよ。」

(さすがおばあちゃん、私のことをわかってくれてる。)

 エマだと何を言っても『言い訳』にしか聞こえないのに、おばあちゃんなら誰もが納得できる『理由』になる。

「おばあちゃん、大好き。」

「でもねえ、エマちゃん。ママの言うこともとても大事なことよ。」

「うん……。」

「お部屋はね、エマちゃんの心の鏡なのよ。」

「なにそれ。どういう意味?」

 むかし高校で国語の先生をしていたおばあちゃんは、ときどき不思議なことを言う。

「お部屋が汚れて散らかっていれば、エマちゃんの心も荒れているってこと。いつのまにかこわ~いオバケがお部屋にすみついて、食べられちゃうかもしれないわよ。」

「ふふ、おばあちゃんたら。私もう中一だよ。そんなの信じるわけないでしょ。」

 そのときドアホンが鳴った。親友で幼なじみの緒川琴美おがわことみ玉木司たまきつかさだ。午後は仲良し三人組で会う約束をしているのだ。

「琴美ちゃんと司君がおむかえに来たのね。秘密基地づくりは順調なの?」

 おばあちゃんは『秘密基地』のところだけ小声で言った。

「完成まであと少しだよ。」

「そんなものより、まず自分の部屋をなんとかするべきでしょう。」

 ママがあきれた顔でつっこんだ。

「それとこれとは別なの。」

「エマちゃん、帰ってきたら必ずお片づけをするのよ。」

「わかったわ、おばあちゃん。ママ、今度こそ約束するから安心して。」

 エマは誠実に返事をしたのに、ママは「不安しかないわ。」と冷たい答えだった。

「じゃ、気をつけて行ってらっしゃい。」

「はーい!」

 エマは勢いよくうなずくと部屋の窓から顔を出した。

「五分待ってー!」

「了解ー。」

 エマは急いで出かけるしたくをした。といっても靴下をはいてパーカーをはおるだけなので、あっという間だ。耳のあたりでツインテールに結った髪がくずれかけているけれど、エマは気にしない。くせ毛だからちょっとした湿気で広がっちゃうし、きれいにするだけ無駄なのだ。

「いってきまーす。」

 エマは階段をかけおりて玄関を出ると、窓辺のママとおばあちゃんに手を振った。


「おまたせ。」

 エマは自転車にまたがった。

賀田月かたづき、バターポップコーン食べてただろ。」

 司がにやにや笑いながら言った。司はサッカー部の十番で、あだ名は『俊足のエース』。学校の部活の他に、サッカースクールにも通っている。よく日に焼けていて、笑うとゴムパッキンみたいに真っ白な歯が見える。ずっと二人のことを『エマちゃん、琴美ちゃん』と呼んでいたのに、中学生になったとたんに名字で呼ぶようになった。

「え、なんでわかったの? 司ちゃんもしかして超能力でも使った?」

「そんなわけないだろ。」

「髪の毛についてるからよ。」

 琴美はふふっと笑ってポップコーンを取ってくれた。琴美は優しくて女の子らしくて、エマとは正反対だ。お人形みたいなさらさらのロングヘアに、毎日変わるカチューシャが定番の格好。ピアノが大好きで、将来の夢はピアニストになること。お父さんは総合病院を経営していて、くじらが丘で一番大きな家に住んでいる。

「じゃ、とっとと行こうぜ。」

「うん。」

 琴美の家に向かって三人は自転車をこぎ出す。

 エマの叔父である伸吾しんごが、使わなくなった古いトレーラーをくれたので、エマたちは車内を改装して秘密基地を作っているのだ。場所は琴美の家の庭に置かせてもらっている。

 伸吾は地方の美術大学を出たあと、仕事もしないで日本中をふらふら放浪していた。三十歳になった今はだいぶ落ち着いて、エマの家から五分のところにあるコンビニ『ほほえみマート』の店長をしている。

 家に着くと琴美はカードキーで門を開けた。海外ドラマのワンシーンみたいでかっこいいとエマはいつも思う。

 緒川家の敷地はかなり広く、門から家に入るまでなんと五〇メートルくらいある。もしエマがこの家に住んでいたら、まちがいなく毎朝遅刻だろう。忘れ物が多くて、しょっちゅう引き返すからだ。

 トレーラーのドアをあけると、塗ったばかりのペンキのにおいが鼻をつく。

「賀田月、頼んでたあのネジ、持ってきたよな?」

「あ。」

「忘れたのね。」

 琴美と司はため息をついた。

 昨日ホームセンターでネジを買ったあと、伸吾のお店に寄り道した。そこにおいてきてしまった。

「ごめんごめん、伸吾ちゃんのところだ。今すぐとってくる。」

「ほほえみマートに行くなら、ついでにドラキュラシェークもたのむ。」

 ドラキュラシェークは飲むと口の中がまっ赤になる。

「緒川はユニコーン味でいいよな?」

 ユニコーンシェークを飲むと、くちびるがキラキラのラメだらけになる。

「うん。」

 琴美は嬉しそうにうなずいた。

「了解ー。じゃ、いってくるね。」

「待て賀田月。くれぐれもシェークだけ持ってきて、ネジをおいてくるんじゃねーぞ。」

 サッカー部でしょっちゅうキズだらけ・泥だらけのくせに、司は細かい。色んなことにもよく気がつく。

「いくらなんでも、そこまで抜けてないってば。」

 エマはトレーラーを出てふたたび自転車に乗った。

 ほほえみマートに行くには、エマの家の前を通らなくてはいけない。

(ママと淳之介に見られないように、サッと通過しなくちゃ。)

 もし見つかったら「また忘れ物?」とあきれられるに決まっているからだ。エマはペダルをこぐ足に力を入れた。

(あれっ……?)

 自宅の前を猛スピードで通り過ぎようとして、エマは急ブレーキをかけた。

 救急車がとまっている。回転する赤いランプの光が目にささるようにまぶしい。エマは心臓がドキドキするのを感じた。

(どうしたんだろう?!)

 救急車がくる理由なんて一つしかない。エマは自転車を飛び降り、開けっ放ぱなしの玄関に入ろうとした。

「ママっ……。」

「道をあけて!」

 家の中から救急隊員の声が響く。苦しそうなおばあちゃんが、担架で運ばれてきた。

「おばあちゃん?! どうしたの、大丈夫?!」

「きみ、危ないから離れて!」

 黒い腕章をつけた救急隊員が、かけ寄ろうとしたエマを片手で止めた。

「私、おばあちゃんの孫です。おばあちゃん、どうしたんですか?!」

 救急隊員はエマを見た。

 その、目。

 エマは思わずあとずさった。

 真っ暗なほら穴のような瞳だった。仮面のような無表情でエマを見ている。

(この人、なんかこわい――。)

「あ、あの。」

 エマの声はおびえてかすれた。救急隊員はふっと顔をゆるめると、優しそうな目をした。

「ああ、そうなんだね。君のおばあさんは転んでケガをしたんだよ。」

「ケガ?! 転んだって、いったいどうして――。」

「これだよ。」

 救急隊員はからっぽになったスライムシェークのカップを差し出した。

「床にこぼれたジュースで滑ってしまったんだ。」

「えっ――。」

 エマの胸の中で何かが破裂したような気がした。指先が冷たくなっていく。

 出かける直前のママとのやりとりが頭の中で再生される。

 あのときこぼしたのは、ポップコーンだけじゃなかったのだ。

(そんな――。)

「ああ、エマ!」

 玄関の中からママが出てきた。

「帰ってきたのね、ちょうど良かったわ。おばあちゃん、転んで腰の骨を折っちゃったみたいなのよ。」

「腰の骨?!」

 とんでもない大ケガだ。エマは手足が震えるのを感じた。

「ママ、これからおばあちゃんと一緒に病院に行くから、あなたは淳之介とお留守番してて。夕ご飯は伸吾に電話してなんとかしてもらってちょうだい。いいわね? まったくもう、こんなときにパパが出張中だなんて……。」

 ママも心細いのだろう。一気にしゃべり終えると困り果てた顔になった。

「私も一緒に病院に行く!」

 ママは強くくびをふった。

「だめよ、今あなたが来ても邪魔になるだけよ。おとなしく家で待っていなさい。淳之介だけおいていけないでしょう。」

「奥さん、急いでください。」

 救急隊員にうながされて、ママは救急車に乗り込んだ。

「二階の窓のカギをかけるの忘れないで。頼むから、しっかりお留守番してね。」

 救急車はサイレンを鳴らして走り出し、あっという間に見えなくなった。

(どうしよう……。どうしよう!!)

 エマは玄関の前に力なく座り込んだ。


 ママから連絡を受けた伸吾はすぐに賀田月家に来てくれた。病院についたママから伸吾に電話があったとき、エマはこっそり会話を聞いていた。

「脊椎の圧迫骨折? そっか。若く見えても、澄子すみこおばあさんも歳だからな……。でも絶対に歩けなくなるって決まってるわけじゃないだろ。」

(おばあちゃん、歩けなくなっちゃうの?!)

 エマはぎゅっと手をにぎりしめた。

「医者はそういう言い方をするもんなんだよ。変に希望をもたせて、あとで訴えられたりしないようにさ。」

 それ以上は聞いていられなくて、エマは物置になっている屋根裏部屋にかけこんだ。

それからずっと泣いている。きっと顔はとんでもなく腫れているに違いない。

 どのくらい時間が過ぎたのだろう。淳之介が夕飯だと声をかけにきた。

「おねえちゃん、ごはん食べようよ。伸吾ちゃん、たくさん持ってきてくれたんだ。お菓子とね、アイスもあるよ。」

 エマが中からカギをかけたので、淳之介は廊下でエマに話しかけている。

「エビフライと、ハンバーグにビーフシチューでしょ、チキンカレーもあるんだよ。おねえちゃん、どれがいい?」

 ふだんは真っ先に自分が好きなものを選ぶのに、淳之介なりにエマを気づかっているのだ。

「……ありがとう。でもいらないわ。」

「食べないの? もしかしてお腹が痛い――」

「あとで食べるから。淳之介が好きなのを選んでいいよ。」

 淳之介をさえぎって答えると、廊下は一瞬静かになった。

「ねえおねえちゃん。おばあちゃん、大丈夫かな……。」

(わからない、そんなこと――!)

 エマ心の中でさけんだ。両手で耳をふさいで古いソファにつっぷした。

 淳之介はおばあちゃんを心配しているだけだ。でもエマは責められている気がしてたまらなかった。このままだと淳之介にひどいことを言ってしまうかもしれない。

「おばあちゃんは、きっと……大丈夫よ。」

「本当に?」

「ねえ、それより伸吾ちゃんとご飯食べておいで。淳之介の元気がなくなっちゃうよ。そうしたらおばあちゃん、気がかりで治るのが遅くなっちゃうかも。いいの?」

「よくない! ぼくご飯食べてくる。」

 淳之介が急いで階段をおりていく音が聞こえた。

(琴美ちゃんと司ちゃん、どうしてるかな。)

 二人から電話があったけれど、エマは出なかった。伸吾が説明してくれただろうから、事情はわかっているだろう。きっととても心配しているに違いない。

(もう、最悪の日だよ……。)


 エマはいつのまにか眠ってしまった。

 夢の中でエマは裁判にかけられていた。

 被告人席に座っているエマは蜘蛛の巣で体をぐるぐる巻きにされていて、身動きがとれないでいる。なんだか息苦しくてエマは咳きこんだ。

 目だけを動かしてあたりを見まわすと、陪審員も裁判官もモワモワしたホコリのかたまりだった。都市伝説風にいえば『ホコリ人間』という感じだ。室内がホコリっぽくてカビくさいのは、彼らがいるからだろう。

 エマを訴えている検察官は、中学生くらいの少年だった。CGキャラクターかと思うほどきれいな顔立ちだけれど、まっ黒な瞳には生気が感じられない。全身から、不気味な気配が煙のようにただよっている。

 エマはこの男の子とどこかで会ったような気がしたが、思い出せなかった。

「被告人は、彼女がやるべきこと――。部屋のそうじをおこたり、そのせいで祖母にケガを負わせました。」

 少年の言葉はエマの胸をぐさりと刺した。

「異議あり! エマは帰ってきてから、片づける予定だったんです。」

 エマの弁護人は、ふわふわした羽根のドレスをまとった妖精だった。アンティーク・ドールくらいの大きさで、背中には虹色に輝く翅が生えている。

「信用できません。被告人は小学生の頃から『今度やる』と言い続けています。ウソに決まっています。エマは平気で約束をやぶるのです。」

 エマはトゲつきの鎖で胸をしめあげられるような気がした。

天麻てんま、いいかげんなこと言わないで。だいたいね、おばあさまが転んだことと、エマがそうじをしなかったことは別の問題よ。」

「へえ、そうかな?」

 天麻と呼ばれた少年は、バカにしたように笑った。

「そうよ!」

 妖精はかばってくれたが、エマも天麻と同じことを考えていた。

 ママの言うとおり、遊びに行かないですぐに片づけをするべきだった。エマが部屋をきれいに整頓していれば、おばあちゃんは転んだりしなかっただろう。足を滑らせる原因がなければ転ばない。

「……別じゃない。私のせいよ。」

 ついにエマはしゃくりあげた。

「私のせいで、おばあちゃんは歩けなくなっちゃうかもしれない――。」

 天麻はニヤリと笑った。

「そうそう、エマ。きみのせいだ。部屋と心はつながっている。つまりエマはよどんでいる。その汚れはもう落とせないさ。エマの心は汚れているんだ――。」

 ホコリの陪審員たちが「そうだそうだ!」といっせいにさわぎ立てた。

「エマはウソつき! エマはズボラ! ウソつきズボラエマ!」

 大合唱が始まった。ホコリの陪審員たちは竜巻きのようになってエマにおそいかかった。

「やめてー!!」

 エマはパチッと目を開けた。

 屋根裏部屋の天井より先に、さっきの妖精がエマの顔をのぞきこんでいるのが見えた。

「目が覚めた?」

 エマは瞬きをした。起きたと思ったけれど、どうやらまだ夢の中にいるらしい。

「ううん、覚めてないみたい。」

 妖精は困ったような顔で微笑んだ。

「私は舞羽まう。覚えてないかしら?」

「覚えてるよ。たった今、夢の中の裁判で私をかばってくれたでしょ。」

「そうじゃないわ。もっとずーっと前のことよ。この姿、見覚えない?」

 舞羽は両手を広げてくるりとまわった。ピンク色のドレスがふわりと広がる。

「うーん……。」

 そういわれてもエマは妖精に会うのは初めてだ。

「じゃ、これならどう?」

 舞羽がドレスのすそをこまかく揺らすと、床のほこりがサッときれいになった。

「あっ。」

 エマはふわふわドレスの妖精が誰だか――『なんであるか』を思い出した。

 おばあちゃんがくれた、羽ぼうきだ。そうじが楽しくなるようにと、妖精の形をしたかわいい羽ぼうきを探してくれて、一緒に買いに行ったのだ。ふんわりした羽根のスカートがほうきになっていて、エマのお気に入りだった。

「なくしたと思ってた――。」

「ずっとここにいたわ。」

 舞羽はエマのとなりにちょこんと座った。

「ごめんね。ほったらかしにして。そうじとか、片づけって苦手で。どうしてもできなくて……。」

「大丈夫よ、エマの性格は知ってるわ。」

 舞羽はふふっと笑った。

「そんなことより、よく聞いてほしいの。」

「なあに?」

「自分の脚を見てみてちょうだい。」

「あし?」

 エマは自分を見下ろして、あっと息をのんだ。

 ふくらはぎに、銀色のスライムのようなものがべったりはりついている。

「やだ、なにこれ……!」

 エマはあわててティッシュをとってふいた。けれど落ちない。それはナメクジのようにふくらはぎの上をじとっと移動している。

 エマは思わず悲鳴を上げた。

「むだよ。それは影みたいなものなの。ふいても洗っても落とせないわ。」

「そ、そんな。」

「ねえエマ、もしかして夢の中でまっ黒な目の、不気味な子に会わなかった?」

「会ったわ! 私を訴えてた。」

「やっぱりね。おばあさまのケガは、天麻のしわざだわ。」

「どういうこと?」

「彼は人間じゃないの。汚れとかよどみの化身みたいなもの、って言ったらイメージわくかしら?」

(化身、ていうのは『汚れ』とか『ばい菌』を人間のキャラクターにしたようなもの、てことかな。)

 エマは物語やマンガに登場するいろんな悪役を思い浮かべた。

「おばあさまがケガしたとき、エマの周りに天麻がいたはずよ。」

 今日は家族と琴美と司以外の人とは会っていない。すれ違った人はいたけれど、天麻らしき人物はいなかった。

「見なかったよ。あんな男の子、いなかったと思う。」

「よく思い出して。イヤな感じの、底なし沼のような目をしたヤツよ。」

「うーん、底なし沼ねー……。」

 エマは考え込んだ。頭の中を黒い腕章がよぎる。

「あっ。そういえば、救急隊員が一瞬そんなこわい顔をしていたような。」

「それよ!!」

 舞羽が指をさして叫んだので、エマはびくっと飛び上がった。

「でも、普通の優しそうな人だったよ。それに夢に出てきた天麻って子は中学生くらいで、救急隊員のお兄さんは大人だった。違うんじゃないかな。」

「まどわされないで。天麻はね、汚れやよどみがたまったところに、変幻自在に姿を変えてあらわれるの。」

「それってルパンみたいに変装の名人ってこと?!」

 どんなときでも、エマはルパンのことを考えるとテンションが上がってしまう。

「それ以上よ。普通の人間は、天麻が身近な人や物に化けていることに気がつかないの。そうしてひっそりと近づいていって……。」

 舞羽は胸の前でぎゅっと手を組んだ。

「人の心の、汚れたりよどんだりした部分を食べてしまうのよ。」

「心を、食べる……?」

 どういうことだろう。意味がわからないのに、エマは背すじがぞっとした。

「で、でもさ。汚れたところを食べてくれるなら、食べられた人もきれいになって、お互いに得なんじゃない?」

「とんでもないわ、大間違いよ。天麻は心ごと汚れを食べてしまうの。もし半分以上食べられたら、再生することができなくなって、その人は心を失ってしまうの。」

「そうしたらどうなるの?」

「だんだんと夢や希望をなくしていって、人形のようになるわ。どんなに楽しいことがあっても、悲しいことがあっても、なにも感じなくなるの。」

 エマは救急隊員のほら穴のような目を思い出した。

「そんな……。じゃもしかして、天麻は私の心を食べてるってこと?」

 舞羽は小さくうなずいた。

「どうしよう。」

 エマは泣きたくなった。

「まだ間にあうから安心して。おばあさまのケガも、あなたの心も。」

「本当に? 私、どんなことでもやるわ。それで何をしたらいいの?」

「そうね、とっても簡単だけれど、エマにとっては難しいことかもしれないわね。」

「え?」

「おそうじするのよ。」

 舞羽はウィンクした。


 舞羽と一緒にエマは自分の部屋に行った。

「エマ……。」

 あまりの散らかりように、舞羽はそう言ったきりしばらくあ然としていた。

「その、そうじとか片づけは、すこーし、苦手で。」

「すこし? これがすこしですって?! 今まで天麻があらわれなかったのが不思議なくらいだわ。いくらなんでも『よどみ』をため過ぎよ。これじゃあなたの大好きなルパンに泥棒に入られても、まったく気がつかないでしょ。」

「もちろんよ! 怪盗紳士アルセーヌ・ルパンは蛍光ペンよりあざやかな手口で、誰にも気づかれずになんでもかんでもサッと盗んじゃうんだから。最高でしょ?」

 緊急事態であることも忘れ、エマは興奮してしゃべった。

「あのね、そういう意味じゃないわよ。まあいいわ、とにかく始めましょ。」

 舞羽が虹色のステッキをサッと一振りした。するとキラキラした光の粒があらわれて、エマの服の袖をくるくるとまくった。

「わあ、すごい。舞羽って本当に妖精なんだ。」

「やあね、妖精以外のなんだと思うの。」

 舞羽は鈴をふるような声で笑った。

「ありがと。よーし!」

 エマは深呼吸すると、大嫌いなそうじに挑んだ。

 が、五分とたたないうちに投げ出したくなってしまった。なにせ小学生時代からの『散らかり』だ。どこからどう手をつけたらいいのかわからない。

「ちょっとエマ、手が止まってるわよ。まず、部屋中に散らばっている物を一か所に集めて、いる物だけを選ぶのよ。それにしても、どうしてありとあらゆる物が床においてあるの? しかもうずまき状に。これは何かのおまじない? 誰かに魔法でもかけてるの?」

「そ、そんなわけないでしょ……。もし魔法が使えるなら部屋をきれいにするよ。こうしておけば何にでもすぐ手が届いて、便利だから。」

「エマ、あなたは便利という言葉の意味をはきちがえてるわ。便利っていうのはね、『ズボラに過ごせる』ということじゃないのよ。」

(合理的って言ってほしいけど、話が長くなりそうだからがまんしよう。)

「『よどみ』は『よどみ』を呼びよせる。周りに広がっていくのよ。その人や周囲にどんっどん災いがもたらされるわ。」

 意外と理屈っぽい舞羽にどやされながら、エマは一生懸命片づけをした。

「エマ、部屋に戻ったの? 誰かと一緒なのか?」

 ドアの外で伸吾がエマを呼んだ。

「あらやだ。こんな忙しいときに、いったい誰かしら?」

 エマはあっとさけんだ。

「伸吾ちゃん、私の叔父さんよ。物音がするんで、きっと心配して見にきたんだわ。」

「エマ、大丈夫? 開けるよ。」

「うわっ、どうしよう。ええと舞羽は、とりあえずここに入ってて!」

 エマは舞羽の手をひっぱりベッドの中に隠した。

「ちょっと、きゃあ!」

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