第47話 憎悪の色
辺り一面が、真っ赤な炎の海に包まれていた。そこにはかつて町と呼ばれたものの残骸が横たわり、無数の魔物の死体が地面で血を流しながら苦しみ悶えているその光景はもはや地獄と言っても過言ではないほどにその凄惨を物語っている。そして、そんな地獄の真ん中に一人。翔は炎宿る刀を握りしめゆらりゆらりと立っていた。その黒く沈んだ目に映るのは同じく剣を構えているレギナの姿。しかし、もはや彼にとってこの両手に握る刀を振るう相手など誰でもよかった。
この憎しみをぶつける相手など、魔物だろうが人だろうがどうでもよかった。
「ショウ、もう一度言う。私は貴殿と戦いたくはない。静かに、その剣を下ろしなさい」
レギナによる牽制の言葉。だが、その言葉は翔には届いていない。ゆっくりと顔を持ち上げた翔の顔には無数の亀裂が走り、その隙間からは血によく似た炎が爛れて噴き出ている。
「……」
無言の翔、これ以上の牽制は無駄と判断したレギナが剣を正面に構え臨戦体制に入る。同時に、騒ぎを聞きつけた騎士団の集団が、それぞれ盾を構え翔とレギナを取り囲むように素早く移動し配置につく。
完全に取り囲まれたかのように、二人正面に向かいようにして並んだ翔とレギナ。ゆっくりと動き出す翔、その持ち上げた刀に纏う炎が頭上で業火となり、夜の空を切り裂く。
「っ、総員構えろっ!」
咄嗟のアランの声が、目の前で起こっている現象に頭が追いついていない騎士団を動かす。体一つ隠すのに十分な大きさの盾を地面に勢いよく突き刺し防御体制に入る騎士団。
次の瞬間。翔の振り下ろした刀から放たれた炎の刃が騎士団に襲い掛かり激しい爆発を引き起こし周囲一帯を包むような轟音が広場に響き渡る。盾を構えていた数人の騎士団は軽く吹き飛ばされ、それでもなんとか持ち堪えていた騎士団の持つ鉄の盾には赤く返り血のように真っ赤に染まった鉄の溶けたような跡がびっしりと張り付いている。
「隊長っ!」
舞い飛ぶ砂埃に目を覆いながらアランは、攻撃を真正面に受けていたであろうレギナの名前を呼ぶ。しばらくして、砂埃の中に立つレギナの影が浮かび上がる、炎の明かりに照らされ現れたレギナの姿は、軽く鎧の一部が溶けて歪み、炎を真正面から受けたせいか顔に軽い火傷を負い、舞い飛んだ石で怪我をした額からは血が流れている。
それでも、レギナはあれほどの攻撃を受けて尚。翔のことを見据え立っていた。
「アラン、鎧を頼む」
「……了解」
先ほどの光景とは裏腹に、冷静な声のレギナ。このような手合いに対して鎧は邪魔になると判断したのか鎧の留め金を外し、地面に次々と身につけているものを取り外していく。
「隊長、剣は?」
「いい。こっちを使う」
刃先が溶けて焼き切れたように変形した支給品の剣を地面に投げ捨て、レギナは腰の背中側に身につけていたもう一つの剣を取り出す。鞘から取り出したそれは、炎の中で若干青く染まり、月夜の光を十分に吸い込みながら今までの戦いの激しさを思わせる傷ついた刀身を露わにさせながらレギナは再び翔の前に剣を構える。
「最後の警告だ。剣を捨てろ、さもなくば貴殿を斬る」
「……」
「……わかった。では、覚悟をしてもらおう」
深く呼吸をするレギナ。熱せられた空気が肺を大きく膨らまし、体の熱を全身に隈なく行き渡らせる。翔もまた再び刀を大きく掲げ、先ほどと同じ動きで刀に炎を収束させている。
そして、翔が刀を再び振り下ろす刹那。目にも止まらなぬ速さでレギナが翔に対して間合いを詰める。人間離れしたその動きに、翔は咄嗟の反応ができない。しかし確実にレギナの振るうその剣は翔の首を捕らえ、その刃が首と胴体を亡き別れにせんとした瞬間。
先ほどまで精気を失ったかのような動きをしていた翔の体が首の薄皮一枚を斬る寸前までに素早く体を動かしレギナの攻撃をギリギリで回避する。
「シィッ!」
鋭く息を吐くレギナその呼吸に合わせしなやかに動くその体全身を伸ばし翔の急所目がけて剣を振るい立たせる。その攻撃に防御を重ねる翔。剣と刀が交差するたびに、激しい火花が舞い散りそれを見る騎士団にはまさに二人が命を削りあっている攻防戦が繰り広げられているように見えていることだろう。
「……っ」
防戦を強いられている翔。刀を振るい炎の斬撃を出そうとするも、レギナの攻撃の手数があまりにも多く刀を思うように振るうことができない。それはまるで一刀流なのに、二刀流の剣士と戦っていることを彷彿とさせた。
それもそのはず。レギナが握る剣は両手剣であるが、その剣重さを身体強化術で打ち消しし、その上で右手左手と攻撃を重ねるごとに剣を持ち替え相手に攻撃を与える隙のないように攻撃を繰り返しているからである。
レギナのあまりに一方的な攻撃、その連撃に耐えかねたかのように翔の刀が地面に押さえつけられる。しかし、その瞬間突き刺さった刀の先から炎の光が迸り、地面に入り込んだかと思うとレギナの立つ真下で地面に亀裂が走り、その真下で地面が破裂したかのような爆発が起こる。
「くっ……!?」
予想だにしない攻撃に、レギナは体のバランスを崩し体が宙に弾き飛ばされ地面に何度も転がる。その隙を翔が見逃すはずがなく、地面に投げ出されたレギナを追いかけ、地面に倒れるレギナに向け何度も刀を叩き下ろす。その度に鉄と鉄がぶつかり合う重々しい音が響き、その姿は先ほどまでとは打って変わって痛々しさすら感じる。
しかし、それでも目の前のレギナを敵と認識している翔は、彼女を消すことのできないことに対し激しい苛立ちと憎悪の感情が湧き上がっているのか徐々に髪を逆立て、炎のごとく揺らめかせ全身の傷口から炎を零し始める。
その姿は、もはや人のそれではない。修羅に陥った、人ではなくなったもの。少なくとも、この光景を見ていた騎士団は自分の隊長は化け物と戦っていると思ったことだろう。
しかし、この戦いに手を出せばどうなるか。今は、この化け物をレギナが一人引きつけているから無事であるのであって、今ここで下手に手を出して攻撃の対象を集団に向けて仕舞えば、ただでさえ甚大な被害がもはや手をつけられないほどになってしまうことを各々理解しているからだ。
「アァアアアアアッッッッッ!」
痛々しい声を上げながらレギナに斬りかかっている炎を纏っている翔の姿。その怒りと憎しみを全て腹の底から引き出しながら上げる声に、騎士団の数人は既にその光景を見ることすら苦しく目を逸らし始めている。
そして、その憎しみを、怒りを正面から受け止めているレギナもまた一刻も早くこの青年をその痛みから解放しなくてはいけないと握りしめる剣にさらに力を籠める。
時は来た。
最後の一撃と、再び大きく剣を振り上げた翔。炎が収束し、全てを終わらせる一撃が地面を倒れるレギナに向けて叩きつけられようとしたその瞬間。
刀の一撃を受け止めたレギナの剣が縦に裂け、一振りだったはずの剣が、二振の双剣へと姿を変え受け止めた刀の攻撃を掻い潜るように、もう一振りの剣が翔の右肩に深々と突き刺さる。
「ガ……ッ!」
形勢は一気に逆転する。受け止めた刀を片手に握った剣で弾き飛ばし、怯んだ翔の体を跳ね除け一気に体を起き上がらせたレギナがその双剣を再び構え直し、翔の首に目がけその剣が振り下ろされようとした瞬間。
その双剣を一方を刀で、一方を片腕で受け止める翔。剣を受け止めた腕からは血と炎が噴き出て、必死に抵抗しているのが剣を握るレギナの腕にひしひしと伝わる。しかし、ここでこの男を切り捨てなければ、自分の騎士団を危険に晒すことになるのは目に見えている。
断ち切らなくては、憎しみを、怒りを、命を。
そう、あの時のように。
「ハァアアアアアアアアッッッッッッ!!!」
レギナが叫ぶ、さらに剣に力が入る。その男の首を切り飛ばそうと力が篭る。翔の腕に深く斬り込まれた剣が血で滑る。腕の中で滑り込んだ刃は、翔の手でしっかりと掴まれ、それは力強くレギナから剣を引き剥がそうともがいている。
予想だにしない抵抗にレギナは振り解かれようとしている剣を握る手にさらに力を入れるが、尋常ではない人外にも思えるその力の強さを前に、レギナは片手に握った剣を振り飛ばされてしまう。
「しま……っ!」
「俺は……っ! 俺は……っ、どうして……っ!」
完全に正気を失っている翔の狂刀を前に、レギナは残った剣で防御をしようにも間に合いそうにない。確実に危険と判断した騎士団がレギナの元へと駆け寄ろうと動き出すが全員が間に合いそうにない。
刀を振り下ろそうとする刹那。
騎士団の間をかき分けるように翔の元へと走る小さな一つの影。
完全に狂人と化している翔に駆け寄り、その挙動を止めに抱きついたそれは翔の振り下ろされかけた刀の動きを確実に止めた。
「ショウさんっ! ダメです、ごめんなさい。ごめんなさい……っ。ダメです、貴方が人を傷つけちゃダメ……っ、絶対にダメです……っ!」
「……メ……ルト……? さん……」
「ショウさんの握る剣は……っ、絶対に……っ、絶対にっ! 人を傷つけちゃいけませんっ!」
炎が赤から青へと点滅を繰り返す。変わり果てた姿の翔に抱きつきその動きを止めたのはレギナでもましてや騎士団ではなく、ギルドの小さな獣人の少女だった。
一歩遅ければ確実に翔の刀は、レギナの脳天を確実に切り裂いていた。完全に動きを止めた翔の体から力が抜け、強く握られた刀がスルリと地面へと突き刺さる。炎に濡れた涙をゆっくりとこぼしながらその身に余り溢れる青い炎と共にメルトを抱きしめる翔、先ほどの光景から考えれば奇跡にも思える静けさが周囲を包み込む。
だが、その瞬間をレギナは見逃すことはなかった。
素早く翔の背後に回るレギナ、すかさずその首元に剣を振り下ろす。同時に、メルトに寄りかかるようにして糸の切れた人形のように力無く倒れ込む翔。
「ショウさん……っ!? ショウさんっ!」
「拘束っ!」
レギナの声と共に動き出す騎士団。素早い動きで、翔とメルトを引き剥がし翔の両手に枷が掛かる。引きがされたメルトは何度も翔の名前を呼ぶが、その声は騎士団の波に揉まれ遠くへと連れ去っていった。
「隊長、怪我は?」
「遂行に支障はない。平気だ」
レギナに駆け寄るアラン。その表情は何も心配をしていなかったと言わんばかりに精悍としていて、その節業務的な冷ややかなやりとりでもあった。
レギナの目の前で地面に倒れ伏している翔。真っ赤に燃えるように染まった髪は、その色が徐々に抜け始め元の黒い髪へと戻ってゆく。そして体から噴き出していた炎はその勢いを弱め、人間の流す血へと姿を変えそれ相応の傷へと戻る。
「人、ですよね」
「あぁ、少なくとも剣を交わした感触はな」
「今回のこの一件、この男が原因なのでしょうか」
「……まだ、なんとも言えん」
レギナが地面に突き刺さった刀手に取りそれを片手で掲げ月の明かりと炎の明かりで照らす。真っ白な刀身は全く刃こぼれがなく、先ほどまで炎で真っ赤にゆらめいていたその姿からは想像できないほどに美しい姿だった。
次の瞬間、刀が一瞬で炎に巻かれ咄嗟に地面に刀を放り投げたレギナ。しばらくして炎は勢いを弱め、その光の中でゆっくりと姿を変えてゆく。しばらくして、地面に転がるのは、なんの変哲もない古い一本の剣へと姿を変えた。
「……この男を九番隊本部に連れてゆく」
「……了解です。王都には報告をしますか?」
「あぁ。知りたいことがある」
レギナの見下ろす先。同じ黒髪の持ち主の翔、そして姿を変える剣。彼女は自分の中で、止まっていた何かが小さな音を立てて動き出すのを感じた。




