第34話 準備の色
街は突如、その騒然たる事実とそれによって生じた行動によってひどく慌ただしく動き始めた。まずは住民、約数百人に上る非戦闘員による大移動が起こった。それぞれが長く住み慣れた民家を離れ、数えるかぎりの家財道具を手に持ち移動するのに二日かかる隣町への避難を強いられた。
続いて、イニティウムを中心とした大規模な防衛作戦を行うために、各方面からギルドを先駆け戦力を集中させることになった。そうして、三日後には冒険者、普段は街を警備する多少魔物に対しては戦いの心得のある衛兵、おおよそ百数人がイニティウムに集まった。
その後は、街にバリケードを構築。魔物進軍方向を確認しながら待ち伏せのための罠を作成、防衛線にあたっての物資の供給路の確保など。魔物がイニティウムに到着するであろう一週間後に間に合うよう、ありとあらゆる手段を使って街の防衛に取り掛かった。
「メルトさん、大丈夫ですか?」
「はひゅ……っ! は…い……っ! 大丈夫です……ぅ…」
受付ロビーは綺麗さっぱり取り払われ、その代わり床一面に補給のための物資とその数合わせのために駆り立てられているメルトがへばって木箱に寄りかかっている姿を翔は手に持った荷物を下ろしながら眺める。
普段は特に大型の依頼がない限り至って平穏なイニティウムギルドの業務であるが、今回ばかりは戦争となんら変わらない準備が必要な緊急を要する重要業務である。一週間かけて行われる物資の流通、そして魔物の侵攻を予想した戦略の組み立て、街への被害を軽減させるための施設設営の準備、管理。そのほとんどをたった三人のギルド職員で行っているのであるのだからメルトが疲弊するのは無理のない話だった。
「メルトさん、俺ここやっておくんで少し休んでください。リーフェさんが戻ってきたら教えますから」
「う……っ、すみません。では……、お言葉に……」
甘えて、と言い出す前にメルトは木箱にもたれかかったまま寝息を立ててしまう。抱き抱えて寝かせようと、近づいた翔だったそれは出過ぎたマネだと思いその手を彼女の体ではなく、そばに置かれた毛布へと伸ばしそっと彼女にかける。
以前、彼女から何かを伝えられようとした時。ガルシアの邪魔さえ入らなければメルトが口にした言葉。翔も全くもって鈍感というわけではない、彼女の自分自身を見る目が明らかに違っていたというのは自意識過剰でなければそういうものだということを理解していた。
その時の自分の返事は果たしてどうしていただろうか。
この一週間、忙しさでうやむやになってしまった出来事ではあるが翔自身、作業をしながらずっと考えていたことである。
好意を向けられること自体初めてのことではない。だが、その度頭にチラつくのは、父一登のこととアザだらけの虐待となんら変わらない自分自身の体だった。しかし、異世界へと渡った今それらのしがらみは一登が死んだ時点で綺麗さっぱり消え去っているのだ。
「……はぁ、贅沢な悩みだよ……全く」
それでも、翔がメルトに対して一歩身をひいてしまうのは純粋に人の好意に慣れてないせいでもあった。
「失礼します、ただいま戻りま……、あっ、ショウさん」
「リーフェさん、お疲れ様です。設営の方どうですか?」
「順調ですよ。この調子で行けば午後には間に合いそうです」
先ほどまで、外で設備の設営をおこなっていたリーフェが帰ってくる。すかさず、翔は眠っているメルトを起こそうとするが、手を出そうとしたリーフェはやさしく微笑みながら首を横に振るのを見て、起こす必要がないことを理解した。
「ガルシアさんはどうです?」
「ガルシアさんは今平原で魔法陣の設置を行なってますよ。なんでも対軍用に開発してた魔術がようやく使えるだなんていって張り切ってました」
「対軍用って……、一人で戦争でもするつもりですかあの人」
「もともと魔法陣開発は趣味みたいなものでしたからね、あの人。私の想像もつかない魔術を小さい頃から色々考えてましたよ」
魔法陣開発が趣味のガルシアは、時折魔法の使えない翔に対しても魔法陣について説明するほどの魔法陣大好き人間だ。ゲームや漫画でもお馴染みの魔法陣だが、この世界においての魔法陣は術式を展開するための魔術の構造を体を介さず物質を介して行い、魔術を発動させる、いわば機械における電子基盤のようなもである。そのため、よく知られた円形の魔法陣の他にも用途によってさまざまな形の魔法陣が存在する。
「今回は大傑作だそうですよ。できれば発動させているところを見て欲しいって」
「そういえば、今回俺ってどこで戦うんでしょうか?」
「そうですね……、確定ではないですけど。ショウさんは若手の皆さんが担当する街の警護だと思います。前線はガルシアさんと他のベテランの方々が担当するはずです」
前線ではないと聞いて、内心ホッとしている翔だった。というのも、ガルシアの提案で危険性の高い前線にはベテランを、そして必然的に前線でこぼれでた相手をする比較的安全な街中の警護をするのを若手で構成したのだ。
その意図は言うまでもない。
「若手は俺たちの背中を見せて育てるんだって、皆さんと張り切ってましたよ」
「ハハハ……、よかったです。なんか明るそうで」
正直、翔の頭の中には不安の文字が何度もちらついていた。今回は、仲間が多いからといって油断できるような相手との戦いではない。それでも、自分達の上に立つ人間が明るく振る舞っているのであれば、それに答えてやると言うのがその一歩後ろを歩く若手と言うもの。その経験を翔は地球にいた頃のアルバイトで知っている。
「さて、と。では、メルちゃんには、もう少し頑張ってもらわなくちゃね、め・る・ちゃんっ」
「は、はいっ! メルト=クラーク頑張りますっ! えっと、えっと、次はこの箱を……っ」
ゆっくりと近づいたメルトに近づいたリーフェがやさしく寝ている彼女の方に手を置き驚かせる。勢いよく立ち上がったメルトは耳と尻尾をピンと立たせすぐさま途中までだった作業を再開させる。そんな姿に苦笑しながら、翔も彼女の仕事を手伝うべく腰を下ろし箱の中身を確認すべく手を伸ばしたその時だった。
「ようっ! リーフェの嬢ちゃんいるかいっ?」
「……あ、パルウスさんっ」
「よっ、クソ生意気な坊主。嬢ちゃんはいねぇのか、ならテメェでいいや。ちと外にこい」
「え、俺ですか?」
玄関の扉を大きく開け放ち、そこに立っていたのは大きな鞄を背負ったパルウスの姿があった、そして突如指名された翔はその伸ばしかけた手をそのまま自分の顔に向け指を刺す。
「そうだ、お前さんだ。というか、お前さんに用事があるんだよ」
「俺にですか?」
「そうだ、テメェまさかとは思わねぇが忘れちゃいねぇだろうな?」
「……あ」
パルウスの顔を見て数秒固まった後、翔は思いだす。ガルシアの恋愛模様の結果といい、今回の魔物襲撃事件といいあまりにも内容が濃いイベントが多くて忘れてしまっていたが、その前後でパルウスに自身の防具の生産を頼んでいたのだ。
「でも、こんな早くにできるだなんて。最低で一ヶ月はかかると…」
「そこらへんの素人と一緒にしてんじゃねぇよ。即受注、即生産、即納品が俺のポリシーだからな。それに、今回は珍しく上等な素材が山ほど入ってきたから楽だったぜ。どっかの誰かさんのおかげだ」
そういってパルウスは背中に背負った、黒張りの皮でできた大きな鞄を雑に地面に置く。素材と言うのは、おそらく魔物の襲撃で出たものだろうか、兎にも角にも、襲撃前に装備を整えることができたのは翔にとって非常にありがたい話だった。
早速、パルウスから渡された鞄に手を伸ばす翔。金属の留め金を外し中を開けると、まず最初に目に飛び込んできたのは赤黒く、それでいて硬質感のある、まるでワニの皮のようなものが貼り付けられた胸当てであった。
「胸当てには一番頑丈な、オークの心筋を使ってある。頑丈で軽い、金属のプレートに貼るだけで十分な強度を出すように設計した。足あて、肘当てにはワイバーンの翼を使って柔軟性と強度を同時に兼ね備えた動きやすい素材を使ってる」
「すごい……」
「それでもって、腰当てにはワーウルフの皮とオークの皮を使った丈夫かつ動いてる最中でも勝手にズリ落ちないフィット間のある運動性を重視したデザインにした。これほどの一級品、他の冒険者でもなかなか持ってないぜ」
鞄の中には胸当て以外にも肘あて、膝あて、そして腰回りを支えるベルトのようなものが入っている。全体的に軽装ではあるもの、翔の戦闘スタイルを崩すことのない、それでいてしっかり守るところは守ってくれるまさに職人技という他のない素晴らしい防具の数々だった。
「これ……、費用は……」
「前に言ったと思うが半分は俺もちだ。けど、そんなに高くないぜ、何せ素材はほとんどタダで手に入ったようなもんだからな。まぁ、残りは出世払いでいい」
「これ、身に付けても?」
「おう、つけろつけろっ。つけ心地を聞かせてくれ」
早速、翔は手に持った防具の数々を身につけてゆく。身に付けて行くたびに、自分自身のために作られたものであるのを実感する、それはまるで体の一部のように感じるつけ心地だった。
「すごい、ピッタリです。動きやすいですし」
「まぁ、今は見た目が仰々しいとは思うが、そのうち様になるってもんだ」
「はいっ」
赤を基調としたデザインで確かに少し刺々しいデザインではあるが、それも身に付けていけば変わってくるもの。それでも、戦うための防具を揃えるという行為自体初めての翔は男心ながら少なからず興奮を隠せないでいた。
「あ、ショウさんの防具届いたんですね」
「おっ、よっ。お嬢」
「パルウスさん。今回はありがとうございます、それにしても。パルウスさんも残られるんですか?」
「しゃあなしでな。ギルドの若い連中が頑張ってんだ、この老体。戦うのはできねぇが、鉄を打つくらいならやぶさかでもねぇって思ってよ」
そう言って拳を振るうパルウスもどこかやる気に満ちているようにみえた。
道具は揃い、人は揃い、やる気もそろった。
あとは、迎えうつのみ。




