第79話 旅路の色
「死んだのかと思った」
「……そうですよね、普通。なんで俺生きてるんだろ……?」
「とにかく、無事なのはよかった。おまけにあの趣味の悪い刺青も消えたわけだ」
「あはは……。本当、よかったです」
青の精霊に翔は頬を叩かれ。いや、正確には叩かれたなどという生易しいものではなかったが、水面をまるで水切りの石のように吹き飛んでいったところをレギナに助けられた。
彼女曰く、数秒間息が止まっていたらしい。
「それで。収穫はあったのか?」
「……多分。あったと思います」
痛む首を動かし翔は湖の水面に目を向ける。その視線の先に映るのは腕を組み、いかにも無理やり連れてこられて嫌々ながら従っていると言わんばかりの青の精霊が水面の上を浮きながら腕を組みこちらを睨みつけていた。
現在胡座をかきながらこちらを睨みつけている青の精霊は、ギリシャ神話に登場するような衣を身に纏い、良くも悪くも御伽話に出てくる泉の女神のイメージをそのまま体現したかのような形をしている。その容姿の美しさから見ても、おそらく十人中十人が湖の女神と答えるだろうという風貌をしている。
本当に、胡座をかいてこちらを睨みつけていなければの話だが。
「そんで。あんたの望みは? レイプ魔」
「レ……、いや。その、望みは叶ったというか。いやっ、変な意味じゃなくて……えっと……」
「……変態」
夕陽が降り注ぎ、湖の水面がオレンジ色に反射して、その反射した光が青々とした森をより一層色彩豊かに燃やしている。とても情緒的で綺麗な光景なのだが素直に感動できないと言うのと、この光景とあまりにかけ離れた気まずい状況から早く逃げ出してイニティウムに帰りたい気持ちで翔の頭の中がいっぱいだった。
「それで、青の精霊。とやらはなんと言っている」
「あ。その……先ほどの戦いは……見事だっ……たと。はい」
虚偽を述べたことにより青の精霊からの翔に向けた痛い視線がより一層強まる。流石に死線を超えたこの状況で、青の精霊からレイプ疑惑をかけられ攻められているなどとレギナに到底言えるはずもない。
現段階で、青の精霊が見えるのは翔のみである。本来、一般人に精霊の姿を視認することはできない。例外として、サリーの姿をレギナは視認し、会話をすることも可能なのだが、青の精霊に関しては全く見えもしない上に声も届いていない。
よって、こんなインチキみたいな会話をすることが可能なのである。
「えっと……、青の精霊さん? だと、その呼びずらいので。お名前を聞いても……?」
「教えると思ってるの?」
「……その。では、青の精霊さんで……、進めさせていただきま……」
「ウィーネよ。全く、めんどくさい上に鈍臭い男ね」
「……ありがとうございます」
早く帰りたい、イニティウムに帰りたいと翔は深く思った。
青の精霊こと、ウィーネにこれまでの経緯を話していく。まず、翔自身がこの世界の住人ではなく、違う世界からやってきた人間ということ。そして、パレットソードを手に入れた経緯と、サリーとの出会い。最後に、どうしてウィーネを尋ねることになったかについてである。
時折質問を挟みながらも、ウィーネは翔の話を遮ることはなかった。しかし、一番に反応を示したは翔のこの世界にやってきた出自、そしてパレットソードを手に入れた経緯についてだった。
「……それが道に落ちていて。たまたま拾ったと?」
「ですが……、それ以外にどう言おうにもなくて……」
「ハァ……。アンタ、これがどう言う代物かわかってるの?」
ウィーネが翔の足元に置いてある、今は普通の形をした剣になっているパレットソードを指差す。この剣の正体、すでに聖典の中身を読んでいる翔には、その正体は見えていた。
「……多分。聖典に出てくる勇者の遺物……『剣』かと……」
「セイテンってのは知らないけど。確かに、あれは勇者なんてもてはやされてたバカの持っていた剣よ」
「……やっぱり」
予感していたことが、彼女の言葉で真実となってしまった。彼女の言葉の信憑性がどこまであるかはわからない。しかし、彼女の落ち着いた話しぶりといい、何より先ほどまで彼女がこの剣を嫌い、戦っていたことが何よりウィーネの話を信用することができる。
しかし、問題は残る。聖典の中で失われたはずの剣が、なぜ翔の元にあるのか。考えたところで答えはでるものではないが、全ての始まりがそこにあるような気がしてならない。
何より、この世界になぜ自分が呼ばれたのか。
「まぁ、なんであれ。そんなものを使うのはやめておきなさい。命を奪い合った仲だから忠告してあげる。いつか、アンタはその剣のせいで地獄を見る」
「……地獄なら。とうに見てきました」
思い返されるのはイニティウムでの出来事。大切な人を失ったあの日。あれからずっと地獄は続いている。もし、パレットソードを持つことで地獄が続くのであれば。
「俺は、その業火に焼かれても。悔いはありません」
「……あっそ。結局……、アンタも同じ人種なのね。あいつと」
「え?」
「いいわ。わかった、アンタと契約してあげる」
「……え?」
急に話がとんとん拍子に進みすぎて状況を読み込めない翔。だが、ウィーネはそんなものお構いなしと言わんばかりに立ち上がると翔の手を取り、手のひらを指先でなぞる。
その瞬間、体の中に自分とは違う別物の力が体の中に入り込んでくるのを感じる。その感触は決して痛くはないのだが、どこかこそばゆく感じた。
「アンタの中に流れてるあのトカゲ男の魔力と私の魔力を拮抗させて、仮契約のハンデを遅らせる。とにかくその場しのぎだけど、これで大体力を使わなくて二年、力を使っても一年は持つと思うわ」
「その……、ありがとうございます」
「私と本契約を結べば、もっと時間は稼げる。それでもってアンタと私の間に結ぶ、本契約の条件は一つ」
「……なんでしょう?」
一気に翔に顔を近づけるウィーネ、思い返されるのは張り手を食らう前のあの出来事。思わず、ウィーネから視線を逸らす翔だったが彼女が胸元から取り出したのは小さいネックレス。アクセサリー関係がわからなくても、明らかにレディースのものであると見て取れる銀色に光るそれには何かが足りないように翔は感じた。
ネックレスの先にぶら下がっているペンダントのようなもの。その中心にはぽっかりと何が欠けたかのような跡が残っている。
「私の精霊石を見つけること。それが私とアンタが契約を結ぶ条件よ」
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すでに陽が落ち、あたりには月の光が差し込み始めた頃。翔とレギナは現在戦闘の影響で湖の岸に散らばった荷物をかき集め、いつもの野宿の準備を進めているところだった。
「どうして精霊石を失くしたんですか?」
「別に。アンタに教える義理はない」
「……どこで失くしたか教えてくれても」
「……」
岩の上でダンマリを決め込むウィーネ。これ以上聞いても無駄だと悟った翔は再びレギナの元で荷物を集める手伝いに戻る。
レギナの様子は先ほど大して変わってはいない、正直に言えばこんなことに巻き込み申し訳ない気持ちで翔はいっぱいではあったが、彼女自身いまどのような感情で翔についてきているのか、いまいち読み取ることができないのも事実だった。
「すみません……、こんなことに巻き込んで」
「……最初に言ったはずだ。私も、貴殿も。帰る場所がない」
「そう、ですよね……」
「それに。私も、貴殿の旅路が気になり始めた頃だ」
「え?」
予想していなかった回答に、作業をしていた翔の手が止まる。彼女をここまで連れてきたのは翔の意思ではない、九番隊のアランによるものだ。いつ彼女が嫌気をさして翔の元を離れるかわかったものではない。もっと言うのであれば、彼女が翔についてゆく理由など微塵もない、それでも翔が彼女を説得してついて来させたのは、イニティウムに住む人間を人質に取られているからだ。
そんな彼女が、自分の旅路を気になると言ったことを翔は意外に思えた。
「貴殿の、その剣が持つ強大な力を扱うにはあまりにも脆く、儚い優しさ。そして、真実から目を背けず前を向くその直向きさ。すでに、私には失われたものだ。……いや、正確には捨てたものだ」
「……」
「だから、私は見てみたい。貴殿が、この旅の終着で何を得るのか。……私が歩まなかった道の果てに、貴殿は何を見るのか。私は知りたい」
最後の荷物を抱えレギナは翔の元を静かに離れる。
レギナの過去、それを翔は知らない。知っているのは女性という身でありながら騎士団のトップに君臨するカリスマの持ち主で、その冷静かつ冷徹なあり方で多くの騎士を導き、圧倒的実力を兼ね備えた。いわば、今の翔に持っていないものを全て持っているような人物だ。
そんな人間が、どこか羨ましそうに翔のことを語る姿をレギナを見てなんとも言い難い感情に襲われる。
「……なんだ、これ」
「ねぇ、ちょっとっ! 人間って食事摂るんでしょ? 私、人間の食事久々に見たいなぁ〜っ!」
「え、あっ、はいっ! すぐに準備しますっ!」
岩の上で腕を振り上げるウィーネの姿は駄々っ子のように見え、徐々に翔が抱いていた青の精霊のイメージが乖離し始めるのを感じた。結局、先ほどまで抱いていた感情の正体は分からず終いで時間は進んでゆく。
この日の料理は、水を大量に打ち上げたことで採れた大量の川魚と周辺に成っていた木の実と果物、香草を使い、アクアパッツァを作った。川魚ということで、ウィーネは多少不服な様子を見せたが、完成した料理を見てその疑いは嘘のように晴れたようだった。
「なかなかいいもの作るじゃないっ、人間にしては、さらに冒険者にしては上等よっ! この辺に来る冒険者は塩焼きにしておしまいだもの。アンタ、冒険者なんてやめて料理人になったほうがいいんじゃない?」
「よかった……塩焼きにしなくて……」
どこかで言われたようなことをウィーネに言われ苦笑しながら、食事は進んでゆく。ウィーネ自体、食事をとることはできないらしいのだが、料理の香りを楽しんでいるらしく、きっちり人数分作ってしまってレギナと翔で手分けして食べることとなった。
「それで。私の精霊石、探すんでしょ」
「はい。こいつを使って探します」
そう言って翔が取り出したのは、パレットソード。それを見てウィーネの顔が再び嫌悪感で歪む。ウィーネがどこで失くしたか答えない以上、なんのヒントもないものを探すにはパレットソードの探索力に頼るしか方法はない。
「使い方は……。どうせ知ってるんでしょうね」
「……すみません」
膝の上においた食器を地面におろし、翔は立ち上がると湖の岸辺に立つ。
パレットソードを握りながら探索するものを頭の中で思い浮かべる。見つけるのは、サリーの精霊石同様小さな、小指の爪ほどの大きさの魔力の込められた、おそらくサファイアのような綺麗な石。
頭の中で、精霊石のイメージを固め、後ろで座っているウィーネと情報を紐付けしてゆく。
「……スゥ」
息を吸い込み、地面にパレットソードを突き立てる。その瞬間、頭の中に世界のあらゆる情報が流れ込んでゆく、その濁流の中で自分自身が流されないように目の前に現れる情報を一つ一つ精査してゆく。
道の途中、それはアエストゥスを離れ、海の向こう側。
超えた向こう側に広がるのは、森というよりも熱帯雨林のような木が広がるジャングル。
その中にある、一つの遺跡。
薄暗い中に光る一つの青く光るカケラ。
「っ! はぁっ! ハァ…っ」
一気に体が引き戻され、意識はアエストゥスの翔の体へと戻る。荒れた呼吸を整えながら頭の中に流れ込んだ情報を整理する。
導き出した、ウィーネの精霊石のある場所。
「……リュイ」
エルフの住まう国、リュイ。
そこが次なる旅路の目的地。
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