第46話 炎の色
イニティウムから立ち上る炎と、真っ赤になった夜空をレギナが観測したのはイニティウム到着まであと数十分という距離に差し掛かってのことだった。炎の広がっている範囲といい、遠くから聞こえてくる轟音と空気の張り詰めた緊張感からレギナは、確実に自分達の到着は遅かったと悟る。
「隊長、どうしますか?」
「どうしたもないだろう。このままイニティウムに向かう。生存者がいるかもしれない」
「了解。各部隊に伝えます」
馬に乗ったレギナの隣を同じく馬に乗ったアランが彼女の決定を後ろで土煙を上げながら兵士を乗せた複数の馬車に近づき、その内容を伝達してゆく。生存者がいれば奇跡かもしれないというその惨劇をレギナは何度か経験している。そういう時に限って騎士団の到着が遅れそのたびに歯がゆい思いをしているのはすでに慣れてしまっている自分がいることにレギナは軽く唇を噛み締める。
街に近づけば近づくほどに、家屋が焼ける匂いと魔物の放つ独特の臭気にイニティウムは包まれていた。そして、何より時々聞こえてくる爆音にレギナはまだ街で戦っている人物がいるのか、それとも魔物が発している何かなのか、そのどちらとも取れる気配に徐々に緊張感が露わになってゆく。
「隊長、部隊の準備確認取れました。指示をお願いします」
「わかった、ありがとうアラン」
イニティウムの街の端までやってきた騎士団。その総数はレギナを合わせ五十と少し、数は少ないがそれでも一人一人がそれぞれ経験を積み、訓練を受けてきた先鋭である。その部隊、レギナの後ろで隊列を組み隊長の指示を今か今かと待っていた。
「これより、イニティウムに侵攻する。街の状態は不明、生存者がいれば優先して救出活動を行うこと。魔物がとの戦闘は可能な限り避け、障害になるのであれば躊躇せず排除をすること。第一目標は生存者の救出であることを忘れるな、そして何より己自身の命を守ること。以上、各員固まって行動するように」
レギナの言葉に騎士団は声を揃えて返事をし、それぞれイニティウムの街の中へと入ってゆく。その後ろ姿を確認したレギナもまた、彼らの後に続き炎に包まれたイニティウムの街の中へと入ってゆく。
「隊長、貴方は?」
「私はギルドの方へと向かう。アランは全体の指揮を頼む」
「……一人で大丈夫か?」
「何、安心しろ。そっちこそ、気をつけるんだぞ」
「えぇ。隊長も」
隣を歩くアランが消え、レギナは炎の中進む足をギルドへと向ける。街は破壊されていないものを探すのが難しいほどに破壊し尽くされていた。その様子はさながら嵐が過ぎ去った後のようである。だが、痕跡を見る限りではこれは単なる自然現象の起こした代物ではなく、魔物の襲撃による爪痕だということを、度々落ちていた魔物の死体を見て確認することができた。
「……」
破壊された街の痕跡、それは九番隊王都騎士団が度々派遣される街の被災地によく似た姿をしていた。その痕跡から、近年目撃情報が多くなっている言葉を解する魔物の仕業ではないかという考えがレギナの頭の片隅に浮かび上がる。
しかし、それだけでは説明しきれないものも多々見受けられる。街の様子はそのほとんどが破壊されているが、その規模が明らかに大きすぎる。普通の魔物の襲撃であるのならば、家屋や建物をここまで大きく破壊するようなことはない。そして、街に火が昇っているのも不自然であった。本来であれば、魔物は通常の野生動物同様、炎を扱うことはあっても決して炎のある場所を好んだりはしない。故に、このように街に火を放つこと自体が不自然なのである。
であれば、考えられることは一つ。
もう一人、いや。もう一つの大きな勢力が、このイニティウムに存在する。
レギナは足を進めようとした時、地面を揺らすほどの爆音がギルドのある方から聞こえてくる。その衝撃に、体を起こし足速にギルドの方へとレギナは駆けて行く。
「……っ!」
レギナの足が止まる。ギルドに近づく手前、その地面を揺らす振動に気付き崩れかかった家屋の壁に身を潜め、大通りの方へをゆっくりと顔を出す。そこには、数匹のゴブリンとオーク、それらが何かから逃げるようにして街の中心から外へと向かって駆けてゆく姿があった。
なぜ魔物たちが逃げているのか。その理由は、その後ろにあった。
巨大なトロール。街中で見かけるはずのない魔物が、街の中をゆっくりと歩いている。しかし、その歩き方は悠々としているというわけではない、それはまるで一歩ごとに命を削っているかのような重々しい足取りだった。それもそのはず、トロールの体が傷だらけで、全身から吹き出している血その青白い肌が濡れ、その上傷口からは炎が吹き出しているようにレギナは見えた。
そんなトロールとレギナの目が合う。咄嗟に腰の剣に手をかけるレギナ。だがしかし、ゆっくりとこちらに近づくトロールその目は虚で焦点があっておらず、一歩進むと大きく体のバランスを崩し、周りの建物残骸に体を突っ込ませ倒れ込む。
「チッ……!」
その巨体を避けるレギナ。地面を大きく揺らし倒れたトロールはそれを最後にピクリとも動かなくなる。そんなトロールの変死体を前に、レギナはゆっくりと近づく。確実に動かなくなった肉の塊を前にして、レギナはその傷口にゆっくりと手を当てる。
鋭い刃物で切り裂かれたような皮膚、しかし斬撃を加えられたにしてはその傷口は黒く焼け焦げており、まるでそれは炎と斬撃を同時に浴びたような傷をしている。魔術で攻撃を受けたにしては、あまりにも斬撃が鋭すぎる上に先ほどまで炎が立ち込めていたことから考えて術者から離れても発動する魔術というのをレギナは聞いたことがなかった。
明らかにこの街で自身が想定していること以外のことが起きているのは明らかである。そう思い立ったその時、レギナの背後に気配。
頭が痺れるような強烈なプレッシャーと殺気に思わず剣を引き抜き身構える。
数々の死線をくぐり抜けて、多くの命と自分に向けられる殺意と戦ってきたつもりでレギナはいたが、それら以上に重く油のようにねっとりと絡みつくような歪んだ殺気を感じるのは生まれて初めてのことだった。
剣を構えた正面に立つもの。立ち込める煙とその炎の明かりに照らされシルエットしか確認することしかできないが、その姿は人間の姿をしている。
「そこに立つもの。名を名乗り姿を見せなさい」
レギナの呼びかけ、だが相手からの反応はない。しかし、ゆっくりと近づいてくるその影はひどく不気味で、まるで生きていない人間がゆっくりと歩きこちらに近づいてくるような生気の感じない姿だった。
徐々に露わになってくるその人物。その手には何やら細長い松明のようなものが握られており、赤い炎がゆらゆらとゆらめいている。そして、遠目から見てもわかる、全身血で真っ赤に染まったその姿はとても痛々しく、こうして立って歩いていることが奇跡のようにすら思えた。
そして、その男の姿にレギナは見覚えがあった。
「……貴殿は……、ショウ?」
その姿は確かにこのイニティウムの街を訪れた際に唯一部隊の訓練に加わった好青年であった、はずだった。だが、その影は見ることもなく傷口から血を流し、虚な目は暗い深淵を覗いてるかの如く暗く、黒かった髪は燃えるように赤く染まり街の凄惨さと相待ってひどく憔悴しきっているようだった。
しかし、彼から発せられる殺気は死にかけている人間のそれではない。一瞬でも気を抜けばこちらの命が危ない。手負いの人間のはずなのに、レギナは初めて目の前の人間に万が一でも勝つことのできないという考えが頭をよぎる。
そして、そんな彼が握るもの。それは松明ではなく、真っ赤に染まり炎がうねりながら血のように赤いマグマのようなものが噴き出る細い剣だということにレギナは気づく。
「ショウ……、私の話がわかるか?」
「……」
翔の返事はない。レギナの呼びかけに応える気がないのか、それとも唯単に聞こえていないのか。だが、それよりもはっきりとわかったのは確実にレギナに意識が向いたことにより、ただでさえ重厚だった殺意がレギナ一点に向けられより深く絡みつくように重く、息をするだけでも苦しいほどの空気になったことだった。
「……今すぐ、武器を下ろしなさい。私は、貴殿と争うつもりは」
「なぜ……、なぜ……。なぜ、死んでしまった……? 自分の大切な人が、なんで……?」
断片的な言葉が、レギナの耳に届く。その言葉の意図は彼女にわかることはない、だがしかし翔がなぜこのような状況に陥っているのか、その理由が察せないほど、レギナは理解の悪い女ではなかった。
次の瞬間、ゆらりと動いた翔の斬撃がレギナに襲い掛かる。咄嗟に身を交わしたレギナだったが刃に巻かれた炎が彼女の髪を焦がす。剣を構えたまま、レギナは翔と向き合う、何度もこちらに向けて斬撃を放つ彼だったがその攻撃は訓練をしていた姿を見た時よりもずっと杜撰で大雑把である。
「よしなさいっ! 貴殿を攻撃したくはないっ」
「どうして……っ、どうして……っ!」
どうして早く来てくれなかったんだ。
その一言に、レギナの目は見開かれる。翔の放つ斬撃を掻い潜り、持った剣を逆手に持ち変えると、その剣の柄を翔の鳩尾にめり込ませる。一瞬動きが止まった翔は、振りかぶった刀を力なく地面に向けその両膝を地面につける。
「……すまない」
レギナが一言。翔を正面から抱き抱えゆっくりと地面に下ろす。完全に気絶した彼を一人で運ぶのにはレギナ一人の手では足りない。そばにいるかもしれない騎士団を呼ぼうとした、その時だった。
湧き上がる炎と、その渦にレギナが巻き込まれる。その炎は、翔を中心に溢れており、彼の傷口から血のように炎が滴り落ちている。その強烈な熱波に思わず両腕で焼けそうな顔を覆うレギナ。
次の瞬間。先ほどまでのと比べ物のにならない速度と破壊力のある斬撃がレギナに襲いかかる。咄嗟に剣で攻撃を防ぎ切ることができたが、その体が大きく吹き飛ばされ崩れかかった壁を突き破り、その体が街の中心に投げ出される。
「く……っ!」
「隊長っ」
駆け寄った騎士団がレギナを起こす。体を覆う鎧がなければ、今頃レギナの背骨は確実に砕かれていただろう。だが、自分の心配よりも以前に、レギナはその視線の先に見据える翔の姿を捉えている。
今の彼は、レギナの経験上。ここで迎え撃たなくてはならない、敵だと判断した。
よって、今ここに集まっている騎士団に向ける言葉はただ一つ。
「総員、戦闘配置っ!」




