第54話 スタートラインの色
レギナと、それを取り囲む騎士団。そして、それに対峙する翔。構図としては一対多数に見えるが、後ろに控えている騎士団はあくまで静観を決めているらしい。
だが、翔にとって今。目の前にいるレギナと戦うということ自体が、騎士団全員と相手するのと全く同義ではないかと思い始めていた。
「あの時の言葉をもう一度言おうか。剣を捨てろ、さもなくば貴殿を斬る」
「そう言って、本当に下ろした奴はいるのか?」
「いいや。一度もない」
軽口を言っている翔だったが、その実レギナに勝つ活路を必死に探しているが、一向に見つからない。目の前の人間は、剣で戦うこともできれば、拳で戦うのも一流の使い手である。対してこちらは流派こそあれど、相手によっては全く意味をなさない、完成された剣術。そして、
『あの女、丸焦げにするなら一瞬だぞ』
「それだけはダメだ、絶対に」
サリーと名乗る大精霊様が一人。少なくとも、パレットソードではなく『炎下統一』という名の刀に姿を変えている以上、西洋剣に縛られていた動きよりもある程度自由が効くが、それでも彼女を超えるには数手足りない。
かといって、あの爆発的な火力を彼女にぶつけてしまえば彼女の命を奪ってしまうことになる。それだけは絶対に避けなくてはならない。
そんなことを考えている間にも、一歩ずつレギナは近づいてゆく。
「シィ……ッ」
鋭い呼吸音と共に、先に動いたのはレギナだった。体勢の低い斬撃、足元を掬われるような攻撃に同じ体勢で防御を行う。だがしかし、相手の攻撃の出だしが疾かったのか鎬を削る前に防御を崩され翔の間合いに剣が入り込む。
咄嗟に上半身を逸らし、剣を躱す翔。それを見計らってかレギナの回し蹴りが再び翔の鳩尾に目がけ入り込む。
「同じ手を食うかよっ!」
レギナの足の裏を手で受け止めた翔がその軌道をわずかにずらす。レギナの蹴りの力を利用し、体を捻って刀にその遠心力を乗せ回転しながらレギナの脳天に目がけ刀を叩き込む。
『今道四季流 剣技一刀<夏> 渦潮』
炎と共に吐き出された斬撃。しかし、手応えは薄い。翔の腕に伝わる金属の感触、炎の中から顔を煤で汚し、髪が少し焦げたレギナの睨みつける視線が翔に突き刺さる。
剣撃を鎧の小手で防がれた翔、咄嗟にバックステップで後ろに下がりレギナの追撃を躱すが、反応が遅れたのか下から斜め上に放たれた斬撃が翔の腰から胸を軽く切り裂く。
「っ!」
怯む翔、それを逃すレギナではない。痛みも感じさせぬままに繰り広げられる剣と刀による炎の舞い散る攻防、しかし攻防呼ぶにはあまりにも一方的なレギナの攻撃、炎に怯みもせず右手左手と剣を持ち変え火花舞い散る刀に容赦なく何度も剣を叩きつける。
『畜生っ! あの剣なんで溶けねぇんだよ、こっちは火力全開だぞっ!』
「ク……ッ!」
頭の中のサリーが悲鳴をあげる。それは翔も同じことだった、確かに鉄でできているであろうレギナの剣、だが他の騎士たちの剣は刀が触れた瞬間に溶けて斬れたのにも関わらず、レギナの剣だけは当たった部分が赤く染まるものの溶けて斬れる気配が全くない。
「クソ……ッ!」
「どうしたっ! ガレアと引き分けたとは思えないぞっ!」
「ウルセェっ!」
煽りを加えるレギナに翔の精神は焦りと共に苛立ちが沸々と脳の体温を上げてゆく。繰り返される撃ち合いに徐々に翔の精神も擦り切れてゆき、翔の中の怒りが徐々に精神を支配しようと焦がしてゆく。
次の瞬間、刀の炎が意図せず暴れ出しレギナの剣と刀がぶつかり合った瞬間に刀の炎が空高く吹き上がり夕方に近くなった赤い空を炎一色に染め上げる。
「なっ……」
「スゥ……っ!」
炎に怯んだレギナ、そしてその隙を捉えた翔。剣の動きが一瞬止まったレギナに向け刀を逆手に持ち変えると、その頭に刀の柄を力強く叩き込む。
「ク……ッ!」
割れたレギナの額から舞い飛ぶ赤い血、後ろに軽くよろめいた彼女に追い打ちをかけるように、刀を振るう翔。
『今道四季流 剣技一刀 時雨<豪>』
一転攻勢、翔の攻撃がレギナに襲いかかる。急所を確実に狙ったその攻撃にレギナは徐々に押され始める。力の差で言うのであれば、男であり、サリーの力を纏っている翔に軍配が上がる。故に、一度攻撃に出て、相手に反撃の隙さえ与えなければ力技でレギナを抑え込むことも不可能ではない。
守りに入りながら後ろに一歩づつ下がってゆくレギナ。当然、この気を逃す術はない。
『今道四季流 奥義一刀<夏> 清流昇りて月へと渡る』
連撃から繋げる奥義、下から斬り込んだ翔の刀がレギナの剣を弾く。ガラ空きになった胴体に翔の炎の斬撃が走る。彼女の鎧に刻まれる赤い斬撃、続け様に刻まれるもう一つの斬撃。
交差したその鉄の溶解した赤に染まる斬撃に鋭く刀の柄を叩き込む。
『今道四季流 剣技一刀<秋> 紅葉裂開』
大きく後ろに吹き飛ぶレギナ、その表情は苦悶か、もしくは後悔か。だが、その表情は負けの確定した一撃を受けた者の表情ではなく、むしろ逆に変え難い攻撃の一手を叩き込んだ者の不敵な笑みで頬が吊り上がっていた。
「っ!?」
翔の突き出した刀を握る右腕、その腕に刻み込まれた二本の斬撃。吹き出した血が地面に散らばり地面を赤く染め上げる。いつ切り込まれたのか翔は理解していない、確実に反撃不可能な攻撃を叩き込んだはずだった。
しかし、翔はすぐに自分が反撃をされた理由を理解する。
彼女の手に握られている、彼女だけが持つことを許された装飾の施された、幅の広いはずの両手剣。その剣が縦二つに分かれ、二振の双剣として彼女の両手に握られていた。
「二刀使いかよ……っ」
「……これは貴殿にも一度見せたんだがな。奥の手というのは、すぐ手元に用意しておくものだ」
彼女の持つ、彼女だけの剣。それは、彼女の苗字を冠した一振りの両手剣、その出自は不明であり、彼女が九番隊隊長を務めた当初から持ち歩いているものである。ある程度の衝撃を加えると、剣が縦二つに分かれ、肢の一部を差し込むことで双剣として扱うことのできる技巧が組み込まれたその剣は並大抵の訓練では扱い切ることのできない、文字通り彼女だけの剣。
その名も『スペルビア』
「一つ貴殿についてわからないことがある。貴殿は、手を抜いているのか? それとも、人を斬ったことがないのか?」
「……だったらなんだ?」
「その力量、その技。貴殿が扱うには重い、そしてそれに比べ」
貴殿の度量は小さい。
彼女の言葉が煮え滾る心に突き刺さる。
翔は今まで人を斬ったことがない、それは当たり前のことだった。そして、これから先も斬ることは一度もないだろう。だが、それはこの世界で生きてゆくためには大きな枷にしかならない。現に、こうやってレギナと対峙しても尚、彼女との歴然とした差を前に一歩後ろに引いた状態で戦っているのはそのためでもある。
「俺は、これから先。誰か斬ることになっても、それは……きっとアンタじゃない」
「そのような甘さで、この状況を変えられるとでも? 仮に私を打ち倒したとして、貴殿にはその先を生きてゆく力があると?」
仮に、レギナを倒し攫うことができたとしても、それは想像以上に途方もない茨の道になることだろう。
だが、それでも唯一変わらないものがある。
それは、自分が何よりも誰かを守るということ。そしてその誰かとは何者でもない、メルトやイニティウムの街。それらを守るだけの価値で言うのであれば、レギナの言う度量というものが自分には無くとも、背負うだけの価値ならきっとあるはずだ。
故に、
「度量はない。けど俺は、ここでアンタに負けるわけにはいかない」
全身の炎が赤く燃えたぎる、夕日の明かりに照らされより一層赤く見えるそれは、翔の心と一緒に赤く輝いているようにも見える。右腕から流れる血と炎が視界にレギナを赤く染め上げる。
同じく、レギナも両手に剣を構える。真面に戦えば負けは必須、手数の多い双剣は相手の技量が高ければ高いほどにその脅威は増す。我を失った攻撃を一度でもすれば一巻の終わりである。
「スゥ……」
深く息を吸い込む翔、炎の光を巻き込み刀を鞘に収める。その姿を見たレギナ、すぐさま間合いを詰めてその剣を翔の首に目がけ切りつける。
炎のゆらめき、その中で佇む翔はその気配を肌で感じ取り全神経をレギナの攻撃に向ける。
『今道四季流 剣技抜刀 月渡』
下からの抜刀、疾く鋭い斬撃がレギナの剣を下から上へと弾き飛ばす。打ち上がったレギナの剣、しかし打ち上がり攻撃に使えなくなった剣は一振り。右手に持つレギナの剣が翔の鳩尾に向けて鋭い突きとなって迫る。
「シィ……ッ!」
鋭い呼吸、翔の振り上げた刀がその鞘に収まろうと素早く振り下ろされる。その瞬間、刀の柄と鞘の鯉口に火花が走る。その間に挟まるのはレギナの右手に持つ剣。
『今道四季流 奥義一刀<秋> 秋風揺蕩う鈴虫の希う囁き』
金属と金属が擦れ合う凛と響く音が中庭に響く。その瞬間、白刃取りされた剣ではない剣を翔の頭に向け振り下ろすレギナ、しかしその一撃を刀で受け止める翔、これで動かせる剣はレギナにない。
白刃取りした剣を彼女の手から引き剥がし地面へと投げ出す翔。防いだ剣の勢いをそのまま地面に押さえつける、咄嗟に繰り出されるレギナの正拳突きだったが、その攻撃を読みあたる寸前で攻撃をギリギリで躱す。
『今道四季流 奥義一刀 雨垂れ散り咲く枝垂れ桜』
峰打ちでレギナの脳天に叩き込まれる奥義の一撃、その鋭い一撃はレギナの意識を奪うのには十分すぎた。
倒れ込む彼女の体。地面と触れ合う寸前に、その体を右腕で支える。
「俺のせいで、地面の味を覚える必要はない」
彼女を抱き抱え、その首に燃える炎の刀の刃を突きつける。
これでようやくスタートラインに立つことができた。
「全員見ろっ! この女を殺されたくなければ、今から言う俺の言うことを聞けっ!」
これほどまでにひどいスタートラインが一度でもあったかどうか。
もうそろそろで第一章終了です。
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