第63話 精霊の色
精霊が見えるものは極限られている。それは、サリーと過ごした独房の中で彼から聞いた話である。故に、今この場でレギナがサリーの姿を視認できていたことに、翔は呆気に取られ先ほどまでの殺伐とした空気を思わず忘れてしまうほどの衝撃だった。
「ちょ、ちょっと待ってください? レギナさん、え? 彼のこと、見えるんですか?」
「……貴殿が何をそんなに驚いているか理解しかねるが。確かに、その柄の悪い赤い革装束を身に纏った男ならはっきりと見えるぞ」
「へぇ、言うじゃねぇかお嬢さん。柄が悪いとはちいっとばっかし言い過ぎじゃねぇの?」
と、誰から見ても疑いようのない柄の悪い男サリーがレギナに対しメンチを切っているが彼女の視線の先には確かにサリーの姿を捉えているようにも見える。肝心の翔はどうしてそれを早く言わないのかと軽くため息をつきながら地面と顔を合わせるが、意を決したように立ち上がるとサリーとレギナの間に立つ。
「俺もまだ浅い仲なんですが……。彼は自称、赤の精霊。サリーって言うそうです。俺の剣にくっついてきた奴で、俺に力を貸してくれて……ま……す?」
「……赤の精霊……だと……っ」
赤の精霊。その単語を聞いた瞬間、レギナの目の色が変わる。その表情は驚愕、もしくは愕然、されどそれを言い表すように長い長い昔からの因縁が呼び覚まされたように目を見開き、一歩、また一歩とサリーに近づいてゆく。
その黒い瞳には、涙が溜まっていた。
「貴方は……本当に……。本当に……赤の精霊……?」
「あぁ。なんだ、惚れたか?」
茶化すサリーの言葉を聞きもせず、レギナは突如体の力が一気に抜けたかのように両膝を地面につける。その姿は神に赦しを請う信心深い信者の姿にもよく似ていた。
「賢者の壁画……、原初の色の一人。アルブスの閉ざされた王国を……貴方は覚えておいでですか……? この剣を……覚えていますか……?」
跪きながらレギナは腰の剣を抜きサリーに差し出す。突然のことに何も理解できてない翔だったが、レギナの差し出した剣を改めて見て目を見開く。
幅の広い剣の刃の内側。そこに掘られている無数の文字列、それは確かに翔のもつパレットソードと同じ幾何学模様の文字と同一だった。少なからず、この謎の剣の正体に一歩近づく鍵を手にしたわけだが、今とても翔が二人の間に立って話をできる状況ではない。
「……女、表を上げろ」
「……はい……っ!」
サリーに向かって、レギナが顔を上げた。まさにその瞬間だった。
突如、レギナの顎を持ち上げそのまま食らいつくように唇を奪ったサリー。本日二度目の光景に、思わず驚きに息を漏らす翔。レギナはといえば突然の出来事に何も反応ができてない。そんな彼女にお構いなしに舌まで彼女の口にねじ込んでいるサリー。
数秒、レギナが思わず軽い悲鳴をあげて仰け反り地面に尻餅をつける。その顔はどこか赤い、今まで女性らしい所を見せていなかったレギナだったがその騎士としての表情が崩れた姿が初々しい。
「ふぅ……、ご馳走さん。なんとまぁ味気のねぇこと、好みじゃねえことはないんだ。もっと女磨け」
「ば……っ! サリーっ!」
ようやく二人の間に入ることができた翔。だが、肝心のサリーはそのまま森の湿った空気に溶け込むようにして姿を消してしまった。
レギナはその姿を尻もちをついたまま呆然と眺めていたが、そんな彼女を心配するように駆け寄る翔。突然、知らない男から唇を奪われるなど日本であれば事案である。
「その……すみません。あいつ、記憶がないらしくて……。何か聞こうとしても、多分昔のことは一切覚えてないと思いますよ……多分……」
先ほどまでと打って変わって完全に怒りの表情へと変貌しているレギナ。本部で戦った時ほどではないにせよ、赤く充血した目を向けられ翔は思わず生唾飲み込んでしまう。
「あの男、次見かけたら。必ずあの口を引き裂く、絶対にだ」
「……止めはしません」
こうしてサリーとの最悪なファーストコンタクトを迎え、翔とレギナ、そしてサリーの三人の逃走劇が再開した。
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再び、鬱蒼とした森の中を進む一行。
彼女が何故、精霊を視認することができるのか。それは、自身との共通点である無色の魔力を持っていることに起因するのか。それとも別の要因なのか、考えたところで仮説の域を出ない翔だったが、肝心のピースを埋めるためのヒントになりそうなレギナはあれ以来口をつぐんで一向に話をしようとしない。
やはり、彼女も一応は女性。それなりに傷ついているのだろう。
「……レギナさん。話だけでもいいんで、聞いてください」
「……」
「レギナさんの持ってる剣の文字。あれ、俺の剣に書いてある文字と全く同じだったんです。その文字、俺だけにはなぜか読めて……。もしかしたら、レギナさんの知りたい答えが、その剣の中にあるのかも……」
「……」
返答は無言。しかし、それを聞いたレギナが一瞬足を止めると、腰から剣を引き抜きそれを乱暴に翔に向けて放り投げる。会話をする気はないようだが、それでも気にはなっているらしい。
投げられた剣を受け取る翔。彼女のもつ両手剣はパレットソードに比べて当然ながらかなり重い、それを軽々と片手で扱うレギナの技量は相当なものだろう。そして何より目を引くのは青みがかった金属、サリーの能力で底上げされた『炎下統一』の火力で溶けない融点が高く丈夫な金属、何でできているかはわからないが、それだけ丈夫な金属についた無数の傷が戦いの歴史と長い年月を物語っている。
そして、肝心の文字。パレットソードと同じ文字であれば読むことは可能である。案の定、目を通した瞬間に掘られた文字が浮き出て翔の中で知っている文字列へと変換されてゆく。ここまでくれば、一種のチート能力ではないかと翔は自信を疑ってしまう。
「……これは剣であって、剣で非ず。これを持つもの、巫女の住まう星の内海より落とされた三つの星のカケラより生み出された『王冠』『剣』『書』のうち『王冠』を我が友、氷の覇者にこれを託す。これを受け継ぎしものこそこの世界に自身の誇りを示すもの『スペルビア』の王なり……」
剣に書かれた文面を声に出しながら読んでゆく翔。スペルビア。間違いなければ、それはレギナの苗字である。となれば、この文面が本当であれば、レギナの正体が自ずと見えてくる。
「……レギナさんって……王様?」
「世界にある聖典の遺物の内。『王冠』『剣』『書』それは代々王都の王に受け継がれる権力の証、『王冠』ではない。本物は王都で王族が代々受け継いでる。それではない」
「でも……これには、これは剣であって、剣で非ずと」
レギナが振り返り、翔の手から剣を取り上げる。その表情は、揶揄われて怒っている人間のそれに近いものを感じた。それもそのはず、突然長年読むことのできなかった文字をポッと出の、ましてや自分を誘拐した犯人に言われるなど信用問題外である。
「王都騎士団として、聖典の内容は絶対だ。もし仮に貴殿の言うことが正しいのなら、私たちは偽りの王を守っていることになる」
「……」
「騎士としての矜持まで捨てたわけではない。私は今でも王都に仕え、その身命を王に捧げている。そのことを肝に銘じろ」
彼女が否定をするのであればそうなのかもしれない。そもそも、この剣が聖典の遺物である保障などどこにもないのだ。それとも、彼女がただ単にこの件について目を背けたいのか。
「……そんなことより。それをどうするつもりだ」
「……そうですね……」
振り返ったレギナが翔の背中を指差す。翔が背負っているのは、あの盗賊の一味の一人である女である。今はぐったりとして暴れたりする様子はないが、あのまま放置するわけにもいかなく、手足を拘束した上で猿轡を嵌めて運んでいるわけであるが、彼女の言う通りこの女の処遇については助けた以上どうにかする必要があると翔は考えていた。
「……とにかく、近くの街に寄って。そこの自警団なりギルドなりに渡すのがいいかと……。それに、あそこに死体を放置するのも良くない」
「だったら急ぐぞ。日が暮れる前に森を抜ける」
翔にこの周辺の土地勘はない。パレットソードを使い、周囲にある街を探すこともできるが、先を歩いているレギナについて行った方が早い。
森の中に西陽が差し込む。夕暮れに照らされ、二人は森の中を進んでゆく。獣道をかき分けて歩いていた道のりだったが、徐々に木々が開き始め人が通りそうなそれなりの大きさの道に出る。人通りは全くないが、徐々に人の気配が近づいてくるのを翔は感じ取っていた。
「……ん? この匂い……」
冷たい風の中に混じって匂う湿った独特な腐卵臭。この匂いの正体を翔は知っている。昔、道場の仲間たちと行った二泊三日の草津での思い出、それにこびり付いている消えない匂い。
「ここって……」
「あぁ。アエストゥスの田舎温泉街だ」
森の向こう側に見える無数に立ち上る湯気、熱った顔を並べて幸せそうに歩く人々、オレンジ色の夜空に照らされ無数に灯る暖かな建物の光。
そういえば思い出した。
いつの日か、アエストゥスの温泉街に行きたいと話していたリーフェの話を。
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