第73話 決着の色
動いたのは翔。レギナに気を取られていたイグニスの横を掻い潜り、目指す場所は炎下統一の突き刺した場所。
一対一であれば、剣技はイグニスに通用しない。しかし、レギナがいるのであれば。二対一に持ち込めるのであれば剣技も通用するはず。
「行かせるかっ!」
炎の拳が眼前に迫る。咄嗟に体を回転させて躱す、しかし追撃。今度はイグニスが直接攻撃を仕掛けてくる。攻撃を躱すにも防ぐのにもあまりに体勢が悪すぎる。
直撃を覚悟し目を固く瞑る翔、
同時に響いた金属と金属が弾ける甲高い音。
「急げっ!」
「っ、はいっ!」
イグニスの拳の軌道を逸らしたもの、それはレギナが投げた剣の片割れ。それでできた一瞬の隙を見逃す手はない。さらに勢いをつけ駆け出す翔、同時にイグニスに向かおうとするレギナとすれ違う。
「死ぬな」
「はいっ」
レギナの言葉に応えるように速度を保ち、炎下統一にたどり着いた翔。刀を地面から引き抜き、一気に振り払うと同時に巻き起こる砂煙とそれに混じる炎の軌跡。
「スゥ……」
静かに目を閉じ腰に差した鞘に刀を収める。
呼吸、
勝負は一瞬で決める。
時間は残されていない。
研ぎ澄ませ。
感覚を研ぎ澄ませ。
相手の反応速度よりも早く動け。
今の自分ができる最高精度の技を繰り出せ。
「フゥ……」
全魔力を体全身に張り巡らせる。目を見開き、レギナの動きとイグニスの動きを目で追う。レギナはイグニスの炎の拳が見えていないはずなのに、それでも両手に構えた剣で攻撃を防ぎ切っている。攻撃をしていないのはおそらく翔の動きを待っているのか。
駆け出す。
爆発的な速度で一気に間合いをつめる翔。炎の爆発と一緒に駆け出した翔にイグニスが気づかないはずもない。すぐさま動きを止めようと炎の拳を振るいながら翔の接近を防ごうとしてくる。
呼吸をひとつ。
『今道四季流 剣技抜刀<秋> 星渡』
頭上から振り下ろされた拳を躱すことなく正面から叩き切ってゆく。炎と共に弾け飛んだ拳を確認した翔は再び刀を鞘へ。
速度は落とさない。
最高速度で、
最高精度で、
『今道四季流』
口からこぼれた炎と共に己の流派を。
翔がイグニスに迫る直前、レギナは彼の体勢を崩す。同時に翔の視線とイグニスの視線が合う。
その瞬間。翔の脳内にある記憶が流れ込んできた、どこかの誰かの記憶。
それは一つの村。
信心深い牧師、その家族。
しかし、その村は炎の中へ。
魔物が村に火をつけ、人々を蹂躙してゆく。
その中で既に事切れた娘を抱きしめ悲劇の涙を流す牧師。
あれは、
あれは、
あの男は、
『今道四季流 剣技抜刀<夏> 風渡』
刀の軌道に沿って、炎が空気を切り裂くように広がっては消えてゆく。たった一瞬の出来事。翔の右手に握る炎下統一の刀身が血を浴びたかのように真っ赤に脈打っている。
一呼吸、先に崩れ落ちたのは翔だった。頭から大量の血を流し地面へと崩れ落ちる、だが意識はあるのか荒い呼吸で息も絶え絶えになりながら何度も起きあがろうともがいている。
「……勝負あったな」
レギナの一言が停止していた場の空気を解く。同時に、その場から崩れ落ちるイグニス。その表情は苦悶に満ち、口からこぼれる地獄の底から悲鳴にも似た締め付けられるような声を漏らす。
崩れ落ちたその体。
しかし、その両足は地面にしっかりと二つ残っている。
「……貴殿に聞きたいことがある」
「グゥアアァっっ! っ、だまれっ! 無色の貴様にっ! 貸す口など毛頭もないっ! 地獄で同胞の罪を共に償うがいいっ!」
「……そうか」
口に溜まった血を吐き出すレギナ。両手に握る双剣を一つに戻し、その刃先をイグニスの首筋へと当てる。
「では最後に、言い残す言葉はあるか? 街にこれだけの被害を出しておき、その容疑者を生かして突き出すほど私は甘くはない」
「……」
戦いの時はついぞ見せることがなかった汗がイグニスの頬を伝う。同時に、レギナの剣がイグニスの首筋に食い込み汗に混じって赤い血が炎に照らされより一層赤く染まり流れてゆく。
「……私の……私の娘の墓に……。すまないと……」
「……わかった。イグニス=ロードウェル、覚えておこう」
あっけない終わりだった。振り下ろしたレギナの剣は何の抵抗もなくイグニスの首を斬り落とした。同時に、周囲に立ち上っていた炎が照明の電気を消すかのように消え去った。
その命の灯火が消えたのと同時に。
「……フゥ」
息を吐くレギナ。元を正せば、この火災の原因とこの男が街に現れたのは自分自身にある。自ら蒔いた種を自ら摘み取っただけの行い。
こんなものが、こんなものが果たして正義と言えるのか。
「……キリがないな」
追われて、撃退し、また追われて。軍の最高指揮官としての皮をかぶっていた時とは大違いだとレギナは思った。自分と同じ境遇の人間はまだたくさんいるだろう。
こんなふざけたことを、早く終わらせなくてはならない。
「そして……」
レギナが後ろを振り返る。そこには、目の光がない翔がゆらゆらと体の重心をずらすことだけで歩いている観れば弱々しい姿の彼がそこに立っていた。しかし、そんな弱さとは裏腹に手に握っているものは紛れもない凶器である。
こんな姿を以前にもレギナは見ていたことを思い出した。
「……ドウシテ。殺した……っ!」
「私の価値観と貴殿の価値観を履き違えるな。貴殿は甘い」
「殺す、ヒツヨウはなかったはずだっ!」
「あぁ、そうだない。だが、この街の人間がどのみち望むものだ」
レギナの言葉は冷たい、しかし正論ではある。イグニスを生かそうが殺そうが彼の辿る道は同じである。それを受け止めることができないのは翔が純粋に違う世界からの価値観を持っているからか、それともそれを受け止める度量がないからか。
いずれにせよ。今の翔は普通の状態ではない。
「面倒だが。納得ができないのなら、私が相手になる。これで貸し借りはなしだ」
あの時と、イニティウムでの時と同じ状況。吹き消された蝋燭が息を吹き返すかの如く、再び周囲には炎が立ち込み始めていた。
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夢の中だ。
悲しいほど、夢の中だ。
目の前には、守れなかった。生きていて欲しかった人がいる。
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
何度謝罪しても決して赦されることはない。
でも、彼女は微笑んでいた。
そんなはずはないのに。
涙で滲んだ視界で、彼女は微笑んでいたのだ。
『生きていてよかった』と
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「……」
「よう。いい夢でも見たか?」
「……お菓子をいっぱい食べる夢を見た」
「そいつはよかったな」
「……どうして起こさなかった」
「俺が優しいからさ。相棒」
目元が滲んでいる、おそらく涙を流していたのだろうか。視界に入り込んだ光から起きた時間帯が明るい時間であるというのを感じた。体を起こすと体に密着した布と布が擦れる感触伝わる、服の隙間を捲ると包帯が巻かれており頭に感じた違和感の正体も確かめてみれば念入りに包帯が巻かれていた後だった。
部屋の一室。見たことのない部屋には翔以外にもいろんな人が並べられてベットの上で寝ていた。一番窓際の部屋で、そこにもたれかかっているサリーの向こう側に見える景色は薄ぼけて灰色に見えた。
「にしても。また無茶をしたな、そんなに死にたいか?」
「……死にたいわけないだろ」
「だろうな。だがこっちからみれば向こう見ずに見える、考えてることとやってることがチグハグなんだよ、アンタ」
呆れた表情でものを言うサリー、心底心配しているようには見えないがそれでも彼の言葉は胸に少しだけ刺さった。ふと翔が視線を落とした先に、自分の右腕がある。包帯で巻かれた腕の隙間から除くのは炎で爛れた火傷の跡、しかし明らかに火傷の跡以外のものの姿まで見える。
ゆっくりと包帯を剥がしてゆく翔、その布の下にあったもの。それは、仮契約での力の行使による代償。火傷にも刺青にも似た死の刻印、それが以前よりも確かに広がって右腕全体に侵食していた。
「無茶した代償だ。この調子で行けばもって二ヶ月、力を使えば一ヶ月ってところか」
「……前のようには、行かないんだな」
「あぁ。全部アンタが台無しにしちまった。もう同じ手は使えねぇ」
もって二ヶ月の命。突きつけられた現実に言葉は出なかった、しかし落胆していると言うのは少し違った。
どこか、安心しているのか。
「とりあえず、急ぎで青の精霊を探さなきゃならねぇな。二日も寝てたんだ、動けるだろ?」
「あ、あぁ。それは……」
この場所を離れると聞き、ハッと翔が思い出す。周囲を見渡し、ベットに並べられた人の顔を一人一人確認する。
レギナの姿がどこにもいない。
「おい、サリーっ! レギナさんはっ!?」
「……大声を出すな。頭に響く」
サリーに向けて翔が問いただしたが、その背後で既に聞き慣れていた女性の声が軽く悪態をつくように翔の言葉に答える。
後ろを振り返る、そこに隔てられた一枚のカーテンを恐る恐る捲るとそこには翔と同じように包帯でさまざまな場所を巻かれていかにも不機嫌と言わんばかりにテーブルに置かれたリンゴに齧り付いているレギナの姿があった。
「レギナさん……、よかった。無事で」
「軽度内出血、火傷多数、切り傷多数、それにあの男に殴られたおかげで顎の骨にヒビ。ヒビはともかく、火傷が魔術で治らないときた。貴殿は私を何度も傷物にして一体どう言うつもりだ?」
「いや……、その……。返す言葉もありません……」
「フン。まぁ、おかげでお互い命はあったわけだ。これで歪み合いはなしだ」
リンゴの芯まで噛み砕き一気に喉の奥へと流し込むレギナ、その表情は先ほどと変わらず固いままである。
「……さて。まずは、貴殿に感謝を。私が思った通りに動いてくれた」
「そんな……、俺の方こそ。レギナさんが早く動いてくれなければ……被害はもっと……大きくなっていたはずです。先に犯人をと動いてくれたレギナさんの行動は正しかった」
しばし無言の間。
労うとも違う、しかし互いにかける言葉はわかっている。そんな二人の間にもまた奇妙な絆のようなものが出来始めていた。
「この二日間少しヒヤヒヤしながらだったが、早速動くぞ」
「はい……、はい?」
この街から逃げる。




