第27話 静けさの色
「フゥ……、親父。お代わり」
「飲み過ぎじゃないのか。ロードの旦那」
「ここ一週間慣れないことばかりだったんだ。少し息抜きさせてくれよ……」
「にしても、リーフェの嬢さんに頼まれてるんでねぇ。あんまり飲ませすぎないでくれって」
「あぁ……。要らぬお節介を……」
イニティウムの街中に唯一ある小洒落たバー。そこのカウンターに座っているのは疲れ切った表情で小さなグラスに入った酒を大事そうにチビチビと飲むガルシアと、初めての空気感にそわそわしっぱなしの翔の姿があった。
「おう、坊主。お前さん、何も頼まないが、何を飲む?」
「え、あぁ。そうだな、えっと。初めてお酒を飲むのに、オススメなのって。あります?」
「なんだ、その形で酒飲んだことがねぇのかい。そうさなぁ……、まぁ。最初に飲むんだったらこれじゃねぇか?」
カウンターの裏をゴソゴソと漁り如何にもと行った雰囲気のバーのマスターが取り出したのは、小さなボトルに入ったいかにも高価そうな酒。それを容赦なくグラスに注ぎ、翔へと差し出す。その様子を見ていた本日の財布、もとい会計担当の目はすでに死んでいた。
「あ……、甘い」
「だろ? リュイの酒だ。あそこは果実酒が盛んでな、飲みやすいものが多い。あと、美人も多いな」
「なるほど……」
翔はさらに一口飲み込むと、爽やかな杏の香りと酸味が鼻を突き抜け、とろりとした甘さが舌全体に広がる。アルコール臭さも一切無いため、今まで飲酒をしたことのない未成年である翔は飲める機会があればまた飲んで見たいと思っていた。
「悪いが、お手柔らかにな……。それで、訓練はどうだった。ショウ」
「それは滞りなく……。すごく気に入ってもらえて、要らない装備とかもらって」
「そうか。俺も言われたよ、中々優秀な冒険者を抱えているいいギルドだってな。悪い気はしなかったぜ、ありがとうな」
そういって翔の肩を叩くガルシアの表情はどこか嬉しそうに見えた。
なぜ、普段は通りがかることもないバーに翔が訪れている理由はと言えば単純に今回の王都騎士団受け入れのために働いた冒険者同士の打ち上げに参加したガルシアが打ち上げ終了後に、翔のみを誘いイニティウムの外れにあるバーへと呼んだのだ。
「王都騎士団の、あの団長さん。噂には聞いちゃいたが、若いのに本当よくやる」
「レギナさん、ですよね」
「あぁ。あれだけの大部隊をまとめ上げるのは相当なカリスマ性がなきゃ無理だ。しかも、訓練の様子を見ただけだが、剣の腕も相当だ。ありゃ、一人で戦況をひっくり返しちまうような奴だ。言うなれば、聖典に出てくる英雄みたいなもんだな」
そう言いながら、最後に残ったグラスの中の酒を一気に飲み干すガルシア。確かに、彼のいう通り、レギナという人物からは覇気のようなものを翔は感じ取っていた。それは、分隊長のガレアのものとは別な何かで、単に力量がある、貫禄があるというものではない。
そして、それを翔はどこかで感じた記憶がある。
それは、例えるのなら。
「……強い使命感」
「ん? どうした」
「いえ、なんでもないです……」
「おかわりが欲しいのなら、あと一杯で勘弁してくれ。この前ようやく払い終えたのに、またツケができちまう」
リーフェが温泉で語った時と同様の空気感。あの時の使命感、積年の思い、そんなものを翔は確かに感じ取っていた。だが、それを知ったところで王都騎士団はすでにイニティウムを去って行ってしまった。
もう、何かを聞くことはできない。
「ところでだ、他でもない。お前さんに、一つ頼みたいことがあるんだが……」
「……そう言えば。まだ僕がここに連れてこられた理由を聞いてなかったですね」
「あぁ……、その……っん!」
大きく咳払いをしたガルシアは、隣に座るショウに向き合うと、その神妙そうな面持ちから突如首が振り切れるかのような勢いで深々と頭を下げる。突然のことに言葉が出ない翔、マスターもまたガルシアを見ながらボトルをしまう手が止まった。
「えっと……、ガルシアさん?」
「頼むっ! ショウ、お前の知恵を借りたいっ!」
「と、いうと……つまり?」
「スゥ……、俺は。えっっと、リー、リーフェさんの。件について、なんだがなぁっ!」
「リーフェ……さん、が?」
たどたどしい口調のガルシアは、その外見と年に見合わないほどに顔を真っ赤にさせながら慌ただしく大きく息を吐いたり吸ったりを繰り返している。だが、翔はなんとなくガルシアが次に言うことがわかっていた。
「俺は、リーフェさんに。告白がした、いっ!」
「……あぁ、なるほど……。というか、だいたい予想できてました」
「……え?」
「だって。ガルシアさん、リーフェさんのことを見る目が全然違うんですもん、それに。二人のやりとりとか態度を見てたらだいたいわかりますって」
翔の言葉に半ば固まった様子のガルシアだったが、しばらくして大きくため息をついてテーブルに突っ伏すとボソボソと何かを呟き始めてしまった。
「にしても、ロードの旦那があの嬢ちゃんとねぇ。でも、人間とエルフだぜ? 生きる時間が違いすぎやしないか? 普通に考えて、叶わない恋じゃないかねぇ」
「んなことはわかってんだよ……、でも。それでもってのがあるだろ? こんなのでも、一応ギルド長やって、リーフェさんに認められるように頑張ってきたんだわ……」
目の前で、五十を行っているか行ってないかの男の甘酸っぱすぎる純愛を聞き。翔は正直に言えば、なんともいたたまれない気持ちだった。翔自身も、全く恋愛に疎かったわけではなく、高校に入ってから気があった女子の一人や二人はいたものである。だが、ガルシアのそれは青春のそれとは違い、ひどく年季が入っているように感じた。
「……ちなみになんですけど。何年片思いしてるんですか……?」
「ん? そうだなぁ……、かれこれ三十年以上かなぁ」
「幾ら何でも長すぎませんか!?」
「だって、お前さんも知ってると思うけどエルフだぜ? たかが頑張ってもせいぜい百年生きるのが誠意いっぱいな人間の数倍は長く生きるんだぞ。それに、俺は今年で五十二だが向こうは二百を超えてるんだ、俺なんざ向こうにとっちゃほんの子供にしか見えてないだろうよ」
確かにその通りであることに間違いはない。それに、リーフェの事情を知っている翔にとってみればこのままガルシアが告白したとして、リーフェがそれに対してどう思うのかというのは少なくとも予想が立つ。
「それで……、ガルシアさんは。俺にどうして欲しいんです?」
「あぁ……、少しでも告白の成功率を上げたい。しばらくリーフェさんのそばで暮らしていたお前だから聞きたいんだが。どうだ、何か。その、最近好きなものとか、何か」
しばらく頭を抱えて考え込む翔だが、リーフェという人物は趣味という趣味がほとんどない。仕事以外の姿といえば、読書をするわけでもなく主に家の掃除だったり、庭の手入れなど。そして、時間があるときには椅子に座って日向ぼっこをしてお茶を飲んでぼんやりと窓の外を眺めているくらいだ。
「あ、後。自分の料理が好きだってことぐらいですかね」
「料理か……、多少はできるが。ほとんど男料理ばっかりだからな……」
「でも、なんでも食べると思いますよ。リーフェさん」
「そりゃ間違いないだろうが。少なからず、俺はお前みたいに手のこんだ料理は無理だぞ」
ガルシアの言う通り、リーフェだったら差し出された料理は必ず食べるだろう。しかし、翔は料理という分野に置いては絶対的なポジションにいる、それを覆す人物はこれから彼女の前に現れることはないだろう。
しかし、問題なのは告白の方法ではない。
「でも、ガルシアさん。急に告白がしたいって、どうしたんですか? そんなうん十年も片思いしてきて急に」
「いや、その。だなぁ……、この話。リーフェさんにはもちろんだが、ほかの奴らにも絶対に漏らさないと約束できるか?」
「え、いや。それはもちろんですけど」
翔がカウンターにいるマスターに視線を移す。だが、カウンターにはすでにマスターの姿は無く、新たに酒の注がれたグラスが二つ並んでいるだけだった。
「……実はな、王都から召集がかかったんだ。ギルドが、俺を推薦したらしい」
「それは……」
「近々、王都がバルバルスに向けて侵攻するらしい。その部隊の一人として参加させるそうだ」
バルバルスは前人未到の地であり、そこに生息する生物、魔物はどれも人と比べ物にならないほど大きく成長しており、赤龍などの危険生物が巣食っているどこの国も手出しすることのできない危険地帯。まず、足を踏み入れたら生きて帰ってはこれないだろう。
その場所を侵攻するための部隊の一員に、ガルシアが選ばれたというのだ。
「そんな……、では」
「ギルドからの命令は絶対だ。断るという選択肢はない、行ったら行ったで生きて帰る保証はないし、帰ってこれるにしても五年は絶対に帰ってこれない。だから。最後に、せめて……、な」
もの鬱げな表情でグラスを傾けるガルシア。
そこには、普段の剽軽な顔をして全くギルドマスターとしての威厳を感じさせないガルシアの姿は無く。ただ、純粋に長い間一人の人間を見つめ続け、一人の人間を愛してきた、哀愁漂う男の姿がそこにあった。
「……だから、ショウ。頼む、知恵を貸してくれ」
「……わかりました。ですが、ガルシアさん。下手な小細工はやめにしましょう」
「じゃあ、どうするつもりなんだ?」
男は、正面突破あるのみです。
翔の言葉に応えるかのように、グラスの中の氷がカランと軽い音を立てた。




