第82話 懐かしい色
監視されながら食事を作るのは全くもって初めての経験だと翔は思った。どことなく緊張感のある現場では、取り出した黒い墨色の物体を氷水の中に入れて〆ている最中である。
今回作っている料理は、全くもって初挑戦の代物である。レシピは知識として頭の中に入っていたが、調理方法に問題があったのか憲兵までもが駆けつける事態になってしまった。
「……多分。完成です」
「多分?」
「いやっ! 絶対完成ですっ! はいっ!」
憲兵の視線が怖い、これで失敗をしてしまったら事である。
一見焦げているように見える表面。その表面をナイフでなぞり、生唾を飲み込みながらその身に刃を入れる。少しだけパリッとした表面の感触から一点、生肉にナイフを通したような柔らかな感触へと変わる。
成功。
その二文字が頭の中で点滅する。一気にナイフを走らせ、月明かりの元にその断面図を晒すと、表面の墨色とは打って変わってその身は真っ赤に血走り身の引き締まった肉の色をしている。
「これ……は?」
「カツオ……いや。アミラのたたきです」
「た……たき?」
「あ。これから叩くんです」
今まで一度も見たことがないのだろう。レギナと憲兵は互いに顔を寄せながら『アミラのたたき』という未知の料理に興味津々である。
塩を準備、それを手のひらに軽く乗せた翔は切り身の上で軽く叩くようにして味付けをしてゆく。日本でも『たたき』の部分はどこなのだろうと不思議に思ったのだが、この工程が『たたき』たる所以らしい。
「これで、完成」
「これ……生だよな?」
「まぁ。少し炙ってますけどほとんど生ですね」
「……食えるのか?」
「……わかりました。率先して僕が食べます」
警戒する二人を前でアミラのたたきを口の中に運ぶ。その瞬間、自分の料理の才能を恐ろしく感じた。炙られた表面に感じる藁の少し焦げた苦味、そして絶妙な柔らかさに仕上げられた魚の肉独特の旨みと食感、染み込んだ塩の味もアクセントになってさらに次へ次へと食欲を増進させる。
「うまいっ!」
「……私にも一切れもらえるか?」
「どうぞ、そこのナイフで好きな厚さに切って。憲兵さんも」
翔の恍惚とした表情に釣られたのか、レギナがアミラのたたきに手をつける。適当な大きさに切り分け口にした瞬間、彼女の表情も翔と同様溢れるような笑みを浮かべて再び切り分けにかかる。
「そ、それじゃ……俺も……」
レギナと翔の姿を見て耐えられなくなったのか、憲兵もついにアミラのたたきに手を出す。そして口に運んだ瞬間、目を見開き愕然とした表情で口の中身を確認するように何度も動かす。
その表情を見る限り、きっとレギナと同じ感情を抱いてるだろうと翔は確信していた。
「くっそ……、絶対酒に合うやつじゃないかこれ……っ!」
「絶対合いますよ、それにこれを使って色々と料理できますから」
「お前……、本当に冒険者か? 料理人とかじゃなくて」
「よく言われます」
料理は絆を作る、育む。これは翔の中である揺らぎようのない真実として刻み込まれているポリシーである。
この異世界に、生食文化が誕生した記念すべき日となった。
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「貴殿の作る料理には驚くばかりだ」
「恐縮です」
「あれも貴殿の言う世界の料理なのか?」
「そうですね。本当は炙ったりしないで生の魚のまま食べたりもしますし、あとサラダみたいにした『カルパッチョ』って料理とか、いろんな魚を角切りにしてタレとアボカドとトマトで和えた『ポキポキ』っていう料理がありますね」
「カル……パ……? ポキ……?」
火の始末を終え、現在ポルトスの街を散策している翔とレギナ。ポルトスの街もまた、夜になると昼の時と様相が変わって夜の街へと姿を変える。それでもやはり多いのは飲み屋だろうか、健全そうな店からそうでない店までさまざまで、いろんな人種が酒を飲みあい、酔い潰れて地面に倒れて寝ていたりする。
正直にいえば、あまり治安は良さそうな雰囲気ではない。先ほどの憲兵が愚痴をこぼしていたが、この街が貿易都市として発展するのと同時に観光として名を馳せさまざまな人間が来るようになってから治安は悪くなる一方だったそうだ。
「街が豊かになれば、それだけ問題も増える。私とて騎士だ、この街で働く憲兵たちには頭が上がらない」
「ですね……」
さて、今現在二人が目指しているのは海沿いにある港である。今わかっていることは、リュイからの貿易船が一船港に入っていると言うこと。いつまで停泊しているかわからないが、姿だけでも確認をしておく必要はある。
街頭に照らされた道をそのまま進んでゆき、海へと向かって歩いてゆく。すでに季節は春先に近づいているが海風が少しだけ肌寒く感じる、ウィーネから残された時間は一年と言われているが、それまでの間に青の精霊石を見つけ出すことが可能かどうかは正直不安要素ではある。
頭の中に浮かぶのは、青の精霊石が収められているであろう遺跡の中。ウィーネがなぜ精霊石を失くしたかは疑問に残るところであるが、アエストゥスから離れたリュイに置かれているのかも疑問である。その理由について、ウィーネは頑なに話そうとはしない。ついでに言うのであれば、サリーもウィーネと会ってから一向に顔を出そうとしていない。
「……」
「ん? レギナさん、どうかしました?」
考え事をしながら歩いていた翔、ふと顔を上げると隣で歩いていたレギナが自分の数歩後ろで立ち止まり、建物の間の細い路地の方をじっと見ていた。
「……子供の姿が」
「え? こんな時間に?」
「……気のせいか」
時間で言えば、今は夜の十時を回ったところである。こんな時間に、ましてやあまり治安の良くない夜道で子供がいるというのは考えづらい。
いや、しかし。レギナが果たして見間違いなどをするだろうか。
「後を追いましょう。何か困ってるのかも」
「……わかった」
やはり心配をしていたのだろうか。表情そのものは変わらないが、翔の提案に有無を言わずに答えたレギナとともに細い路地へと入ってゆく二人。一人しか通れないような路地の向こう側、そこに広がるのは昼には市場が展開されていた通りが広がっていた。
すでに出店は畳まれて、人通りも昼の時に比べて少ない。だが、その分酔っ払いが畳まれた出店の中を漁ったり、酒瓶を片手にぶつぶつと言いながら歩いているものがいるなど子供が一人歩くにしてはあまりにも危険すぎる道へと姿を変えている。
「……」
「何もなければいいんですけど……」
「……」
道の真ん中を早歩きに進んでゆく二人、辺りを見渡しながら子供の姿を探す。しかし、右を見ても左を見てもいるのは大人か酔っ払いのみ。さらに翔の目についたのは治安の悪さを警戒してかそのほとんどが武装をしているというところだ。
早く見つけなければまずい。
「……っ、いた」
「どこっ」
「あそこだ。あの看板のそばっ」
レギナが声をあげて指を刺す。その先、居酒屋の看板のそばでトボトボと歩いている背丈を見る限り十歳にも満たないであろう少年がそこにいた。どんな理由で一人で歩いているのかはわからないが、何にせよこのままにしてはおけない。
それはきっとレギナも同じはずだ。
そう思い少年に駆け寄ろうとした時だった。居酒屋の出口から出てきた、柄の悪そうな冒険者集団と少年が接触する姿を捉える。何か遠くで文句を言っている声が遠くにいる翔とレギナの元にも聞こえる。
そしてさらに悪いことに。武器を持った冒険者相手に少年が何かを言い返している様子だった。
「まずいな」
レギナが走りながら呟く。次の瞬間、隣を走っていたレギナの速度が一気に上がる、蹴り上げた地面が土煙が舞い上がり一瞬で姿を消した。身体強化術を使った移動、何かを察知したのかレギナは一瞬の判断でそれを使って少年の元へと駆け寄る。
「なっ、なんだテメェっ!」
「……少年。大人相手にその気概は認めよう、だが喧嘩をする相手を間違えるな」
翔が駆けつけた瞬間、レギナはすでに少年を前にしてナイフを振り下ろそうとしていた冒険者の男の肩を押さえつけているところだった。突然現れた二人に後ろの仲間たちもたじろいでいる様子。店の中では店員が事の顛末を見てオロオロしている。
「そして、子供相手に刃物を取り出す姿勢はいかがなものかと思う。酒に酔った勢いとはいえやりすぎだ」
「う、ウルセェっ! てか誰なんだよテメェっ!?」
ローブの隙間からレギナの鋭い眼光が冒険者たちを射止める。その気配に気圧され少しだけ身を引かせる集団。
この人物が何者か。
紛れもない、王都騎士団九番隊隊長。レギナ=スペルビアその人である。
「……まだ酔いが覚めないようだな。少年。これらの相手、私が受け持っても構わないな?」
静かに首を縦に振る少年、その反応を見たレギナが男の拘束を解き道に放る。その扱いを見た仲間の冒険者も店の中からゾロゾロと現れその数十二名。全員装備を見る限りでは冒険者と判断することができるが、同じ冒険者として翔は恥ずかしくなった。
一対十二。
普通であれば絶望的な戦力差である。しかし、普通の人間であればの話。
「ショウ。その少年を何があっても守れ」
「……はいっ!」
翔の返事と同時に動き出す両者。
武器を取り出し襲い来る冒険者数名をレギナは素手で払い除ける。この程度武器を取り出す必要すらないのだろう。しかし、酔っているとはいえ武器を持ち、その扱いに慣れている冒険者、一筋縄では行かない。
挟み込むようにして剣を振りかざした冒険者の二人。しかしレギナの頭に当たることはない。頭上で交差する剣、その場にしゃがみ込み相手より低姿勢のままレギナは足払いで冒険者を転がしてゆく。
その後も、レギナは一度も剣を使わず冒険者一団を圧倒してゆく。その様はどこかアクション映画の俳優を見ているような気分だった。
「……すげぇ」
翔の腕の中で守られている少年が思わずそんな言葉を漏らす。その目は先ほどまでの虚な物ではなく、憧れの存在を見ているかのようにキラキラと輝いていた。きっと男の子であれば、武器を使わずに悪者の集団を圧倒する光景などどの世界線であっても大好物だろう。
「ちくしょう……、舐めやがってっ!」
「舐めてなどいない。私はこれで十分だと判断したからこの戦い方をしている」
「それが舐めてるっていってるんだよっ!」
レギナに向き合う最後の冒険者の腕に炎が宿る。まずいと判断する翔、ここで魔術を使えば周りの店にも被害が出かねない。加勢しようと身を乗り出した、
しかし、その姿を横目にレギナは静かに腕を上げ翔を静止する。
『炎よ、敵を射抜けっ!』
炎が矢のように変形しレギナに襲いかかる。魔術相手にまともに正面から立ち向かえばタダでは済まない。それは温泉街での出来事を踏まえて翔は理解している、そしてそのリスクを十二分にレギナは理解している。
だが、敢えてレギナが取った行動は真正面から受けること。
炎の矢が着弾し、レギナの前で大爆発を引き起こす。激しい爆音と共に立ち上った爆炎がその威力の強さを物語っている。
「レギナさんっ!」
翔が思わず声を上げる、流石にやりすぎだ。冒険者も確実に相手を葬ったと思ったのか、下卑た笑みを浮かべ静かに腕を下ろす。
しばしの静寂、
爆炎と煙の向こう側、月の光を影に真っ直ぐ立っている人の姿が徐々に現れる。レギナは健在、その理由は彼女が引き抜いた剣。スペルビアの一部が赤く染まり魔術の攻撃からレギナを守ったのだと翔は理解する。
「なっ……」
「……覚悟っ」
レギナが剣を構え冒険者に向かって真っ直ぐ駆け抜ける。続け様に炎の矢を放つ冒険者。しかし、その悉くを剣で打ち払ってゆくレギナ。
その距離、あと五歩。
あと四歩。
あと三歩。
爆炎と土煙が冒険者とレギナの間で巻き起こる。煙の中、レギナと冒険者がどうなったかわからない。
しかし、そんな中でも翔は結果を分かりきっていた。
晴れた煙の向こう側。剣先を喉元に突きつけ立っているレギナ。そして、確実に死んだと思ったのか冒険者は気絶をしたまま失禁しレギナの真横で倒れる。
「この勝負、レギナさんの一人勝ちだ」
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