第42話 強襲の色
ギルド防衛戦も終盤に入りかけていた。トロールを全て倒し切って以降の脅威がゴブリンなどの小型の魔物だったためか、残り少ない戦力でもギリギリで優勢に戦うことができた。
特に、翔とリーフェの貢献は他の負傷し戦意が下がった冒険者の指揮を大いに上げることとなる。主に翔が集団の敵を一網打尽にする中、リーフェは苦戦する冒険者の強力なサポーターとして活躍し、その結果治療の終わった冒険者の八割を避難させることに成功。
残りは、最後の最後まで前線を張り魔物の襲撃から身を挺してギルドを防衛してきた数人の冒険者と翔、リーフェだけであった。
「治療者全員の避難が完了しましたっ! 残っているのは皆さんだけですっ!」
ギルドの防衛にあたる翔たちにギルドから顔を出したメルトの声が響き渡る。この数時間、運びこまれる負傷した冒険者を休みなしで治癒を施していた彼女は体力と魔力のほとんどを使い尽くし、顔色を悪くしギルドのドアにもたれかかっている姿はいつ倒れてもおかしくないように見える。
「わかりましたっ! 皆さんも避難の準備を。殿は私たちで努めますっ!」
リーフェの声に最後まで戦った冒険者たちはそれぞれ頷くとギルドの裏の林まで足速に避難してゆく。
「あ、あのっ! ショウさんでいいんですよねっ!?」
「え、はいっ。そうですけどっ」
翔を呼び止める少年。それは、先ほど瓦礫の下敷きになりトロールに潰されそうになっていた少年冒険者だった。彼自身も他の冒険者達が撤退してゆく中で、最後まで残り懸命に剣を奮っていた。
その少年は、翔の前で勢いよく深く頭を下げる。
「あの時助けてくれてありがとうございましたっ! もし、また会おうことがあったら一緒に仕事させてくださいっ!」
「そんな、えっと……。はい、是非っ」
いきなり感謝されたことにドギマギした翔だったが、その感謝を受け取った翔は少年と同じく深く頭を下げる。それを満足げに見た少年は憧れのヒーローを見るかのような目をしていた。
ギルド裏の林に向けての避難もいよいよ終盤に差し掛かる。同時に、魔物の襲撃の数も減っているように翔とリーフェは感じた。
「さっきの子。きっとショウさんのことを『兄貴っ』とかって呼び始めるんじゃないんですか?」
「ハハ、まさかそんな」
「カッコよかったですよ。『イマイシキ流の絶技、とくと味あわせてやらぁっ!』って」
「恥ずかしいんで勘弁してください……っ」
背中合わせにながらリーフェとそんな会話を交わす。互いが互いの背中を預かる状況。この殺伐した瞬間に笑みが溢れるくらいには翔も思考があやふやになってきた頃だった。
ふと、周囲に目をやると街の西側から火の手が上がっているのが見えた。それ以外にもポツポツと夜空が薄く赤く染まっているのを見て街に火が放たれていることを悟る。
「結局、王都騎士団。来ませんでしたね……」
「元々保険みたいなものでしたから。やっぱり、こんな田舎町じゃ来てくれませんよねぇ……」
大きくため息を吐きながら翔を背もたれに体を縮みこませてその場にしゃがみ込む。後ろを振り向くと、普段は自分よりも一回り大きく見えるリーフェが、小さく今にも消えそうな姿をしている。
「……ごめんなさい。あまりにも悔しくて……」
「リーフェさん……」
肩を震わせ、声を押し殺しているリーフェ。見れば普段からは想像できない格好で、全身擦り傷と切り傷を負い敵の返り血を全身に浴び。それでも、人の前で勇猛果敢に戦い、誰よりもこの街を愛していた彼女。
その喪失感は一言二言で表せる物では到底ないだろう。
それでも、翔はそんな彼女にかける言葉を必死に探す。たとえ正解などなくても、今ここで彼女に言葉をかけなくてはならないと思った。
「俺も……、悔しいです。すごく……」
「……」
「今度、みんなで。フレンチトーストを……、フレンチトーストを作りませんか?」
「……え?」
「ガルシアさんと、メルトさんも呼んで。みんなで、あれやこれや言いながらフレンチトーストを作るんです。もちろんリーフェさんも一緒にキッチンに立って」
リーフェの肩に手をやりながら翔は語る。語るのは未来の話だ、今のこの絶望的な状況を抜け出した後の『もしも』の話である。そんな未来は訪れないかもしれない、だがそんな『もしも』の話が傷ついている彼女には必要だと、翔は思った。
何より、そんな未来がやがて訪れることを翔自身が望んでいた。
「もちろん。フレンチトーストと言ってもただのフレンチトーストじゃないですよっ。ジャムとか、アイスとかたくさん乗っけたりして、もう甘々で溺れちゃうくらいのものを作ってやりましょうっ! ガルシアさんなんか甘すぎて吹っ飛んじゃうかもしれませんよ」
「フフッ……、そうですね。ガルシアさん、あんまり甘いもの食べない人ですから。でも、いいですね。この戦いが終わったら、そんなことをしても」
作り笑顔かもしれない。だが、リーフェにはやはり笑顔が一番似合うと翔は思った。そんな彼女の笑顔につられ、翔もまた微笑み返す。
ふと、風向きが変わる。
街からながれこんでくる煙と灰の匂いに混ざって、腐臭と血の匂いがギルドの周囲を包み込む。明らかに変わった気配とプレッシャーにリーフェと翔はすぐさま剣とナイフを握りしめ身構えた。
ギルドの正面の道の向こう側。月明かりの陰の向こう側、そこからピチャピチャと何かが滴るような音と悍ましい何かが近づいてくる雰囲気に翔の額から冷汗が流れる。それは、二人が今までに感じたことのない魔物の気配、ゴブリンでもオークでもトロールでもない。闇の向こう側からは酷く明確な殺意を感じ取ることができる。
「しかし、失敗だったなぁ。様子見と思い一匹同胞を派遣したが、ここまで抵抗するとは思わなんだ」
暗闇から声がする。地獄から響いてくるような声、聴いているだけで背筋が凍りつくような重圧と殺意。
「フフッ、ここに帰るのも久々だ。あの時は対して人間は喰えなかったが。今宵はなかなかに楽しめたぞ」
闇の中から声の主が姿を現す。それは月の光をたっぷりと反射してギラギラと湿った黒い羽根を下半身に纏い、露出している上半身は人間の男の皮膚だということがわかる。黑い羽を目一杯横に広げながら道の真ん中を悠々と歩くその姿はどこか恐ろしい美しさすら感じる。
長い髪をかき上げ、べっとりと端麗な顔を赤い血で濡らして舌なめずりする男の姿に翔は身震いをするのと同時に本能が警笛を鳴らす。
あれは、人間の姿をした化け物だと。
「……その姿。その口ぶり、あなたは四十年前の……」
翔とリーフェ、最初に口を開いたのはリーフェだった。今まで見たこのないような険しい表情をしているリーフェは両手に持ったナイフを構える手に力を入れる。そんな彼女を見る男の見る目が明らかに変わる、金色の眼をギラギラと輝かせ、顔は人間のものなのにその眼は飢えた獣のそれだった。
「ハ……ッ、ハハッ! これは良いっ! 女っ、それにエルフっ! いいぞっ、いいぞっ! ここまで質の悪い肉を喰ってきたが、ついにメインディッシュと来たかっ!」
二つの月を貫くような狂気に満ちた笑い声。
次の瞬間、地面が抉り取られるような衝撃と家の瓦礫ごとさらい上げるような突風が翔に襲い掛かる。突然のことに体が反応することができない、だが確実に当たれば即死の攻撃だと本能が理解した瞬間、体よりも先に口が動いていた。
『スクートゥムっ!』
翔の左腕に黒い盾が出現。体に当たるか否や、間一髪で即死の攻撃をかろうじて防ぐことができる。しかし、全く想定してなかった攻撃に翔の体は最も簡単に吹き飛ばされ地面に数度叩きつけられたあと、ギルドの壁に強く激突する。
「ガ……ッ!」
全身の神経が警告アラートを出すように今まで感じたことのない激痛を脳神経に直通で届けられる。一体何が起こったのか理解できぬまま、一刻でも早く体を動かさなくては確実に殺されると本能が訴えかける。
ひどい耳鳴りの音と掠れた視界の向こう側で誰かが翔の名前を呼びかけるのが微かに聞こえる。必死に体を起こそうとする翔だったが、もはや体のどこが異常をきたしているのかわからない状態である。
「……ウ……っ………ショ……ッ……ショウ……さ……っ」
「う……っ、メル……トさん?」
「ショウさんっ!」
翔を呼びかける者の正体はメルトだった。ギルドの外の異変に気づいて飛び出した彼女の目に最初に飛び込んできたのはギルドの壁に叩きつけられて気絶しかけている翔の姿だった。
「メルトさん……っ、危ないから中に……っ!」
前線に出ようとする彼女を牽制するように体を起き上がらせる翔。しばらく時間が経ったせいか体のどこに異常を抱えているかがわかるようになる。その中でも特にひどいのは盾をしている左腕で、動かそうとするたびに激痛が走ることから確実に骨折をしていることがわかる。
このまま戦いに出れば、確実に死が待っているのがわかる。だが、それでも体を動かさないといけない理由が目の前で繰り広げられている。
一分でも、一秒でも早く。リーフェさんを助けろ。