第70話 武器の色
翔の飛び蹴りをもろに顔面に食らったイグニスは勢いよく吹き飛び、何度か地面に叩きつけられ遠目で動かなくなったのを確認する。
「レギナさんっ!」
「…私は平気だ……、それよりも、構えろ…っ」
立ち上がるほどの力すら残っていないのか、ぐったりしたままのレギナがかすれ声で翔に注意を促す。その言葉に、腰のパレットソードの柄に手を掛けすぐさま正面を向く。その視線の先、確かにそこでのびていたはずの蹴りを食らわした男の姿がどこにもいない。
「……っ!」
蹴りは確かにイグニスの顎に入っていた。普通の人間であれば脳震盪を起こし数分はまともに動くことができないはず。だが、それを否定しているのが目の前の翔が見ている景色である。
次の瞬間、腹部を勢いよく殴られた感触が翔の体全身に伝わる。防具越しに伝わる高熱に、それを貫通し体に直接伝わるダメージに翔の頭が一瞬混乱する。いったいどこから攻撃を受けたのか、そんなことを考える間にも次の攻撃が翔の顔面に腹部に受けた攻撃と同様の不可視の殴打が炸裂する。それはまるで実体のないゴーストが攻撃をしてきているような感覚だ。
「か…っ!」
揺さぶられた脳が反撃をしようとした動きに急ブレーキをかける。混乱した頭でまともに応戦できるはずもない。とにかく先ほどの男を見つけなければ、と視線を目の前の広場に隅々まで向けているが、どこかに隠れているのか一向に見つからない。その間にも強烈な殴打は翔の体にめがけて何度も繰り返しおこなわれている。
パレットソードを抜く暇もない、ついに一方的な攻撃を前に膝をつく翔。ここであと一撃でもくらえば確実に立てなくなる。膝をついた格好の的になった翔、次の攻撃が来る直前、その衝撃に耐えようと目を固く瞑る。
が、しかし。一向に攻撃が来る気配がない。
「おいっ! しっかりしろ、相棒っ」
「……っ! サリーっ」
呼びかけられる声に、下を向いていた翔が顔を上げる。そこにいたのは両腕を正面に突き出し、何かをつかみながら必死に攻撃を抑え込んでいるサリーの姿がそこにあった。しかし、普段の飄々とした姿とは異なりサリーとボクサーの幽霊との攻防はボクサーの幽霊のほうに軍配が上がりそうである。
「剣を抜けっ、俺も長くはもたねぇっ!」
「っ……! それは」
「このままじゃどのみち全員死ぬぞっ! その後ろの女も、この街の連中もっ!」
サリーの必死にも思える訴えとは裏腹に、パレットソードを鞘に収めた翔はそれでも尚剣を抜くのを戸惑っている。
その答えは単純、恐怖だ。
周りの真っ赤に染まった風景が余計に翔の過去をえぐるように、恐怖心を駆り立てる。剣を抜けば、確実に活路は見いだせる、だがそれ以上にあのイニティウムでの記憶が震えながらパレットソードを抜くことを拒んでいる。
結局、自分のことばかりだ。
周りの人が死ぬ以上に、自分がこれから何をしでかすかわからない。それがなによりも怖い。
「おい、クソ相棒っ。これだけは言っといてやる」
「……」
「アンタなら、やれる」
今までの、貶すような言い方だったサリーの言葉。だが、今の言葉は間違えもなく、迷う翔の背中を押すものだ。同時に、目の前で勢いよく顔面を殴られ吹き飛んだ燃え尽きた灰のような色をしたサリーが膝をついた翔の隣に転がってくる。
決心はついたか?
迷いは捨てたか?
自分を抑え込めるか?
その答えはどれもノーだ。しかし、こんな自問自答に何の意味があるのか、目の前の光景を見て、そんな自問自答を繰り返すなんて。
クソだ。
「……行くぞ、サリー。痛い一撃、一緒に食らわしてやろう」
「……ハッ、ようやく本調子か。いいぜ、全力で魔力をよこしな。このあたり一帯焦土に変えてやるぜ」
「スゥ……」
深く息を吸い込む翔、体全体に干上がった空気を流し込みながら立ち上がる。握りこんだパレットソードに魔力を充填させ、準備は整った。鞘にはめられた赤い石が流し込んだ魔力に呼応する、危険信号のように何度も点滅しながら光り輝く。
『炎下統一っ!』
刀の名前を叫んだ瞬間、翔の周囲に上がっていた炎が渦を巻きながら体を包み込み、その熱量は地面の砂を溶かしガラスに変えるほどの高温を発している。
炎の渦、その中から赤く煮えたぎるような姿をした一振りの刀が現れ、周囲の渦を切り払うように空気を断裂。
「ハァ……」
吐き出した空気に火の粉が混じる。赤い髪を振り乱すたびに、空気中の水分をさらに蒸発させ、さらに干上がらせる。その熱量だけで言うのであれば、先ほどの不可視の拳など赤子の拳に等しい。
「……見える」
『俺の目は、あらゆる生き物の色を透かし見ることができる。そいつが魔力をもってるのなら、俺の目はどんな姿でさえも捕らえ、逃がさない』
翔の視界に映るもの。それは、あらゆる生き物の魔力の色を探知することができる。サリーの力を使っているとき限定で使うことのできる魔眼。それが捕らえた不可視の敵の正体。
それは幽霊のように揺らめいていて、しかし赤色のオーラと輪郭に覆われた人の姿をしている。そしてそれがこちらに向けて拳をふるう姿を確認することができた。
「っ!」
ゴーストが顔面にめがけて放つ右ストレート、焼けた拳がとっさに躱した翔の頬を焦がしながら通過してゆく。続けざまに放たれる拳、しかし見えていない時とは違い今は視認することができる。
これでようやく戦いのスタートラインに立つことができた。
放たれた拳が、翔の腹部にめり込む。確実に相手を墜とす一撃、しかし翔の表情には笑みが浮かんでいる。
腹部にめり込んだと思われたゴーストの拳、それは翔の持つ炎下統一によって防がれている。相手の攻撃が見えるのならこっちのもの。拳に対し剣を持つもの、その違いは歴然である。
『今道四季流 剣技一刀<秋> 落陽』
炎下統一で防いだ拳を弾き飛ばし、ゴーストの脳天にめがけまっすぐ腰を落とした一撃を叩き込む。手ごたえなど当然あるはずはない、しかし翔の赤く染まった眼には確かに縦に真っ二つに炎を吐きながら裂けたゴーストの姿が映っている。
『本体だ、本体を叩けっ!』
頭の中でサリーが叫ぶ。崩れてゆくゴーストの向こう側、炎に包まれた建物の中。その中にはっきりと浮かぶ炎のようにゆらめく色を纏った人間の姿。
間違いなく、あれこそがゴーストの正体。
そこにイグニスはいる。
「見つけた……っ!」
下段に刀を構える。炎に包まれている炎下統一が一層に火力を上げて、それは渦を作り出し周囲に燃え盛る建物の炎を巻き取ってゆく。それを掲げ上げ、天を貫くほどに明るく赤く染まり切った炎を勢いよく正面に向けて投げ飛ばすように振るう
『炎下統一 灼紅 炎獄の漆法具の肆<鬼の鞭>』
うねり上がる業火の渦が翔の掲げた炎下統一を起点とし、鞭のようにしなりながら周囲の建物を薙ぎ倒してゆく。そして、炎の生み出す赤く染まった鞭の先端は、イグニスのいる建物の一部をえぐり取るように破壊してゆく。
確実に、相手を殺す攻撃。しかし、翔はその手に握る炎下統一からイグニスを殺したという手ごたえを感じてはいなかった。目の前で建物が炎とともに土煙を上げながら倒壊してゆく様を眺めながら、油断することなく周囲を見渡す。
「……見事だ。これだけの炎を操るとは。しかも、物質に魔術を付与するその技量。だがわからない、何故無色を庇う」
「……」
先ほど倒壊させた建物の二つ隣、そこからイグニスは現れた。その静かな口調をみるからに、さきほどまでのはすべてこの男の手の内に踊らせていたということに気づき、翔は思わず舌打ちをする。
「無色は世界の悪そのものだ。貴様が庇う理由などありはしない、我々のように選ばれた民が地上を平和へと導く」
「平和……か……。この光景が、アンタらの望む平和ってやつか?」
炎に飲み込まれた街。誰もが、ここに平穏を、娯楽を求めてやってきた。だが、その平穏はたった一人の、目の前の男によって灰塵と化した。ここに来る途中まで、助けられなかった人間が大勢いた。
無色が悪。
選ばれた民。
俺たちが、いったい何をしたというんだ。
「悪は取り除かなくてはならない、そのためには犠牲も伴う。大を救うのに、小が犠牲になるのは世の常……」
「もういい。黙れ」
炎下統一に纏っていた炎が解ける。しかし、刀身の色はより一層真っ赤に染まる。それは、翔の心の中にくすぶっている怒りの炎と呼応しているかのようにギラギラと輝きを増し危険な色へと変化してゆく。
刹那、先に動いたのは翔だった。下段にかまえた炎下統一の切っ先が地面を削り取りながら、一気に間合いを詰めてゆく。炎下統一の切っ先に火の粉と火花を散らしながら削り取った地面に炎が走る。それはイグニスに近づくたびに大きな爆炎となってゆく。
『炎下統一 灼紅 炎獄の漆法具の陸<閻魔の吐息>』
次の瞬間、振り上げた炎下統一の切っ先から炎が噴き出し、イグニスの体を包み込む。イグニスの後ろにあった建物には大きな穴が開き、やがて巨大な音を立てながら崩れてゆく。
燃えカスになってもおかしくないその火力。相手を確実に死に至らしめるその一撃。翔が与えうる魔術による最大限の攻撃をイグニスに当てた。
そのはずだった。
「対魔術礼装をも塵に返す、その炎の化身のような火力……、ますます殺すのが惜しい」
イグニスはそこに立っていた。上半身の服は消し飛び、下半身の服もところどころ炎が小さくちらついていた。だが、その鍛え上げられた肢体にはやけどや傷など一切負っていなかった。
まったくもっての無傷である。
『化け物かよ……』
頭の中でサリーがつぶやく。おそらく彼も、確実に相手を消し炭に変えたと思ったのだろう。それは当然翔も同じである。
「魔術で私を殺せると思わないほうがいい。その攻撃、数度浴びても無傷でいることを保証しよう」
「それなら……っ」
魔術が通らないのであれば、物理で殴るまで。下段に構え直した翔の炎下統一が炎を纏いながら振り上げられる。しかしそれは空を切り空気を飲み膨れ上がった炎が轟音を奏でるだけである。
躱されたのなら、再び攻撃を畳みかけるまで。
相手が倒れるまで、何度でも。
何度でも。
しかし、翔の振るう刀は一つもイグニスには届かない。
「っ……!?」
「未熟だな。その程度、躱すだけで十分」
「その言葉、後悔するなよ……っ!」
ふり抜き際に、素早く鞘に炎下統一を収める翔。いまここで、自分自身が最大限だせる最速の剣技、瞬くような間に呼吸を整えめがけて振るうは人体急所の一つである右脇。
『今道四季流 剣技抜刀<夏> 鳴渡』
と、見せかけ狙うはイグニスの左肩。鞘の鯉口を大きく外に向け、刀の軌道を大きく外側へと逃がす。円を描くように抜かれた刀は炎の軌跡を交えて目の前で日輪の如く輝きながらイグニスの頭上を通り抜け、まっすぐ左肩にめがけ刀が振り下ろされる。
抜刀という態勢から放たれるのは十中八九右下から左上にかけての切り上げ、もしくは右から左にかけての横一文字。すくなからず刀を正面から見て右に差しているのであれば、抜刀の時に想定される最初の動きは右から始まるはず。
そう考えるのがふつうである。
だが、翔は一つ見落としていたことがあった。
「……なるほど、訂正しよう。その攻撃、防ぐ価値ありと見受ける」
炎纏う刀を防ぐその白く輝く手甲を嵌めた剛腕、そこに何の驚きの感情などなく、ただ向けられた殺意に従順に防ぐ機械のようにすら感じた。
この男は、
最初から武器など持っていない、
いうなれば、その肉体こそが武器である。
武器を手に持つ男と、武器である男。
その差は歴然であった。




