第69話 役割の色
翔と別れたレギナが向かった先、それは温泉街の中でも比較的に高台になる鐘撞堂の屋根の上だった。そこから覗く光景は、まさにこの世のものとは思えないほどに広がった地獄に等しい火の海であった。しかし、その炎を彼女は冷静な目で見ている。
そして、やはりと気づいた彼女は指先を軽く唇に触れさせ、それを虚空に翳す。かすかに感じる指先の空気の流れの感触に目の前の景色を照らし合わせ、レギナの中の疑惑が核心へと変わった。
炎が風下から風上へと流れていっている。
本来、炎は空気の流れに沿って風上から、風下へと流れていくのが自然の摂理である。しかし、目の前で起こっている現象は自然の摂理に則った動きではない。となれば考えられることは一つ、
これは、自然発生した火災ではなく。人為的、しかも魔術によって起こされた超自然的な放火である。
「……」
目的は不明。だが、これを起こした犯人は相当な手練れであることはわかる。これほどの広範囲に及ぶ火災を引き起こし、コントロールするのは相当な練度が必要。よって、どこぞの見習い魔術師が魔法を暴発させ引き起こしたものとは当然考えにくい。故に、目的は解らずとも、目的そのものは必ず存在する。
そして、もう一つ。
温泉街の広範囲にわたって炎が広がっていて、いまだに収まる気配はない。それに加え、さらに炎を広げようとしていることから考えるに、これを引き起こした人間はまだ目的に達してはいない。
よって導き出される答えは、まだ主犯はこの火災に紛れて残っている。
「……どこだ……」
鐘撞堂の上でレギナは思考を巡らせる。炎を広範囲に効率よく広げる方法、もし自分は犯人であればどこにいれば周囲から見られることなく、かつ逃げることができるか。
仮に街の端にいたとしたら、逃げることができても人目につく。故に、街の端ではない。旅館の中にいるというのも考えずらい、炎が迫っている以上犯人は移動を強制させられるはず、それは魔術を扱っている犯人にとっても都合が悪い。消去法で、次々と犯人が潜伏しているであろう場所を潰してゆく。
そして、絞り込んだ場所。
それは、炎の中心。一番火災の損害がひどく出ている場所。そこであれば、人目につくことはまずない、そして炎を広範囲に広げるのにも効果的である。
鐘撞堂の屋根を蹴り、炎の海へと飛び込んでゆくレギナ。向かう先は、炎の中心、火災が広がり手がつけられないと思われる街の中心へと猛スピードでレギナは進んでゆく。時折、消火活動に当たっている人間の引き止める声が聞こえたが、その音すらも置き去りにするほどの速さで駆けてゆく。
これを引き起こした犯人が何者かは解らない。だが、その犯人は何があってもその代償を支払わせる。この街で暮らしている人々の安寧を奪い、人々の楽しみを一転恐怖に陥れた者に鉄槌を下す。
それが、王都騎士団としての、レギナ=スペルビアの在り方である。
火災の中心に近づくほどに、呼吸がしづらくなってゆく。軽く咳き込みながら周囲を見渡しているレギナだったが、人影らしきものは見えない。いつでも戦う準備ができるように腰の剣に手をかけているが、このままでは戦うどころの話ではなくなってしまう。
自分の読みが外れたか。そう思ったレギナだったが‘、ふと炎の動きに目が止まる。
目に入る炎の動き、本来であれば空高く登り火柱を立てているものだが、炎の動きがまるで何かを守るかのように移動し、わざと壁を作っているかのように動いているのである。
「近い……っ!」
レギナが駆け出す、その瞬間彼女を追いかけるように走り出す炎の壁。明らかにこれ以上進むものを拒絶しようとしている、それから逃れるようにさらに走るスピードを上げるレギナ。
次の瞬間、目の前に走った炎の壁が巨大な龍の姿へと形を変え、その巨大な顎門でレギナの体を飲み込むように襲いかかる。
「……スゥ」
炎の熱を帯びた空気を肺に取り込み、レギナは剣を引き抜き龍の顔面に向けて振りかぶった剣を叩きつける。その瞬間、炎に混じり白い稲妻が剣と交差し激しい閃光を発しながら龍は真っ二つに割れ、レギナの正面に道ができる。
その隙を見逃さないレギナ。目の前にできた道に飛び込むように転がり込み、炎の壁を突破する。
「ハァ……ッ、ハァ……ッ!」
極度の低酸素で頭痛と筋肉に痺れが出る。しかし炎の壁を抜けた先は開けた広場で、先ほどまでの炎の波が嘘のようになく、周囲に炎の壁が立ち上ってること以外は嘘のように炎の影響を受けていなかった。
「……」
低酸素の状態から解放され、ゆっくりと立ち上がるレギナ。周囲を見渡すが、立ち並ぶ建物のの他に人影は見えない。しかし、この異常に開けた場所にレギナの敵を探知するセンサーが警告をかき鳴らしている。
「……そこの建物に隠れている者、いるのはわかっている。出なければ引き摺り出す」
剣を軽く振り払い、戦闘の意思があることを示すレギナ。見つめる先にあるのは、建物の横に置かれた荷物が重なり影となっている場所。その一点を睨みつける彼女の目に炎の明かりが反射する。
しばらくして、
荷物の影から現れた白いローブを身に纏った男。いかにも私は魔術師ですと語っているようなその風態にレギナは一瞬呆れた表情を浮かべたが、その姿をどこかで見た記憶があった。
「……貴殿は、王都聖典教会の人間か」
「……いかにも、そして貴女は。王都騎士団九番隊隊長、レギナ=スペルビア嬢とお見受けする」
男の声がレギナに語りかける。その言葉を耳にする限りでは、男は自分の正体を知っているようだった。
白いローブを見に纏い、特に聖典と羽をあしらった銀製のペンダントを首から下げているその姿は、王都でも信仰されている聖典のさらに奥深かくで活動している教会関係者の証。レギナ自身、その姿を見たことは一瞬しかなかったが何より姿を見せることすらほとんどない彼らがこの田舎街の温泉街に現れたのかが解らなかった。
いや、その理由は明白だった。
「申し遅れた。私は、王都聖典教会。赤の末席を汚すもの、イグニス=ロードウェルと申します。そして、レギナ=スペルベア嬢、貴女を無色の疑いで王都へと連行させていただきます」
「……」
イグニスの言葉に、レギナは何も答えない。この一件に、自分が深く関わっている、それは鐘撞堂で炎の流れを見ているときに最初に浮かんだ一番避けていた答えだった。
無色狩り。
それは、聖典に書かれた世界の反逆者、無色の色を持つものをこの世から無くそうと目論む、聖典信奉者の中でもより過激思想に偏ったものたちの思想だった。そして、特に王都聖典教会に務めるものはその思想が根強く、世界中に支部を立て、無色の人間を探している。
無色を狩るのに手段は問わない。たとえ、それが誘拐だろうが、殺人だろうが、そして火災だろうが。その行為を正当化する言葉、
それが、無色狩りだった。
「……私が、無色である証拠は……と。聞いても無駄か」
「この世の無色は根絶されるべきだ。たとえ、多大な犠牲を払おうとも」
ローブを外し、暗がりに隠れていたその顔が明らかになる。刈り上げた赤髪に、額に刻まれた大きな傷。聖職者とは思えないその風貌に、レギナの剣を握る手に力が篭る。
次の瞬間、片手を上げたイグニス。同時に、炎の中から現れる同じ、白いローブを身に纏った集団、それらがレギナを囲むように取り巻いてゆく。
「ご同行を、でなければ死か」
レギナの周りを取り囲む集団が魔術の詠唱を始める。全方からの攻撃、逃げる道はない。かといって、このまま立ち向かえば攻撃魔術の餌食になるのは目に見えている。
であれば、イグニスの提案を受け入れるか。どの道待っているのは死である。
だが、死ねない。
私はまだ、死ぬわけにはいかないのだ。
「貴殿の提案、全力を持って断らせてもらう」
レギナの言葉と同時に、振り下ろされるイグニスの腕。その瞬間、周囲を取り囲む魔術師から赤い炎の塊が吐き出される。強烈な熱と殺意を持って吐き出された火球、それは迷いなくレギナの体を焼き尽くす熱量を持って彼女に襲いかかる。
着弾と同時に、強烈な炸裂音と炎の柱が彼女を中心に立ち上る。それは、一人の人間を殺し切るには十分すぎる火力であり、この結果を見るまでもない。そう思い、イグニスはレギナ偽をむけその場を立ち去ろうとした。
その時だった。
背後から聞こえる悲鳴、そして体を切り裂かれたかのような断末魔。明らかに彼女の声ではないものに、立ち去ろうとしたイグニスは思わず振り返る。
イグニスの目に入り込んだもの。それは両手に二振りの剣を握り、同志を手にかける彼女のすがた。着ていた服などが多少焦げて、露出した皮膚が火傷を負っているのが確認できるものの、そんなもので止まる彼女ではない。次々と、魔術師に手をかけてゆき、そして最後に立っているのは先ほどまで死んだものと思われていたレギナだけだった。
「……驚いたな。あれほどの魔術を受け生きているとは」
「魔法を斬るのは得意でな。最近は自信をなくしていたが、腕は衰えていないようだ。私を殺したければ、あの十倍の魔術師を連れて来い」
「……こちらが甘く見積もっていたようだ。よって、聖典の啓示を受けし、私が直々に相手をしよう」
白いローブを脱ぎ捨てたイグニス。それに隠されていた、大柄な体に見合う、筋骨隆々の太い二の腕に鍛え抜かれた肢体。先ほどまで相手をしていた魔術師とは圧倒的に違う雰囲気に、レギナも両手に持つ剣を構え直す。
「魔術を斬るのが得意と言ったな、騎士よ」
イグニスが両腕に嵌めた鉄鋼を目の前で打合せる。同時に舞い飛んだ火花に抗するように、イグニスの周りに炎が立ち上る。その姿を目で追うレギナの目の前で、炎が爆ぜる。剣で炎の攻撃を防いだ彼女だったが次の瞬間、彼女の鳩尾にイグニスの拳がめり込む。
「か……っ」
胃の中のものを吐き出すレギナ、吹き飛ぶ体にイグニスの容赦ない攻撃が叩き込まれる。レギナもすかさず両手で構えた剣で応戦するものの、体へのダメージが深く防ぎ斬ることができない。
その間、イグニスは《《一歩》》もその場を動いていない。
「無色の女よ。聖典の導きがあるのなら、来世は役割のある色を持ってこの世に生まれ落ちるといい」
最後の一撃が、レギナの顔面に炸裂する。だが、その拳が届くよりも前にレギナが振り上げた剣がその致命的な攻撃を防ぐ。しかし、威力を殺しきれなかったのかレギナの体は軽く吹き飛ばされ地面に何度か叩きつけられたのち、建物の壁に突っ込んでようやく止まる。
「……ごほっ……げぇ……っ」
レギナの口から血の混じった吐瀉物が吐き出される。この時点に至るまで、レギナは自分の身に何が起こったのか理解できなかった。しかし、少なくともイグニスの扱う特殊な魔術が関係しているということだけは途切れ途切れの思考でもはっきりしている。
土煙と炎に紛れ、イグニスがレギナにとどめを刺そうと近づいてくる。
「女。最後に言葉を残すことを許そう」
「……っは……。慈悲深いものだ……っ。では、一つ」
レギナは両手に持つ剣をイグニスに放り投げ、完全に戦闘をする意思がないことを示す。血まみれの口が糸を引き、ゆっくりと言葉を紡ぎ出してゆく。
「先ほど……貴殿は、役割。という言葉を使ったな……。役割、そう……人には役割がある……」
静かにレギナの言葉を聞くイグニス。レギナは壁に体をもたれたまま、地面を指先でなぞりながら頭の中で言葉を引き出しているように見えた。
「私には、役割があった……。騎士団、隊長として……、役割としては単純だ……、目的を達するための部品であること……カラクリを動かすための小さな部品の一つにすぎない……、それさえ務まるのなら、それは私でなくてもいい……」
思い返されるのは、自分自身がいなくなった九番隊の行く末。しかし、その心配をレギナは特段してはいなかった、自分という部品が、隊長としていなくても騎士団九番隊は機能する。それよりも、そのように指導をしてきた。
今、こうして追われる身になっても。彼らは彼らの日常を送る。
しばらくの間の沈黙。一瞬の静寂に、イグニスは最後の一撃を叩き込もうと拳を振り上げる。
「イグニス……貴殿にも今役割があるのだろう。私を殺す役割というのが……、だが。貴殿は、今の私に、なんの役割がないと思っているのか?」
「何?」
「私は、今でも。役割を果たしている」
時間稼ぎという、役割を。
レギナが言葉をこぼしたその瞬間、イグニスの体が大きく吹き飛ばされる。炎の壁、結界の外から食い破るように現れた第三勢力。炎を纏った右足を、イグニスの顔面に叩きつけて、レギナの前に立った男。
これが、レギナの窮地に陥った時。最後に残していた切り札。
「レギナさんっ、間に合って……はいないですね」
振り返った男の、引き締まってない顔を見てレギナは軽く噴き出す。果たして、こんなものに切り札としての役割は務まるのだろうか。
いや。私を打ち破る実力を持つ彼ならば。
今一色 翔ならば、戦える。




