第94話 酔いの色
甲板での食事での一件だった。
「あの……。今日もまた、これ……」
「あ? 文句あるかよ」
「いや……、その……」
配膳された食事を受け取るのに渋る翔。この日、プラエド号の昼食は乾燥された干し肉、少しだけカビたパン二切れと実に質素なものであった。翔がこの船に乗船してからというものの、この船ででる食事の内容は昼夜の二食はほとんど内容は変わっていない。
無断で乗船し、あげく働かせてもらっている身分であるためあまり口には出したくはなかったのだが、流石に一週間この食事が続けば我慢にも限度がある。
「この船……、料理人とかいるんですか? 食材を管理する人とかでもいいんですけど……」
「……あぁ、いたさ。三年前、敵船の流れ弾に当たって死んじまったがな」
「それは……、その。すみません……」
配膳をしていたリザードマンの男がその姿に似合わず、ひどく悲しげな表情をしていたため翔もバツが悪くなる。彼の言葉が真意であるとするのならば、この船では三年近く料理をする人間が不在という事になる。
ふと、周りを見渡す翔。
甲板に座る船員たちは全員、ピクニック日和な気候の下食事をとっているが、そのほぼ全員が難しい表情をして目の前の有り合わせの食事にありついている。とてもではないが、日に二回あるこの船で唯一の楽しみを味わっている様子は微塵も見えない。
「すみません、俺に料理をさせてください」
「……何?」
「俺。こう見えても、料理は得意なんです。冒険者仲間からも、料理屋を開いたらいいんじゃないかって言われるくらい腕はあります」
「んなこと言っても。船長の許しが……」
翔の申し出に、リザードマンは困った表情をする。それもそのはず、船という限られたスペースで唯一の生命線である食事をよその人間に任せることができるかと言われたら簡単に首を縦に振るのは難しいだろう。
だが、この船に来てはや一週間。最初は覚えることもたくさんあり船員の足を引っ張っていたが、少しは役に立てるように立ち回ることもできた。それもこれも、リヴを始め多くの船員たちが翔を支えて来てくれたからだ。
その恩には報いたい。
「いいぜ、許可する」
「船長っ!」
リザードマンの驚いた顔を見て翔が後ろを振り向くと、軽装のレベリオが翔のことを見下ろしその青い目でジッと見ていた。
「お嬢から話は聞いてた。大将、料理が得意なんだってな」
「……人並み以上には」
「なら上々。おい、トット。こいつを調理室に案内してやれ。どうせ作るなら酒に合う奴を頼む、試しに俺が試食してOKだったら調理場を貸してやる」
トットと呼ばれたリーザドマンは船長の言葉に頷く。レベリオはそれだけを言うとその場を立ち去り、そして翔はトットに連れられ甲板を降りた船内へと案内される。
船内の中には基本的に陽の光はあまり入り込むことはない。そのため薄暗く、海の上であるためジメジメとした空気が漂っている。とてもではないが食材を保管するのには向いていない環境だ。それでも、食材を保存できているのはそのほとんどを塩漬けにし、食材の水分を極力減らすことで保存状態を良くする技術が発達していたことにある。
「ここが調理場だ……、ここで働いていたアルはいいやつでなぁ。限られた食材でいろんなものを作ってくれたよ」
「……そうだったんですね」
「あぁ。本当にいいやつだった。そこの調理器具なんかもそのまんま残ってるから、それと。左の部屋は食材の貯蔵庫だ、出した食材はしっかり記録を取ってくれよ」
「ありがとうございます」
調理場からトットが出てゆき、部屋の中は静かになる。酷く閉鎖的な空間に置かれているものは、コンロのようなものと調理台、そして壁にはずらりと調理器具が並んでいたが長い間使われていないのか埃をかぶっていた。
おそらく、ここで三年前まではアルと呼ばれる人物がこの船の台所を担っていたのだろう。同じく、料理を愛している者として敬意を示し軽く黙祷を捧げる。
「……ふぅ。さて」
一体何を作ろうか。
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「そんで。こいつはなんだ大将」
「食事は済ませてたみたいなので。ご要望通り、お酒のおつまみを作ってきました」
「ほう。んで、名前は?」
「パンの上に、潰して味付けをしたトマト、干し肉を刻んだものをのせ、その上にチーズを、さらにトーストした『ピザトースト』。余ったトマトを薄切りにしてチーズを交互に挟みオリーブオイルと香辛料で味付けをした『カプレーゼ』という料理です」
夜深く、二つの月が空に登る頃。試行錯誤を繰り返し完成した二品である。
食糧庫は、この船に積んである積荷の約半分ほどを占めているのではないかと追うほどに充実しており、残念ながらそのほとんどが手付かずのままダメになってしまっていた。しかし、その中でも唯一生き残っていた食材と保存食、その他香辛料を使って生み出したものがピザトーストとカプレーゼである。
問題なのはこれらの料理がレベリオの口に合うかである。
まずレベリオが手を伸ばしたのはピザトースト。軽く匂いを嗅ぎ、軽く一口。続けてもう一口と、レベリオは終始無言である。続けて手を伸ばしたのはカプレーゼ。フォークを使い、軽くトマトを切り分けチーズと一緒に口の中にいれ、咀嚼。
無言のまま、咀嚼。
そして、
「おい。この部屋の奥にあるラックから黄色のアルブス産のボトルが一本あるはずだ、それをもってこい。あとカップを二つ。大至急だ」
「わかりました」
レベリオに言われるがままに翔は船室の奥の方へと駆けて行く。うまいとは言われなかったが、あの反応を見る限り十二分に手応えはあったとみて間違いはないだろうと翔は思った。レベリオの指示したラックを見るとそこにはあらゆる土地から集めたであろう酒が所狭しと並べてあった。その中からレベリオの言うアルブス産の黄色いラベルのいかにも高級そうな酒瓶を手に取りそばにあった木製のグラスを持ってレベリオの元へと戻る。
その間、約五分ほど。
戻ってくると、皿の上に置いてあったおおよそ八枚ほどあったピザトーストの半分が消え去り、カプレーゼはほとんど姿を消していた。先ほどの五分でレベリオが食べたとは思えない。
となると、その犯人は。
「貴殿は料理人になるべきだ。私の部隊で斡旋してもいい」
「レギナさん……、いたんですか」
「うまそうな匂いがしたのでな。それにしても、貴殿は随分と海賊に馴染んでいるようだ」
口元のパンくずを拭いながらレギナは翔の目を見ながら話をする。
レギナとは、あの一件以来顔を合わしていない。翔から近づこうとも思ったが、この不安定な関係にトドメを指すのではないかと不安になってまともに声をかけることもできなかった。
「はぁ。おい大将、もう一つカップを持ってきてくれ」
「私は飲まない」
「……ほぉ、王都騎士団九番隊隊長ともあろうお方が下戸とは」
「略奪品の酒は飲まないと言っただけだ。曲解するな」
レベリオの船室に不穏な空気が流れ始める。もとより、レギナとレベリオは分かり合える存在ではない。海賊と騎士団、相対する二人がそもそも船に居合わせている時点で争う理由は十二分にある。
まさに文字通り呉越同舟である。
「……だが。私も今は追われる身だ、酒の一つ。付き合うのもやぶさかではない」
「……おい。大将、お嬢に一つ注いでやれ」
レベリオの言葉に無言でうなづき、翔はレギナの前に置いたカップに赤い色のワインのような液体を注いで出す。出されたカップをジッと覗き込み、レギナは軽く一口酒に手をつけた。
一瞬、レギナの頬が紅潮する。
「……貴殿」
「……なんでしょうか、レギナさん」
レギナと翔の視線がかち合う。その瞬間に、これはまずいと翔は思った。なぜなら、レギナのしている座った目を居酒屋のアルバイト先で何度も見たことがあったから。
特にとてつもなく、めんどくさい酔い方する人物によく見られる兆候だ。
「そこに直れっ!」
「は、はいっ!」
レギナの大声と共に、居住まいを治す翔。そこから聞かされたのは、延々と今回の旅に関しての文句と、翔に対しての愚痴、そして自分自身についての経験と説教。とてもではないが、ここに書いてしまっては文字数がいくらあっても足りないと言うほどにレギナは、普段の一千倍多く喋っている。
そして、話は前話に繋がる。
「当時の私は、まだまだ軍にも慣れず自分の手を血で汚すのをためらっていた時だ。しかし、王都騎士団9番隊隊長に任命されてそれが転機になった。元隊長のガレアと一戦交えた時に私はわかったのだ。自らの手を汚すのは他ならぬ自分なのだと、そこから私は隊員と向き合うことから始めたのだよそして、多くの町を行き来していく中でも私は思ったのだ。ここに性別の垣根など存在しないのだと。当然軍にいた頃は女騎士と馬鹿にされ、私の扱いなどオーク性奴隷になるのがオチだとか言われていたものだ。だが、互いの理解は重要だ。だんだんとそれぞれの願いというのが、想いというのがわかってきたのだよ。部隊の中にも当然私のことを女と知って求婚を頼み込んできた者もいた、だがそんなものではないのだ。熱意だ、熱意。しかし....今はこんなボロボロの船に乗せられ....ましてやわけのわからない剣術を使う精神が壊れてる冒険者と一緒に旅をすることになるだなんて....一体どう責任を取ってくれるというのだっ! 責任者を呼べっ! そう、人生の責任者だっ!」
「おい、大将。この女黙らせるか殺すかしてくれないか? それにさりげなくこの船のことボロいとか言ってたぞ」
「そんなこと言われましても....」
隣座っているレベリオがこめかみに血管を浮かべさせながら弾くついた頬で話しかけてくるが、本当にこうなった人間はどうすることもできない。それは居酒屋のバイトで十分に分かっているからだ。
だが、これ以上彼女が酔っ払った状態でいるとそのまま酔った怒りに任して剣を振り回しかねない。そして、現在彼女の左手は腰にぶら下がっている剣にかかっている。
「と、とりあえず。お水をお持ちしますね....」
レベリオが俺を一人にするんじゃないと言わんばかりの目をして翔を見ているが、このままいけばどのみち全滅は免れない。意を決し、席を立ち水を取り行こうとした。
その時だ。
「話はまだ終わってないぞっ!」
「うわっ!」
突如出ようとした扉にレギナが普段使う剣が勢いよく突き刺さる。それは翔の前髪を掠め切り落とす。酔っ払いのせいで命を落としたなど、リーフェにあったらおそらく笑われてしまうだろうと翔は思いながら後ろを振り向いた時だった。
眼前に、レギナの迫る。
剣を握りしめ、体で翔のことを押さえつけている。いわゆる、壁ドンである。
「私は、貴殿が嫌いだ」
「……知ってます」
「このまま、首を刎ねてしまいたいほどに。私は、貴殿が嫌いだ」
「……知っています」
きっと、これは彼女が隠してきた本心。今まで、翔に話してこなかった内に秘めていたこと。だが、それをずっと押し殺してきたのは、彼女もまた今の関係を壊さないようにしていたからだろう。
レギナの黒い目は、真っ直ぐと翔の目を見ている。
「だが。私は……貴殿のそのあり方が、それを貫こうとするその意思が、志が」
酷く憎い。
途端に倒れ込むレギナ、それを受け止める翔。レギナは、翔の胸の中で寝息を立てて寝てしまっていた。
一人でも多くの読者が増えますように、一つでも多くの感想を尾もらえますように。




