第95話 レベリオの色
レギナは翔の胸の中で、寝息を立てて寝ている。今まで見たことのない彼女の姿に若干混乱を覚えるものの、普段から見せる人間の形をしたロボットのような感情以外の面を見れたことが少しだけ翔は嬉しく思った。
「おい。大将、酔ってる女をどうこうすんのは勝手だが、よそでやってくれ」
「いやっ! そう言うわけじゃっ!」
「冗談だよ。お嬢が普段使ってる寝室はこの奥の一番端だ。そこに寝かせてこい」
レベリオは酒に口をつけながら船室の奥を指差す。翔は、レギナを抱き抱えレベリオの指差す方へと足を運ぶと奥の船の廊下には無数の船室があり、軽くみても十を超える船室があることがわかる。
「すご……」
外から見ても、十分に大きい船であることは明確だったが、船内に入ればより一掃大きな船だと言うことが理解できる。
廊下を進み、翔は一番奥の船室の扉を開ける。そこには、見慣れた普段の旅で使っている袋や、彼女の所持品が置いてあるのがランタンの明かりに照らされて見ることができる。その部屋のベットに彼女を寝かせ、翔は部屋を後にした。
「さて、飲み直しと行こうか。大将も飲むだろ」
「……少しだけ」
再び海図などが置かれた大きな船室に戻るとレベリオがカップに注いだ酒を翔に向けて差し出してきた。翔はそれを受けとりレベリオの前に座るとカップの中の酒を一口口の中に含む。
口の中に、甘酸っぱい果実の香りとアルコール独特の喉を焼く感覚が翔の頭の中を駆け巡る。この世界に来て、知っている酒はこれで二つ目となるがリュイの酒よりも酒らしい酒だと翔は思った。
「それにしても、大将はあのお嬢にだいぶ好かれてるんだな」
「……そうですかね……」
「好かれてる、の反対は無関心。嫌いだって言っても色々理由はあるだろうが、俺の人生経験から言わせりゃそのほとんどが同族嫌悪だ」
「同族嫌悪……」
「あぁ。自分と似通ってる部分があって、それに対して相容れない感情を持ってる。否定したくて否定したくて仕方がない。自分の目指してる場所が同じなのだとしたら余計にな」
「……」
レギナと、翔が似ているところ。翔の中で、彼女と似ている部分はどう考えても思い当たるところはなかった。むしろ、翔とレギナ。この二人は正反対の性格ただとすら翔は思っている。
それでも、彼女が自分を嫌いだという理由。
「まぁ。そいつはこいつをいくら飲んでもわからないさ。結局、どんなに長く過ごしても人間は所詮は他人よ」
そう言いながらレベリオは酒を煽る。そして、出されたピザトーストに齧り付きながら一言「うまい」とこぼして酷く満足げな表情をしていた。
レギナのこともわからない、だが彼女について知りたいことは多くある。
そして、今目の前で酒を煽っているこの男のこと。
「……船長は」
「レベリオでいい」
「……レベリオさんは、どうして海賊になったんですか?」
「……ほう」
レベリオは静かに手に持っていたコップをテーブルの上に置き、青い目を見開きながらジッと翔のことを見つめる。
「どうして知りたい?」
「……この船で働いて、たくさんレベリオさんの話を聞きました。でもわからない、どうして血を流すことを嫌うあなたが、俺を殺すに至ったか。レギナさんを殺しかけたのかを。どうして、海賊なんて野蛮な家業に手をつけたのかを」
無言、静寂、船の中で波の揺れすら感じられないほどに静かになった。何かを読み取ろうとするレベリオの目、そこから一才視線を外すことなく真っ直ぐと翔はレベリオのことを見ていた。
人を殺さないという生き方、その生き方が今の自分にどうしても重なって仕方がなかった。
「……二十年も前だ、俺は海で砲撃を受けた遊覧船に家族と乗っていた。何のことはない、ただの旅行さ」
ポツリポツリと、レベリオは語り始めた。どうせ、この先会うことのない人間にする、独り言のような口調で話し始めた。
船には当時15歳のレベリオと両親が乗っていた。そして母親の体には新しい命が宿っており、出産間近だったそうだ。しかし、出航に出ておよそ四日後、岸からかなり離れたところで海賊に襲われ、父親は家族をかばってそのまま殺されて海へと放り出された。母親とレベリオは部屋のクローゼットに隠れその様子を見ていたという。
そして海賊は各々遊覧船から荷物を略奪し、破壊行為を尽くして去っていった。命からがら生き残ったのは自分と完全に衰弱仕切った母親、それと数十名の乗客。海賊からの攻撃によって沈みかかっている船。全てが絶望的だった状況に現れたのはアエストゥスから巡回でやってきた海軍だ。
しかし、問題があった。海軍は救助用にやってきたのではない。あくまで巡回のためだった。乗れる人数に限りがあり、あくまで乗せられるのは十数名かという過酷な選択だった。そこでは基本女性や子供が優先されるべきだったのだろう。しかし、完全にパニックになっていた乗客の人々は一斉に海軍の船に乗り込みあっという間に定員オーバーになったそうだ。そして、残り最後になったのは動けない母とその母を抱えたレベリオだけとなった。
乗せられるのはあと一人が限界だと迫られ、いつの間にかレベリオは海軍の船に乗っていたという。自分から進んで乗ったのか、それとも誰かに背中を押されて乗ったのかは覚えてない。しかし、わかったのは自分の乗っていた海軍の船に母の姿がなかったという、虚無に似た感情が強く頭に残っていたらしい。
そのあと、身寄りのなくなったレベリオは自分のような境遇に遭う人々、海での治安を守りたいがために自分を助けた海軍にそのまま入隊をした。血を吐くような訓練を耐えてまで、海軍に入隊したのは、あのとき救えるはずだった人を救うため、二度と生まれるはずだった命を失わせないために、守るために。
そして、そのときは来た。
巡回ではなく遠征での出来事だった。海の地平で火の手が上がっているのを一人の船員が発見した。
すでに壊滅的にまで破壊された船、壊された外装の断片断片を見ると、どこかの国に向かう遊覧船だということがわかった。レベリオの時と全く同じ状況だった。
そして、救助を待っていた生き残っている船員は海軍の船が救助に向かった瞬間、咽び泣きながら次々と乗り込んでくる。だが、自分の乗っている海軍の船は海軍の中で結構小さめのもので、積み込んである遠征用の食料も船員と数人の余分な人数分しか残されていない。そして、今にも沈もうとしている船に残されたのは双子の兄弟と、その母親だ。
ここでまた見捨てるのか?
救える命を、目の前で消えそうな命を。
否、何のために海軍になったのだ。
船長の制止に耳も貸さずに、その双子と母親を船の中に乗り込ませた。
船の上、船長や他の船員から激しい叱咤の嵐。何度も殴られ、蹴られ罵られた。
『これから本部に帰るための我々の食料をどうする気だっ!』
『貴様のせいでこの船全員が危険にさらされているのだぞっ! わかってるのかっ!』
罵声の中、考えていた。どうしたらいい、この船に乗る人間全員が納得する方法は、それは一つしかない。
自分を犠牲にすることだ。
『ハァ.....ハァ.....自分の食料は....っ....航海を終えるまで、全部この人たちに分けてください....っ! 食料も....船員たちが協力をして分配すれば間に合うはずです.....っ!』
全身に青あざを作りながらの必死の懇願だった。この助けた命、手放すわけにはいかない。せめて陸に着くまでの間、守り通さなくてはならない。自分の助けた命には最後まで責任を持つ。
やがて、誰も何も言わなくなり、救助された人間がそれぞれ船の中を案内される。全身に感じる鈍い痛み、その中で助けた双子とその母親が背中をさすり感謝の言葉を述べてくれた。それだけでも、自分がこの人たちを助けた価値があったと思った。
それから、三日。事が起きる前まで、ずっと過酷な日々が続いた。飲まず食わずで軍人としての働きをしたせいで体がボロボロになっていた。そんな時だ。
船の見回りを行っていた時、普段使わない倉庫から明かりが漏れ出ているのを見つけた。すでに外は夜だったため中に入っている人物は誰だろうと思い、そっと扉を開け中の様子を伺った。
その瞬間に、レベリオは頭の血管がブチ切れそうなくらいの怒りを感じたという。
数人の男の船員が、あの助けた双子の母を囲んで何かをしていた。その『何か』というのは当然言われるまでもない、強姦だ。
部屋に入り込み、船員を片っ端から殴り倒し、微かに意識のある船員からとんでもないことを聞いたのだった。
『この船に息子達と残りたかったらと脅し、毎晩、交代で船員全員相手をさせていた』
と。
何もかもが許せなくなった。
今まで歩んできた道は間違いだった。
守るのではない。依存させて守っているふりをしていたのだと知った。
汚い、自己満足だった。彼女たちを助けたのは自分の汚い自己満足だった。
そんな自問自答が終わる頃には、自分両手はボロボロになり血がべっとりと付いていた。船の甲板は自分の仲間であった海軍の船員が船長もろとも血だらけで倒れていたのだという。
「そして俺が殴り殺した船員たちは、全員樽にくくりつけて海に流したとさ。めでたしめでたし」
「……」
そう言って、レベリオは再びコップの中の酒を飲もうとするがすでに酒が入ってないことに気づき、酒瓶に目を向けると怪訝そうな表情をしてその空になった瓶を翔の方に手渡す。
「とまぁ。そのあとは、海軍に戻ることなんてできるはずもなく。それでも、一緒に乗っていた奴らを見殺しにすることもできず、近くの海域にいる奴らを軽く小突いて海賊もどきをやってたらいつの間にか本物の海賊になっちまったってわけだ」
「この船が海軍の船って……」
「あぁ。この船は多少手は加えたが、あの時の船のまんまだ」
最後のピザトーストに齧り付くとレベリオは「ご馳走さん」と言って席を立つ。レベリオの過去を聞き、いまだに動けずにいた翔だったが、そこで一つ頭の中で疑問が浮かぶ。
「そういえば……、乗っていた他の人たちは、みんなどうしたんですか……?」
「どうしたって……、大将も会ってるだろ。ほら、今下で寝てる奴ら」
「っ!」
驚いた表情で翔は足元を見る。足元、そこに広がっているのは普段ここで働く船員たちが寝食をし過ごしている巨大な船室だ。彼の言葉が本当ならば、ここにいる船員たちは。
「そう。この船に乗ってる船員のほとんどは元々この船で助けた奴らだ。もちろん全員てわけじゃない。俺たちとは違う道を進んだ奴らもいた」
「なら……話に出てきた母親と、その双子は……?」
「母親はあのあと病気で死んだ。遺体は、海図にも載ってないような小さくて綺麗な島に埋めてやった。双子の片割れは、ほら大将がよく世話になってるだろ、灰色狼の頭した」
「……リヴさん」
「そして、もう一人は……三年前。料理を作るのがうまいやつでな、ちょうど大将が使ってた調理場を担当していたよ」
つまり、翔が先ほどまで使っていた調理場は、そして今まで自分に接してきた甲板長はレベリオが命懸けで守ってきた双子だったのだ。
「今となってはこの船が俺の生き甲斐で、ここに乗る船員が俺の生き甲斐だ。それをぶち壊そうとする奴には容赦しねぇ。そいつの魂から命まで、全部搾り取ってでも守ってやる。それが……、あの時俺が守れなかったもの、手からこぼれ落ちてったものの弔いだ」
手からこぼれ落ちていったものたち。
それは、翔とて例外な話ではない。頭の中ではイニティウムでの出来事がどうしても染み付いて離れることがない。
「さてと次は、アンタの番だ。大将、飲みたい酒があったらいいな。今日の俺は気分がいい」
「……リュイの酒はありますか?」
レベリオはニッカリと笑うと奥の船室から見慣れた緑色のラベルの貼られたリュイの酒を持って戻ってくる。
夜は長い、語り合う時間は十二分にある。
一人でも多くの読者が増えますように、一つでも多くの感想をいただけますように。




