第71話 持たない者の色
『今道四季流 剣技一刀<冬> 時雨<豪>』
届かない。
『今道四季流 剣技一刀<秋> 村雨返し』
届かない。
『今道四季流 剣技一刀<夏> 清流浚い』
刀が、届かない。
『今道四季流 剣技一刀<夏> 翡翠』
上半身を捻り上げ、身体強化を全力で乗せた渾身の突き技。面での攻撃で無理なのならば、点での攻撃に切り替える。確実に命を奪うであろうその一撃、相手を殺さない、生かさなければならないという考えなどとうに吹き飛んでいた。
纏う炎が形を変え、それはまるで太陽の光を吸い込み水をいっぱいに浴びた美しい翡翠が如く煌めき、その刀の先端がイグニスの心臓に目がけ吸い込まれるように突き立てられようとしている。
「……わからない」
「っ!?」
翔が突き立てた炎下統一の鋒は、その胸に届く寸前でぴたりと炎ごとその勢いを止めている。イグニスの装備した真っ白な鉄甲が炎下統一の炎に焼かれ火花を上げながら突き合わせた白刃取りで動きを止めている。うまいのにも程がある、翔は額に流れた冷や汗と共に、そんな言葉が頭に流れる。
「これほどの力を持ちながら、無色の味方をする。貴様の行動原理がわからない」
「……ほっとけっ!」
こちらは全力を出しているのにも関わらずイグニスはまるで癇癪を起こしている子供を嗜める大人のようにどこまで冷静な口調に余計に調子が狂いそうになる。
突如、翔の全身に危険信号が流れる、すぐさま刀をイグニスから離せと。咄嗟に刀をイグニスから離そうと力を込めるが、拳を突き合わせ白羽採りをしているだけにも関わらず、イグニスから刀を引き抜くことができない。
このままでは刀が折られる。
「クッソガァァアアッッ!」
『今道四季流 剣技一刀<春> 春雷穿つ桜木』
引き切った両腕に全体重を乗せて、さらに刀を押し込むことに全力を注ぎ込む翔。互いが全力の攻防。その中、技を使用しての翔の力に押され、イグニスが押しとどめている刀の先端が皮膚に到達しようとしている。
「チッ……」
イグニスが刀の軌道を変更。同時に緩む突き合わせた拳、その変化を翔は見逃さない。すぐさま踏み込んだ両足の力を上半身に回し一気に拳から刀を取り払おうと動く。
『今道四季流 剣技一刀<夏> 円月』
捻った上半身の勢いをそのままに、拳から振り払った刀はその勢いのままに、宙で回転する翔の体に合わせ炎の軌跡で円を描きながら再びイグニスに斬りかかる。しかし、翔の手先に感じたのは軽く触れたイグニスの鉄甲の感触。皮膚を切り裂く感触ではない。
「フゥーッ、フゥーッ!」
呼吸は荒く、短い。徐々に思考が炎の熱で溶けてゆき、自分が自分でなくなるのも時間の問題だと翔は考えていた。
それでも、冷静に。
呼吸を整えて、
敵の正体を見極めろ。
ます、魔術は通用しない。そして相手は徒手空拳使い。それもかなりの上手、技量、経験の差でだけ言えばこちら勝利は万に一つもない。相手の鉄甲だけでも破壊できれば多少は違うが、これほどの技、攻撃を受けても健在というところを考えると、あの白い特徴的な外観はおそらく『星の涙』を使用した武器、であれば破壊は困難。
結論。負けは必須、この場を切り抜けるためには自分自身だけ戦闘離脱という名の逃亡のみ。
「先ほどのは少々肝が冷えた。だが、あれが限界だろう。後ろの女は捨て置け、そうすれば命は取らない。ここであったことも不問にする。貴様はそのまま何も知らず平和に生きるといい」
「……断る」
「……そうか、なら」
死ね。
たった一言、イグニスが放ったその一言で翔は全身の毛穴が開き、汗が溢れ出す。同時に、先ほどまで空いていた二人の距離が一気に縮まり、翔の眼前にイグニスが振り翳した拳が目に入る。
当たれば死ぬ。死なずとも、動ける状態ではなくなる。
瞬時にそれを理解した翔が振り上げられた拳に対し、刀を正面から合わせる。だが、顔面からの攻撃を防いだその瞬きの間に腹部に鈍い激痛が体前身に走る。それは、先ほどまで退治していたゴーストとは全く違う、まるで桁違いの威力に翔の脳が痛覚の理解を拒否しようと混乱を起こしているのがわかった。
「ガ……ッ!」
口から噴き出す胃の内容物、同時に臓器の一部が破裂でもしたのではないかという痛みに思わず体から力が抜け膝を突きそうになる。体の一瞬の緩み、その一瞬体が前に倒れ込もうとしたのと同時に、防いだはずの顔面の攻撃を真面に喰らう。
「あ……」
翔の意識は、皮膚を削り取る鉄の感触と殴られた衝撃で見上げた炎の色で染まった夜空に吸い込まれていきそうになる。脳が揺さぶられ、思考が吹き飛び防御に移ろうにも体が動こうとすることを拒否している。
そういえば、どこかで、似たような感触を、。
「無色は、存在自体が、大罪っ!」
どこかで、似たような感触を、
「無色が、思い上がらなければ、我々はっ!」
どこかで、似たような感触を、
「故郷を、失うことは、なかったっ!」
どこかで似たような感触を翔は思い出していた。
次の瞬間、イグニスに殴られた翔の体は、過去に遡っていた。
体は、幼い小学生。それでも、両手に握っているのは間違いなく凶器となりうる短刀。そんな幼い彼を容赦なく道場で何度も殴打し転がしている人物がいる。
父の一登だった。
「だから、それを持ってる限り俺には触れもできないんだよ」
「っ、だって。だって、父さんは何も持ってないじゃないかっ!」
涙で汚れた顔を必死に拭いながら、そのあまりの理不尽な力量の差に文句を垂れている幼い翔。そんな翔に近づき、容赦なく首根っこを掴み上げる一登、対等になった視線。しかし、一登の手に握られているのは、翔が先ほどまで手にしていた短刀だ。
「どうして俺に触れられないか、それを教えてやる。お前は背が小さい、体重も軽い、頭も悪けりゃ、考えなしに突っ込んでるばかりのただのガキだからだ」
「っ」
一登の容赦の一切ない罵倒に、翔は思わず悔しさのあまり声を上げて泣き出しそうになる。だが、それを止めるかのように一登は翔の顔をその大きな手で掴み上げ、その涙で潤んだ目を真っ直ぐ見つめる。
「だがな、翔。どう足掻いても、今の百二十センチ弱の身長は急に百八十センチになりはしない。突然頭が良くなって、俺でも思いつかないような技術を身につけられるわけでもない。だから、お前は考えるべきだ。そのちっこい頭を全力で使って、今の自分が、今お前が使い慣れてないこいつに頼らないでできる最善の動きを、戦いを」
「え……?」
そう言ってつまみ上げた短刀を一登を道場の奥へと放り投げる。それを目で追う翔、その瞬間に、幼い彼でも父の一登が何を言わんとしているかがなんとなくわかった気がした。
「よし。わかったな、なら。もう一度」
軽く、少しガサツに翔の頭を撫でた一登は翔と距離をあける。その大きすぎる背中を、どこまで近づこうとしても届かない背中を、
今は、ただこの一瞬は。この一瞬だけは、
ついていけそうな気がしたのだ。
「そうだ……」
思い出した。徒手空拳を使う一登に、一度だけ勝つことのできたあの時の記憶が、揺さぶった脳の中で鮮明に思い出すことができた。
あの戦い、あの時教えてもらったことの中に。
活路が、
『おい、いい加減しっかりしろっ!』
半分気絶していた翔の頭の中で、サリーの悲鳴にも似た声が響く。同時に、再び眼前に迫り来る拳を目で追いスレスレでその拳を鼻先が掠れるほどの勢いでかわしてゆく。
「まだ動くとはなっ! だが次で落とすっ!」
続け様に顔面を狙ったイグニスの拳、だがそれを防ぐ術を翔は持たない。これを喰らえば確実に体は動かなくなる、戦えずその場で命を奪われるだろう。
防ぐか、
躱すか、
翔がとった選択。
「スゥ……」
翔の呼吸と共に、顔面に綺麗に入ったイグニスの拳。誰もが見ても、体の中にいるサリーでさえも翔の負けが確定したと思った瞬間だ。翔の体が宙を一回転し地面に叩き落とされるかと思ったその時だった。
空中で一回転した翔の体は、その足先から地面に真っ直ぐと着地した。
「……何をした」
『は? 何したんだお前』
イグニスの言葉と、頭の中のサリーの声が重なる。肝心の攻撃を受けた翔は、首を軽くさすりながら首の骨をパキパキと言わせて何もなかったかのように佇んでいる。
「……外したんだよ。正確にいうなら、攻撃を受けた方向に力を逃したんだ」
翔が行ったこと、それは理屈で言うのであれば受けた攻撃を受け流し、その衝撃を外に逸らす技術、そしてそれは翔が実際にテレビで見た、元世界チャンピオンのボクサーが使っていた技、一登戦うために身につけた今道四季流以外の戦闘技術。
「俺のいた世界だと、ボクシングっていうやつだ」




