第51話 救済の色
眼が覚めるのと同時に、頭に走る痛みに思わず顔を顰める。周りを見渡せば、そこにはすでに見慣れた景色になった無機質な監獄の壁が四方に広がっていた。そして、腕を組み壁にもたれ欠伸をしているサリーの姿も変わらずそこにある。
「どうだ? 怒りのボルテージが高まると剣が姿を変えるだろ? アンタはもう引き返せないところまで来てるんだぜ?」
「……」
怒りの沸点が通過した瞬間、剣が再び姿を変えた。危うく人を殺しかけた事実に翔はサリーに返す言葉もない。炎を咥えた時、口の周りに負った火傷がその事実を裏付けるように残っている。
「さて、と。アンタを通じて色々と見聞きしてきたが。そろそろ限界なんじゃねぇの? 毎日毎日同じことの繰り返し、罵声を浴びせられ、ありもしない疑いをかけられて、その度にぶん殴られて蹴られて。いい加減ひと暴れしたいんじゃねぇの?」
毎日、同じことの繰り返し。翔の精神はすでに憔悴しきっていた。このまま拷問の果てに死ぬのなら本望と思っていたが、それは想像以上に辛いものだった。だが、この場で反論し自身の罪に対し異議を唱えるほどの気力を今の翔は持ち合わせていなかった。
故に、ニヤニヤとこちらの顔を覗きこませている悪魔の提案はどこか魅力的にすら思えた。もしこの悪魔のいう通り暴れたら、この騎士団本部を徹底的に破壊し尽くし、全てを炎に包ませ終わらせることができるだろう。
しかし、頭の片隅に残る記憶の端に残る言葉が自分をそうはさせてはならないと自制している。その言葉を誰が言ったかわからないが、その誰かのためにも自分は何があっても人を殺すようなことがあってはならないと言い聞かせているような気がした。
「はぁ……、アンタ本当に男か? 女々しくて見てらんねぇぜ」
何の反応も見せない翔に対し、呆れた表情のサリーは再び壁に背中を預け頭をかきながら大あくびをしている。そんな彼の尖った耳が一瞬ピクリと動き、監獄の檻の外へとその視線を向ける。同じく檻の外から近づいてくる人の気配に翔も気づき座っていた備え付けのベットから顔をあげ視線を外へと向ける。
足音は複数人。再び尋問でもするために呼びに来たのだろうかと翔は思った。
「……ショウさん……っ!」
「……メルトさん?」
「ショウさんっ!」
小走りに檻の外に近づいてきた人物。その声は翔にとって既に懐かしい遠い記憶のものになったかと思った。戦いの最中、自分の記憶の隅で己を律し続けていた誰かの声。
その人物、メルト=クラークが檻の外で膝を突き、その両目に涙を浮かばせ翔の名前を呼んでいた。
「メルトさん……っ、どうして、ここに……」
「騎士団の方に何度も面会を頼んだんですっ。今日だけ短い時間ならと言うことで許しを得て……っ」
暗がりの中、メルトの姿は翔にとって希望の光のようにすら思えた。お互いの再会を喜ぶように檻を挟みお互いの生存を喜ぶように頭を付け合わせ涙をする。既に帰る場所など残ってはいないと思っていたが、彼女だけが唯一自分の帰るべき場所だと心の底から感じた。
だが、感動も束の間。時間が長く残されていないとメルトは涙を拭き、翔の顔を真剣な表情で見つめる。
「ショウさん。今ギルドが今回のショウさんの処遇について抗議文を送っているところですっ。ショウさんは街を救ってくれたのに……っ、すみませんっ。遅くなってしまって……っ」
「謝らないでください……。それに、俺は街を救えなかった……、今の処遇は当然の処置です……」
謝るメルト。だが、そんな彼女の言葉を翔は否定することしかできなかった。何より、自分の置かれている状況こそがそれを物語っていた。しかし、そんな彼の言葉に、メルトは涙を振り払う。
「そんなことはありませんっ! ショウさんがいなければラルクさんもみんなも生きて帰ってくることはできませんでしたっ。確かに街は燃えてなくなってしまったけど……、けれど。イニティウムの街は、私はっ、ショウさんがいたから生きてるんですっ!」
「……」
「だから、お願いです……っ! 生きてくださいっ! 争ってくださいっ! ショウさんはこんなところで死んじゃいけませんっ!」
彼女の言葉に呆然とする翔。その言葉を皮切りに彼女は一緒についてきた騎士団に連れてゆかれる。だが最後の最後まで、彼女はまっすぐ翔の目を力強く見つめていた。そんな彼女の姿を、翔は涙で歪んだ視界でその姿が見えなくなるまでまっすぐと見つめていた。
彼女の足音が遠くなり、そして再び監獄には翔とサリーだけの涙と嗚咽の声だけが響く空間へと戻った。
「さて。アンタ、まだ死ぬ気か?」
悪魔が囁く、自分はまだ死ぬ気かと。
答えは当然ノーだ。
彼女との経った数分の会話で翔は死ぬことは許されなくなった。例え四肢が千切れたとしても、自分は彼女のところ、イニティウムへと帰らなくてはならなくなった。
そのためにすべき事。それは、自分の無実を証明すること。殴られ痛ぶられようが、己は街を救うために戦ったのだと声を発し続けなくてはならない。自分の手で生かした人のために。
「独り言か、イマイシキ ショウ」
突然、翔の目の前で男の声がする。それはサリーのものではない。全く気配を感じなかった人間の正体を確認するべく涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げる。檻の向こう側、そこに立っていたのは金髪の美男子、鎧を身に纏っていることから騎士団だと言うことは間違いない。だが、翔はその顔に身に覚えがあった。
「あなたは、確か……」
「アランだ。イニティウムの時以来だな」
アラン=アルクス。王都騎士団九番隊の、後方支援担当の分隊長として紹介をしていた男だった。入れ替わり立ち替わりで全く気配のしなかった彼に、隣に立っていたサリーも目を見開いて驚いたような表情をしている。
「……何の用ですか」
「いや、今日貴様が尋問室で暴れたと聞いてな。一度は顔を合わせて話をしてみたいと思った」
「……」
いかにも興味が湧いたという顔をしているが、その実アランの目は冷たい。彼の目には翔はただの罪人としか映っていないのだろう。
「にしても。いい娘だ、あそこまで一途なのは中々いない」
死なすには惜しいがな。
アランの言葉に一瞬で翔の体の体温が下がる。聞き間違いであってほしいと思ったが、彼の言葉ははっきりと翔の耳に届いていた。
「……どう言う意味だ……」
「やっといい目になったな。だが、自分の心配を先にした方がいいぞ」
アランはしゃがみ込み、翔と同じ目線になる。その真っ直ぐとこちらを見る青い両目にはどこか吸い込まれるような魔力を感じた。
「まず。貴様は明日の朝、処刑される」
「な……」
「あらかじめ言っておくが、これは俺たちの決定じゃない。今回の報告を受けた王都側が判断したことだ」
あくまで自分達のせいではないと言うことを強調するアラン。自分が処刑されるというあまりにも唐突な報告に翔は頭の理解が追いついていない。さっき、メルトの言葉で己の命を諦めないと決めたばかりなのに、それはあまりにも酷な決定だった。
言い返す言葉も浮かばず呆然とする翔に、アランは言葉を続ける。
「公開処刑にするそうだ。だが、その公開処刑の場にいる冒険者の集団が今回の決定に対し暴動を起こす計画があるという情報を騎士団は極秘で入手している。その中にあの娘も含まれている」
「そんな……、それじゃ……」
「当然俺たちはその処理にあたる。処刑の妨害はその判断を騎士団に委ねられてる。当然、俺たちは剣を持ってして対処する」
当然、あの娘もだがな。
冷たい、人の感情がこもっていない出来のいい人形のような表情でアランは淡々と語る。自分のことでも突然の処遇で頭が追いついていないのにも関わらず、他の冒険者がそのようなことを考えていると言うのはあまりにも予測の範疇を超えており、その焦りと緊張からか額から冷たい汗が流れ出る。
彼女を死なしてはならない。何に変えても守らなくてはならない、そのために自分は何ができる。
頭で思考がスリップし横転している。だがそんな翔に容赦なくアランは言葉を重ねる。
「貴様に提案をしよう」
「……何をだ?」
「処刑は騎士団の力ではどうしようもない、これは決定事項だ。だが、貴様は違う」
「どう言うつもりだ……?」
「今から俺の言う条件を呑むのなら、全員が生き残るように手を貸してやる。最もお前次第だがな」
決断を迫られている、理解すら追いついていないのに。だが時間はない、この話が本当で信用のできるものなのだとしたら自分のできることはただ一つだけだ。
「……話を聞く」
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処刑の朝がやってきた。
空気が冷たく、呼吸をする口から白い息が出ている。騎士団に連れられ、中庭の真ん中へと連れられてゆく翔の周りには簡易的な木でできたフェンスに、その向こう側には大勢の冒険者が抗議の声を上げている。自分のために抗議の声を上げている冒険者がこんなにもいると言う事実に翔は内心驚いていた。
そして、その中にはメルトの姿も。
目の前の出来事が嘘であってほしい、そんな表情をした彼女を横目に翔は騎士団に連れられ中庭の真ん中で地面へと膝をつかせる。
処刑の方法は斬首。一人の巨体の騎士の持つ巨大な斧が、朝焼けの陽光に照らされ不気味に輝いている。抗議を上げる冒険者をよそに処刑の準備は進んでゆく、処刑に列席しているのは騎士団の中でも重鎮と思われる人間。その中にはレギナやアランの姿もあった。
「以上が、この男の犯した罪状である。よって、王都の名によりこの男を斬首に処す」
罪状を長々と読み上げた騎士が、おそらく王都から送られたであろう書状を畳み、冒険者の前から下がる。
いよいよ処刑の時間になった。
地面に座られた翔の両肩を騎士が押さえつけ、その巨大な斧を振り下ろすで在ろう首を顕にさせる。
「イマイシキ ショウ。最後に言い残したい言葉は?」
騎士の問いに、翔は無言を貫いた。何も語ることはないと判断した騎士は、翔の背後に立つ処刑人に目配せをする。ゆっくりと翔の背後に近づく処刑人、冒険者の悲鳴にも似た声がより一層大きくなる。
その中に、彼女の声が混ざる。どんなに大勢の声で塗りつぶされても、彼女の声だけは翔の耳にはっきりと聞こえる。
「ショウさんっ!」
目を見開く。
時は来た。
『レディー』
翔が小声で言葉を発するのと、処刑人が斧を振り下ろすのは同時だった。その光景に冒険者の声が一瞬静まり返る。全てが何もかも終わったと思われた瞬間、メルトの目に映ったその光景に目を見開く。
『今道四季流 奥義一刀〈夏〉 清流昇りて月へと渡る』
両腕の枷が外れ、その片手にパレットソードを握りしめ立つ翔の姿。処刑人の斧はその先端が消え去り、切り落とされた斧の刃が宙を舞い地面に突き刺さる。
「茶番は終わりだ、行くぞ」
剣を構えた翔が騎士団と向き合う。
生きるための戦いが始まる。
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