第38話 巡礼の色
遡ること、二日前。場所はイニティウムから遠く東に離れ、王都騎士団九番隊臨時キャンプ地。多くの兵士が、それぞれ物資の輸送を行い、部隊ごとに分かれて訓練を行いながら次の街へと移るための準備を整えているところだった。
「ふぅ……、歩兵部隊の移動準備はほとんど終わったところだ。他に手伝うことはあるか、隊長」
「いや。全体の進捗は悪くない。お前も少しは休めガレア」
「あいよ。しかし、今回は協力的な街が多くて助かる。俺がやってた時よりずっとやりやすい」
装備一式を片付けて、肩に荷物を抱えている王都騎士団九番隊、歩兵部隊隊長ガレア=ファウストが満足げな表情で笑いながら、王都騎士団九番隊隊長レギナ=スペルビアに話しかけている。
「今回で二回目の巡礼だ」
「そうだな……」
「まだ未踏の土地も多い。私はこの結果に満足はしてない」
王都騎士団九番隊の使命、それは『巡礼』である。人の住まう土地の訪問による王都の権威を示すこと、そして前人未到の土地への挑戦、失われた文明の調査、探求。騎士団として戦闘はもちろんのことだが、それ以上に多くの土地を訪れ旅を続けることに王都騎士団九番隊の存在意義がある。
そして、その使命の元に新たに五年前に抜擢された騎士団のレギナ。彼女自身、騎士団として多くの土地を訪問し、あらゆることを目撃し、解決してきたが騎士団の働きとしてはまだ満足はしてないらしい。
「とにかく、隊長も少しは休んだ方がいい。明日からまた遠征で動き回る。理想を高く持つのはいいが、それよりもまず体調を万全にしてからだ」
「ふふ……、そんなに私が疲れてるように見えるか?」
「そうだな。少なくとも、今戦って勝ちそうなくらいにはな」
挑発するように応えるガレア。レギナと間に一瞬冷たい風が吹く、だがそんな空気も束の間、レギナが瞬く間に腰の剣に手を伸ばす。ガレアが一瞬体を強張らせて反応するが、そんな様子を満足げに見たレギナが剣から手を離す。
「……私は平気だ。さ、お前も戻れ。明日も早い」
不敵な笑みを浮かべ、レギナはガレアの元を去ってゆく。そんな後ろ姿を見ながらガレアも大きく息を吐くと自分の持ち場へと戻ってゆく。互いが、上下関係を築いたとき、レギナはまだ十八歳の少女だった。当時、九番隊の隊長を務めていたガレアは、王都から送られてきた新人が自分より二回り以上も年下、ましてや女だということに大きく面を食らったものだが、彼女を女と思わせないその戦闘能力の高さ、そして男勝りな指揮能力の高さにガレアはその身を引かざるを得なかった。
九番隊、その使命は『巡礼』と聞けば聞こえはいいが、その実、王都騎士団の中では落ちこぼれが集まる吹き溜まりのような場所だった。何かにとって、一歩を踏み出せない者、貴族の中でもその家督争いから外れ、戦地に追いやられただ黙って殺されるのを待つ者。兵士であることに誇りを持たず、酒に身を病ませ何もかもを投げ出した者。
そんなどうしようもない、行き場を失った者たちの集まる場所が王都騎士団九番隊の正体だった。
「二回目の巡礼……か……」
世界を巡る旅も今回で二回目。その旅で得られた収穫にレギナは満足していない、少なくとも現在の戦力で到達できる巡礼地は彼女の指揮力を持ってしても限られてくる。彼女の視線の先に見据えているのは氷の山々が立ち並ぶ、大自然の暴力が未だにその地に根付いている白銀の国『アルブス』
「さて……、私は幾つになってるかな」
自嘲気味に笑うレギナ。何年、何十年かかる未来かわからない。しかし、確実にそこに部隊を率いて立つ。その未来だけは確実にレギナの視線は捉えていた。
レギナは自分のテントの扉を開け、腰に下げたその体躯に見合わない刃渡りの広く重厚な剣を入り口の剣立てに置く。そこで、このテントに来訪者がいることに気づく。
「レギナ隊長」
「アランか、どうした」
テントに備え付けられた代々九番隊の隊長が腰掛けてきた机と椅子のそばに立つ金髪の好青年。王都騎士団弓兵隊長アラン=アルクスがレギナの帰りを待っていたかのように立っていた。
そして、そんなアランの横にもう一人、背の高い彼とは対照的に身長が腰ほどの高さしかない、少年少女とも言い難い中性的な風貌をした隊員が立っている。
「ロッソも一緒なのか。私に話か?」
「う、うん。あ、あのね隊長さんっ」
王都騎士団九番隊魔術小隊顧問、ロッソ=クロムウェル。齢、十歳で王都騎士団魔術部門に奨励された俊才。しかし、その年齢からか周囲から奇異な目で見られ、その才能を理解されずあらゆる部門をたらい回しにされた挙句、王都騎士団九番隊に打ち捨てられた形で入隊した人物だ。
そんな彼が手に持っているのは、巨大な羊皮紙である。見たところそれは地図のようだとレギナは近づきながら認識する。
「それは? 地図か」
「そ、そう。それでね、最近僕お仕事がないから地図の魔道具の調整をしてたんだ」
そう言いながらロッソは両手に余るほどの大きさの地図をレギナの机の上に広げる。そこには、精密に現在いる土地から数十キロ単位までの距離を主要な街から森、河川の全てを手書きで書かれていた。
そして、その地図の表面には黒で書かれた土地の特徴の他に、色の入った鳥を描いたと思しきものがゆらゆらと揺れながら地図の表面を移動している。
「この鳥は?」
「これは、最近隊長さんが街に置いている僕の魔道具だよ。ほら、鳥さんの」
「あぁ、あれか」
王都騎士団九番隊が各町を訪問するとき、ロッソが部隊に加わってから彼が作った魔道具である『ハト』を贈ることが定例になっていた。それは、何か街に対処しきれない騎士団の武力行使が必要とされた時街が『ハト』を放つと、巡礼している九番隊に連絡がいくという仕組みだ。
当然、距離が離れれば離れるほど伝達は遅い。そうすれば、騎士団が出向かなくとも解決している事例は多くある。
「でもね。これを見て」
「……焼けてるな」
「そうなの」
羊皮紙の地図の一部、ロッソが指を刺したところが丸く黒く焼け焦げている。どう見ても吉兆とは言い難い反応だ。地図の場所を見る限り、その焦げた場所の近くにある街。
それは、
「イニティウム……」
「うん、多分だけど。僕の作ったハトを離したはいいけど、誰かに壊されたってことだと思う」
つまり、イニティウムで騎士団に助けを求めたが、誰かにその救難信号を妨害されたということになる。もし仮にそうだとすれば、一見見ただけでは普通の鳥と何ら変わらない『ハト』を魔道具と理解して破壊した人為的工作とも考えることができる。
「……アラン。お前はどう見る?」
「イニティウムで誰かが騎士団に救援を求めて、ロッソ魔術顧問の作ったハトを飛ばしたが、何者かによってそれを破壊されたと……。経緯を考えるにあまり良い状況ではないとか考えますね」
「あぁ、そうだな。あまり良くはない」
と、部下の意見を聞いたレギナが次に考えるのは隊長としての判断である。それは、果たしてイニティウムという小さな田舎街のために、王都お抱えの騎士団の部隊を派遣するかどうかである。
現在駐在している場所はイニティウムからさほど遠くは離れていない。部隊派遣しようと思えば、一日程度で到着するだろう。しかし、巡礼中であり、騎士団拠点への帰還の日にちを残り一週間程度と控え軍全体の指揮は若干落ち気味ではある。仮に戦闘が想定される場合、兵の損失につながる恐れもある。
しかし、巡礼という目的である以上。救難信号を発している街を救うという行為そのものにも巡礼の意味が存在する『巡礼それすなわち、世界の形を図り、人々の安寧に努めるものなり』。思い返されるのは、レギナが九番隊を任された時、騎士団一番隊隊長から授かった言葉だった。
「そういえば、イニティウムの青年。覚えているか?」
「はい。確か……、ショウという名前だったような」
「そうだ。イマイシキ ショウ」
レギナが思い返すのは、イニティウムで我が軍屈指の一番槍であるガレア=ファウストをあと一歩というところで倒すところだった青年。イマイシキ ショウ。今の世の中には珍しく、自らの力を過信せず、誠実な男だったと記憶している。
さまざまな場所を巡っているレギナではあるが、あのような男は珍しいように思えた。故に、あのような小さな街で死なすには惜しいようにも感じた。
「アラン、部隊を率いるぞ」
「どの部隊を?」
「お前の部隊を少し借りる。あとは私のところでなんとかしよう。それとアラン、お前もついてこい」
テーブルから離れ、テントを後にしようとするレギナとその後に続くアラン。思い立ったらすぐに行動に移す。イニティウムにどのような危機が迫っているかは、全くもって不明だが騎士団の隊長としてできる限りの最善を尽くす。
その目的は、巡礼のため、そして自分自身の野望のため。
「た、隊長さん。僕はっ!?」
「ロッソは待機命令だ。それと、今回の戦績を評して私がいない間の食事のデザートを進呈する。何、すぐ帰ってくるさ」
王都騎士団九番隊、始動。
イニティウム襲撃まで、残り二日




