第37話 防衛の色
「すご……、あれ。ガルシアさんが……?」
「えぇ。もちろん一人じゃないと思いますけど。それにしても、こっちにまで熱量が伝わってきますね」
夜高く昇る炎の猛々しい柱は、平原から遠くのギルドの前で待機しているリーフェと翔の目からもよく確認することができた。赤くとてつもない熱量をもったそれは、これから始まる戦いの狼煙のような気がして、翔は内心ドロリとした不安定な決意が心を覆うのを感じた。
「……リーフェさん」
「はい、何ですか?」
「ガルシアさんのこと……、すみません、俺。勝手なことをして」
「……あぁ、そのことですか。えぇ……」
少し俯きながら、リーフェは少し困ったように笑いながら胸当ての装備の紐を指先で絡ませて遊んでいる。
「ガルシアさんが、私に。信頼以外の感情を持っていたのは薄々気付いていたんです。ただ、それは彼が幼い頃に私のことを姉とか、母親とか、そんな目線で見ていたものの延長線上なんだろうなぁって思ってて」
結局。私、また向き合わないで逃げちゃうつもりだった。
リーフェが視線を上げる。そこには、かつて幼い頃から成長を見守り、今となって多くの人に尊敬され、人々のために戦っている男の軌跡が天高く登っている。
「ですから、ショウさんのおかげです。ちゃんと向き合えたのは、ちゃんとあの人の帰る場所を用意してあげられる」
「リーフェさん……、ガルシアさんは」
「ありがとうございます。続きは、ガルシアさんが帰ったら直接聞きます」
翔の言葉を遮るように優しい笑みを浮かべ答えを返すリーフェ。空いたままの言葉がその出口を失って地面へと落ちる。
沈黙の代わりに、祭りの花火のような音が遠くで聞こえてくる。それが本当に花火の合間に訪れる沈黙であればよかったと翔は思った。
「ショウさんこそ。どうなんですか?」
「……なんの?」
「メルちゃんですよ。ショウさんも気づいてるんでしょ?」
「っ……、俺は……」
「メルちゃんから聞きましたよ? 何でもひったくりから助けてあげたって。男らしいじゃないですか、全然アプローチしても問題ないと思いますよ。先輩の私が保証しますっ」
ふふんと得意げに胸を張るリーフェだったが、そんな彼女に対して翔は乾いた笑いしか返すことができない。メルトのこと自体どう思っているかといえば、決して悪い印象ではない。むしろいいとまで思っている。可愛らしい外見からはあまり想像できないほどに彼女は働き者だ、一生懸命に働く人間というのはいつ見ても気分がいい。そして現在そんな彼女は、後ろのギルドの中でいつでも怪我人が来ても対応ができるように万全の準備を整えて待機している。
と、思考がメルトのことで埋まってそれが表情に出ていたのだろうか。リーフェが翔の顔を覗き込んではニヤニヤしている。
「……何ですか?」
「いやいや、青春ですねぇって思って」
それは、お互い様だ。と、翔が言いかけた時だった。
甲高い笛の音が街の遠くから響く。それは、街を巡回している冒険者たちが街に入り込んだ魔物を発見した時の合図だ。
「ショウさんっ」
「はいっ!」
笛の聞こえてきた方向が翔にはわからない。だが、笛の音の方向をいち早く察知したリーフェが先陣を切って街中をかけてゆく。そんな彼女の背中を追いかける翔だが、そこには普段ギルドの受付の椅子に座ってニコニコしているおっとりとしたリーフェの姿はどこにもない。
素早く、華麗に、鋭く。
冒険者、リーフェ=アルステインの姿がそこにはあった。
「疾……っ!」
一瞬でも油断したら置いていかれるようなスピードでリーフェは街を疾走する。そんな彼女からは、身体強化術を使っている気配は感じられない。つまり、彼女自身の力量であれほどの運動性能を示しているということだ。翔自身、軽く身体強化術を使ってやっと追いつけているということになると、彼女のポテンシャルは相当に高い。
前方を走るリーフェが軽く飛び上がると、横に走る民家の屋根へと飛び移る。民家と民家の間を月明かりに照らされ飛んで駆け抜けてゆく姿はまるで忍者のようだ。
「見えましたっ、あれは……っ」
「っ、デカいっ」
遠目からでもはっきりわかる大きさ、民家を悠々と超えるその大きさは三メートル弱はあるだろうか。月夜に照らされ、ギラギラと光る紫色の毛並みを蓄えた狼人間のような外見した魔物。
討伐難易度Aクラスのトキシンウルフである。
「私は背後に回りますっ、ショウさんは他の冒険者の支援をっ」
「了解っ!」
身体強化術を使い、一気に魔物との距離をつめる。リーフェを追い越し接近するとそこにはすでに数人の冒険者がトキシンウルフの対処に当たっている。だが、その巨大な図体から繰り出される攻撃にそのほとんどが手を焼いているようだった。
「くそっ! なんで討伐対象Aクラスがこんなところにっ」
「爪には絶対気をつけろよっ! 食らったら即死だぞっ!」
トキシンウルフ、その危険の最たる部分はその体の大きさではない。一番の危険とされてる部分は、その巨体に見合うほどの大きな爪にある。毒を使った狩りを得意とするトキシンウルフは、その爪に薬草から採られる毒を大量に刷り込み、それを振るい敵を弱らせて捕食する。その毒の威力は、オークであれば数回、人間であれば一回攻撃を喰らうだけで即死する強さがある。
「とにかく距離を取ってっ」
「お前っ! あぶなっ……!」
冒険者の一人がその視線をトキシンウルフから逸らす。その隙を見逃さなかった魔物は、その冒険者に向けて即死の攻撃を振るう。
『今道四季流 剣技一刀<秋> 落陽』
冒険者にその毒爪が当たるかの寸前、翔の振るうパレットソードの一撃が、トキシンウルフの右腕を叩き落とす。突如右腕を失ったトキシンウルフは民家を揺らすほどの咆哮をあげながら左腕でその切断面を抑え身を悶えている。
明らかに悪手だった。
咄嗟の行動だったが、右腕を失ったことによりさらに手がつけられないほどに暴れ出すトキシンウルフ。翔もパレットソードを構え応戦をするも、そもそも体格さがありすぎてまともに攻撃が通らない。
「チィ……ッ!」
せめて両腕を叩き落とせば危険はない、そう思い攻撃の対象を左腕に絞り込もうとした、その時だった。
トキシンウルフの背後、月の影になって舞い飛ぶ一人の女性の姿。
それは、月に届きそうなほどに両腕に持ったナイフを掲げ、その見惚れるほどの流麗な動きに、集まった冒険者の全員が空に見惚れていた。
一閃、あれほど暴れていたトキシンウルフの動きがピタリと止まる。そして、その巨体は地面に倒れ伏すとやがて動かなくなる。その横には狼の頭を片手に持ち、大きく息を吐いているリーフェの姿がそこにあった。
「ふぅ……、さすがパルウスさんのナイフ。久々に使っても全然切れ味落ちてない」
リーフェが眺めているのは、くの字に曲がった特殊なナイフ。彼女の姿からは想像できないほどに刃渡りが広く重厚な作りをしている。おそらく、リーフェが冒険者時代から使っているものなのだろうが、それを聞くには少し近寄り難い雰囲気がある。
「みなさん、怪我は?」
「「「あ、ありませんっ!」」」
リーフェの問いに、翔を含め見惚れていた冒険者たち勢いよく返事をする。そんな緩んだ冒険者たちの表情とは裏腹にリーフェの表情は真剣そのものだ。それもそのはず、本来であれば平原でガルシアたちが魔物たちの相手をして、そのこぼれて街に流れた魔物を仕留めるのが今回の作戦のはずだ。にもかかわらず、これほどの大型で危険な魔物が街に現れているのは明らかに異常自体である。
「冒険者のみなさんは、必ずまとまって行動を。そして、自分達で対処がしきれない時は必ず笛で伝達、そして前線を下げてギルドまで後退してきてください。怪我をしたときは無理をせず、治療を受けてください」
リーフェの言葉に頷いた冒険者たちは早速ペアを作り、再び街の巡回に向かう。残されたのはリーフェと翔のみ、剣を納めリーフェに近づく翔だったが、リーフェの表情は暗い。
「やっぱりおかしいですよね、これ」
「はい。ガルシアさん達がこれほどの魔物を通すのを許すはずがありません。おそらく、平原から流れてる魔物とは別の……」
「つまり……、分隊が別で街を攻めてると……?」
「おそらく……。知恵のない魔物の行動とはとても思えませんが。これは……」
つまるところ、魔物は一直線に平原から街に攻めているわけではなく人間の軍隊のように、部隊を作り分隊で平原で戦う部隊、街を攻める部隊と分けて行動をしている可能性が浮上したのである。
本来であれば、知恵のない魔物がとる行動ではない。しかし、二人の頭をよぎったのは言葉を話す魔物。もし、知恵のある魔物が指揮をとっているのであれば話は別だ。
「これは……ギリギリの戦いになるかもしれません」
「……というと……?」
「私たちだけで、もう一部隊魔物の集団を押さえて。間に合わせる必要があります」
リーフェが軽くナイフを振るい、付着した血を取り払うと、後ろの腰にある革製のカバーにしまいこむ。
「王都騎士団の到着、それまでが勝負になります」
リーフェの額には冷や汗が浮かんでいた。




