第23話 訓練の色
「さて、ショウ。まず剣を降ってみてもらえるか?」
「え……、どのように?」
「どのようにでも構わない。一度振って見せてくれ」
林の中で訓練を始めたばかりのガレアと翔。だが、ガレアから言われた言葉の真意をイマイチつかむ事のできない翔は困惑していた。何か技を打つべきなのか、それともただ単に素振りを行うだけでいいのか。しかし、ここで見栄を張って今一色流の技を放つのも何かが違う気がして来た。
翔は大きく息を吸い込み、大きく吐く。
「フッ……!」
振りかぶった木剣はまっすぐと正面に振り下ろされる。普段行っている素振りと何ら変わりはない、ただの平凡な素振りだ。
その様子を隣に立ち、黙ったまま眺めるガレア。その表情は硬い。
「ふむ……、なるほどな。大体わかったが……、貴殿の剣は中々に力み過ぎてる」
「力み……、ですか?」
「あぁ、全体的に強張ってる。と、いった感じか。そう、貴殿は良き師に恵まれただろう。だが、それが返って仇になっている。こうあろう、こうならなくてはならないという気概があまりにも強すぎる。そして、そのどれもが貴殿の体に合ってない」
自覚のなかったガレア指摘に木剣を握る翔の手に自然と力がこもる。確かに、死ぬような思いで身につけた今一色流にはベッタリと一登の技術と癖が付いている。言われてみれば、それは確かに自分の剣ではなく、あくまで他人の剣を真似しただけのもので完全に自分のものにはなっていない。
たった一度の素振りで、ガレアはそれを見抜いたのだ。
「ショウ。貴殿の体は《《力》》で戦うにはあまりにも小さい」
ガレアは木に立てかけていた、その巨大な体と同じサイズになるほどの木製の大剣を片腕で軽々と持ち上げる。その様子から、普段扱い慣れている獲物とほとんど変わらないということが見てわかる、もしそれが本物の鉄製の大剣だとしたら百キロは確実に超えるだろう。
「そうなってくると、力を鍛えるための訓練は貴殿に意味をなさない。となれば、自ずと訓練の内容は目に見えてくるわけだ」
ガレアは翔と正面から向き合い大剣を構える。どことなく嫌な予感が翔の背中を走り抜けていった。そして、その予感は尽く的中してしまった。
「打ち合い、という事ですか?」
「あぁ、貴殿は我輩の剣を受けるだけで良い。そして、身体強化術を使うことは禁ずる。当然、我輩も使わん」
翔の額から冷や汗が零れ落ちる。膝が笑い、手に持つ剣は小刻みに震える。目の前には自分の背丈の倍ほどの鎧を着込んだ大男がさらに自分の背丈ほどの大きさの木剣を手にして構えているのだ。恐怖をするなというのが無理な話である、もし当たりどころが悪ければ死んでしまうだろう。
「では、早速行くぞっ!」
「えっ。いきなりっ……!」
巨大な質量を持つ物質が正面の空気を切り裂く音が林の中に響き渡る。咄嗟に体を捻らせ躱した翔だったが、あまりの衝撃と風圧に体のバランスを崩し土の上で転んでしまう。だが、ガレアの振るった大剣は地面に着く直前でピタリと一時停止したかのように綺麗に止まっている。
その光景を目の当たりにした翔は、あれだけの質量を振るっても尚コントロールをする事のできるガレアの技量と力量に思わず息を呑む。
「確実に力差で負けた相手との戦いでは、攻撃をまともに防げば命取りになる。であれば、どうするべきか。貴殿はこの打ち合いの中で学ぶと良い。それがいずれ、己に合った剣へと繋がって行くだろう」
「っ……。はいっ!」
呼吸を置く間も無く振るわれたガレアの横一閃、それは確実に翔の間合いであり防がなくては大怪我をすること間違いなしである。
翔は木剣を逆手に、左手で体を支えながら腰を大きく後ろに反らしながら顔面をスレスレで轟音を鳴らしながら振るわれる大剣を剣で軌道を変えながら躱して行く。しかし、軌道を変えようと木剣を大剣に触れさせた瞬間、そのあまりの力強さに押し負け膝を折り仰向けになって転んでしまう。
「今のは中々良かった。だが如何せん体幹が弱い、無理に力技で跳ね除けようとするのではなく、相手の力を利用してみろ」
翔は、自分自身が初めて学んだ身体強化術に今まで頼り過ぎていたことに気づいた。先ほどの攻撃であれば全身に身体強化術を使えば確実に防ぐことができただろう。だが、身体強化術はあくまで自分自身の力量をベースに魔力でブーストをかけて強化をするのだ。
故に自分という基礎がしっかりと鍛えられてなくては、ただのびっくり人間で終わってしまうのである。
「もう一度行くぞ、相手の力をうまく利用するんだ」
「はいっ」
「いい返事だ。これでこそ絞りがいがあるというものっ」
不穏な言葉と共に、林の外まで響くほどの音を立てながら大剣が振るわれた。
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騎士団野営地。陽は傾き始め、夕方となり一頻りの作業が終わったところで、ギルドに雇われた冒険者たちが自分たちの荷物を持ちながら引き上げて行く。だが、その流れの中に逆らうように騎士団の中へと進んで行く一人の猫耳の獣人の少女の姿があった。
「ん? あれ、メルトちゃん?」
「あ、ラルクさん。ちょうどお仕事終わりですか?」
「まぁ、そうだけどよ。何してんの、こんなところで」
「え。その、それは……」
ラルクが鉢合わせてのはギルドの新人受付嬢のメルトだった。そんな彼女の手にはピクニックで使うようなバスケットが握られている。その姿を見たラルクは彼女の目的を察したのか口元が緩み、意地の悪い表情を浮かべ始めた。
「ハハァ〜ン。ショウだったら、まだ訓練から戻っていないぜ?」
「えっ! いや、そんなわけじゃ……」
「いやいやぁ、芳しいですなぁ。芳醇な恋のか・ほ・りっ! う〜ん、メルトちゃん。応援してるぜっ!」
「もうっ! そんなんじゃないですってっ! アーちゃんに言いふらしますよっ、女性を取っ替え引っ替えで遊んでる尻軽男だってっ!」
「ちょっ、それは待ってっ! この街にいらんなくなるっ!」
両手を合わせ何度も頭を下げるラルクの姿にメルトは軽いため息を吐き、ラルクから結局、翔の居場所を聞き出す羽目になってしまった。しかし、ラルクから聞いた話では翔は騎士団の大男に引き摺られて行ったところを目撃したという情報のみで、どこに行ったという話を聞き出すことはできなかった。
仕方がなく、メルトはラルクと別れ。騎士団野営地の本部のあるテントの前へとやってくる。しかし、テントの周辺には騎士団が取り囲んでおり、仕事を終えて普段着になっている彼女にとっては中々近づき難い場所であった。
「ん? 貴女は……」
「あっ。すみません、こんなところで止まっていて」
「いや、別段構わないのだが。何か用かな?」
後ろから突然気配もなく呼び止められたメルトは思わず驚きながら後ろを振り返ると、そこには騎士団の鎧を身に纏い、高身長の短く切られたブロンドの髪に整った顔立ちが特徴のアランが後ろに立っていた。その手には弓が握られており、先ほどまで訓練を行なっていたということがわかる。
「あの。すみません、冒険者の。イマイシキ ショウさんという方に会いに来たんですけど……、いらっしゃいますか?」
「あぁ。あの冒険者か、確か筋肉バカと一緒に林に向かったそうだが……、届け物か?」
「その。はい……」
「わかった。あいつにも用があるし、私が案内しよう。ついて来なさい」
アランは弓を近くの騎士に預けながらまっすぐと野営地の中を進んでゆく。その後ろを小走りでメルトはついてゆくが、野営地を抜けるまでの間に彼が言葉を発することはなく草を踏みしめるだけの音が二人の間には流れている。
だが、目標の林に差し掛かる寸前。メルトの目の前を歩いていた男の足が止まり、そのまま後ろに振り返りメルトの顔を見つめるようにその動きを止める。
「あの……、どうかされました?」
「いや……、私の勘違いかもしれないが。以前、貴女とお会いしたことがあるだろうか? 王都で」
「……いえ、そのようなことは……。人違いではありませんか?」
「そうか……、失礼した。この先の林だ。あいつも戻っていないから、おそらくいると思うが」
再び歩き始めるメルト達は林の中へと入ってゆく。そして、その入り口付近にいたのは地面に体を預け満身創痍となっている翔の姿と、ひどく満足げな表情を浮かべているガレアの姿だった。
「え、ショウさんっ!」
その姿を見たメルトはすぐさま翔のそばに駆け寄るが、満身創痍と言っても外傷などはほとんどなく、疲れて地面に体を預けているだけのようだった。そばにおかれている木剣にはヒビや木が削れているところなどもあり、訓練というよりも激しい戦いというべき惨劇があったことが容易に想像できてしまった。
ほっと胸をなでおろすメルト、だがその惨状を目撃したアランのガレアを見る視線は痛い。
「おい、この筋肉バカ。素人相手に本気を出したのか」
「まさか、そんなわけがないだろう。だが、この青年はただの素人ではないな。良くも悪くも戦い慣れている。久々に、心踊る訓練になるかもしれんな」
「ハァ……、死なん程度にな。それと、隊長が呼んでる。戻るぞ」
「わかった、が……。彼をどうする」
その場を離れようとするアランを呼び止めるガレアだったが、アランの視線は翔に駆け寄り呼びかけるメルトへと向けられている。
「大丈夫だ、彼女が見てくれるだろう。戻るぞ、筋肉バカ」
「いい加減その呼び方やめてくれないかねぇ。これでも、上官なんだが……」
「知らん」
「ハァ……、お嬢さん。任せても大丈夫かね?」
大きな体を屈ませながらメルトに尋ねるガレア。その言葉に対し、メルトは無言で頷いた。その返答を聴いたガレアは満足げに頷くと先に歩いているアランの後を追いかけるようにガレアは大剣を担ぎながら林を後にする。
残された翔とメルト。地面に体を預けたまま動かない翔の頭をメルトは持ち上げ、自分の膝の上にゆっくりと置く。翔の頭にどこか柔らかく暖かい感触が伝わり始めると、その刺激のお陰か、翔は閉じていた瞼を開け始めた。
「ん……、あれ。メルトさん……?」
「ショウさん、また無茶なことしたんですか?」
「いや……、そんなことは……。確か、吹き飛ばされて……」
「少し休んでください。怪我はしていないようですけど……」
目を開けた瞬間に、頭上には呆れたのか心配しているのか頭の猫耳をペタンと平らに複雑な表情を浮かべているメルトの顔が翔の目に飛び込む。そして、ここで初めて自分が膝枕をされているという事実に気づき恥ずかしさのあまり起きようとするが、体にうまく力が入らない。
「フゥ……。いてぇ……、ん? なんかいい匂いが……」
「あ。そうです、ショウさんにと思って。作って来たんです」
と、メルトは翔の頭を膝の上に乗せながら横においてあったバスケットの中身を取り出す。夕日に照らされて赤く染まったメルトの手に握られているのは紛れもないサンドウィッチだった。
「あ、」
「ショウさんの作っていただいたものを真似して見たんです。お口に合えばいいんですけど……」
「ありがとうございます……、嬉しいです」
メルトの手からサンドウィッチを受け取ろうと翔は手を伸ばそうと右手を動かすが一切の力が入らず力なく地面に手が落ちる。その様子を見たメルトは、静かに翔の口元にサンドウィッチを運ぶ。
いわゆる、『アーン』という奴である。
「……その、いただきます……」
一口、翔の口の中に入ったサンドウィッチには細かく刻んだ香味野菜とカットしたゆで卵をスパイスで味付けをした豪快なものだった。味は全体的にバランスがよく、卵の甘みに香味野菜の香りとスパイスの程よさが食欲をそそる。
「美味しいです。料理、得意だったんですね」
「普段は作らないんですけど、最近始めたんです。先輩からいつも、ショウさんの作る料理は美味しいと聞きますから」
「そうですか……、今度。リーフェさんと一緒に、みんなで何か作りますか……」
おもむろに、翔は膝の上で寝返りをする。翔の頭の重みが、メルトの足に深くかかるのと同時に突然の出来事でメルトの顔が真っ赤に染まり、尻尾が背中にくっつく勢いで空に向く。
「しょ、ショウさんっ!?」
「すみません……、もう少し。このまま……」
微かに聞こえる翔の声に、固まったままのメルトは自然と膝の上に乗る翔の頭の上にゆっくりと手を伸ばし、母親に甘える子どもの世話をするように撫で始める。
それは、陽が沈むまで続いた。




