閑話 初恋の色
今まで、生きていた中で、こんな感情は初めてでした。
今まで、何の不自由のない生活をしてきました。
今まで、こんなにも胸が苦しいと思うことは初めてでした。
今まで、頑張って勉強をしてきました。
今まで、この人のことをこんなにも知りたいと思ったのは初めてでした。
「メルちゃん? どうしたのため息なんかしちゃって」
「あっ、すみません先輩」
相変わらず綺麗な人だなぁ、なんて思っている。私なんかよりもずっとずっと年上で、ものすごく頼りになる先輩で、それでもちょっとからかうと子供みたいに理不尽になって、そして
私の恋敵でもあります。
「先輩、なんだか最近お肌のツヤが良くなってません?」
「メルちゃんもそう思う? う〜ん、やっぱりショウさんの美味しいご飯を毎日食べてるおかげかなぁ?」
くっ....なんでしょうか、この新婚夫婦のノロケ話を聞かされている感じは....先輩....気づいてないかもしれませんけど、先輩のことを好きな人だっているんですよ? それも、ものすごく身近に。
「メルちゃん、その資料を本部に送るから後で郵送さんのところに持って行ってくれる?」
「は〜い、わかりました」
渡されたのは、冒険者の個人情報や、素材の収集情報であったり、この地域での魔物の出没状況の入った脇に抱えられるほどの皮の鞄だ。
「あっ、メルちゃん」
「はい、なんです?」
「後、郵送さんに行った時、本部から王都騎士団受け入れのための資金援助のお金が届いていたら同時に受け取ってもらえると嬉しいなぁ」
「は〜い、わかりましたよ〜」
やっぱり先輩の頼み事には断れませんね。私もここに勤めてもう3年になるんですから慣れたものです。
先輩に送られて、ギルドの外に出ると街はちょっとお祭りのような気分でした。王都騎士団、何年かに一回遠征に来るその部隊は、王都の抱える軍隊の一つで、私たちの暮らしだったりを調査するのと共に国の平和の維持のために動いています。
ちょっとした人ごみを抜けると、目の前にはレンガ造りの立派な建物が現れる。これが郵便さん、私たちの荷物を本部に届けてくれるほか、ここで出稼ぎをしている人たちが家族に手紙を出したり、仕送りをすることなんかもします。
ただし、一回送るのに結構お金がかかるのですが....
中には受付の人が三人ほど並んでいて、中はそれほど混んではいませんが重要施設郵送の列に並ぶとそこにはいつもの優しそうな顔をした女性が座っていました。
「すみません、この荷物をギルド本部に送りたいのですが」
「あら? メルトちゃんじゃない。おつかれさま」
郵便さんの受付嬢で、人族のマーリャさん。すでに60歳をいっているのにもかかわらず生涯現役をモットーに頑張っている元気なおばあちゃんです。
「にしても相変わらず可愛いわねぇ。ちょっと手続きの間、頭を撫でさせておくれ」
「ウゥ……恥ずかしいですよ……」
来るたび、毎回頭を撫でられる。これはもはや通例の儀式と言ってもいいんじゃないでしょうか? ですが、マーリャさんの大きく温かい手はとても落ち着きます。
「はい、書類かけました」
「ハァ……私の癒しが逃げてくわ……」
そう言いながらも書類の受け取りにハンコを押して奥へと持って行く。私はギルドに出るときに渡された皮の巾着袋を取り出し、中から銀貨を2枚取り出す。
「お待たせ様、それじゃ郵送の料金は銀貨2枚ね」
「はい、確認してください」
お皿に差し出されていた銀貨をマーリャさんは確認し、それを受け取った後領収を手渡して一言『気をつけてね』と言われ、私は重要施設郵送の列を後にしました。
次に向かったのは、郵送物受け取りの列です。ここでは施設から送られてきた資料や、荷物の受け取りが可能です。
「ん? メルトじゃない。今日はどうしたの?」
目の前に座っているのは、私の友人である獣人のアリシャだ。年齢は私と同じで私と同じ時期にここに勤め始めた。
「うん、ギルド本部から何か来てないかなぁって」
「ギルド本部? ちょっと待ってて」
そう言うと後ろの棚をゴソゴソとしながら『痛て』と言っています。理由は簡単、頭に生えた大きな白い耳が壁などに押さえつけられて折れているからです。
「あぁ、あったあった。このお金か。え〜っと『王都騎士団遠征補助金』だってさ」
「そうそうそれです。受け取ってもいいですか?」
「それじゃ、ハンコとこの書類にサインしてね」
渡された資料にハンコとギルドの署名を書いて、荷物を受け取りました。
「そんじゃ、気をつけてな」
「うん、ありがとう」
そして、郵送さんの出口に向かおうとしたその時です。
「…あっ、ところでメルト」
「えっ? 何?」
呼び止められました。
「そういえばさ、メルトの片思い……最近はどうなのよ?」
「な、な、な、何を言ってるのかなぁ、い、い、いったい」
なんで? なんで? アリシャにはそんなこと一回も言ったことないのに、なんで知ってるの?
「あのね、私たち何年の付き合いだと思ってるの? そんな友人の恋事情なんて一目瞭然よ」
「はわわわわ、そのこと、まだ誰にも....」
そう言って顔まで真っ赤になっているだろう、その顔をぎこちなく隣のマーリャさんに向けるとウィンクをしてグーサインをこちらに向けていました。
「もうっ! アリシャのバカバカバカァっ!」
「ほらほら、お客様。郵送屋ではお静かに願います」
もうだめです。このことがもし、ショウさんに知られたら、私は....
「ウゥ……どこで知ったんですかそのこと、もし他の人にも知れていたら」
「ん〜っと、まず先週メルトと飲みに行った時に知ったかなぁ。あんた酔っ払うとペラペラ喋るからねぇ」
もう心に決めました。この白兎とは絶対に飲みに行かないと。にしても私そんな酔っ払っていたかなぁ。
「大丈夫だって、この職場の人以外にこのこと知ってる人いないから」
「もうダメじゃんっ!」
今度ここにショウさんが来るようなことがあったら、私がどんな力を駆使しても阻止しないと。
「それじゃ、また今度飲みに行こうね」
「絶対にお断りですっ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハァ、ひどい話です。
尻尾も耳も完全にヘタレ込んでいる私です。外は真っ青に晴れていて、仕事がなければそこらへんの草原でお昼寝でもしたいような良い天気なのに。
私の心は曇りです。
片手には、先ほど受け取った金貨の入っている袋。これをギルドに届ければ仕事は完了です。
「ハァ……」
何も考えずに出るため息ほど虚しいものはありません。ショウさんにこんな姿で会いたくないなぁ。
さっきに比べてるとだいぶ人ごみは引いていて、だいぶ歩きやすくはなっています。
少しうつむいた顔を前に向けると、あぁ。
神様、私はあなたを恨みます。何でショウさんが目の前にいるんですか。
ショウさんは、目の前で市場で売られている野菜を手に持って重さを見たり、同じところに置いてある魚の類を見て何かを悩んでいるようで、私には気づいてないようでした。
声をかけるべきでしょうか? いや、でも恥ずかしい。
いや、声をかけましょうっ!
そう思い、片手を上げて声をかけようとした。その時でした。
「キャっ!」
背中に何かがぶつかったかのような衝撃が走り、少し前に蹌踉めくと、その何かが私の持っていた金貨の袋を奪い取っていきました。
ひったくりです。
「ど、ドロボーっ!」
ショウさんを呼ぼうとした声が、泥棒に襲われた時の悲鳴に変わってしまいました。それは自分でも驚くほどの声で、周りの人が一斉にこっちに向きます。
そのフードを深くかぶった泥棒は私の目の前を走って行きます。ちょうどショウさんのいる方向へ。
「あれ? メルトさん?」
「ショウさんっ! その人泥棒ですっ!」
「へ?」
悲鳴でこっちに気づいたショウさんは素っ頓狂な声で、自分の目の前を走ってくる泥棒を見ています。
「チッ……!」
泥棒は腰から一本のナイフを取り出して目の前にいる。すなわちショウさんに向けて威嚇をしながら突っ込んでいきます。
このままではショウさんがっ....!
「おっ....と」
ショウさんはナイフを持ったままの泥棒を躱したと思うと、手に持った野菜....あれは、ダコン? 白くて太いその野菜で彼の首の後ろを思いっきり殴りつけて気絶させてしまいました。
「あぁ、折れちゃった。親父さん、これ買い取ります」
気絶した泥棒の周りにはたくさんの憲兵が集まって泥棒を押さえつけています。どうやらその泥棒はリザードマンだったそうで、いかにも憎たらしい表情でこっちを睨みつけながら連行されていきました。
「メルトさん? 大丈夫ですか?」
「は、はぃっ! だ、大丈夫でしゅっ!」
いつの間にか目の前にショウさんがいて、そして、その手には私が持っていた金貨の袋が握られていました。
「これ、メルトさんのですよね? お返しします」
「あっ、ありがとうございます....」
金貨の袋を受け取って気がつきました。手に握られているのは真ん中からポッキリと折れているダコンに。
「あの、それ....」
「あぁ、これですか? 今日の晩御飯は何にしようかなぁ、って思っていたんですがちょうどこれがあるんでこいつで何か作ろうかなって」
にしても野菜で気絶するもんなんだなぁ、なんてブツブツとショウさんが呟いていますが、私としては泥棒を捕まえようとして折れてしまった野菜ですし……
「ショウさん、それいくらですか? 私が弁償します」
「弁償? いいですいいです。ちょうど晩御飯のメニューに困っていた頃だったんでむしろ嬉しいですよ」
そうはいっても……
出しかけた財布を元に戻し、何かお礼でもしなければいけないと思い始めた頃、先に口を開いたのはショウさんでした。
「でしたらメルトさん。今度僕に料理を作ってくださいよ」
「え? 料理、ですか?」
「えぇ、何ぶんこの世界の料理にあまり触れたことがないもので」
それは……先輩と暮らしていたら、料理という料理に触れることはできませんよね……
「それでは、僕は仕込みがあるんでこれで失礼しますね」
「はい、今日は本当にありがとうございました」
深く、深く頭をさげるとショウさんが私から遠ざかって行く、そんな足音が聞こえてきました。
これでいいの? メルト=クラーク。
今まで何の不自由のない生活を送ってきて、不自由になりたくってここに来たんでしょ? 少しくらいは、あくせく自分のどうにもならないこの心と向き合ってもいいんじゃない?
一歩前へ、私は進みました。
「ショウさんっ!」
「ん? 何ですか?」
背中を向けていたショウさんがこちらに向き直ります。
「え……っと、また……泥棒がですかもしれませんし……その……ギルドまで、一緒にいいですか?」
この時の私はショウさんの顔をまともに見れなくて、ものすごく変な方向を向いていたかもしれませんが、それでも、勇気を出して言うことができました。
「いいですよ、確かに危ないですからね」
「お、お願いしますっ!」
本当に緊張した声でいつもより高い声が出ちゃった……
ショウさんが軽く吹き出すのを見て、私は少し怒りながら、一緒に歩いて思うのです。
この人が私は好きだと、一目惚れした相手なのだと。




