第76話 打ち明けた色
「貴殿の食事」
「え?」
「毎回思うが、貴殿の食事はとても美味しい。作業を横で見てもとても手慣れてる」
「それは……、その。光栄です、はい」
真実を知った日から一週間経った夜のこと、目的地まであとわずかというところで徐にレギナが口を開いた。この日の食事は、近くの街で調達をした牛乳で作ったシチューと保存の効く塩パンである。
「仕事柄、いろんな土地でいろんなものを食べてきたが。貴殿の食事はその中でも上位に食い込む」
「ありがとうございます。そう言ってもらえて……」
「だが、わからない」
「え?」
「このシチューという料理、私が聞いたことのない料理だ。牛乳を使った煮込み料理も珍しいが、そもそも私の知っているその煮込み料理とも味が違う。あれはもう少し乳臭かった」
それも当然の話である。翔自身、この世界の料理については色々と触れて来ているが作るものは大抵地球産のレシピである。この世界にも確かに似たようなものはあるが、郷土料理として括るのはいいものの味は大して良くはない。やはり科学技術が発達した世界での料理と、魔法の発達した世界とでは素材の扱い方に大きな差があるということを翔はこの世界に来てから学んでいた。
「貴殿でわからないことがもう一つ。ここ最近貴殿の剣術を見て思ったが、私の知らない戦闘技術を身につけているところ。名前はなんと言ったか……」
「今道四季流です」
「そう、その呼びずらい名前の剣術。騎士団では様々な技術を身につけるが、少なくとも貴殿のような剣技を身につけているものはいない。それどころか、貴殿の動き、技を見ても長い歴史を感じるのにも関わらず、王都にその技一つとして伝わっていない」
「……」
「九番隊本部で調べた貴殿の経歴も不明。こうして話してみても、貴殿の出自や来歴につながるような手がかりは一切なし。わかるのは、その謎の剣と貴殿の持つ戦闘技術、そして作る料理がうまいということだけ」
レギナの言わんとしていることが翔にはわかった。
それはきっと、
「貴殿は、一体何者だ?」
自分は一体何者か。この世界と自分にある確かな溝、それは決して埋まることのないものであり、共に過ごす人間に思い立たせる微かなズレ。
その理由はたった一つ。
「……聞いても、笑わないと約束してくれますか?」
レギナにもとうとう打ち明ける時が来た。深く呼吸をし、息を整える。真っ直ぐとレギナに向き合い視線を合わせる。
「自分は。僕は、この世界とは違う世界から来たんです」
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簡潔に、丁寧に、情動的に。
しかし、そのように伝えられた自信は翔にはなかった。かつて、リーフェにも同じことを伝えて、あの時と同様レギナが理解を示す反応をするとは限らない。下手をすれば、ここまでついてきてくれたレギナの気が変わるかもしれない。
しかし、レギナは翔の話を終始無言で聞いていた。質問も挟まず、淡々と翔の話を静かに聞いていた。
「以上が……、自分がこの世界に来たあらすじです」
「……」
「……何か、聞きたいことはありましたか?」
「……たくさんある」
「……疑わないんですか?」
話を聞いていた時と同じ表情のまま固まっているレギナに翔は問いかける。その表情から理解を得られたかどうかの判断をすることはできない。しかし、彼女自身が言っていたように、翔のことに対してかけていた疑いの目に合点のいくところがあるのだろう。
「……以前。聖典の話を貴殿は読んだはずだな」
「はい、確かに読みました」
「その中に登場する勇者。彼らは聖典の中では描かれていないが、一説によれば。勇者達は別世界の人間だという話がある」
「……え?」
「これはあくまで一説の話だ。この世界の住人ではない、別の世界の人間……」
少しだけ考え込むような表情をして固まったレギナ。ふと思い立ったかのように立つとそのままテントの中へと入ってしまった。結局のところ、彼女が自分のことを別世界の人間だと認めてくれたのかはわからずじまいだった。
あれから一ヶ月経とうとしていた。あの温泉街での火災の一件以来自分達の周りは恐ろしいほどに静かである。レギナもまた周りを警戒しながら旅を続けているが、神経を張り巡らせたままの行動は徐々に精神をすり減らしている。そのため、彼女が自分の食事を喜んでくれていたことを翔は内心嬉しく思っていた。
「……時間は少ない、か」
右腕に巻かれた包帯をゆっくりと解いてゆく。その布の下から現れたのは痛々しく深く刻み込まれた炎のうねりのような姿をした刺青。これが全身を覆い、自分の命を蝕んでいる。最近になってようやく自覚し始めたことの一つである。
「こんなことになるなら。リーフェさんの言う通り、料理人にでもなるんだったな……」
誰かを傷つけて笑う人は誰もいない。けど、自分の料理に微笑んでくれる人がいたのなら、結局のところ自分は目指すべき道を間違えたのだと。これもまた、最近になって自覚しつつあることの一つになっていた。
幼い頃から自分は、人を傷つける術を学んでいた。
あの日、自分の目の前で命がこぼれ落ちる様をみた瞬間。その全てが無駄だったと悟り、あの日続くはずだった笑顔が自分のせいで起きたことだと最近知り、余計に自分の無力さを憎む日が続いた。
自分のやってきたことは全て無駄だったんじゃないかと怖くなった。
自分が生きてきた十九年の歳月は全て無駄だったのではないかと。きっとこの答えが出る日は来ないだろう。けれど、真実を知り絶望したあの日にレギナに言われたことが頭によぎる。
『絶望を払い除ける力を持て、貴殿にはその力がある』
「……結局。自分にはこれしかできないんだよな」
すでに月がてっぺんを回るころ。翔はパレットソードを取り出し鞘から引き抜くと両手で正面に構え、素振りをし始める。
真っ直ぐ、
正しく、
精錬に、
「ご苦労なこって。精が出ること」
「サリー。顔を出すの久しぶりじゃないか?」
「何せ。顔を出したら、あの女に叩き斬られるらしいからねぇ。あぁ、こわいこわい」
およそ一ヶ月ぶりに煙のように顔を出したサリーは、髪を真っ白に染め、焚き火のそばで大きくあくびをしながら横になっていた。そんな姿を横目に、翔は休むことなくパレットソードを降り続ける。
「お前さ、僕と。仮契約じゃなくて、本契約を結ぶ気はないのか?」
「残念ながら。俺にも色々あんだよ。仮契約で力を行使し続ければ互いにデメリットがあるのは重々承知だとは思うが。本契約を結ぶための材料がたんねぇ」
「それって、一体なんなんだよ」
サリーの爬虫類に似た視線が翔の体をなぞる。仰向けになっていた体を翔の方に向け片腕を上げ、指を一本立てる。
「まず一つ。俺の本当の名前をアンタが自力で突き止めること」
「それならだいたい想像がつくな」
「……あ?」
意外と言った具合に顔を歪めるサリー。その表情を少しだけ満足げにみた翔がパレットソードを振るっていた手を止める。
「『サラマンダー』、確かトカゲみたいなやつで火の精霊の名前だろ。お前がサリーって名乗ってるのと、火の精霊って聞いて一番最初に浮かんだ」
「……っく、ハハハハハハハハっっ! そうかそうか、俺はそっちの世界でも有名か? なるほどなぁっ! けどなぁ、クソガキ。確かに、俺の名前はサラマンダーだよ」
何が面白かったのかは翔にはわからない。だが、額に手をやりいかにも面白かったと言わんばかりに顔を歪めているその姿は、精霊というよりもやはり悪魔と呼ぶのにふさわしい表情だと思った。
「だがなぁ。俺たちは名前だけじゃない、苗字もあって初めて名前なんだよ」
「そうか。んで、苗字は?」
「バーカ。そう簡単に教えるかよ」
「仮契約だと両方にデメリットがあるんだろ。教えておいた方がいいじゃないか? ……いや、ちょっとまて。おい、まさか」
頑なに名前を教えようとしないサリーを見る翔の目が変わる。流石にバツが悪いと思ったのか、サリーの目が徐々に翔の視線から横に外れ始める。
「忘れたのかよっ!? 自分の名前っ、しかも一番重要なとこっ!」
「う、うるせえぇっ! 忘れちまったもんは忘れちまったんだよっ!」
「マジか、……サイアクだ」
こうなってしまえば、目の前の全身赤尽くめの男の名前がサラマンダーかどうかも怪しい。自分は悪くないと言わんばかりに釈明をしようともしないサリーはそのままそっぽを向いたまま横を向いてふて寝をしてしまった。翔はといえばパレットソードを地面に放り出し土と睨めっこをしている始末である。
「ま、まぁ。ほら、青の精霊がもしかしたら知ってるかもしれないぜっ!? 俺の本当の名前」
「あぁ。《《かも》》だけどな」
サリーを睨みつける翔。そんな視線の痛さを感じたのか、再び煙のように消えていった彼の姿を目で追う。大きくため息をつき、再び素振りへと戻る翔。結局のところ近道なんてものは存在しない。何かやろうとするたびに障害があって、それを乗り越えなくては真実に近づくことはできない。
昔と変わらない。障害は、自分の手で乗り越えるものだ。
炎の番をしながら、素振り。その繰り返しで再び朝がやってくる。それを二度超えた朝。
「ここが目的地か」
「えぇ。ここのはずです」
辿り着いたのは、海かと思えるほどに広く、そして澄んだ水の向こう側から湖の底が見えるほどに透明感のある水。しかし、恐ろしいほどに当たりは静かで生き物の気配すら感じない。
ここに、青の精霊がいる。
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