第65話 呪いの色
「これで当面金には困らないだろう。持っておけ」
「は、はい……」
レギナから渡された皮の袋を両手で受け取る翔。今まで感じたことのないタイプの重さに翔は脳の思考が迷走し始めているのを感じた。
皮の袋の中に入っているのは金貨や銀貨、または銅貨といったこの世界では共通で使える実際にその名の指す通りの材質でできている通貨がこれでもかと詰まっている。翔も今までイニティウムで暮らしていてそれらを手にすることはあっても、これほどまで大量の通貨を手にするのは初めての経験だった。
少なからず、これだけあれば一年は楽に逃亡生活を送ることができる。
「レギナさん……、えっと。どうして鎧を……?」
「邪魔だから売った。不満か?」
「いえ……、ありがたいんですけど……」
「私にはこれだけが残ってればいい。それに、あれを売れば流石に軍が私の所在を掴むだろう」
「あ……」
そう言いながらレギナは腰につけた剣の持ち手に手を添える。そしてレギナに言われて初めて、その思惑に気づいた翔が軽く声を漏らす。今更、鎧を返せなんてことを言えるはずもない、かといってここに長く留まるのは危険な気がする。
しかし、目の前を歩いているレギナの表情を見る限り。その考えは得策ではないような気がした。
「レギナさん……。もしかして、温泉入りたかったんですか?」
「……」
沈黙は肯定を意味する。どこかの物語で尋問をしていた刑事がそんなことを言っていたのを翔は思い出した。少なからず、これ以上聞けばせっかくの彼女の機嫌を損ねるのは間違いない、ここは黙って彼女の要求に従うことが吉と出た。
温泉街、かつて翔がその場所を訪れたのは学生最後の春先のことだった。学校卒業を境に進学する友人たち、そして道場を父の死をきっかけに引き継ぐことになった自分。会う機会はほとんどないだろう、そう思い卒業旅行と称して草津温泉に足を運んだのだ。今となっては、二度と会うことはできない。故に翔の頭の中で再生される記憶はとてつもなく楽しく、そして恋しい地球の思い出だった。
アエストゥスの温泉に行きたい。今となっては懐かしい、リーフェとの会話の記憶。今隣に立つのは彼女ではない。本当であれば、今でも彼女は生きていて。そして隣で、ガルシアと一緒に笑って。
何もかも、失った後の。悲しい想像にすぎない。
「おい。聞いているのか」
「……えっ、あ。すみません、なんですか?」
「ここの温泉、どうだろうかと聞いている」
レギナが指差す先。翔は俯いていた顔をあげ見ると、先ほどまで通っていた温泉街の中で一際大きく、歴史のありそうな古い建物がそこにはあった。そこを出入りする人々の姿は家族連れだったりはたまた恋人同士だったりと、それでも共通して言えるのは、どことなく幸せな表情をした今の自分にはどうしても似つかわしくない場所に翔は思えた。
「泊まる場所は、ここから少し離れた方がいいだろう。だが、温泉はここでどうだろうか」
「いいと思いますよ……。異論はありません」
「では決まりだな」
翔の気持ちなど露知らず。彼女の厳格な面持ちは変わらず、されど足取りは軽く、レギナは建物の入り口の暖簾をくぐり中へと入ってゆく。そんな彼女の後ろ姿にどことなく安心感を感じたのか、沈んでいた気持ちが少しだけよくなった翔だった。
暖簾の先をくぐると、中には数人の観光客がカウンターにて手続きのようなものをしておそらく貸出用のタオルやら風呂桶のようなものを受付から手渡されている。風呂桶の底には番号のようなものが彫られており、おそらくそれが会計やら手続きの証明になるのだろうと翔は察した。
早速カウンターに向かって歩くレギナ。周りにいた観光客は明らかに雰囲気の違う二人に眼を向けながらも、冒険者が訪れることもおそらくあるのだろうかそこまで奇異な眼では見られてはいない。
「いらっしゃいませ。お二人様でしょうか?」
「あぁ。そうだ」
「お客さま、その返り血は……」
「あぁ。できれば大浴場ではなく、個室で頼みたい」
「かしこまりました。ちょうど一部屋空いているので、お連れさんとお使いください」
勝手に話が進んでゆくが、受付とレギナのやりとりに少しだけ違和感を感じた翔。確かに、二人とも返り血を浴びて汚れて入るためできるだけ人目につかないような場所で風呂には入りたいと思っていたが、カウンターの女性の話の趣旨を聞き取るに翔とレギナの関係をどこか見誤っているような気がして翔はならない。
「それでは。カップル風呂でのご案内になりますので料金はお一人銀貨二十枚になりますね」
「え、ちょっ!」
「あぁ。それで構わない、これで足りるだろうか」
翔のツッコミを無視し、レギナは翔の持ってた皮袋の中から銀貨四十枚をカウンターの女性に渡す。レギナはそれでも構わないと思っているのだろうが、翔はそうはいかない。彼女とは確かに特殊な関係にはあるが、互いに裸で風呂に入るような仲では決してない。だが、レギナがこうも淡々と何も感じずに手続きをしているのを見ていると逆にそのことを気にしている翔自身がアホらしく感じた。
「ちなみになんですが……。個室の中で、もしそういう雰囲気になっても。当店ではそういった行為は禁止しておりますので、ご遠慮ください」
「あぁ。わかった」
「それと。冒険者の方ですよね? 武器は浴場には持ち込めない決まりですので。こちらでお預かりさせていただきますね」
カウンターの女性に言われた通り腰の剣を外し女性に手渡すレギナ。それに従い、もうすでに何もかもを諦めたように同じく腰のパレットソードを外し同じく女性に手渡す。
「では、こちらでお使いいただける手拭いと風呂桶になります。お帰りの際にはこのカウンターにお返しいただけるようお願いします。浴場はこの建物を入って奥の突き当たりにある大浴場の反対側になります」
ごゆっくりどうぞ。と、頭を下げながら女性に言われるのと同時にレギナが真っ直ぐ建物の中へと進んでゆく。その後を女性に対し頭を軽く下げてから追う翔。
建物の中は和の空気で満ちていた。木で作られた柱に、クリーム色の漆喰で塗られた壁。優しい色の魔術光で照らされている建物の中はどことなく日本の雰囲気を思い出させる。その中を悠然と進んでゆくレギナ、通りがかりの年配な女性に会釈され同じく会釈をして返す翔だったが、本当に雰囲気は日本の温泉旅館そのものだ。
「レギナさん……色々と聞きたいんですけど……」
「私も別に貴殿と一緒に裸の付き合いをしたいわけではない」
「だったらどうして……」
「この姿で大浴場に入って、他の客に迷惑をかけるつもりは毛頭ない。それに、貴殿も大浴場で大勢の人間の目に止まるのはリスクがあるのではないか?」
「それはそうですけど……、だからって」
「私とて貴殿に全面的に協力するわけではない。ただ、足跡を残してすぐに捕まるのも私の本意ではない」
レギナの真意を察することはできない。しかし、彼女自身もすぐに騎士団に捕まるのは本意ではないといっている以上、翔にとっては悪くない話ではある。
建物を進んでゆくと、にぎやかな空気を出している大浴場と割と静かな空気な個室の浴場が並んでいる廊下の道で分かれている場所に着く。今回、行く場所は大浴場ではなく個室の浴場だ。
ふと、大浴場を見る翔。しかしその入り口は日本のように男女で分かれてはいない。すると、その入り口から男が出てきたと思ったら、その後ろを女性が歩いてくる。
「……ん? 入り口って一つしかないんですね」
「なんの話だ」
「いや、大浴場の入り口って男女分かれていないものなのかと……」
「基本大浴場は混浴だ。分けられているのは平民とか王族だったり身分の違う人間くらいだろう」
「そうだったんですね……」
この世界では浴場は基本的に混浴であるという事実を知り、ある意味この世界で女性があまり躊躇なく男性と一緒に風呂に入る理由を翔は察することができた。とはいえ、混浴の文化など経験のない翔にとっては、やはり女性と一緒に同じ浴槽に浸かるというのは何か感じるものがある。
一つ、この世界の謎が解けたところで大浴場とは反対の個室の扉が並ぶ廊下を進んでゆく。その扉の前には使用中の看板が下げられていたが一番端にある看板の下げられていない扉にレギナは手をかける。
個室というにはそこそこに広い部屋だった。少なくとも、翔が暮らしていた家賃三万円の脱衣所よりも圧倒的に広い。壁に立てかけられた棚には籠が置いており、そこに自分の脱いだ服を置いておくのは容易に想像できた。脱衣所の間には簡単な仕切りがあり、軽く顔を覗かせると、そこそこ広い大きさの四角い浴場があり、そこに張られた黄金色の湯には桜色の花びらが散りばめられておりどことなくおしゃれな雰囲気が漂っている。そして、浴場の前には軽い庭のようなものが広がっており、そこから覗く夜空には丸い月と、半分に欠けた月が二つ湯煙に巻かれて金色にゆらめいている。
「綺麗だ……」
「やはりいいところだったな。私の目に狂いはないだろう」
いつの間にか隣に立っていたレギナ。声を聞き隣を見る翔。
彼女は、すでに全裸だった。
「す、すみませんっ!」
咄嗟に条件反射で目を逸らす翔。しかし、レギナはそんな彼の目線にお構いなしといった具合で、浴槽から湯を風呂桶に溜めて軽く体を流した後深く息を吐きながら湯船の中へと入ってゆく。
「貴殿も早く服を脱げ。時間はあまりない」
「あ、は、はい」
特殊な状況にもはや頭の回転が追いついていない。どこか諦めたように服を脱ぎ、それを籠の中へと入れてゆく翔。服を脱ぎ、自分の素肌が外に出ると、軽い冬の風が肌の体温を奪ってゆく。
同時に、その体に刻まれた無数の傷跡が翔の目にこれでもかと入り込んでゆく。その傷は紛れもない、あのイニティウムで怪物と戦った時に負った傷、そして、彼女を守ることのできなかった敗北の証。
そして、足首から覗く黒く焦げたような炎のアザ。それは、己の魂を売り渡した罪の証。
「……失礼します……」
手拭いで前を隠しながらゆっくりと湯に浸かる翔。冷え切った肌に突き刺さるお湯の温度に顔がこわばるが、その温かさを受け入れるように徐々に冬の冷たさが湯の中に溶け込んでゆく。溜まりに溜まった息を大きく吐き、目の前の景色をぼんやりと眺める。
ふと、隣にいるレギナに視線をやる。彼女もまた翔と同じように、頬を湯の温度で赤く染めながら目の前の景色を堪能しているようだった。
そんな彼女の肌もまた。翔と同じ傷だらけの戦いの傷が深く刻み込まれている。
「傷は誇りだ」
「……はい?」
「私が成そうとしたこと、私の歩んだ道が今もこの体に刻まれてる。それは決して変わることはない。そして、それを恥とは思わない」
貴殿はどうだ。
レギナの問いに言葉が詰まる。自分の体に負った傷、幼いことから父に今道四季流を叩き込まれて負った傷、そのせいで人とは違う目を向けられた過去。そして、今この体に刻まれた傷。彼女がそれを誇りだというのなら。
自分は。
「これは……、呪いです。これから生きるのに、背負っている。多分、一生背負ってゆく。呪いです」




