第96話 酩酊の色
夜更け、月の光とランタンの灯りが優しくレベリオの船内を彩り、穏やかな波の揺れがやけに心地よい。そんな中で、翔は今までの生い立ちを余すことなくゆっくりと、酩酊に揺らぐ頭の中で言葉を紡ぎ出してゆく。
生まれた世界が違うこと。
父親に死を思わせるような鍛え方で、今道四季流を習得したこと。
この世界にやってきて、色々な人に出会ったこと。
そして、多くの人が目の前で死んで、
多くの人の命が、この両手からこぼれ落ちたこと。
その中にいた、大切な人のこと。
罪を背負わされ、街を守るためにレギナを攫う道を選ばざるを得なかったこと。
そして、今に至るまで出会った多くの人に救われてきたこと。
レベリオは黙って翔の話を聞いていた。その言葉の真意を噛み締めるように、酒を口に含みながら話を聞いていた。少し、酔っているのかもしれないと翔は思った、口から言葉を吐き出すたび目から涙がこぼれ落ちるんじゃないかと必死に我慢をしていた。
改めて思う。大勢の人に、自分は生かされているのだと。
こんな、悲しい物語のはずじゃなかった。本当だったら、今もリーフェとガルシアと、メルトでイニティウムで冒険者をやりながら、些細なことで笑ったりして、美味しい料理をたくさん作って、何もなく平和に生きるはずだった。
「大将もまぁ。俺も人のことは言えないが、それなりに苦労してきたんだな」
「……」
「とりあえず、今は飲んでおけ。今日一日ぐらい、自分を労う日があってもいいだろ」
「……レベリオさんは、今の俺の話を全部信じるんですか?」
翔のカップに追加で酒を入れるレベリオを見ながら翔は問いかける。異世界から来たということ、そして世間一般ではイニティウムの街を燃やした犯人として疑われ追われている身である自分の話を信じることができるのか。
レベリオの答えは至って単純だった。
「別に、信じるも信じないも。全部お前さんから出た言葉だ。職業柄、嘘を見破るのは得意でね。大将が嘘をついているような気配は微塵もなかった。まぁ……驚いたか驚かなかったかで言われたらちょっと驚いたけどな」
「……俺、レギナさんに言われました。過去に囚われないで、前に進むべきだと……死人に生かされてる人間に教えることは何もないって」
翔の言葉にレベリオはいつの間にか取り出していた干し肉に齧り付いて、それを酒で流し込んでいる。そんな翔からの問いかけに、一瞬だけ考える仕草をするレベリオ。
「そりゃ、そうだろう。大将、お前さん。あのイニティウムでエルフの嬢ちゃんに生きろって言われたんだろ?」
「……そうです」
「だけどな。生きろって一口に言っても色々あるわけだわ。自分たちを忘れないで生きろって言ってるのか。それとも、これから今を生きてる多くの人に囲まれて幸せに生きろって言われてるのか。少なくとも、俺がエルフの嬢ちゃんの気持ちなら後者だろうな」
「……それでも。俺……」
「何も、死んじまった奴らのことを忘れて生きろって言ってるんじゃないさ。けどお前さんが前に進むために必要なのは、死んじまった奴らじゃない。今を生きてる奴らのために前に進めってことなんだよ」
「今を生きてる人たちの……」
「心当たりがあるんじゃないか? 女とかでもなんでもいいけどよ」
翔の頭に真っ先に浮かんだ人物、それはメルトのことだった。
今、彼女は一体何をしているのだろう。今でも、イニティウムで受付嬢をしているのだろうか。果たして、自分はそこに帰ることできるのだろうか。リーフェのいない日常を受け入れて、果たして笑って生きることができるのか。
そうだ、そのためには生きなくては。
そのためには、争わなくては。
「レベリオさん。俺……っ!?」
「大将? 大将っ! おいっ! どうしたっ!」
突如、脳内を掻き回すような頭痛が翔を襲う。視界が歪み、口から胃の中身が溢れ出る。突然のことに全く頭の理解が追いついていないまま、床の上に倒れ込む。
駆け寄ってきたレベリオが呼びかける声が歪んで頭の中に響く。しかし、受け答えをすることができない。
暗くなってゆく視界。レベリオの後ろに誰か立っている。
あれは、一体誰だ?
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見上げるほど、そしてその先が見えないほどに高い塔の前に青年は立っていた。その片手に純白の文字が書かれた刀身のパレットソード。その鞘に残っているのは、紅く輝くルビーのような精霊石だけだった。
その剣の切先に炎が宿る。
徐々に姿を変え、青年の黒かった髪は赤黒く炎のような色に変わり彼が握っていた剣は細い刀へと姿を変えた。
青年の後ろに転がっているのは無数の人と魔物の屍。全員が今青年の目の前に聳え立つ塔を守るために配備されていた警備兵とそれに付き従えていた魔物だった。その様は、まさに地獄絵図と呼ぶに相応しい。
「おい。本当にそれでいいんだな?」
青年のそばに立つ、ガラの悪そうな赤髪の男が青年に問いかける。その問いかけに、青年は黙って頷いた。
「……サリー」
「なんだよ」
「最後に、頼みがある」
「……それは、契約か?」
「あぁ、そうだ」
青年の言葉に、赤い男は呆れ顔で青年の言葉に頷く。そんな彼の反応に青年は少しだけ優しく微笑んだ。
「—————」
「……また。面倒な契約を持ち出しやがって」
男は頭をかきながらその場を一周し、地面にしゃがみ込むしばらくして。顔を上げてグーサインを男の前で出す。その顔はどこか泣き出しそうで、しかし大切な人を送り出す笑顔で満ちていて。
「ありがとう。行くよ」
「おう、行ってこい。俺も……、すぐにそっちに行く」
青年の周りに立ち込めていた炎の色が、紅から碧、そして白へと姿を変えてゆき、その炎は塔全体を飲み込んでゆく。それはやがて塔から街へ、国を包み込む炎へと変わってゆく。
爆発が起きた。
正確には、巨大な想像を絶するような爆音を響き鳴らすような爆発ではない。それは音もなく広がり、そして炎の広がる範囲全てを収束させ何もかも一切合切そこには何もなかったかのように全てを消し去った。
そこに住んでいた人も。
街も、
国も、
青年自身も。
残ったのは落ち窪んだクレーターのような、その場所に何かがあったと証拠付けるために残された跡地だけだった。
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「……っ」
夢の終わりと同時に、翔は目を覚ます。顔をあげ、周りを見渡すと見慣れない部屋の光景が広がっていた。しかし、体に感じる微かな波の揺れから察するに翔はいまだにレベリオの船に乗っていることは理解できた。
ふと、自分の頬に手をやる。指先が少し濡れ、この感覚は間違いなく自分は涙を流していたのだと理解する。
「あれは……」
すでに夢の中で会うのは二回目である青年の姿。あれはおそらく、パレットソードの前の持ち主。そして、あの光景に映っていたのは間違いようもなくサリーだった。
そして、あの出来事はきっと聖典の最後に登場した無色の民の殲滅の出来事。しかし、殲滅と呼ぶにはあまりにもそれは悲しすぎた。何より、青年の行動には自ら望んでいる意思というよりも誰かに命じられて動かされているという空気に満ちていた。
夢で見たことが、本当なのかはわからない。しかし、夢と片付けるにはあまりにも鮮明すぎるそれを、たかが夢と切り捨てるにはあまりにもメッセージ性を感じずにはいられなかった。
「……いってぇ……」
翔の頭に釘を刺したような痛みが支配している。倒れた時のこともあるが、それ以上に普段は飲まない酒をいつも以上に飲んでしまったことが原因だろうと翔は思った。
今の時刻は一体何時かはわからない。しかし、窓から太陽の光が差し込んでいることからすでに朝は迎えているのだろう。
「……急がないとっ!」
咄嗟に翔の頭の中に浮かんだのは甲板長のリヴ。時間に厳しい彼のことである、翔が出てこないとなればきっと怒髪天だろうと思い勢いよくベットから抜け出そうと立ち上がった。
「……ん」
「……え?」
ベットを抜け出そうとした翔の左腕が動かないことに気づく。同時に、布団の中から聞こえてきた女性らしき声。思わず、ゆっくりと布団がわりの薄い布をゆっくりと剥がしてゆく。
そこにいたのは寝息を立て、いまだに夢の中にいるレギナが翔の腕を抱き枕がわりにしている姿そこにいた。
「……」
きっと何かの見間違いだろう。
そう思い、再び布団を下の位置に戻し立ちあがろうとする翔。しかし、先ほどとは打って変わって左腕を拘束する力が強い。むしろ、翔の腕を折りにかかる勢いである。
再び、布団を捲る。先ほどとは変わって、レギナの両目はしっかりと見開かれ翔の姿をしっかりと捉えていた。
「……おはようございます」
「まず質問だ。なぜ貴殿が私のベットの上にいるのか今すぐ説明をしてもらおうか」
レギナの問いかけに将の頭は戦闘時同様フル回転で、なぜこのような状況に陥ってしまったのかを推察する。そして、たどり着いた結論。明らかに自分の仕業ではないとなれば、第三者の仕業。
そして、こんなことをしそうな人物は翔は知っている。
「レベリオさん……」
と、翔が呆れたように口にしたところで部屋の扉がノックされる。こちらが何の返事もしないままに入ってきたのはニタリと一物抱えている表情をしたレベリオが扉の隙間から顔を覗かしていた。
「おやおや、昨晩はお熱かったようで。いやぁ声が反対の部屋まで聞こえてきて大変だったぜと……っ!」
間髪入れずにレギナがベット脇に置いてあった椅子を扉に投げつける。勢いよく大きな音を立てて砕け散った椅子の破片が至る所に飛び散る。
レベリオの真意を知ることはできないが、おそらく。いや、きっと。関係が悪くなっていた翔とレギナのことを気遣ってのイタズラだったのだろう。
「はぁ……。私はもう少し寝る。貴殿は仕事に行け」
「はい。その……すみませんでした。なんか……」
「……」
翔が話しかけるよりも先に、レギナは再び寝息を立ててしまった。すでに左腕は拘束されておらず自由に動くことができる。
『私は……貴殿のそのあり方が、それを貫こうとするその意思が、志が……酷く憎い』
昨晩の彼女の言葉を思い返す。
俺は、俺のことを知らない。
俺は、彼女のことを知らない。
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